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夢見鳥の舞う社  作者: カッパ永久寺
第二章 哀縁気炎
23/26

凶室

 廊下には誰もいない。今は授業中だから必然的にそうなっている。聞こえるのは教師の説明する声ぐらいしかなかった。みんな教室の中。教室の外にいるのは僕みたいな不良ぐらいだ。

 向こうから男子生徒が現れる。こんな時間にここにいるのだからおそらく不良であろう。顔だちのいい男だった。女性ウケしそうな優男か。

 僕はあいつの顔を熟知している。脳裏にしっかりと焼きついている。あいつは……伊東優太。アヤメの処女を奪ったやつだ。

 確かにアヤメは身を売っていたし、ちゃんとお金ももらっていたので、あの男に非があるということはないのかもしれない。しかし……理屈じゃないんだ。僕はアヤメを大切にしている。その大切なアヤメに危害を加える奴は許さない。

 伊東優太、まずはお前からだ。

 伊東はぎこちない足取りで廊下を歩いている。伊東は足を怪我している。ゆっくりとこっちに向かっている。

 僕はおもむろに廊下の真ん中で立ち止まる。伊東の方はそんな僕を気にも留めないで進んでいく。初対面だから仕方がない。まだ顔は見られていなかったみたいだ。

 伊東が僕の目の前に来たとき、僕は口を開いた。

「やぁ、伊東くん。足の怪我は大丈夫かい?」

 おどけた口ぶりで告げた。伊東は足を止め僕の方を不審そうに眺めた。

「えと……あなたは……」どうやら僕の方をさっぱり知らないようだ。

「僕は円堂治だ。僕は美柳彩夢を護る者だ」

 僕が“美柳彩夢”というと、伊東はがたがたと震えだした。

「伊東くん、アヤメを抱いて、気持ちよかったかい?」

 伊東は震えている。

「伊東くん、まず君にお礼を言っておこう。アヤメに随分とたくさんのお金をくれたそうだね。あいつは世渡りが下手な奴だからすごく助かったよ。アヤメを助けてくれてありがとう」

 僕が感謝の言葉を告げると、伊東は少しだけ震えを収めた。

「でも、僕は君を(ゆる)さないよ」

 再び伊東は激しく体を震わせた。

「僕はアヤメを大切に思ってるんだよ。僕はあいつを、僕の命よりも、この地球よりも、この宇宙よりも、この世界よりも大切に思っているんだよ。そんな大切なものが誰かに傷つけられたら……怒るのは当然の話だよねぇ。伊東優太くん」

 伊東は目を見開いて、口をぽかんと開けて恐怖の形相をしていた。

 僕は伊東の元へと歩み寄った。伊東は少し後方へと下がったがそれ以上は下がらなかった。恐怖で動けなかったのだろう。僕はしゃがんで伊東の黒い制服のズボンのすそを持った。僕から見て右の足のすそを持った。そしてそれをゆっくりとめくっていく。伊東のすね毛が無尽蔵に生えた足が現れる。そして、すねの中央辺りまでめくった時、白いガーゼが見えた。ガーゼはすねの中央の表面の一部を防御していた。

「ここが、刺されたところだよね」僕はつぶやく。

「伊東くんは朝にランニングをする習慣があったみたいだねぇ。いやぁ、意外だねぇ。君も案外健康とか気にしているのかな。それとも女の子にもてるための身体を維持するためだったのかな? 理由はともあれ伊東くんは昨日もランニングをしていた。そして悲運にも傷害事件の被害者になってしまった。走っていたとき、突然足を刃物で刺された。幸い傷口は浅くて学校に行けるぐらいみたいだけどね。で、伊東くん。君が刺された時正面を見たらアヤメの姿が見えたみたいだね。その時伊東くんはアヤメを見てどう思ったのかな?」

「…………」

 伊東は答えない。

「アヤメが自分を刺した、と思ったんじゃないかな。でもねぇ伊東くんそれは違うんだよ。アヤメはあのとき偶然そこに居ただけなんだよ。いや、実は偶然じゃないんだけど……。まぁとにかくアヤメは君を刺したりしていないんだ。というより、アヤメに人を刺したりなんかできるわけないからねぇ。あいつはかよわい女の子だからねぇ。僕の大切な、かわいい女の子なんだよ」

 僕は伊藤のスネのガーゼに手を触れる。表面がざらざらしている。

「伊東くん、君を刺した犯人は……本当は…………………………………………僕なんだよ」

 伊東の足がぐらぐらと揺れた。足は垂直に上げられる。しかし僕は伊東の足をしっかりと捕縛した。逃がすわけにはいかない。

 伊東の足からは大量の汗が流れていた。伊東は捕縛されていない足で何とか逃げようとするが動くことはできない。おまけに激しく動いたせいで体が地に倒れてしまった。僕は柔道の技みたいに伊藤を両手で捕えていた。

「はははっ、伊東くん。君は死ぬまで僕から離れられないよ」

 伊東は地面をもがいていたが、それは徒労だった。

「この前はちょっとした悪戯(イタズラ)だったけど、今回は本気だよ。本気の本番だよ。僕は君を殺すよ」

 伊東はじたばたと動いている。それはもう人間ではなく、殺される前の鶏のようだった。

 ポケットから刃物を取り出す。昨日、この人間を傷害させたものだ。

 足を掴んだまま、伊東のうち太ももの方まで近づく。そして、太ももの付け根を探っていく。太ももを触っていくと大きな血管があるのが確認できた。大腿動脈(だいたいどうみゃく)だ。大きく太い動脈だ。そこにはたくさんの血が流れている。もし、こんな大きな血管に欠陥でもあったなら、大変なことになるだろう。人間は血液を30パーセント失っただけで危険だ。とにかく大量に血を流せば人は死ぬ。

