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夢見鳥の舞う社  作者: カッパ永久寺
第二章 哀縁気炎
15/26

視認に口なし

 美柳彩夢は不幸な少女だった。

 人々から散々に虐められ、疎まれ、そして最終的に命を絶った。

 アヤメは自殺した。自らを殺し、自らに殺された。

 それで、すべてが終わり、アヤメは極楽浄土へと召されるはずだった。いや、極楽浄土なんてものがあるかどうかはわからないが。とにかく死ぬことができた。

 しかし……そこでお話は終わらなかったそうだ。


 僕とアヤメは美柳家の墓で手を合わせた。本来なら、当のアヤメが埋められているであろう墓に、アヤメ自身が手を合わすのは随分と矛盾した話だが。死んだ人間が死んだ自分を拝むなんておかしな話だ……。まぁ、この墓は美柳家の墓だから、今回は先祖代々の美柳家の故人に手を合わすことにしよう。

「泣くな、アヤメ」

「ううぅぅ……」

 アヤメは誰かが死んだときみたいに悲しい顔をしている。

「僕だって……その、お前と同じようなもんだからさ」

「同じようって……?」

「死んでいるであろう人間が生きてるって点でな」

 僕とアヤメはずいぶん奇妙な共通項をもっているようだ。

「治さんも、その、私みたいに生き返ったんですか?」

「生き返った……」

 生き返ったか……。アヤメはやはり、“生き返っていた”のか……。

 つまりはゾンビってやつなんだろうか。それとも幽霊か。幽霊なら実体がないからすぐにわかるだろうが……。うーん。

「ん? どうしたんですか、治さん」

 こつん、とアヤメのデコを人差し指でつついてやった。

 うん、ちゃんと実体はあるようだ。

 ついでになぜかアヤメは真っ赤な顔をしている。どうしたんだろうか。つついたのがそんなに痛かったのだろうか。

 痛かったのなら悪いことをしてしまった。デコでも撫でてやろうか。アヤメの長い髪に隠れた小さな額を、熱を測るような軽い感じで撫でてやった。

 熱い。なんだか額がすごく熱い。アヤメは熱でもひいてしまったんだろうか。顔も真っ赤になってるし……。

「大丈夫か、お前、風邪でも引いてるのか」

「わー! わー! 治さーん!」

 なんだかハイテンションである。まぁ、墓を暴かれたような? ことをされたからこんな風になるのは仕方ないのかもしれない。

 しかし、アヤメがたとえこんな状態だとしても、今は事実をちゃんと整理しないと……。

 僕には大量の時間があるが、アヤメにも大量の時間があるかどうかなんてわからないので、早いこと物事を進めておくことに越したことはない。善は急げだ。これから起こることは果たして善なのか悪なのかさっぱりわからないが。

「……ええと、治さんは私と同じように生き返ったんですか」

 赤みが若干消えた顔でアヤメはおそるおそる訊いた。

「それは……」

 僕は考える。

「またあとで話すよ」

「後で……ですか」

「学校に行ってからな」

「学校? 学校に行くんですか?」

「ああ。今からな」

「どうして今から学校に行くんですか?」怪訝そうな顔をして彼女は問うた。

「お前と……俺を、こんな風にした奴に問いただすんだよ」

「奴……その人って……一体」

 その問いに僕は答えず、墓の中を黙々と歩いていく。

 アヤメも来た時と同じように後ろをゆっくりと付いていく。

 寺のお坊さんとまた挨拶し、寺の門を通って寺を後にする。そこから無機質な住宅街を通り、駅に着き、改札口で切符を買い、切符を改札に通し(アヤメはまた慌てふためいて切符を通していた。改札機と折が合わないんだろうか)電車を待ち、電車に乗り……虚幌駅へと戻っていく。

 そこから、僕たちは電車通学生よろしく駅から学校まで歩いていく。辺りはすっかり暗くなっている。帰宅する生徒たちの流れに逆らい、暮れた日を追いかけるように学校へと向かった。

 僕は学校へ向かうまでずっと黙ったまま、彼女が一体何者なのかを考えていた。“生き返った”と言っていたが……。おそらく、そんな人間を生き返らせる人間なんてものはあいつぐらいしかいない。

