終焉一時間前
「ついに今日ね」
サツキがそっけなくつぶやいた。
ここは屋上。今は朝方。1時間目。今日も授業をサボっていた。最近ずっと授業をサボってばかりで、これじゃあ不良みたいだが、しかし、サボりも今日で終わる。こんな沈んだ気持ちも、もう終わってしまう。
「今日が、鬼が覚醒する日ね。確か時間は……SENRIGANだと今から1時間後、2時間目が始まるぐらいかしらねぇ。アヤメちゃんのいる1年E組は確か2時間目は数学だったけど、そういえば数学の先生が出張で自習になるみたいなのね。つまりまぁ、教室には生徒しかいない状況になると。その状況で殺人を行う……ということになるのね」
僕はポケットに手を入れた。5月だから寒くないけど。
「お前は、アヤメを止めようとかしないのか」
「止めてほしいの? 治くん」
「いや……」
人に頼むのは筋違いだ。
「そう言う治くんは……何もしないわけ?」
「それは……」
ポケットの中の冷たいものに手が当たった。
「僕は……なにもできない」ぶっきらぼうにそう告げた。
「そう」サツキは言った。
「世の中にはどうしようもないこともあるからねぇ。お金とか、権力とか、恨みとか嫉妬とか……どうしようもないのよね、そういうの。そういうのに直面したら……もう逃げるしか術がないのよね。人間一人にできることなんて案外ちっぽけなもんだからね。人間は何もできないのが当たり前みたいなものよねぇ」
何もできない。
僕たちができることなんて、本当に限られているのかもしれない。
「治くん、それじゃあ今からのんびりと空でも眺めておかない? その方が落ち着くと思うし、治くん、最近精神的に参ってたでしょ?」
僕はちらっと空を眺めた。空にはたくさんの鳥が飛んでいる。自由に飛んでいる。
自分が鳥ならば、こんな苦しみも感じずに済んだのだろうか。
文鳥が鳴いている。鳩が飛んでいる。スズメが電線に止まっている。
そして、空の向こうには蝶が飛んでいる。
“墜落飛行”
なんて言葉はこの世に存在しない。これはただの造語。墜落飛行機を動詞化したみたいなものだ。
墜落と飛行は対を成す言葉。
墜落し、飛行する。
それは飛行であり、それは墜落でもある。
どちらとも取れる、どっちつかずの状態。
そして、墜落非行。
墜落、そして飛行でなく、非行。非ずの行い。
墜落し、非行する。
それはどっちつかずの状態でなく、まさに、堕落人の状態。
なぁんてことを思っていたりする。
時計を見ると、10時20分。
殺人が起こるまで、あと30分。
「やっぱり、僕は行くよ」僕はサツキに言った。
「行くって……治くん、あなたアヤメちゃんを止めに行くの?」
「いいや……。ただ、あいつが今からすることを、眺めに行こうと思ってな」
「へぇぇ。助けられないなら、せめて見守ろうっていうの」
「まぁな」
僕は踵を返して、屋上の扉へと向かう。
「治くん」
夢見ヶ原サツキが言った。
「最後に、2、3君に話しておきたいことがあるんだけど」
僕は振り向いて、サツキの顔を見た。顔は真面目になっていた。
「話しておきたいというか……なんというか、ちょっとした意見なんだけど。あの、『杜九茂村八人殺し』の話なんだけどね。私、ちょっと気になっていたことがあったのよ」
サツキは真っ直ぐ僕の方を見た。
「あの事件は明治時代、中学生の少女――アヤメちゃんが、一家を村八分にされた怒りで、村人を八人殺したってことになってたけど……。でも、なんか引っかからない、治くん」
「引っかかるって、何が」
「どうして“八人”しか殺していないのかしら?」サツキが言った。
「杜九茂村は人口数千人の村だったそうよ。その数千人のうちのなぜ八人だけを殺したのかしら?」
「いや、それは……。さすがに数千人も殺せないだろ? だから……一番虐めていたやつらの8人を殺したんじゃないのか? その8人は美柳家から近いところにあった家の人たちだし……利便性とかも考えれば……おかしな話ではないと思うんだが」
「確かに、その8人が主導で、美柳家を虐めていたなら、わかるけどねぇ。でも、主導して虐めていたのは……村長さんだったのよ。村八分だから、村長がそれを下すのは当たり前だけど、でもその村長さんは殺されてなかったのよ。殺されたのは美柳家の近所の人たちだけよ。しかも……八人を殺した後で、アヤメちゃんは自殺をしているのよ。自殺ってことは、総てをやり終えたってことだと思うんだけど……でも、アヤメちゃんを虐めていたのは、もっとほかにもたくさんいたはずよ。そいつらを殺さないで自殺するなんて言うのは……おかしいと思わないかしら? 治くん」
「おかしいって……そもそもこんな事件がおかしいんだろ? アヤメはあの時錯乱していたんだ。だから誰を優先的に殺そうとか、何人殺そうとかそんなの考えていなくて、衝動的に人を殺していたんじゃないのか? それで衝動的に……自殺をしたんじゃないのか? アヤメはとりあえず、近所の人たちを衝動的に殺して、そして、8人殺した後、急に良心の呵責に耐えられなくなって……自殺したんじゃ、ないのか?」
「ううん……。たしかに、そういう風に考えた方が自然かもしれないけど、いやでも私的には不自然なんだけど……うーん」