 血の流れを感じる。この人間はまだ生きている。今からそれを断つ。殺害する。

「や、やめてくれぇ! 俺は! 俺は何もやってないんだ!」

 僕には伊東の声が耳に入ってこなかった。

 もう理由なんてどうでもいい。とにかく、死んでくれ。

 僕の心を鎮めるために、生贄となってくれ。

 ナイフを高く上げ、

 太ももの付け根の内側の、

 太い血管目がけて、

 振り下ろす――。

「グァ゛アアアアアアアアアアアアアー!」

 伊東は獣のように叫んだ。

 うち太ももから滝のように血が流れている。

 血というものは末端まで届けられるものだ。動脈は末端へ向かう血液、つまり、血が川の水のように滑り流れ落ちていっている。そして欠落した穴から(こぼ)れ落ちる……。

 しばらくすると伊東はまったく動かなくなった。もう死んだのだろうか。たとえ生きていたとしても少し経てば死んでしまうと思うが。

 ナイフを引き抜き、伊東の足を離して立ち上がる。

 伊東は血の溜りの中で泳いでいた。まるで血の池地獄でおぼれているようだった。

「一人目、殺害完了」

 ぐずぐずしてはいられない。

 思い立ったが吉日、今日は殺し尽くさねば。


 ****


 1年E組。今は自習の時間だそうだ。

 しかし教室から聞こえてくるのは騒ぎ声だった。

 大量の嗤い声。嘲笑。叫び。

 いったい、何をしているんだろうか。

 お楽しみ会でもしているんでしょうか。高校生にもなって。

 僕は教室の扉の窓から教室内を覗いた。

 見るまでもなかった。そこは狂気と狂喜に満ちた狂室だった。

 そこは乖離された空間だ。廊下と教室には時空を超えた境界線が存在するのかもしれない。

 そこを超えていく。

 教室の扉に手を掛け横にスライドさせる。

 がらがら、と乾いた音をさせながら扉が動く。

 教室からの異様な空気が僕を覆った。

 一歩踏み出す。魔窟へと入る。

 ガラス窓から見えた教室の内部が、現実のものとして現れる。

 教室の前半分。なぜかそこには机がない。すべて後ろに下げられている。

 大きな人の集りがある。円状の人の固まり。一人の女の子を中心に、みんなが円を描いて囲っている。

 かごめかごめでもしていたのだろうか。

 取り囲む生徒たちは突然の来訪者の僕の方を目を見開いて眺めていた。何か後ろめたいことがあるような弱弱しい目だった。

 僕はそんな視線を気にせず、黒板の中央まで歩いていく。ちょうど教卓のあるところ。教卓も後ろの方へと動かされたみたいだが。

 僕は取り囲む生徒たちの中で唯一、弱弱しい目をしていなかった、挑発的な眼の気丈な生徒――岩崎瑛里華を一瞬眺めた。その次に円の中心の少女――アヤメの方を眺めた。アヤメは驚いた顔で僕の方を向いていた。その身体にはいくつかの傷があるのであろう。

 僕はアヤメから視線をそらし、この教室の生徒たち全員を見回した。

「どうも、1年E組の後輩たち。自習の時間に突然訪問しちゃって悪いねぇ」

 僕は軽い口調で告げた。教室の生徒たちは動かない。

「ところでみんな、みんなは一体今何をしているんだい?」

 おどけた口調で言った。

 沈黙。誰も答えようとしない。凍ったような空間。

 その中で一人、岩崎瑛里華がゆっくりとこっちへ歩いていく。僕と2メートルほど離れた位置に立っている。

「私たち、お楽しみ会をしていたんです」

 岩崎は気持ち悪いスマイルで応答した。

「高校生にもなってお楽しみ会か?」

「はい、そうですよ。悪いですか」

 岩崎は全く恐怖を感じていないようだった。この女は世の中のすべての人間が自分の奴隷だと思っているみたいだった。

「美柳さんの彼氏さんでしたっけ? このことは先生とかには言わないでもらえませんか? 言ったらどうなるか分かっていますよねぇ」

 岩崎は偉そうな口調で話していた。

「ああ。言わないさ。先生になんかさ。そんな何も教えることも何も助けることもできない奴なんか、頼らないよ」僕は言った。

 岩崎は笑った。

「だから、頼るのは自分だけだ」

 一斉に、津波のような叫び声が教室全体に響いた。

 生徒たちは様々な声の楽器を演奏している。慌てて動いて円がぐちゃぐちゃの形になっていた。

 僕の手には銀の刃物。

 それは、天井に向かって掲げられている。

「みなさん、このクラスには(いじ)めがあります」演説口調で言った。

「虐めという行為は許されざる行為です。このクラスの皆さんは熟知していると思いますが、美柳彩夢さんがこのクラスの人たちに酷い虐めを受けています。放課後に美柳さんの背中をコンパスで刺したり、半田ごてで焼いたりしています。そして、今現在も虐められていました。クラスのみんなはある虐めの首謀者の命令によってクラスぐるみで虐めをやっているみたいですね。クラス全員で虐めだなんて、本当にひどい話です。美柳さんにはクラスに居場所がないんですよ。だれも美柳さんを助けず、だれも美柳さんに相手せず、虐めの首謀者に従って、奴隷のように虐めをやっていたんです。ああ、本当にひどい奴らだ! このクラスの人間は!」

 クラス全員が恐怖していた。

 ある人は涙目を浮かべ、ある人は震え、ある人は倒れこみ、ある人は固まっていた。

「しかし、一番酷いのは、もちろん、虐めの首謀者です。そいつが、すべての元凶です。美柳彩夢さんを虐めた張本人です。どんな理由があろうと虐めは最悪の所業です。虐めの首謀者は悪人です。悪人は裁かれるべきです。最悪、死ぬべきです。そうでしょう、岩崎瑛里華さん!」

