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夢見鳥の舞う社  作者: カッパ永久寺
第二章 哀縁気炎
16/26

キチ日

 気づくと朝。

 いつものように起き上がる。ババアとの二人だけの家で。

 と思ったら、僕のとなりに一人のいたいけな少女がいることを思い出した。

 美柳彩夢。あのどうしようもない錬金術師により、ゾンビとして生き返った少女。

 どっからどう見てもゾンビには見えないが……。

 というより、ゾンビというものはもっとこう腐った身体みたいなものを想像するのだが、必ずしもゾンビは腐っていたりしないんだろうか。それと人を襲ったり、仲間を増やしたり、仕舞には世界を征服しちゃったり……。そう言うのはお話の中の話なのだろうか。

「おはよう、アヤメ」

 声をかけるが返答はない。すぅすぅと小気味よく息をしながら熟睡しているアヤメ。よっぽど疲れていたんだろうか、うつぶせでシーツにのめりこむように眠っていた。

 寝顔が、僕の心を癒した。ナマケモノのようにぐったりしている。

 本当に、こいつは、野生動物だ。

 野生動物に例えるなら……ウサギとかかな。

 さぁて、そろそろ学校へ行く準備をしないと。僕は掛布団を上げて布団から脱出しようとする。

 と、掛布団を上げた物音に気づいてなのか、アヤメがもぞもぞと動いた。アヤメはゆっくりとした動作で起き上がり、そしてぼうっと一点を見つめていた。寝ぼけているのだろうか。

「おはよう、アヤメ」僕はアヤメの後頭部に声をかける。

 声をかけられたアヤメはのっそりと僕の方へと向いた。しばらくアヤメは僕をはっきりとしない目でぼんやり眺めていた。

 その目は突然パカッと見開かれた。

「わわわわわぁぁぁぁぁー! ええええぇぇぇぇ! 治さぁぁぁぁん!」

 朝からとても元気な子だ。アヤメはぐるぐると360度辺りを見回す。

「どうして私治さんの布団に! なんでぇぇぇぇ!」

 どうやら、昨日のことをさっぱり忘れているようだ。


 昨日。虚幌高校から家に帰る途中。

「そう言えばお前、住んでるところは何処なんだ?」僕はアヤメに尋ねる。

「えっ、住んでるところですか? ええと、それはその……そのですねぇ、向こうの虚幌駅の近くの公園の……」

「公園の?」

「あ、アパートに住んでます!」

「ふぅん、アパートにねぇ。そこでちゃんと生活はできてるんだろうな」

「お、治さん! そんな私もう16歳なんですから! ご心配には及びませんよ! 私は日々充実した生活を送っています! 本当です!」

「…………そうかい」

 なんか、ものすごく怪しいんだけど……。

 本当にちゃんと生活しているかすごく怪しいものだ。第一、一度死んだ人間には親戚もないし身寄りもないし友達も死んでるだろうし人脈も枯れてるだろうし……生きていくのは随分と難しいものだ。そもそも死んじゃってるから戸籍も何もないんだ。そんなアウトローがまっとうに生きていくなんて難しいものだ。

 この僕も、生活費はババアからの小遣い(こういうのをヒモというんだろうか。ババアとは結婚もお付き合いもないんだが)、もしくはたまにするアルバイトの給料で賄っている。まぁ、僕は学生の身分だからこれくらいでしかお金は稼ぐ方法はないんだが。

 そしてアヤメの場合は……アヤメの性格から考えると世渡りなんてろくにできないだろう。“一度死んでいる”というハンディキャップがあれば一層厳しいだろう。そんなアヤメがアパートで暮らしているなんて……想像できない。どうやってアパートを借りたんだ? どうやってお金を工面したんだ? ……もはや疑問しか浮かばない。

