多少の縁
そのあと。
僕とあいつ――さっきの女子生徒はとりあえず、街へと向かった。
街と言ってもあの東の病んだ街とは違う、駅より近くにある住宅街と街とを足して2で割ったような街――虚幌駅前へと向かった。
駅前は人々でごった返している。サラリーマンに主婦に、そして虚幌高校の生徒。彼らは帰路の途中のこの街でのんびりと夕焼けを眺めながら過ごしていた。あの病の街とはエライ違いだ。
人々の憩いの場。平和の広場。
人々は花の蜜を求める蝶のように街へと集う。
僕らも同じように街へと集った。
僕とあいつは並んで歩く。他人からは僕たち二人はどのように見られているんだろうか。恋人か、単なる友達同士か……。
あいつは小人のようにちょこちょこと僕の後ろを歩く。小っちゃいからほんとに小人のようだ。身長は夢見ヶ原サツキより10センチほど小さい。本当に高校生なのか疑わしいぐらいだ。虚幌高校の制服を着ているから(すごいぶかぶかだけど)おそらくそうだと思うが。おそらくは。
僕とあいつは駅の前にある、老舗の喫茶店へと入っていく。老舗と言っても店内は改装されていて真新しく、昔の(随分と昔の)渋く暗い感じの喫茶店とは打って変わった清楚で明るい空間になっている。そこで働く人も若いアルバイトたちに代わっている。もはや老舗のしの字もない。“老舗”はもう死んでしまっているのだろう。
僕らはそんな無機質な喫茶店の窓際の奥の席へと進む。フリルの付いた服を着た店員さんが僕たちを先導する。
席に座る。あいつも座る。
座ったあと、沈黙。
あいつはおびえたような様子で何も話さない。
「ええと、そういえば――……名前は」
僕は尋ねる。
あいつはその声をきいて、ふっと顔を上げた。
「……みやぎあやめです」おどおどした声で彼女が言った。
みやぎあやめ……みやぎ、彩夢。みやぎはたしか宮城……じゃなくて美柳だったな。
珍しい苗字だから、覚えたくなくても覚えていた。
というより、名前も人間も覚えていたし……。
「治さん……ですよね」あいつ――アヤメが力ない声でつぶやいた。
「円堂治だ」僕は答える。
「えんどう……」
アヤメはうつむいた。
うつむいたアヤメの元に、アルバイトが水を差しだす。ついでに僕の方にも水を差し出された。
アヤメはそれを見つけるとコップを持って一気に飲み干してしまった。
よほどのどが渇いてたんだろうか……。
「ええと……」気まずい雰囲気の中僕は声を出す。
「ほら、これ。何か頼みたいもの頼めよ」
僕はアヤメにメニューを渡す。
アヤメはそれを受け取ると、目を丸くしてその中身を見ていた。いきなりキャラが変わったみたいに、ビー玉みたいな輝いた目をしてレシピを眺めている。そのビー玉には色とりどりのジュースや渋い色のコーヒー、紅茶、パフェやケーキなどのスイーツ類などが映っていた。デパートに連れられてきた子供の様だ。
「あの……これ、何でも頼んでいいの?」
「ああ。いいさ」
「お金は……」
「僕が払うよ」お金はある。ババアからの小遣いだけど。
「そんな……治さんに払わせるわけには……」
「いいっていいって。こういうのは男が払うもんだから」
「そ、そうですか……。それならお言葉に甘えます。ありがとうございます!」
アヤメは元気に礼をする。
「ちょうどお金がなかったんで助かります」
お金がないのになんで“自分が払う”とか言ってたんだろうか……。こいつは。
「とにかくまぁ、好きなの頼めよ」
そういうと、アヤメはテーブルにメニューを置いた。
「あの……この、ぱふえ、っていうのを」
それはパフェだ。アヤメはサクランボと葡萄と苺とウエハースとチョコとクッキー……などなどが乗ったパフェを指差した。随分かわいいものを選ぶじゃないか。
「ああ。それじゃあ頼むか」
僕は呼びだしボタンを押し、アルバイトを呼ぶ。アルバイトに注文を告げる。僕の方はコーヒーを頼んだ。
アルバイトが去っていくとしばらく沈黙。
さぁて、これからどう話そうか……。というか何の話から始めればいいんだろう。
とにかく、いろいろ聞き出そうか。
まずは、どうしてここにいるのか、と。
「……どうしてここにいるんですか」
僕の方が尋ねられた。
「どうしてって……」