 岩崎瑛里華に刃物を向けた。刃物の先は岩崎の喉元にある。

 さすがの岩崎も、その刃物におののいてびくっと震えた。

「岩崎さん、あなたが虐めの首謀者でしょう。あなたが、教室のみんなを脅して虐めをやっていたんでしょう。金に物を言わせて、権力に物を言わせて、同級生(どうきゅうせい)を奴隷みたいに使って、虐めをやっていたんでしょう。本当に最悪ですね、あなたは。人間のクズですよ」

 その暴言に岩崎は顔をこわばらせた。こんな時でもプライドを捨てない傲慢な奴だった。

 僕は一歩だけ前に進んだ。

「岩崎さん、あなたは、死ぬべき人間です」

 刃物をまっすぐ岩崎に向けた。もう一歩前に出るだけで喉が(えぐ)れてしまうだろう。

「あ、あんた……まさかこの私を殺す気なの!」

「まさかも何も、殺すに決まってるじゃないですか。僕の大切なアヤメを……虐めた罪は重いですからねぇ」

 岩崎は一歩後ろへ下がった。すかさず僕も一歩近づいた。

 岩崎はポケットに手を入れていた。腕をカタカタと揺らしながら。

「あ、あなた……私を殺してタダで済むと思ってるの? 私は岩崎建設株式会社の娘なのよ! 私には莫大な財産と権力があるのよ! そんな私にたてついたら、あなたの方が死んでしまうのかもしれないのよ」

「おや、まさか僕の身の安全を考えてくれているんですか? アハハハハ! そんなことどうでもいいですよ! 僕にとっては。死ぬなんて些細なこと、僕には関係ないんですよ」

 岩崎はうつむきながらじっとしていた。

「わ、私には優秀なボディーガードがいるのよ。その人たちに連絡すればあんたなんか」

 僕は獲物を捕らえるカワセミのごとく、素早く岩崎の右腕を刃物で刺した。

 岩崎の右手はポケットに入っている。

 岩崎の腕からは、だらだらと、紅い液体が流れた……。

「あ……ああああああああああーっ!」

 僕は刃物を引き抜いた。血が一層たくさん流れた。教室でまた激しい叫び声が聞こえた。

 岩崎はふらふらと体を動かし、右腕を乱暴に振り上げた。

「痛いっ! 痛いわよ! 痛っ……」

 岩崎が右腕を掲げたとき、突っ込んでいたポケットの中から白い携帯電話が現れ、放り出された。

 タブレット型の最新型のケータイだ。それは地面へと乱暴に落ちた。

 そのケータイの液晶画面には、岩崎の電話帳が表示されていた。

「これで、連絡を取ろうとしていたのかい?」

 僕は岩崎の携帯を持ち上げてつぶやいた。

「別に、連絡をしてもいいけど、その前に僕が君を殺しますよ」

「ぁ……あんた……」

 岩崎は右腕を押えながら小さくつぶやいた。

「さぁ、死んでもらいましょうか、岩崎瑛里華さん」

「ま、待って!」

 岩崎は険しい顔で僕に叫んだ。

「お、お金なら……いくらでもあげるわ。美柳さんを虐めるのももちろん辞めるし……だから……」

「お金? そんなものただの紙切れか金属の塊だよ。そんな無機質でつまらないもの僕はいらないよ。僕はあなたを殺しますよ。もう謝ったって遅いですよ。もう、死刑は確定していますよ」

「あ……ああああ……」

 岩崎は後ろに下がり、そして(きびす)を返して教室の後ろへと走っていった。

 どよめく同級生たちをかき分けて、教室後ろの扉へと向かっている。そして、扉を開けて狂気の教室から脱出しようとする。

 だが開かない。

 教室の扉はびくとも動かない。

 ドンドンと岩崎が扉を叩くが、一向に開かない。

「逃げられませんよ。僕からは。そこの扉は締められています。あなたが死ぬまでこの教室からは出れませんよ。ついでに、窓の方も締めてありますからね。別に窓ガラスを割って出てもいいですけど、その時は窓ガラスが割られる前にあなたを殺すだけですけどね」

 岩崎は開かずの扉の前で呆然と立ち尽くしていた。

「後輩の皆さん、少し、お手伝いしてほしいことがあるんですが……向こうでじっとしている岩崎さんを僕の方へ連れてきてくれませんか?」

 僕はぶるぶると震えている生徒たちに尖った口調で言った。同級生たちも岩崎と同じようにじっと立ち尽くしていた。

「……お手伝いしてくれないなら、どうしましょうかねぇ」

 僕は刃物を生徒たちに向けた。生徒たちは震えながら後ずさる。後ろには固められた机があった。

 すると突然、僕に恐怖を感じてか、その生徒たちの中の男子生徒十人ほどが、教室の後ろへと走っていった。そして、背後から岩崎に覆いかぶさり、地面へと倒れさせた。さすがの岩崎も男子生徒十人に抑えられれば動くことはできない。男子生徒たちは岩崎の身体を拘束し、僕の方へと連れて行く。岩崎はじたばたともがくがそれは全く意味がなかった。岩崎は人間に掴まれた虫みたいに捕えられていた。

 岩崎が僕の目の前まで運ばれる。男子生徒たちが岩崎を必死に抑えながら岩崎の身体を僕の方へと向けさせていた。

「あ、あんたたち……こんなことして……どうなるか分かってるの!」

 男子生徒たちはその言葉に一瞬震えたが、すぐに岩崎をしっかりと掴みなおした。男子生徒たちは岩崎を恨んでいたんだろうか。女子であるアヤメを虐めていたことに男子として罪悪感を感じていたんだろうか。