「というわけで治さん! 私はそろそろ帰ります! 今日はいろいろ……その、お世話になりました!」

 深々とお辞儀をした後、アヤメは脱兎のごとく駅の方角へ走っていった。

 僕は小さくなっていくアヤメの姿を見据えながら、駅の方角へ歩いていく。

 しばらく歩いて、駅から小道に入って公園へと向かう。路母太(ロボタ)公園という、体育館ぐらいの広さの公園。この公園の名物は中央にそびえ立つ直方体のカクカクロボット――の形をした滑り台である。名物と言っても所詮は公園の遊具。その遊具を愛しているのは子供たちぐらいだろう。いや、もう一つそんな大きな遊具を愛すような人種がいたような……。

 僕は嫌な予感を抱きながら、ロボット型の滑り台へと向かった。ロボット型の滑り台の胴の部分は空洞で外から中は見えない。隠れ家にはもってこいな……空間だ。

 僕はロボットの背から尻尾のように伸びている階段を上り、胴の中へと入っていく。明かりがないので中は暗い。今は5月でそしてまだ真夜中というほどでもない時間だったのでかろうじて月の明かりで中の様子がうかがえた。

 砂が撒かれたコンクリートの床。その右奥の角に……毛布をまとったホームレス……いや、アヤメがいた。

「…………」

 想像はしていたが……。本当にいたたまれない。

 なんだか無性にこの世界を恨みたくなった。どうしてこんな子が……こんなに不幸なんだと。

「……おーい、アヤメ」

 毛布をかぶったアヤメに声をかける。声をかけられたアヤメはすぐに目を開け、そしてわっと驚き、きゃあと絶叫し、そんな……と感嘆し……そしてしまいに泣き出した。

「ううううぅぅぅぅ……」

 本当に悲劇のヒロインだ。こんな平成の世の中にこんなに不幸な子がいるとは思わなかった。もっともアヤメは明治生まれなんだが……。

「お前、こんなところで暮らしてたのか?」

「ううぅぅ……」泣いてちゃわからないよ。

「晩飯も食べないで……毛布にくるまって……」

「……うう、だって今日はぱふえを食べたから」

 あれは、アヤメにとっては晩御飯だったのか……。スイーツが晩飯になるほどの、酷い食生活をしていることはすぐに分かった。

「お前、ずっとここで暮らしてるのか?」

「うう……学校以外は、ずっとです」

 学校に通うホームレス、ホームレス高校生というやつか。

「私……お金あんまりないから。食費だけで精一杯で……住むところにまでお金は駆けられなくて」

 ホント不憫な子だ。同情でもお金でもなんでもあげてやりたい。

「お前な……高校生がホームレスなんかするもんじゃないぞ。こんな夜に女の子が公園の遊具の中に居て、チンピラか不良に目ぇつけられたらどうするんだよ!」

「……す、すいません! ごめんなさい!」

 アヤメはものすごく申し訳なさそうに謝っていた。

「とりあえず立て、アヤメ」

 僕はアヤメに促す。アヤメは僕の険しい顔におののいてすぐさま立ち上がった。

 僕はアヤメの腕を掴む。

「行くぞ、アヤメ。お前はこんなところに居ちゃいかん」

「い、行くってどこにですか!」

「僕の家だ!」

 正確にはババアの家なんだけど。

「そ、そんな……治さん、私は治さんに迷惑かけるわけには……」

「なに水臭いこと言ってんだ! 他人行儀をするな! ……今は平成の世の中だ。古の昔の明治じゃないんだ。お前も知ってるかもしれないが日本はもうあの時の日本とは変わったんだよ。何かから、誰かから束縛されない、自由な時代になったんだ! だから、お前も自由気ままに生きろ!」