 生き返るってなんだろうか。死んだら人間はそこで御仕舞なのに、それがまた再開(リスタート)されてしまうなんて、不条理である。

 科学的、というか生物学的に考えても生き返るなんて不可能じゃないだろうか。生き返った人間なんて聞いたことないしなぁ。

 しかし、空想の話でなら、生き返った人間の話はよく聞くであろう。もっともポピュラーなのはゾンビだろうか。他にはキョンシーとかミイラとか。吸血鬼もそうだったけ。

 ……しかししかし、アヤメがそんなゾンビだのキョンシーなどとは思いたくないものだ。実際、元の身体で蘇っているんだからゾンビだろうとは思うんだが……。こんなかわいい子がゾンビだとは、神様は本当にひどい奴である。

 この子が、何をしたというんだ。

 そんなことを考えているうちに、僕たちは学校に到着した。

 辺りは暗く、校舎には人っ子一人いない。部活組も早々と帰宅をしたようだ。

 僕たちは校舎の中へと入っていく。暗いと言ってもまだ6時。もちろん教師もまだいる頃だ。校舎に入るのは問題ないだろう。

 靴を履き替え廊下へと出る。廊下を歩いて右に行き、いつも上る階段の前へと来る。

 その階段の左側の側面へと向かう。そこは踊り場から2階への階段の影になって暗くなっている。1階から踊り場までの階段の側面には掃除用具入れの扉がある。そこの立体の階段の中には普段なら掃除用具が入っている。

「あのぉ、治さん、今から一体何を……」アヤメは不思議そうに掃除用具入れの扉を眺めていた。

「ここから実験室に行くんだ」

「えっ? 実験室って2階なんじゃ……というより、ここはそもそも掃除用具入れで」

「普段は……そうなんだがな」

 困惑するアヤメをよそに、僕は掃除用具入れを開ける。

 洞窟のように暗い部屋の中へ僕は入っていく。

「あ、待ってください!」

 彼女も慌てて付いていく。

 暗い空間を入ると、そこから目と鼻の先にぼんやりと明るい空間が現れる。蛍光灯でもなく豆電球でもなく……ろうそくで灯された黄色い怪しい光の空間。

 そこには、古ぼけた木のテーブルと、その上に並べられた透明のフラスコ、試験管、鉄製の(ビン)、薬品等々。背後には大量のぼろぼろになった書物。そして地面にはなんだかよくわからない魔法陣。

 錬金術師の工房(アトリエ)と言ったところか。

「わわわわ……。どうなってるんですかこれ……。ここ、掃除用具入れじゃなかったんですか!」

「確かに掃除用具入れだが、6時以降はこの実験室に代わるんだよ」

「か、変わるって! そんな馬鹿な……。そんな魔法みたいなことあるんですか!」

「別に魔法で変わるわけじゃないんだがな。確か……地面が回転テーブルみたいに回って部屋もそれに伴ってスライドして……掃除用具入れから実験室に変わったってわけだ」

「地面が回転! 天変地異ですか! やっぱり魔法なんですか!」

 ううむ、なんか説明しにくい。こんな複雑なことこいつには理解しにくいだろう……。

 まぁ、とにかく今はあそこの異空間について突っ込もう。

 あそこの、オカルトチックな場所へと僕とアヤメは歩いていく。地面の魔法陣を気にしながら、木のテーブルの方へと向かう。

 そこへ向かうと、

「よく来たねぇ」

 怪しいしゃがれた声が発せられた。

「わわわわ! キャァァァァーッ!」

 壊れた機械みたいにアヤメは走り回っていた。地面の魔法陣にも目も呉れずに暴走していた。

 僕は声の発せられた方を向く。

 その暗い空間から、ゆっくりとしわだらけの男が現れた。

 錬金術師(アルケミスト)――赤い石(ロッテンシュタイン)

 表の顔はこの虚幌高校の校長。そして裏の顔は、変態趣味の非人道錬金術師。

 顔はくしゃくしゃのしわだらけで、鬼のような顔になっている。鼻は長い。目は飛び出そうなほど大きい。髪は白く、背後にだらしなく伸びている。身体は小さく、背はアヤメより10センチか20センチ程小さかった。服は白衣を着ている。その白衣は体より大きく、地面にすれていた。