「さぁ、岩崎さん。そろそろ死んでもらいましょうか……と言いたいところですけど、やっぱり、君だけ死ぬというのはさびしいでしょうねぇ。やはり、道連れとして、このクラスの何人かを殺そうと思うんですが」

 その言葉に、教室全体が凍った。岩崎を捕えていた男子生徒たちも口をぽかんと空けていた。

「ああ。男子生徒諸君、君たちは今のところ殺すつもりはありませんから安心してください。どうやら君たちは岩崎さんに無理やり虐めを強いられていたみたいですし。このようにちゃんと誠意を見せてくれているみたいですし。……殺すのは……岩崎さんの仲間の……いや、子分の人間です。岩崎さんに心酔し、岩崎さんと一緒にアヤメを虐めていた人たちです。そいつらは岩崎さんと同罪です。僕はそいつらも殺します」

 そう告げると、生徒たちの中の数人がびくっと震えあがった。その中の二人は顔を知っている奴だった。

「ええと、それではみなさんにお手伝いしてもらいたいんですが……岩崎さんの子分の人たちを僕の前に連れてきてもらえませんか?」

 その言葉で、教室中が爆発したように動乱した。

「○○だ! ○○を捕まえろ!」

「○○と○○もだ!」

「ち、違う! 私は違うわよ! 私は!」

「○○はどこだ!」

「教室の隅に逃げてるぞ!」

「○○が教室の窓割ろうとしてるぞ!」

「早く捕まえろ!」

「捕まえないと殺されるぞ!」

「いやぁあああああー! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

 教室のみんなはあわただしく動き回っていた。特に男子が走り回って岩崎の子分を捕まえていた。女子も子分たちの名前を叫びながら、その子分を追い詰めていっていた。

 教室の中で唯一動かない生徒がいた。

 アヤメだ。

 アヤメはじっと教室の真ん中で立ち尽くしていた。

 何が何だかわからない、と言った感じの顔をしていた。

 もうすぐだ、アヤメ。

 もうすぐで全部終わるよ。

 しばらくすると動乱の波は収まった。

 僕の目の前に岩崎の子分たちが生贄みたいに並んでいた。みんな同級生によって拘束されている。

 子分たちは全員女子だった。岩崎の子分だから女子になるのは必然のことだろう。

 子分たちの顔は、泣いているか、叫んでいるか、項垂(うなだ)れているかのどちらかだった。

「離してぇ! 違うんです! 違うんですよ私は!」

「ごめんんさい……ごめんなさい……」

 狂気の声が合唱していた。

 子分たちは全部で5人。その中にはこの前アヤメの虐めに立ち会っていたやつらもいた。

「さぁて、誰から殺そうかなぁ」

 僕は並べられた子分たちのところを歩いて回る。僕と顔が合うと決まってひくっと声を上げている。

「岩崎さん、あなたまだ死にたくないでしょ?」

 岩崎はこわばった顔をしている。

「それなら、あなたはまだ殺さないでおきましょう。まずは子分の人たちから殺しておきますから……その間に懺悔でもしておいてください」

 僕は刃物を手に子分たちの方を向いた。

「まずは、僕の大切なアヤメに……謝罪の言葉を言ってくれませんか、皆さん。僕がいいというまで謝罪してください」

 そう言うと、とっさに子分たちが“ごめんなさい”と言い始めた。

 ごめんなさいごめんなさい……。

 本当に、心の底から行っているか甚だ疑問だが。

 とにかく謝れ、懺悔せよ。

 しばらく“ごめんなさい”という言葉がお経のようにずっと続いた。

「はい、それではもういいですよ」

 僕がそう言うと、何人かの子分たちがごめんなさいというのをやめた。

 しかし、そのほかの何人かは、壊れたレコードみたいにずっと“ごめんなさい”を繰り返していた。

「……今僕が“もういいですよ”と言った後、ごめんなさいを止めた人がいるようですが……その人たちは本当に謝罪の気持ちがあったんでしょうかねぇ。疑問に思いますよ。あなたたちがしてきたことは、それだけの謝罪の言葉で償えるものですか? 違うでしょう? 謝るなら、ちゃんと誠意を見せないと」

 ごめんなさいを止めたのは3人。

 その3人の中にはアヤメの虐めに立ち会っていた2人が入っていた。

「まずは……ごめんなさいを止めた、この3人から死んでもらいましょうか」

 3人は、顔が真っ青になり、そして微動だにしなかった。

 そのうちの一人が、恐怖のあまり失禁した。

「まずはあなたからにしましょう」

 なんとなく、その失禁した奴を選んだ。

 僕は刃物を水平に持ち上げ、そしてそれを横に薙いだ。そして子分の首の太い頸動脈を――切った。

 刃物は首を抉った。僕はそれを手前にすっと引いた。

 首に赤い線が引かれる。

 すぐさま、その線から、噴水のごとく、赤い血が、放たれる。

 高く上がった血は、子分を捕えていた生徒たちにも降りかかった。

 子分を捕えていた生徒たちは途端に手を離した。

 子分が地面へと倒れこむ。子分は人形のように動かなくなっている。

 死んでいる。

「二人目、殺人完了」

 そう言って、僕は次にごめんなさいをやめた子分のうちのもう一人のところへと向かった。

「次はあなたの番ですよ」

 刃物を向ける。子分は恐怖で青ざめる。

「あなたは、昨日僕と会いましたね」

 そう言いながら、刃物を子分の腹に突き刺した。

「――――ぁっ!」

「痛いですか? 痛いですよねえ。おなかを刺されちゃ痛いです。たぶん胃を刺したと思います。胃液がだらだらと流れています。これでほかの臓器も溶けるかもしれません。まぁ、時間は少しかかりますが……放っておけば死ぬことはできますから安心してください」