 アヤメはうつむいていた。うつむいたまま、小さく嗚咽していた。

「……そ、そんな……自由な時代に、なったんですか」

「ああ。そうだ」

「ううぅぅ……。私、私は……自由に生きても……いいんですか」

「ああ。もちろん」

「うわぁぁぁぁんー!」

 むせび泣くアヤメを僕は抱きしめた。今日で二度目の抱きしめだ。

 本当にこいつは、

 泣き虫なんだから。


 ……という、ひと悶着があってアヤメをこの家に連れてきたわけだ。

 家に着いたときアヤメはぐっすりと眠ってしまっていた。今日は本当にいろんなことがあったから疲れていたんだろう。僕はアヤメを2階の自室へとおんぶしながら運んでいき、そして布団へと寝かせた。幸いというのか、布団は二つあったため僕とアヤメは気兼ねなく眠ることができた。男と女が一つの部屋の中で眠るのはどうかと思われるだろうが、しかし僕とアヤメの中だ。そんな気兼ねすることはない。別に、一緒の布団に入って眠るというわけではないのだから……。

 と思ったら、朝起きたらなぜか一緒の布団の中にいた訳で……。

 間違っても性的なことは起きてないが……。おそらく、アヤメが寝返りを打ったか寝ぼけたかで僕の布団の方へともぐりこんできたのだ。そんなに寝相が悪くてよく公園でホームレスなんかやってこれたもんだ。

「うわぁぁぁぁー! ううぅぅぅぅ! なんでこんなことに!」

「落ち着けアヤメ」

 僕はアヤメの頭をポンと叩く。

 叩いたら急に顔が真っ赤になって余計に慌てふためいた。


 それから10分後……。

「落ち着いたかアヤメ」

「はい……お騒がせしてすいませんでした」深々と頭を下げるアヤメ。

「ええと、確か私は治さんに連れられて、治さんの家に来たんですよね。私は寝てたからわかりませんでしたけど……え、寝てた? ということはつまり私はどのようにしてここに……」

 数秒後、また顔を真っ赤にしている。お前は壊れた信号機かと突っ込みたくなる。

「落ち着けアヤメ」

「ふぎゃっ」

 頭をぎゅっと抑える。

(そんな……私は治さんにお姫様抱っこを……)