サツキは腕を組んで悩んでいる様子だった。
「でも、やっぱりなんか変なのよね。あともう一つ、変なところがあるんだけど……アヤメちゃんが8人を殺して自殺したところが……ちょっと変な場所でね」
「変な場所って……」
「道の真ん中なのよ」サツキがはっきりと言った。
「しかも、その道は山に行くための道で、周りに家とかないのよ。どうしてアヤメちゃんはそんなところで自殺なんかしたのかしら?」
「静かなところで……死にたかったんじゃないのか?」
「でも、道の真ん中よ? 静かなとこなら、いっそ山の中とかで死んだらよかったんじゃないかしら」
「それも……衝動的にやったんじゃないのか? アヤメが歩いているときに、突然、衝動的に自殺したくなったとか……。そういう、心的な状況なんて、本人にしか分からないし……」
「で、それでなんでアヤメちゃんは山へ行く道にいたのかしら?」
「それは……」
それも、衝動的に……とかなんとか、言えるのだろうか。
たしかに、人殺しの心理なんて誰にも理解できないと思うが……。
「まぁ、殺人をした人が、よくわからない行動をすることはよくあることだけどねぇ。それほど、アヤメちゃんは追い詰められて狂ってしまっていたのかしらねぇ」
独白のごとくサツキは言った。
「まぁ、過去の話なんて今はどうでもよかったわね。今のアヤメちゃんは生まれ変わったアヤメちゃんだものね。そう、今の……過去の因縁のごとく、人々から虐められているアヤメちゃん……」
僕は顔を俯けた。
「もう一つ、話とかなきゃならないことがあったわ。話というより意見なんだけど。治くん、昨日話した、傷害事件は憶えているわね」
「ああ」
「あの傷害事件、なんか引っかかるのよね。うん、引っかかる。なんか、喉に小骨が引っかかったみたいに」
「何が……引っかかるっていうんだ」僕は顔を上げた。
「どうして、足を刺されたのかしら」
「足?」
「昨日、言ってたじゃないの。男の人が足を刺されたって」
ええと、そんなこと言ってたっけ? 刺された場所なんて聞いてなかったと思うが……。この小説を後ろのページまでめくって確認すれば、そんなことが書かれているかどうかわかると思うが。
「足を刺されたのが、そんなにおかしいのか?」
「おかしいわよ。だって、男の人はアヤメちゃんを正面から見たんでしょ? でも、刺されたのは足。正面から足を刺すにはしゃがまなければならないわね。でも、どうしてしゃがんで人の足なんか刺したのかしら? 正面からなら、胴か腹か腕を刺す方が楽だと思うんだけどねぇ。どうして、わざわざ足なんか刺したのかしら?」
「そりゃあ……そんなの、衝動的に」
「また衝動的なの?」サツキが言った。
「私はこう思うんだけどね、アヤメちゃんは、公園の茂みとかに隠れて、そして、やってきた男をそこから、しゃがんだ状態で茂みの間から刃物を出して刺したと思うのよね。それなら、足を刺すことは簡単にできると思うけどね。しかも見つからずにね。でも……それだとまたおかしなことが起きちゃうのよね。茂みに隠れてたんなら、どうしてアヤメちゃんは男に姿を見られてしまったのか、いや、見せてしまったのか。茂みの後ろから逃げればいいのに、どうして、茂みの向こう側の男のいる方へ出て、姿を見せてしまったのか」
「それは……」
「衝動的、と言いいたいの?」
きっぱりとサツキが言った。僕は何も言えなくなった。
「なんだかねぇ、アヤメちゃんが犯した事件ってのは……いろいろと、いろんな意味でおかしいのよねぇ。それほど、アヤメちゃんが狂ってしまっているってことなのかもしれないけれど。もしかしたら……アヤメちゃんにはもう一人の人格があったりするのかもね。そのもう一方の人格が時折何の前触れもなく出てきて、それでおかしな行動をしちゃったりとか。それなら、杜九茂村の自殺もうなずけるわねぇ。アヤメちゃんの普通の人格が突然現れて、狂ったアヤメちゃんの人格が村人を殺し尽くす前に、自殺をした……。みたいなね。傷害事件のほうも説明が付くわね。男を刺した後、突然普通のアヤメちゃんの人格が現れて、そして目の前の刺された男に驚いて、茂みから出てきた……みたいなね」
アヤメの中にそんな別人格みたいなものが、果たしてあるんだろうか。
正直、分からない。
人間に表裏なんか、本当にあるんだろうか。
「治くん、最後に一つだけ訊いていいかな」サツキがしんみりとした口調で言った。
「治くんは、どうしてアヤメちゃんを大切にしているのかなぁ。治くんは、他人なんかには興味ないと思ってたんだけど……アヤメちゃんは特別なのかなぁ。あんなにも堕落していた治くんが、裏返ったみたいな真人間になるほど、アヤメちゃんは特別なのかなぁ。治くんにとって、アヤメちゃんってどんな存在なの?」
僕は振り向かず、答える。
「アヤメは……僕にとって、大切な――」
今日は昨日に引き続いて曇りだった。
鳥がたくさん飛んでいた。ツバメが低く飛んでいた。
遠くで犬の鳴き声がする。遠くで鳥の鳴き声がする。
みんな、恐れているんだろうか。
みんな、予言しているんだろうか。
SENRIGANなんて使わなくても、みんな分かってしまうのだろうか。
とにかく、今は行かなければ。
なんとしてでも、止めなければ。