 錬金術師は、ニッと歯を出して不気味に(わら)った。金色と銀色の犬歯が見えた。アヤメは錬金術師の顔を見てさらにびくびく震えていた。もう泣きだす寸前だろう。

「こんばんは、お嬢ちゃん」

「ふぎぃぃぃぃー!」

 アヤメの眼に涙の粒が浮かんだ。

「おやおや、近頃の生徒はろくに挨拶もできんのかのぉ、1年E組30番美柳彩夢くん」

 錬金術師はフルネームでそしてくん付けでアヤメを呼んだ。呼ばれたアヤメは恐怖を通り越して石像のごとく固まっていた。

「おい、錬金術師」僕はぶっきらぼうに言った。

「私の名前は赤い石(ロッテンシュタイン)だよ。それに君、校長に向かっておいとはなんだね」

「今の時間は校長じゃないんだろ」

「私は定年退職するまでずっと校長だがね。まぁ、確かに今は校長の業務は行っていないがね。今は趣味の、というより私の生きがいである“実験”をやってるんだがね」

「実験なら、いつもやってるじゃないかよ」

「治くん、今日はよく突っかかってくるね君、機嫌が悪いのかい」

「あんたを見てると機嫌が悪くなるんだよ」

「ほほう、そんなに気分が悪いなら家に帰ってお寝んねでもしといたらどうかね治くん」

 険悪な雰囲気の会話の中、アヤメはじっとしていた。

「それで、錬金術師。お前、どうして……」

 どうして……

 どうしてお前は、僕らを、こんな風に……。

 お前には、一体全体、心というものがあるのだろうか。お前は人間なのか。そんなにも、実験に心酔するのか。お前は……

「どうしてお前は……アヤメを生き返らせたんだ」僕はきっぱりと言った。

 錬金術師はまた歯を出して不気味にクククと嗤っていた。その様子は獲物を喰らう魍魎のようで恐ろしく見えた。

「治くん、君は僕に感謝しなきゃならないんじゃないのかい」錬金術師は老獪な口調で言った。

「だってそうだろう。こんなかわいい女の子をわざわざ私が蘇らせてあげたんだぞ? 人間一人を蘇らせてあげたんだぞ? 人間を蘇らせるっていうのは、ある意味最高の慈善だと思うんだがねぇ。人間っていうのはいくらお金をかけても普通蘇らせることができないんだよ。それを私がやってあげたんだよ。これは素直に私に感謝すべきじゃないのかい?」

「どうして僕が、お前に感謝しなくちゃならないんだよ」

「やれやれ、最近の若モンは感謝の言葉もろくに言えんのかのぉ」

「そんなことより、質問に答えろよ。……どうしてお前は、アヤメを生き返らせたんだ? なんの理由でこんなことをしたんだ?」

「なんのって、治くん。理由はねぇ、君の時と同じだよ」

 その言葉を聞いて、石像のように固まっていたアヤメは僕の方を向いた。

「楽しそうだった、からだよ」

 朽ちた木のようなあいつは、子供の様に、無邪気にそう言った。

「治くん、錬金術師っていうのは楽しみのために生きているもんだよ。卑金属を金に変えるとか、人体錬成とか、賢者の石とか、不老不死の薬とか、真理の探究とか……そう言うの全部、楽しそうだからやってるんだよ。卑金属を金に変えれるなんて楽しいに決まってるじゃないか! 不老不死の薬を飲んで不老不死になれるなんて面白そうじゃないか! 錬金術師はそういう原動力で生きているようなもんなんだよ。これは錬金術師だけの話じゃないかもしれないねぇ。だってみんな楽しいことは絶対好きだろう? そうだよ、生きることは楽しむことさ。楽しまなきゃ生きてることじゃないさ!」

 楽しそうなやつだ、と僕は思った。

「僕を不老不死にして、アヤメをゾンビにしたりして……お前はそんなことをして楽しいのか」

「ああ。楽しいに決まってるじゃないか! 不老不死の少年がどのようにして暮らすのか! この前は随分面白いことやってたじゃないか。これまでも散々面白いことをしている。治くん、ホント君は飽きない人だよ。君は生きているだけで飽きないよ」