 アヤメは一体どんなことを考えてるんだろうか……。女心というものはどんな方程式よりも複雑なものだ。

「それで……治さん、ここは治さんの家なんですか?」

「ああ……いや、僕の家というわけじゃないんだけどな。ここはババ……おばあさんの家なんだけどな」

「おばあさんの家?」

 おばあさんことババアの家だ。他人にはおばあさんと言った方がいいだろう。“お母さん”を先生の前では“(はは)”と呼称するみたいな話だ。

「とにかく、はやく学校に行く準備をしないとな。もうこんな時間だ」

 時刻は8時前。全然時間がない。

「うわぁっ! もうこんな時間!」

「さ、はやく着替えないと……」

 そう言ってアヤメの風体を見る。アヤメはずっと制服のままだった。

「お前、着替えは……」

「せ、制服はこれだけです」

「替えの制服はないのか」

「はい……」

「それ、ずっと着てるのか?」

「ええと……3日に一回はちゃんとこいんらんどりいという所で洗ってます」

「下着は……?」

「ええと……それも3日に一回は……」

「3日に一回ねぇ……」

 花も恥じらう乙女が3日間着の身着のままいるとは……。ホームレスだから仕方がないのかもしれないが……。しかし下着はちょっと……なぁ。

「と、とにかく時間がないな。今日はこのまま学校に行こうか」

「は、はい!」

 僕も制服のままだったのでそのまま着替えず行くことにする。

 僕とアヤメは部屋を出て階段を下り、廊下を歩いて台所へと向かう。

「朝食はこれで我慢してくれ」

 僕は冷蔵庫から魚肉ソーセージを取り出す。ビニールに包まれた棒をアヤメに渡す。

「ええと……これはどうやっていただくんですか?」

「ああ。歯で上の方を噛んでビニールをちょっと千切ってな……」

 僕はアヤメの魚肉ソーセージを()いてやった。アヤメはおおーっと剥かれたソーセージを眺め感嘆した。

「さ、それ(くわ)えて先に行ってくれ」

「は、ひゃい!」

 アヤメはソーセージを咥え居間を出ようとする。すると、アヤメは部屋の向こうのベッドに横たわる……老婆を見つけた。

「ん? ……あ、あの人は?」

 ソーセージを咀嚼しながらアヤメはつぶやいた。

「あ……あれは」

 僕の……何なんだろうか。

 一番妥当なのは、愛人だと思うが……。アヤメにそう告げるのは……なんだかな。

「この家のおばあさんだ」お茶を濁すように僕は言った。

「おばあさん……ですか」アヤメは疑問を抱きながら答えた。

「……そんなこといいから、早くしないと遅れるぞ」

「は、はい! 行ってきます!」

 アヤメは颯爽と家を飛び出していった。

 僕は……冷蔵庫にあったラップのかかった料理をババアの前へと置いた。ヘルパーさんは数時間後に来るから何とかなるだろう。

 僕もアヤメの後を追って家を出る。


 ****


 僕は思う。

 アヤメは本当にこの学校の生徒として生活しているのだろうか。

 今朝、アヤメはちゃんと校門を通過していたから……そうだろうとは思うが。

 そんなに気になるなら、学校で会えばいいんじゃないか? アヤメは何年何組だったけ……。ええと……。

 そんなことを考えているうちに昼休みになった。

 僕はアヤメに会いに行くことにする。

 階段を下り、一年のクラスのある一階へと向かおうとすると、

「治くん」

 聞き覚えのある声が階下から聞こえた。

 それは夢見ヶ原サツキの声。

「ちょっと屋上に来てくれない?」僕に言葉を告げる。

「ええと、いや、僕はこれから用事が」

「ちょっと屋上に来てくれない?」尖った口調で告げた。

 ナイフのような言葉で脅された僕はサツキに服従するしかなかった。


「治くん、私は今すごく機嫌が悪いのよ」

 いつもの皮肉った顔で僕を見ていた。

「治くん、さくばんはおたのしみでした……みたいね」

 サツキは少しいぶかしい顔で微笑んだ。

「昨日の夜、この学校でかわいらしい女の子と抱き合ってたそうじゃないの? 治くんも案外というかやっぱり不潔なのよねぇ。あの子は誰なの? 治くんの……彼女さんとか?」

 まるで浮気した旦那を追い詰めるみたいにサツキは僕を追い詰める。

 はぁ……やはりあの時屋上にいたのはサツキだったのか。僕とアヤメの情事……いやいや抱擁を眺めていたというのか。

 そんな感動的なシーン、目をつむってくれたっていいじゃないか。

 というか……サツキにとやかく言われる筋合いなんて微塵もないと思うんだけど……。ホント女心というものは分からないものだ。女心と秋の空というが……。今は春なんだけど。

「ウキィィィィィー!」

 サツキが突然、サルみたいにというかサルそのものになって叫んでいた。もう今までの設定とかぶち壊してしまいそうな顔で叫んでいる。

「あーもーどーゆーことなのよこれ! 私メインヒロインでしょ! なのに今回治くんの元に昔の女が舞い降りて! それで思いっきりいいムードになって! 思いっきり攻略ルート入ってるんじゃないのこれ! 私の立場どうなんのよ! 作者さん! 私のこと嫌いなの! このロリコンが! くたばれぇ! 死ねぇ! 今までの話ぶっとばしてラブコメやりやがって! 萌えに走りやがってぇ! 商売に走ったのか! 流行に走ったのか! それとも趣味に走ったのか! 作者出てこいや! 作者! 長岡永久とかいうやつ! あんたをミンチにしてやるぅ! このロリコンどもがぁ!」