 そう言って僕はその子分から離れた。

 こいつには、痛みを味あわせておこう。

「三人目、殺人完了」

 そして、もう一人、ごめんなさいをやめた奴の元へと向かった。

「あなたにも、昨日会いましたよね」

 子分は答えず、震えていた。

 その子分に、刃物を下ろす。今度は子分の胸のあたりを突き刺した。

「――――――ぅ!」

「苦しいですか? 肺を刺しましたから、息をするのが困難になったでしょう。人間は呼吸しないと生きていけませんから、放っておけば死んでしまうでしょうねぇ。苦しいでしょうけど、ちゃんと死ねると思いますから安心してください」

 そう言って、僕は去っていった。

 子分は喋ることができず、そのまま倒れこんだ。子分を拘束していたやつらの手も離れ、倒れたままじっとしていた。

「四人目、殺人完了」

 もう四人か。今日はいっぱい人を殺すなぁと僕は思った。

 僕は残った子分の元へと向かう。残った子分は後二人。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 ごめんなさいを言い続けている。多分、ずっと言い続けるのだろう。

「ごめんなさいの言葉だけで、赦してもらおうなんて傲慢ですね。ホント、あなたたちは傲慢です」

 ごめんなさいを言い続ける子分を眺める。唇が奇妙に動いている。

「ごめんなさいごめんなさい」

「ごめんなさいごめんなさい」

「ごめんなさいぎょめんなさい」

「今誰か、『ぎょめんなさい』とか言いましたか?」

「ぁ……」

 ごめんなさいを噛んだ奴が、口をぽかんとあけて停まっていた。

「『ぎょめんなさい』じゃなくて、ごめんないでしょう。たった6文字の言葉を間違えてしまうなんて……あなたは本当に誠意をもって謝っていたんですか」

「わ、私は……」

「言い訳無用です」

 そう言ってすかさず子分のぽかんと開いた口に刃物を突っ込んだ。

 そしてその刃物を思いっきり垂直にあげた。

 口腔を突き破って、鼻の神経や目の神経を超えて、脳髄へと向かっただろうか。

 子分はすぐにぐったりと倒れた。

 刃物を口から引き抜くと、赤い塊と肉片がびっしりとこびりついていた。それを服で拭っておいた。

「五人目、殺人完了」

 五人殺した。残った子分はあと一人。

 その一人は相も変わらずごめんなさいを繰り返し唱えていた。

「いやぁ、こりゃあ敬服するよ。今の今まで謝ってくれてるなんて。どうやら君はほかのやつらと違って誠意があるみたいだね。どうやら君は殺すまでの人間じゃないみたいだね」

