生命のはじまり、火の襲来 第1章ー5
二人は、寮から出て、商業区へ向かっていた。
寮のある学生区からバスに揺られること二十分。多数の商業施設が乱立する様が目に入ってくる。
「そういえば、聞き忘れてたけど、商業区に何しに行くの?」
「妹と、生活に必要な物を買いに行く」
「へー、妹さん」
麗は皆葉を見ながら、妹を想像する。
「うーん……ぷ、あはははは!」
「何を想像したかは知らないが、僕と妹は、まったく似てないぞ。ほら、あそこにいるのが、妹だ」
噴水がある場所で、その妹は待っていた。麗がこの春まで着ていた、夕陽丘中学のセーラー服を身に付けている。
「……ずいぶん、綺麗な妹さんね」
腰まで真っ直ぐ伸びた、緑色の髪。肌は粉雪のように白く、均整のとれた体型。足は触れれば折れそうなほど細いのに、出るべきところは出ている。男女問わず、目を引く美少女がそこにいた。
「あ、兄さん。どうしたんですか? 待ち合わせに十分も遅れるなんて、珍しいですね」
「すまないな。この変なクラスメイトに絡まれて、時間をとられてしまった」
「変なクラスメイトって、貴方がそれを言わないでちょうだい」
鬱陶しそうに皆葉に指さされ、麗は心外であると、抗議する。
「……兄さん。その方は?」
妹は、麗に冷ややかな視線を向けながら、皆葉に尋ねる。
「ああ、すまない。この偉そうに付きまとってくる女は、円麗さん。僕のクラスメイトだ。で、円さん。こっちは、神代神奈」
「はじめまして、円さん。神代神奈と申します。兄がお世話になってるようで」
「こちらこそ、はじめまして。て、カミシロ? お兄さんと名字が違うようだけど」
麗の頭にハテナマークが浮かぶ。妹と紹介したのに、二人の名字が違うとは。その疑問を、神奈が説明しだす。
「ああ、そのことですか。正確に言うと、私と兄さんは、いとこなんです。兄さんのお父様と、私の父が兄弟で、十年前に兄さんがご両親を亡くされて、父が兄さんを引き取りました。今では兄妹のような間柄ですので、兄さんと呼んでいるんですよ。
それで、父が兄さんを養子にしようと言い出したんですが、兄さんはシンの名前を捨てるのが嫌だということで、兄さんは今でもシンを名乗っているんです」
「おい、神奈。説明は正しいが、僕が駄々っ子みたいに言うのは、やめてくれないか?」
「あ、ごめんなさい。でも、実際そうじゃないですか」
「まあ、確かにそうなんだけどな……」
「でしょう? それとも、クラスメイトの前で素をバラされるのが嫌だとか? 兄さんは、ツンデレですからねー」
「お前まで、この女のようにからかうのか……兄は悲しいぞ」
ハンカチを目に当て、泣く仕草を見せる皆葉。それを見て、神奈は『あ、ごめんなさい、兄さん!』と、必死に謝る。もちろん、皆葉は泣いてなどいない。
麗は、二人のやりとりをみながら、ふと思う。
(こいつら、どこのバカップル?)
皆葉の方は、妹に接する兄のように見える。しかし、神奈の方は、妹というよりは、恋人として接しているように、麗には見えた。
「えー、痴話喧嘩を見せつけてくれるのは結構だけど、シン君。どこへ行くの?」
いい加減、二人だけの世界に耐えかねたのか、麗は口を開いた。
「生活雑貨と食料品。それから、玩具を買いに行く」
皆葉は、麗にメモ用紙を見せる。そこには、歯ブラシ等の洗面用具や、調理を要する食材、それから、
「トランプと、碁盤? なんで、そんな物がいるの?」
「鍛錬のためだ。リハビリの一巻として、手先と頭を鍛えるためにやってきたが、今では触ってないと、落ち着かなくてね」
皆葉はメモ用紙をしまい、二人を置いて行ってしまう。
「はあ。何で人を置いてくかなー」
麗は皆葉を追いかけようとする。しかし、
「まあまあ、円さん。少し二人でお話しませんか?」
神奈が、麗の手を掴んで止める。
「いいけど……そんなに力を入れなくてもいいんじゃない?」
「あ、ごめんなさい」
慌てて手を離し、二人は皆葉から少し遅れて、歩いていく。
* *
「で、神代さん。話って?」
「神奈で良いですよ。私も、麗さんって呼んでもよろしいですか?」
「ええ。それで、神奈ちゃん。私を引き留めて、どんな話が?」
「それはですね」
神奈は、麗に近づいてそっと囁く。皆葉に聞こえないように、
「兄に、あまり近寄らないでもらえますか?」
小さなかわいらしい声が、麗の耳に響いた。しかし、その声には、非常に暗い感情が込められていた。
「……どうして?」
一呼吸して、麗は問うた。
「貴女がご存じかは知りませんが、兄は、障害を負っています。そのせいで、これまでイジメを受けてきました。だからです」
「だからって……私が彼を、イジメるとでも?」
「いいえ。そうは言いません。これまでにも、貴女のような人はいました。ですが、それは少数の人です。しかも、兄と仲良くしようとすると、周囲の多数派から同様に虐げられ、最後には一緒になって、兄を迫害するようになります。ですから、兄には私以外の誰とも、関わって欲しくないのです」
「……なるほど、ね」
麗は、ようやく理解した。最初、彼女が自分を見たとき、冷めた目をしていた、その理由を。だが、麗は引き下がらなかった。
「ねえ、神奈ちゃん。彼に誰とも関わって欲しくないって言うけど、そんなこと、現実にできるわけないよね」
「ええ、そうですね。そんなこと、どこかの山に籠もって仙人のような生活をしない限り、無理です。ですが、貴女の様に必要以上に関わる人を排除していけば、できます」
「それこそ、できるわけないじゃない。貴女がどんなに目を光らせていても、お兄さんのすべての動向が分かるわけじゃない。しかも、どうやって排除するわけ?」
その問いかけに、神奈はこれまで以上に冷え切った声で、返した。
「兄が言ってませんでした? 『僕と必要以上に関わると、僕の様な目に遭うかもしれない』って。つまり、そういうことです」
「おーい、二人とも。何を話している? 置いてくぞー?」
「待ってくださいよ、兄さん」
皆葉の呼びかけに一転して、明るい妹を演じる神奈。その後ろ姿を見ながら、麗は呟く。
「……面白いじゃない。できるものなら、やってみなさいよ」
麗の呟きが聞こえたのか、神奈はクスリと笑い、皆葉の隣を歩いていく。