 どうやらご乱心のようである。ご乱心しすぎてメタな発言や暴言、しまいには作者に怒っちゃってる。

「ああもぉ! 私は怒ったわ! 怒り尽くしてもう角が生えてきそうだわ!」

 と言ってサツキは向こう側の『夢見ヶ原神社』の方へと向かう。

 その神社の中からサツキはなにやら箱を取り出した。クーラーボックスぐらいの大きめの箱だ。その箱を持って僕の前へと来る。

「治くん、私はものすごくむしゃくしゃしているのよ」

 ごとり、と両手で箱のフタを開けた。箱はどことなく玉手箱のように見えた。

「さぁてみなさん、こちらに、かわいそうな蝶がおります」

 手品を行う奇術師のようにサツキは言った。サツキは箱から“かわいそうな”蝶を取り出す。

「昆虫というものはたいてい小さいものです。どうしてこんなに矮小なんでしょうか。小さいというものは本当に儚いものです。小さいものは大きいものに殺されてしまうからです。大が小を喰う。これは必然の摂理です。大は小よりもはるかに強いのです。そう、こんな風に簡単にひねりつぶせてしまうほど弱いのです!」

 サツキは手に乗っていた蝶をあっさりと、何のためらいもなく握りつぶした。握りつぶした後サツキはゆっくりと手のひらを広げていく。手のひらには羽が紙ふぶきのように散り散りになり、矮小な胴がひねりつぶされ中の液が噴出されている……蝶の死体があった。

 それは、風で吹き飛ばされてしまいそうなほど軽く無残なものだった。サツキは手のひらを反し、死体を振り落した。落とされた死体をサツキはすかさず足で踏みつぶした。ドスン、ドスン、怒りに任せ地面を、死体を踏みつける。何の罪もない死んだ蝶を、(いじ)め続ける。

「ああ! なんて面白いんでしょう! こんなにあっさりと命が消滅するなんて! まるで線香花火です! 私の手のひらにはまだあの蝶の感触が残っております! それが今さっき亡くなったと思うと、恍惚としてしまいます!」

 妙な口調でサツキは話していた。

「さぁて、これはまだまだ前座です。面白くなるのはこれからです! こちらのかわいそうなコトリさんをご覧ください!」

 サツキは箱から手のひらサイズのコトリを取り出した。頭は黒く、(くちばし)は紅く、背面は灰色をしている。あれは文鳥だ。

「さぁ! かわいそうなコトリさん。あなたはもう死んでしまうんですよ。死んでしまったら自由にお空も飛べなくなってご飯も食べられなくなっていやらしいこともできなくなってしまうんですよ。悲しいですか? かわいそうなコトリさん? ピィピィ鳴いてても分からないじゃないですか! 日本語で話しなさいよ日本語で! さぁコトリさん! とうとうあなたは死んでしまいます! 人間様の勝手で身勝手な思いにより無慈悲に無残に残酷に殺されます! さすがコトリさん! 恒温動物だから体があったかいですねぇ! ぬくもりが手から伝わります! でも死んだらそんなぬくもりもなくなってしまいます! 壊れた機械は停止します。あなたも壊れると停止するのです。機械も動物も大まかなところはおんなじなんです! さぁあなたも壊れてしまいましょう、死んでしまいましょう! 私が殺してあげます! ああ温かい! これが生きているってことですね! それを断ち切ってしまいましょう! さぁ!」

 サツキは両手で持っていた鳥をぎゅっと握りしめた。手の中の鳥は生命の危機を感じたのか一瞬暴れだしたが、すぐに動かなくなってしまった。サツキは鳥の身体を圧縮している。紙を丸めるみたいに、残酷に。やがてサツキの手から赤い液体が流れてくる。ぽたり、ぽたり。血は独特の匂いと、独特の粘りを持っている。それは紅い絵の具とは全く違う。その血には生命の記憶が刻まれている――生き物の記録だ。