 生きていることに飽き飽きしている僕に、こいつは飽きないという。ほんとうにこいつは変態だ。……人の生き様を、人の苦悩を葛藤を苦しみを……楽しむなんて。

「しかし、不老不死の君の生き様を見るのは楽しいけど、ちょっとここらで香辛料(スパイス)が欲しいと思ってねぇ。それで私は君の昔の知人でも生き返らせて君に会わせたら面白いことになるんじゃないかと思ってねぇ。私は楽しいことが大好きだからねぇ。善は急げってわけで、アヤメちゃんを生き返らせたんだよ」

 錬金術師は快活に話した。顔が不気味な顔をしている。

 僕はため息をつきたい気分だった。

 本当に、こいつは楽しいことのためなら何でもやってしまう。

 ただの暇人か、変態か、それとも天才か、厄災か。

 もとより、こいつの思考なんて破綻しているんだ。錬金術師がやることは誰も口出しできず、誰も理解できない。

 つまり、こいつに“なんで”と訊くのは何の意味もないことだったのだ。

「ちょっと待て。お前、アヤメを生き返らせたって言ってるけど、でもアヤメの遺体は……墓が移るときに火葬されたんだろ? 火葬された骨でゾンビなんかできるのか? というか、火葬されてなくても何年か経った遺体でゾンビなんかできるのか?」

「ああ。それはねぇ。実は私、もともとアヤメくんの遺体を持っていたんだよ」

「遺体を持っていたって……お前」

「驚くことはなかろう。私は実験のために遺体を集めたりもしてるんだ。まぁ、アヤメくんの遺体を見つけたのは偶然なんだがね。私はその遺体を使っていろいろ実験をしようとしていたんだがね、しかし、アヤメくんの遺体の状態が良かったから、もっと違うものとして使おうと思ったんだよ。この遺体を使って……ゾンビでもつくろうかなぁってね」

「それで……アヤメをゾンビにしようとしたのか」

「そう、そのとおりさ」

「しかし、随分とゾンビにするのに時間がかかったんだな」

 アヤメが死んだのはもう100年も前だ。錬金術師は100年もかけてゾンビを作っていたのだろうか。不老不死の僕を易々と作り上げてしまった錬金術師にしては随分、というかかなり時間がかかっている。

「時間がかかったって? ははぁ、私は別に時間をかけてゾンビを作っていたわけじゃないんだよ。ゾンビにしようと思えばすぐにできたんだが、しかし、もっと時間が経ってからゾンビにするのも悪くないかなぁって思ってねぇ。ほら、ワインだって熟成させた方がおいしいじゃないか。私はアヤメくんをおいしくいただくために長い間熟成させておいたんだよ」

 ワインに例えられたアヤメは困惑しながらきょろきょろしていた。やはり、こいつの考えていることはさっぱりわからない。多分、ただ単に、自由気ままにやっているだけなのかもしれない。自由気ままに、人を生かしたり、殺したり……しているんだろう。もしくは、何か裏があるとか……いや、考え過ぎか。

 そんなことに付き合わされる僕らは、本当に災難だ。

 神様なんていないが、僕は一瞬神様というものを憎んでやった。

「まぁ、何はともあれ、君の愛しのアヤメくんが生き返ったんだ。これはもう理由なんか云々考えずにはしゃいじゃってもいいんじゃないかい?」

 本当にこいつは……人間の命をなんだと思ってるんだろうか。

 しかし……

「治さん……」

 こいつにもう一度会えて、すごくうれしいと思っている自分がいる。

 本当はこんな再会、間違っているのかもしれないが……。しかし、僕自身間違いだらけの人間だから、そんな些細なこと、目をつむってもいいだろう。

「やっぱりお前と話しても(らち)が明かないな」

「超天才は誰にも理解されないのだよ」

「そうかよ、超天才」

 僕は黙ってその場を後にする。アヤメは慌てて僕についてくる。

「やれやれ、最近の若いもんは別れの挨拶もろくにしない」


 外には月が昇っていた。

 ゾンビが躍りだしそうな、黄色く円い満月。

 校舎にはだれもいない。聞こえるのはカエルの鳴き声だけだった。

 校舎から出た僕たち。せっかく錬金術師と会ったのに、ろくな話を聞けなかった。これでは骨折り損だ。あんな奴の話なんかやっぱり聞く必要はなかったか。アヤメの生き返りに何か理由があるだろうと思ってやってきてみたが、訊いてみると荒唐無稽な話ばかり……。酷いものだ。