 僕は最後の子分に誠意をこめて言った。

「後輩たち、この子分を離してあげなさい」

 僕がそう言うと、一瞬戸惑った後生徒たちは子分の拘束を解いた。

 子分はごめんなさいを言うのをやめて僕の方を、涙を流しながら向いた。

「あ、ありがとうございます……」

「もう、悪いことはしないね」

「はい……」

 これは気紛れだ。

 子分の一人はゆっくりと向こうの方へと歩いていく。

「あ、ちょっとまって」

「えっ」

「君の背中に虫が止まっているよ」

 そう言って、僕は虫を殺した。

 背中に紅い線が引かれた。

「あ……虫だと思ったら君だったのか。悪い悪い。間違えて殺しちゃったよ」

 最後の子分は床に倒れこんだ。虫けらめ。

「ぁ……なん……で……」

「だって、君もごめんなさいを言うの止めちゃったじゃないか」

 そう言って、ぐさりと、もう一度背中に切り込みを入れた。

 それで、最後の子分は死んでしまった。

「六人目、殺人完了」

 僕は立ちあがる。辺りを見回すと、子分たちの死体が辺りに散らばっていた。子分を拘束していた生徒たちは後ろの方へと戻っていた。

 ああ、血は気持ち悪い。しかし殺すのは気持ちいい。

 特に、恨んでいたやつを殺すなんて、至福だ。

「さて……子分の人たちはみんな死んじゃったから、メインディッシュの君を殺すことにしようか、岩崎さん」

 岩崎はわなわなとふるえていた。

 岩崎を拘束していた生徒たちも青ざめていた。生徒たちは、まさかここまで酷いことになるなんてことは想像していなかったんだろう。

「男子生徒諸君、最後にお願いしたいんですけど……岩崎さんを床にうつぶせに倒してくれませんか?」

 その言葉を聞いて、男子生徒たちは機械的に岩崎を体重をかけて思いっきり倒した。まるでプレスして押しつぶすように。

「すいませんが、背中の方を退()けてもらえますか」

 男子生徒たちは飛びあがり岩崎の背中を開けた。

 僕は刃物を手に、岩崎の背中――の白いYシャツを切り裂く。

 そして下のシャツとブラジャーのひもを切った。切り裂かれたYシャツを開く。岩崎の平たくなめらかな背中があらわになる。

「あ、そう言えば岩崎さん。言い忘れていたんだけど」

 僕はぐっと刃物を握りしめる。そして振り上げる。

「君の愛する伊東優太君は、すでに僕によって殺されたんだよ」

 言葉と共に刃物を振り下ろす。

「グァァアアアアアアアアアアアア゛ーッ!」

 獣のように叫んでいる。

 涙目を浮かべた岩崎が目をひん剥いて僕を睨んだ。

「私……は……岩崎……建設……会社の……しゃ、ちょう、の、娘……わたしには、けんりょくが」

 グサリ。

 無慈悲に刃物を落とす。

「ぁ……ぁ……」

 刃物を振り下ろす。岩崎の背中に穴を穿(うが)つ。

 穿つ。穿つ。

 お前たちが、アヤメにやったみたいに。

「あ゛ぁあああぁああぁぁぁあー……」

 痛いか。

 痛みとは、これだ。

 痛みとは死の直前だ。

 痛みの先は死だ。

 痛め、等活の地獄を味わえ。

 死ぬことなく、死を味わえ。

 すでに、岩崎の背中は紅い血の色に染まっていた。

 僕は背中を無茶苦茶に刺していたので、岩崎がどうなっているのか気づかなかった。

「ぁ……」

 まだ若干、息はあるようだ。

「背中だけじゃ物足りないな。そうだ、ほかのところも刺しておこうか」

 僕は岩崎の腕を手に取る。そして腕の付け根から順番にリズムよく刺していく。

 グサリグサリ。

 最後に手のひらと、指を刺していく。

 グサリグサリ。

 反対側の腕も同様に刺していく。

 グサリグサリグサリ……。

「岩崎さん、まだ生きてますか?」

「――――」

 返事がない。もしかして死んだのだろうか。それとも失神して倒れているだけだろうか。

「まぁいいや。どちらにせよそれなりの苦痛を味わったみたいだし」

 僕は最後に、岩崎の右目を刃物で刺した。

 刃物は奥へと向かう。目の角膜とか神経とかを通り越して、脳まで言ったみたいだ。

 それをぐしゃりぐしゃりとかき回す。

 ある程度かき回した後、それを引き抜く。刃物はいっそう肉と血で汚れていた。

「これで、七人目、殺人完了」

 七人殺した。殺しきった。

 アヤメを虐めてきた奴は全員……。

 いや、全員なのか?

 そんなことを考えていると、突然、教室の黒板側の扉が開かれた。そちらの扉は締めていない。そこを通るには僕の前を経由する必要があるため無用だと思ったからだ。

 しかし、誰かが来ることは考えていなかった。

 まぁ、誰が来ても別にどっちでもいいんだけど。

「おーい、お前達、ちゃんと自習してるかぁ、なんだか騒がし声が聞こえてき……」

 扉から現れた、40代ぐらいの枯れた男――おそらく教師が辺りの状況を察して、呆然と立ち尽くしていた。

 僕はその男の顔を見る。その男の顔はこの前殺人計画を練っていた際に見た顔だ。

「あなたは、1年E組の担任――竹川先生ですね」

 刃物を担任に向ける。

「お、お前は……一体何を」

「復讐ですよ。僕の大切な人が、虐められたから復讐してるんですよ」

 僕は担任を睨んで告げた。

「復讐って……一体何のことだ……虐めって……そんな」

「とぼけないでくださいよ、竹川先生。あなたは知っていたでしょう。このクラスに虐めがあったことを。あなたはそれを誰にも言わずに黙っていた。何にもせずに無視していた。あなたは……アヤメを見離したんです。虐められているアヤメに目を向けず、権力に屈服し、放置していたんです。あなたは、それでも教師なんですか? あなたには教師の誇りとかはないんですか?」

「ちょ、ちょっと待て……私は……何も知らなかったんだ……。たしかに、最近なんだか教室の空気がおかしかったが、それがいじめだなんてことは気づかなかったんだ! 本当だ! 信じてくれ!」

「信じるわけ……ないじゃないですか」僕は冷たく吐き捨てた。

 僕は教室の扉の前に立つ竹川の元へと歩いていく。

「うわさで聞いたことがあるんですよ。教師が、岩崎の言いなりになっていたりとか言う話を。事実、クラスメートたち全員が岩崎に従っていましたから……そう考えると、先生も岩崎に従っていた可能性が高いですねぇ」

「そ、そんな……私は岩崎に……従っていたりなんか」

「ちなみに、岩崎瑛里華はすでに僕が殺しておきましたよ」

 僕は紅い液体で全身を染められた、岩崎の骸を指差した。

 竹川は口を押え、背後へ後ずさった。

「まぁ、別にあなたが岩崎に従っていたかどうかはどうでもいいんですよ。問題なのは、あなたがアヤメを放置していたことです。あなたは虐めに気づかなかったもしくは気づきながら知らんぷりをしていた。そしてあなたはアヤメを助けなかった……もしくは、助ける必要性を知っていながら、あえて助けなかった……。そうなんでしょう、竹川先生」

「私は……ただ、知らなかっただけで……」

「そんな政治家の言い訳みたいなこと、聞きたくありませんよ」

 そう言って、僕は刃物を水平に持ち上げ、そしてそのまま竹川の元へと飛び込んだ。

 竹川は驚き、すぐさま反射的に後ろを振り向いて、扉の方へと走った。

 そして、扉に手をかけようとする……。

 竹川が、扉の取っ手に手をかける。

 その時、僕はすぐさま――竹川の脇に向かって――刃物を刺した。

「ぐぁぁぁぁぁ……、なんで……私……が……」

 竹川の脇から大量の血が流れる。

 脇は血管の集まるところだ。そこを刺せば大量に血が出る。

 僕はすかさず反対側の脇も突き刺した。

「グァァァァアアアアアーっ!」

 ついに竹川は倒れこんだ。脇から血が絶え間なく流れている。

 じきに死んでしまうだろう。

 死ぬまでに、懺悔でもしておくがいい。

「これで、八人目……殺害完了」

 これで、八人も殺した。

 あの時と同じだ。

 あの時とそっくりの状況だ。

 さぁて、次はだれを殺そうか。

 手伝ってくれた後輩たちには悪いが、君たちには死んでもらう。

 まだまだ殺しきれていない。

 マダマダダ……。

 アヤメヲイジメテイタヤツラハ、マダココニイル。

 首謀者ハ殺シタ。

 子分モ殺シタ。

 アトハ、残リカスノミ。

 全テヲ殺シ尽クシテ、誰モアヤメヲ虐メナイ世界ニ作リ変エテシマオウジャナイカ。

 僕ハ、刃物ヲ手ニシ、振リ返る――。

 ――ガシャァァァン!