 サツキは手を広げ中の鳥を僕に見せた。それはぺしゃんこになった鳥の姿。体が血でぬれていて、目は虚ろ。足がだらんと垂れ、それは絶望の姿だった。

 サツキはそれを先ほどの蝶と同じように地面へと振り落した。そしてまた踏みつける。ドスン、ドスン、そしてぐしゃり。もはや鳥はただの血の溜りとなっていた。もうそれが鳥であったことすら判別できない。

「うわぁ、手が汚れちゃったわねぇ」

 サツキはタオルで血塗られた手を拭った。その様子は殺人を行った後の様子に見えて恐怖を感じた。

「さぁて、次はこちらです! こちらのかわいそうな子犬をご覧ください!」

 サツキは箱から茶色い、むく毛のイヌを取り出した。一瞬それをかわいいと思ってしまった。

「さすが犬ですねぇ。ワンワンと随分鳴いているようです。これから自分がされるであろうことを予見しているのでしょうか! それにしても毛深い犬です! これで絨毯(じゅうたん)とか作ったら気持ちよさそうですねぇ! まぁこの犬だけじゃあ生地が足りなと思いますが。うーん、やっぱり犬は温かいです! 毛がむくむくと生えてるせいもあるかもしれませんが。目がくりくりとしております。私を、なぜか慈愛の目で見つめております! 犬に限らず子供というものはかわいくできているものです! なぜかわいくできているかというと、それは護って欲しいからです! 自分じゃ何もできない、だから護ってくれるようにかわいくする! ああ! かわいいって狡猾ですねぇ! 罪ですねぇ! 護ってほしいがためにかわいくなるなんてホント憎たらしい! 生き物は生まれながらにして憎たらしいんです! そんな憎たらしい生き物たちは、エイ!」

 ワォーン! ワォ、ワォ、キャォーン。

 犬の断末魔。叫び声。阿鼻叫喚。

 サツキは恍惚とした顔で犬を絞め殺している。

 犬は必死に暴れている。しかし犬はまだ子犬。暴れたって人間様に敵うわけない。

「ちょっと今回はやり方を変えましょうかねぇ」

 とサツキが言うと、手の中の未だ生きているむく毛の犬をドンと地面へ投げつけた。犬はそれでまだ生き続けていた。

「さぁ、これでミンチになりなさい!」

 サツキはなぜか金属バットを手に持っていた。

 それを振り上げ、犬に向かって力いっぱい振り下ろす――。

『キャォォォォオオオオーン!』

 犬は倒れた。ピクリとも動かない。

「おりゃぁー!」

 二撃目。犬の腹にダイレクトに金属バットが当たった。犬の腹は割れて……中から大量の赤い液体が流れてきた」

「これでお仕舞!」

 三撃目。金属バットは犬の頭をかち割った。割れた頭から血が噴き出した。

 おそらくもう、犬は死に絶えたであろう。かわいそうな犬は天へと召された。

「おりゃぁー! とりゃぁー!」

 何度も何度も……サツキは犬の死体を叩き続けた。血が辺りに散らばり、しまいには中の臓器や脳までもが飛び出していた。おぞましい惨殺死体が出来上がった。

「あははははは! 凄いわ! これは芸術よ! 血の絵の具で描かれた立派な美術(アート)よ! 題名は『ミキサーにかけられた犬』よ! 素晴らしいでしょう! はははははは!」

 血でべっとりと濡れたバットを携えるサツキは壊れた機械みたいに笑いつづけた。

 はぁ……これは一体何なんだろう。サツキはストレス解消のために動物を惨殺したのだろうか。もはやストレス解消という目的を忘れて暴れきっている。別にストレス解消をするのは悪くないと思うが……そのためにかわいそうな動物たちが犠牲になるのは酷い話だ。動物愛護団体さんに絞られて来たほうがいい。

