生命のはじまり、火の襲来 第1章ー7
「ごちそうさま」
自分の茶碗を台所に下げ、麗は荷物を持って立ち上がる。
「おいおい。一人で帰るつもりか? 送ってくぞ?」
「いいえ、結構よ。それより、妹さんを送ってあげたら? それに、わたしの家は、ここから遠いし、迎えもそろそろ来るから」
皆葉の申し出をやんわりと断る麗。すると、玄関のインターホンが鳴り響いた。
「ほらね。多分、迎えの執事よ。それじゃあ」
「あ、ああ。また、明日」
「ええ。また明日」
そうして、麗は出て行った。
残された二人は、淡々と食事の後片づけを始める。
「さあ、兄さん。片づけを終えたら、私を送ってくださいね」
「あ……ああ。そうだな」
「? どうかしましたか?」
「いや、何でもない」
「そうは見えませんけど? ほら、手の動きが普段より三割ぐらい遅いですし」
言われて、皆葉は自分の動きが緩慢になっていることに気が付く。
「ひょっとして、麗さんのことが気になりましたか?」
「……どうして、そう思う?」
「だって、いつもの兄さんなら、考え事をしてても、動作に支障がでることはありませんから。いつもと違うことといったら、あの麗さんぐらいじゃありませんか」
「むう……」
確かに、神奈の指摘する通りだ。その日や翌日以降の予定を考えながらでも、皆葉の動きに影響はでない。むしろ、無意識でもそつのない動きができるのが彼の特徴だ。しかし、今現在の彼には、その精細さが欠けているように見える。
「なあ、神奈」
「なんです?」
「僕は……いや、何でもない」
「? ……へんな兄さん」
* *
「お嬢様。随分と楽しそうですね」
麗を車に乗せて運転する執事は、彼女の鼻歌を聞きながらそう呟いた。
「そう見えるかしら?」
「はい。ご両親が亡くなられてから、お嬢様が陽気にされるのは、久しく見ておりませんでしたから」
「……そう」
言われて、麗は今までの出来事を振り返る。
十年前、円麗は両親を亡くした。日本どころか全世界規模で発生した無差別殺人事件によって。たまたま習い事で外出していた彼女は難を逃れたが、そこから麗の苦難の日々が始まった。
両親が資産家だったため、生活面での苦労はなかった。しかし、遺産を狙って多くの親族が押し掛けてきたり、学校でもいじめを受けるようになった。
麗は、その試練に耐えた。だが、それ以降、麗が笑うことはなくなった。様々な悪意にさらされ続けた結果、極度の人間不信に陥った。表面的には悪意が見えなくても、経験から他者の悪意が見えてしまい、上っ面での付き合いしかできなくなった。そして、自分から他者と接することを、控えるようになった。しかし、
「どうして、彼に限っては、わたしから近づいたのか……」
偶然出会った神皆葉。彼の行動には、裏がなかった。単純に自分が困っていたから、ありがた迷惑な親切心を見せた。それに、皆葉の境遇もまた、麗と似通っている。神奈に語ったように、親近感を持ったのかもしれない。
「お嬢様。夕食に招いていただいたご友人を、えらく気に入られたようですね」
「そうね。あんなに面白い人に会ったのは、生まれて初めてだわ」
「面白いですか。私も、一度お目にかかりたいものですな」
「それは……難しいかもね。わたしと同じように、面倒な人だから。それに、もっと面倒なオマケがついてくるから。わたしが上手く調整できてからなら、いけるかもね」
「それはそれは、興味深い。さて」
車が止まる。執事は車から降りて、後部座席のドアが開けられる。
「ありがとう」
麗は車から降り、屋敷へと入っていく。