 窓ガラスの割れる音が突然、教室後方から聞こえた。

 ――ガシャァァァン!

 二撃目の音。同じく窓ガラスの割れた音だった。

 ガンと椅子が投げ捨てられた音がする。

 それらはたった数秒の出来事だった。

 僕が、ちょっとの間、竹川を殺している隙に、誰かが、窓ガラスを割ったんだろう。

 二回の破壊により窓ガラスには大きな穴が開いていた。

「さぁみなさん! ここから逃げてください! 早く!」

 窓ガラスを割った誰かが、丁寧な口調で同級生に叫んでいた。

 その声を聞いて生徒たちは爆発したように走り出した。小さい穴に生徒たちが次々と通っていく。穴が小さく、人が殺到しているために人は少しずつしか出てこない。痺れを切らして叫んでいた男子生徒の一人が、椅子を手に持って、穴の横のガラス窓に向かって椅子を叩きつけた。

 ガシャァァァンと何回か音を響かせ、二つの目の穴をあけた。その穴から男子生徒は出ていった。それに続いて後方にいた生徒たちがその穴の方へと向かっていった。

 穴が二つあくと、人の流れが途端に早くなった。まるで決壊したダムのようだ。水が大量にあふれていく、穴が大きくなっていく。水は仕舞に枯れていく……。

 僕はそんな人の流れをただ突っ立って眺めることしかできなかった。

 なぜか、そこに近づくことができなかった。

 今すぐ走ってそこまで行けば何人かの生徒を殺すことはできるのに。

 僕はできない。

 僕はじっと、最初にガラス窓に穴をあけた女生徒――アヤメを釘づけになって見つめていた。

 クラスの全員が出ていった。

 残ったのは僕と、あたりに散らばる七つの死体。死屍累々。

 そして、アヤメ。

 ここは、終わった世界だ。

 僕らの終焉の場所だ。

「アヤメ」

 僕は声をかける。その声はもう、光り輝いていた日常の中の僕の声とは違っていた。

 あの日常は、ただの虚無だったのかもしれない。

 本来の僕はこれだ。自傷することと殺害することを好む、両刀の凶器と化した堕落人間だ。

 墜落非行なんだ。

 人間失格なんだ。

 かつての僕は死んでいるんだ。もう、とっくの昔に。

「殺したよ、アヤメ。お前を虐めてたやつらを、岩崎たちを、やっつけてあげたよ。これで、お前はもう虐められずに済む。お前は、自由に生きることができるぞ」

 アヤメに近づく。あいつを抱きしめてやりたい。

 血塗られた手で。

「僕は――捕まってしまうかもしれないけど、でも心配することはないよ。僕はたとえ極刑になってもなんとかなるしね。死刑で首を絞められたってへっちゃらだよ。刑務所に入れられたって、すぐに脱走してやるし……」

 僕は一歩一歩、アヤメに近づいていく。

「アヤメ、つらかっただろう。ずっと今まで苦しかっただろう……。でも、お前はもう自由の鳥だ。かごめの中の鳥じゃない。もう誰も虐めない。幸せになれるんだぜ」

 アヤメは目の前にいる。もう手の届くところにいる。

「お……治さん……な、なんで……治さんが……こんなことを」

 アヤメはおびえている。こんな惨状を見せられちゃあ無理はないか。

「さっきも言ったじゃないか。お前を護るために……お前を救うために、あいつらを殺したんだ」

「そ……そんなことのために……人を殺すなんて!」

「人を殺しちゃ悪いのか?」僕はおどけた口調で言った。

「要らない奴らは排除すればいいじゃないか。その方が、この世界のためにもいいことだろう? 死んで当然のやつらは……殺されて当然なんだよ」

「お……治さん……どうして……どうして治さんがそんなことを言うんですか!」

 アヤメは泣きじゃくって叫んでいた。

「治さんは……賢い人です……何でも知ってます……。そんな賢い人が悪いことするわけありません! 治さんは何でも知ってます! 悪いことも良いこともちゃんとわかっているはずです! 人を殺しちゃいけないことも分かっているはずです! それに……治さんは優しい人です。いつも……私の帰りを待っていて……それに……私が虐められていたこともすごく心配してくれていて……。そんな……そんな治さんが……人殺しなんてするわけありません! 治さんはいい人なんです! 治さんは悪いことしません! 絶対にです!」

 僕の身体にマシンガンの弾を撃たれたようだった。アヤメの言葉がグサグサと間断なく僕の身体を、心を刺していった。

 しかし、僕の身体は不死身の身体だ。そんな攻撃を受けたってすぐに傷は再生してしまう。へっちゃらだ。

「僕はいい人なわけないよ。僕は平気で悪いことするし、そして平気で人を殺すんだよ。もう、何人も殺しちゃったよ。ついこの間、お前と出会うちょっと前も殺人をやってたんだよ。僕はもう悪に染まっているというか、悪魔そのものなんだよ、アヤメ」

「違います! 治さんは……悪魔なんかじゃありません! 治さんは……優しくて賢くて格好いいい……私の大好きな――」

「黙ってくれ、アヤメ」

 僕はその陽だまりのように明るい言葉を拒んだ。太陽の光を嫌うドラキュラのように。

「もう……僕はお前の知っている僕じゃないんだ。お前の知っている、お前の愛している僕は美柳治(みやぎおさむ)だ。僕は――美柳治は死んだんだよ。お前の愛している美柳治はもう死んでいるんだよ。僕は美柳治が生まれ変わった人間――円堂治だ。美柳治は殺されて、そして散々に解剖され、実験され、組み立てられ、還元され……そして円堂治が生まれた。円堂治は人間じゃない。円堂治は不死身だ。そして不老不死だ。そんな人間が……人間の心なんて持っていると思うか? もう僕は人間じゃないんだ。魔物だよ。悪魔だよ。永遠にこの世界にはびこる――孤高の悪魔だよ」