「生き物は死んだら生き返らないんだぞ」

「そうよ! だから面白いんじゃないの! あははははは!」

 狂った顔で、狂った声を吐きながらサツキは(わら)っている。

「お前は……昨日のことをそんなに怒っているのか」

「なぁに? 昨日のこと? そんなことどうでもいいじゃないの! あははははは!」

 もはや昨日のことはきれいさっぱり忘れちゃったようだ。まぁ嫌なことを忘れてしまうのが人間だ。僕にとっても忘れてもらった方が都合がいい。

 僕はふと時計を見た。時間は1時10分前。随分と長い間ここにいたような気がしたが、案外そんなに時間は立っていなかったようだ。しかし、昼食を食べる時間は無くなってしまったようだ。せっかくアヤメに会いに行こうと思ったのに、そこのヒステリックガールに捕まりとんだ解体ショーを見せられてしまった。これではたとえ時間があっても昼食を食べようという気にはなれない。血を思い出して吐いてしまうかもしれない。

「もうこんな時間だ。僕はそろそろ」

「さぁてお次はこちらの……」

「まだ続くのか、これ……」

 さすがにもう見たくない。今度は何を惨殺するか少し気になったが、さすがにもう血を見たくないのでその場を後にすることにした。

 こいつにアヤメを会わせなんかしたら一体どうなるんだろうか……。僕は嫌な予感を抱きながら教室へと向かった。


 ****


 放課後。

 僕は一年生の下駄箱の前でうろちょろしていた。

 ええと、アヤメの靴箱は何処かなぁ。アヤメのクラスを聞いていなかったためこのように探している。

 1年……1年……E組? だったかなぁ。誰かさんがそんな風に言っていたような気がしたが……。

 1年E組の下駄箱の後半部を眺める。美柳彩夢(みやぎあやめ)……。アヤメの靴箱には下靴が入っていた。

「あ! 治さん!」

 そのとき突然声がした。声のした方を向くと、そこにアヤメが立っていた。

「おう、アヤメ。待ってたぞ」

 アヤメは制服を着ている。カバン(よくわからないキャラクターが描かれた安物の)を持っている。学校にいる。どこからどう見ても学校生活を送っている。

 僕はじろじろとアヤメの方を眺めていた。

「お、治さん……どうしたんですか」

 また顔を赤くしてアヤメは言った。

「ああ。悪い悪い。お前がちゃんと学校に行ってるかどうかチェックしててな」

 アヤメはその言葉に疑問を抱きながら、下駄箱へと歩いていった。自分の下駄箱の下靴と上履きを交換し、下靴を地においてそれを履いていた。

「さ、それじゃあ帰ろうか」

「帰ろうかって……治さんと一緒にですか」

「ああ。帰る家は一緒だからなぁ。ん? お前誰かと帰る約束でもしてるのか」

「い、いえ。大丈夫です。帰りましょうか、治さん」

「ああ」

 僕とアヤメは玄関を通り抜けていく。玄関を出たら橙の夕日が僕らを焼き付けるように照らした。

 アスファルトの道。左の運動場。右の校舎。校舎の屋上には誰も見えない。たぶん誰もいないはずだと思う。別にサツキにアヤメと一緒にいるところを見られてもどうでもいいのだが。しかし、そのせいでかわいそうな動物たちが犠牲となってしまうことを考えると気持ちが沈むものである。