 こいつは錬金術師の気まぐれで生き返ってしまった。

 それは災難と言うべきなのか、それとも幸運というべきなのか。

「お前は……その、自分が生き返って、よかったと思ってるのか?」僕はアヤメに尋ねた。

「えっ? ええと……。うーん、なんだか自分でもよくわからないですねぇ。そもそも私、死んだときの記憶が曖昧で……なんだかいつから死んだのか、生き返ったのかよくわからなくて」

「死んだときの記憶が曖昧って……」

「治さん、私、どうやって死んだんでしたっけ?」

 アヤメは――それすらも、忘れてしまったのか。

 忘れてしまったというより、封印されてしまったのだろうか。

「それは……話したくない」

「話したくないんですか……よっぽど酷い死に方でしたか」

「いや……」僕は口ごもってしまった。

 アヤメは右手で首元を触っていた。

 その首元には、一本の線が引かれていた。それは、永遠に消えることのない、死者の烙印だ。

「この傷は……首から血が出て、私は死んだんですね」アヤメはしんみりと話す。

「やっぱり、私はゾンビなんですね。それは分かっていたんですけど……。あの……怖い人に聞いたら、本当にそうなんだなって思いました。今までは心のどこかで、もしかしたら自分は生まれ変わったんじゃないかって思ってたんですけど……あはは、そんな現実うまくいかないですね」

 アヤメのうつむいた顔は僕の心に影を差した。

「治さんは、その……あの怖い人が不老不死とか言ってましたけど」

 ああ。僕のことも話さないとな……。

「僕は不老不死なんだ。不老で不死で不死身で……ずっと死んでなくて、ずっと年を取っていないんだ」

「へぇ、そうなんですか……」

 アヤメはそっけなく返答した。不老不死というものがはっきり理解できていないんだろうか。まぁ不老不死のことなんて別にアヤメが理解しなくてもいいのだが……。

「不老不死ってことは、ずっと生き続けてるんですね、治さんは」

「ああ。ずっとな」

「ずっと生き続けるって、どういう感じなんですか?」

 アヤメは純粋に問うた。

 僕は、言葉が出なかった。

「あ……すいません、変なこと聞いちゃって……」

 アヤメはペコペコと謝っている。律儀な子だ。

「寂しいんだ」

「えっ?」

「ずっと生きてると、寂しくなるんだ」

 それは――僕の偽りのない本心だった。

 過ぎていく時。去っていく人。

 すべてが通り過ぎ、離れ、無くなり……気づけば自分一人孤独に生きていた。

 そんな風に生きてたから、いじけて斜な心を持つようになった。

 人間なんて……と。

 でも、やっぱり僕は――人恋しいんだろう。

「アヤメ」

 僕はアヤメにつぶやいた。

「治さん、何ですか?」

 アヤメは本当にまっすぐだ。

 目は透き通っている。何の混じり気もない。本当にこんな子がゾンビだというんだろうか。

 ゾンビかどうかなんて関係ない。

 アヤメ、お前は本当に純真だ。

 僕はお前を愛している。

 暗がりの校舎の玄関前で、僕はアヤメを抱きしめた。

 ぎゅっと。体全体を捕縛する。

「わぁー! あー! あー! あー! 治さぁんー!」

 甲高い声で、アヤメは叫んでいた。本当にかわいい奴だ。

「辛かっただろ」

 僕はアヤメに告げた。

「もう絶対、お前から離れないからな」

 肩のあたりが冷たくなった。水滴が垂れている。それはアヤメの涙だった。

「お、ぉ、治さぁん……ううぅぅ……」

 儚い花のようなアヤメを僕は優しく抱きしめた。


 ひゅぅぅん。

 5月の癖に冷たい風が吹いた。

 僕は一瞬、屋上の方を向いた。

 そこに、一人の影があった。それは、赤と白の文様。

 誰かが僕らを高みの見物していた。

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