「治さん……どうして……そんなに……自分を悪く言うんですか……。たとえ……治さんに何かが起きたとしても……治さんは治さんです……だから……治さん……」

「いいや、違うよ。僕はもう……救いがないんだ。もう……ぼくは……普通じゃない」

 僕は普通に生きられない。

 普通にお前と接することは……できない。

「わ、私は……どうすればいいか……もう……わかりません。もう……何が何だか……わかりません」

 僕の心の深層の真っ黒な悪を見せられてアヤメはがっくりとうなだれていた。

 そんなアヤメは……ゆっくりと、ポケットから……ナイフを取り出した。

 果物ナイフだ。

「私……実は……自殺しようと思ってたんです」

 アヤメはなぜか笑みを浮かべながら言った。涙はちゃんと目に浮かんでいたが。

「別に……いつ死のうとか……明確に決めてなかったんですけど……いつか、耐えられなくなったら死んでしまおうか……なんて。私……治さんの前では気丈にふるまってましたけど……ずっと耐えられなくて……投げ出したくて……。どうしてこんなひどい時代に、生れ落ちてしまったんだろうって……思ったりして……」

 それは知っていた。

 こいつの性格なんか……僕には筒抜けだ。

 こいつは律儀でおしとやかで……決して負の感情を表に出さない奴だ。

 だからこそ、苦しむやつなんだ。

「治さん……もう私、どうしたらいいか分かりません。周りのみんなは……あの時みたいに私を虐めて……。そして、治さんは……すっかり別の人に代わってしまっていて……」

「僕が別の人間になったのは……あの時もそうだったろう」

「そう言えば……あの時も……同じような話をしていたような気がします」

「そして、同じようなことがあったんだな」

 歴史は繰り返す、とはよく言われるが。

 同じような事件が、同じように起こった。

 奇妙な因縁だ。

 そして結末も――。

「治さん……やはり私たちは、死ぬべき人間なんですよ」

 お前は――お前も――僕みたいなことを言うのか。

 まさか、この辺りの死屍累々に充てられて、おかしくなったのか。

「治さんと私は壊れきっているんですよ。私たちの家族は……もう修復不可能なぐらい、壊れてしまっているんですよ」

 そう、壊れている――のかもしれない。

 少なくとも僕は。

「でもお前は……」

「私こそ……壊れているんです。だから私は虐められるんです。壊れた人間は壊すしか救いがありません。壊れた人間は――死ぬしかないんです」

 アヤメは刃物を持って僕に近づいた。

「治さん……私たち、一緒に死にましょう」

 アヤメは果物ナイフの切っ先を僕の首へと向けた。

 僕は殺されるそうだ。

 アヤメに。

 そして死ぬそうだ。

 アヤメと。

「アヤメ、僕はお前と再会できて――嬉しかったよ」

「私も、治さんともう一度会えて……嬉しかったです」

「アヤメ……ごめんな。僕はもう……こんな人間になってしまって」

「いいんですよ……治さん。治さんには治さんの苦悩が……あったんですよね」

「ああ……ろくな人生は……歩んでなかったなぁ」

 本当に、戯言めいた酷い人生だった。

 こいつのいない人生は。

「治さん……私、もう一度……ぱふえを食べたかったです」

「……なんなら、今から食べに行くか?」

「いいえ……いいです。あんまり甘いもの食べたら、虫歯になっちゃいますからね……」

 僕はアヤメの間近くまで近づいた。

「僕はお前が好きだ」

 そういうと、アヤメはいつものように赤い顔をした。

「わ、私も……治さんが……ふぎゃっ!」

 頭を撫でてやった。

 黒く光るさらりとした、アヤメの髪。そしてほってりとしたアヤメの頭。

「お、治さん……治さん……」

 僕は目に熱いものを感じた。

 これはなんだ……こんな感覚器官が人間にあったか。

 これは……確か涙。

 人が悲しいときに……流す液体だ。

 悲しい?

 僕がそんなものを感じるというのか……。

 それほど、アヤメは僕にとって。

 大切な存在だ。

「ぁ――――」

 腹に熱いものを感じた。

 いや、痛いものか。

 数十回ほど感じたことのある、感触だ。

 僕は刺されている。

 アヤメに。

 血の嫌なにおいがする。

 血はあまり好きじゃない。

「治さん、いつか、別の、幸せな世界で……再会しましょう」

 刃物を手にしたアヤメが立っていた。

 紅い血に染まった刃物。

 背景は僕が殺した骸。骸、骸、骸、骸……。

 教室の中。

 そして足元には、僕の骸がやがて置かれる。

 これは……SENRIGANで見た映像だ。

 これじゃあ、アヤメがすべてをやったみたいに見えるじゃないか……。

 ほんと、どんくさいやつめ。今回も僕の罪を被ってしまうなんて……。

 僕のお腹から血が垂れている。

 意識が糸のように細くなる。

 しかし……まだ見届けなくては。

 最後まで、そばにいなければ。

「さよなら、治さん」

 こいつ――。

 再会しましょうとか言っといて……さよならなんて。

 天然なのか、しっかりしてるのか……分からない奴だなぁ。

 アヤメは、紅い果物ナイフの刃を、自分の首の頸動脈へと向かって抑えた。

 そこには、昔アヤメが自殺した際付けた傷がある。

 その太い線の上に刃を置いている。

 それをまっすぐ引く。

 アヤメの首から血の飛沫が飛ぶ。

 そして血があらかた出切った後。

 アヤメはゆっくりと、枯れた花のように、倒れた。

 僕が殺したのは八人。

 殺された人間は九人。

 自殺した人間は一人。

 すべての骸は十人。

 これが、僕ら二人の――最悪の終焉だ。

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