「神様は見ています!」

 突然、選挙演説のような声が聞こえた。拡声器の声だろうか。その声はなぜか屋上から聞こえてくる。

「皆さん! そこに不潔な少年がおります! かわいい女の子を手籠めにしようとするロリコンがいます! そんなやつは死刑に値します! 死ねぇ! ロリコン!」

 その声はどう聞いてもサツキの声だった。そしておそらく僕に対していっている言葉であろう。随分と酷いことを言うじゃないか。僕はロリコンじゃない。

「なんだかよくわからないことを言ってる人がいますねぇ。えと、治さん。ひとつ気になったんですけど『ロリコン』ってなんなんですか?」

「ロリコン? ああ。それはなぁ。小さな女の子が好きな人って意味なんだよ」

「へぇ。小さな女の子が好きな人ですか。つまり子供好きってことですねぇ。私子供好きの人って優しくて好きですよ!」

「ああ、そうだな……」

 なんだかアヤメは勘違いをしているようだが、まぁいいか。

「それよりお前、今日ちゃんと昼飯食べたんだろうな」

「お昼ご飯ですか? はい、ちゃんと食べましたよ」

「ちなみに訊くが、昼に何を食べたんだ?」

「ええと、パンです!」

「パン? どんな種類のパンだ?」

「食パンですよ!」

「食パン……」

 お昼ご飯に食パンを食べるなんてあまり聞かないが……。というより、購買に食パンなんて売ってただろうか? 街のパン屋さんで買ってきたんだろうか。お金のないアヤメがなぜわざわざそんなことを……。

「おいまさかお前……無料支給されてるパンの耳を貰って来たんじゃ」

「…………」

「そうなんだな」

「……ぱ、パンの耳も食パンの一部ですよ!」

「しかし食パンの全部ではないだろ」

「うう……」

 まったくこの子は。本当にひもじい思いばかりして……。

「まぁ、僕も昼食代お前に渡しときゃよかったかな。お前どうせお金あんまりなかったんだろ」

「はい……貯金が尽きそうになっていました」

「はぁ……。お前は。食パンの耳じゃ腹減るだろうに」

「だ、大丈夫ですよ治さん! 私そんな食いしん坊じゃありませんからそんなことは」

 ぐぅ。

 と腹の音が鳴った。

「おいアヤメ」

「……ええと、さっきのは、なんのおとでしょうか」

「…………」

 あくまでしらを切るようである。

 アヤメはそそくさと早歩きで歩いていく。

「ちょっとアヤメ」

 とアヤメを止めようとすると、

 目の前に子供たちの(たか)りがあった。

 かごめかごめのように一人を中心に何人かが取り囲んでいる。取り囲んでいるのは6人。6人は不気味な(わら)い声を中心に飛ばしている。中心の子供は泣き声を放っている。

 このような状態をつい最近見たことがある。これは、(いじ)め。最近では虐めは集団戦法で行うようだ。

「うわぁ! 泣いてるぜ泣いてるぜ!」

「弱っちいの!」

「はははははは!」

 随分とまぁ元気な子供たちだ。楽しそうだ。楽しいならやればいい。やれぇ。やっちまえ。人間は人間を虐めるのが大好きなんだ。弱い人間を虐め愉悦に浸る。それが快楽。快楽を得る。それが生きること。生きることは虐めること……。

 しかしまぁこの情景はナイーブな子には教育上よくない。僕はアヤメの元へ駆けより、手を引く。

「アヤメ、行くぞ」

 僕らはその虐めの現場から立ち去ろうとする。

「どうして」

「えっ?」

「どうして人間は、弱い人間を虐めるんでしょう」

 彼女は立ち止まり、真っ直ぐ子供たちの集りを眺めていた。

 まさか――お前。

 あのことを覚えているのか。

「どうしてなんでしょう」

「たぶん、それには何の理由もないんだ。ただあいつらは楽しいから虐めているんだよ。凄く単純な理由だよ」

「虐められている方は……ちっとも楽しそうじゃないのに」

「そうだな」

 僕の場合は楽しいのだけれど。そんな特殊性癖はアヤメには黙っておくべきだろう。

「アヤメ、行くぞ」

「はい……」

 アヤメはうつむいたまま僕と共に歩いていった。

 アヤメ――お前は(おぼ)えているんだろうか。確か昨日は死んだときの記憶が曖昧だと言っていた。それならば、死ぬ前の記憶は憶えているのだろうか。死ぬ前の、アヤメが受けた壮絶な迫害を……。

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