それは、随分と説明しにくい話だ。初対面だった夢見ヶ原サツキはともかく、こいつにはどうにも言いにくいことだ。
何も言えない。
沈黙する。
「そっちこそどうして……」僕はそう返した。
するとアヤメは、またうつむいてしまった。沈黙している。
どちらも答えられない。お互い、知られたくないことがあるんだ。
それは秘密の趣味とか嗜好とか、そういう次元とは一線を画す、秘密だ。
だから、話せない。
沈黙。
沈黙。
「……やっぱ今はこの話はやめよう。お互い、何も話したくないようだしな」
そう切り上げる。
「とにかくお前はここにいる。それでいいだろう」
「……はい」アヤメはうなずいた。
「そして僕もここにいる」
僕の場合はずっとここにいる、だ。
「お前は……虚幌高校の生徒なんだよな」
「はい……」
「何年生なんだ?」
「1年生……になっています」
「そうか」
アヤメはやはり高校生なのか。しかし、本当に高校生か疑わしい。身長のことじゃないけれども。
「僕のほうは3年生だよ。といっても留年してるんだがな」
「留年してるんですか?」
「ああ。何回もな」自嘲気味に僕は言った。
アヤメは不思議そうにその言葉を聞いた。
ふぅむ……アヤメが高校生であることは分かったが……。しかし一番肝心カナメのことが分からない。
どうして、アヤメが、今現在、ここに、いるのか。
そんな僕の混乱をよそに、アヤメの前に豪勢なパフェが運ばれる。
アヤメは呆然と運ばれてくるそれを眺めていた。
じぃーっとパフェのタワーを眺める彼女。
「……食べていいんだぞ」僕はアヤメに告げる。
「あ、いただきます……」
アヤメはお行儀よく手をパチンと合掌し、そう言った。
そして銀色のスプーンを手にし、氷山のごとくそびえ立つパフェの頂上の尖ったクリームを掬った。
そしてそれを口へと運ぶ。
するとアヤメは、トロンとした目をして口もやんわりと曲げて幸せそうな顔をした。
至福の気分、と言ったところか。いまどきの高校生にしては、随分と無邪気な顔をしている。
「おいしいか?」
「おいしいです!」
咲いた花のようなかわいらしい笑顔を浮かべる彼女。なんだかこんなに純粋に喜んでもらえるとこっちもうれしくなるものだ。
アヤメはぱくぱくと飼料をついばむ鶏のごとくパフェを食べていた。食べては喜び、食べては幸せになり……。本当にいい顔でパフェを食べていた。
僕はそんなアヤメの様子を黒いコーヒーをすすりながら眺めていた。こいつといれば心が洗われるような感じがする。妖精みたいな、無邪気な子だ。見かけは蝶のように美しいが、中身は腹黒い蛾のようなサツキとは真反対だ。
そんなアヤメを見つめていると……アヤメが何者かなんてことはどうでもよいことに思えてしまう。
「ごちそうさまでした!」
アヤメはあっという間にグラスに入ったパフェを平らげてしまった。
僕もの残ったコーヒーを飲み干す。
「ふぅ……おいしいパフェをごちそうしていただきありがとうございました!」
「どういたしまして」僕は答える。
食べ終わると、沈黙。
というか、結局訊こうと思ってることが訊けてない。おそらくアヤメも同じような思いをしているはずだ。ただむしゃむしゃパフェを食べてただけではない……はずだ。
「アヤメ、そろそろ出ようか」
「出ようって……次は何処に行くんですか」
「それは……まぁ行ってからのお楽しみだ」
「はぁ……」
アヤメは突然、至福の顔からうつむいた顔に遷移した。僕の言葉を察したのだろうか。
僕とアヤメは会計を済ませ、店を後にする。
****
僕とアヤメは虚幌駅へとむかう。
駅は帰宅途中のサラリーマンでごった返していた。
人の固まりが大きな波へと化す。僕たちは駅の入り口へ向かおうとするが、駅より人の波が押し寄せてきて通りにくい。このままでは人間の荒波にのまれてしまう。小さなアヤメならあっという間に呑み込まれてしまうだろう。
「こっちだ、アヤメ」
僕はアヤメの手を引く。
「は、はい……」
僕たちは人の波に逆らい、駅の中へと向かう。
切符を2枚買う。150圓の切符2枚。その一枚をアヤメに渡す。
一列に並んで自動改札機を通る。改札機を通るとき、アヤメはあたふたとしながら切符を通していた。
電車を待つ。待ちぼうけ。
夕焼けが駅の地面をオレンジに照らす。
僕らは黙ったまま、電車を待っていた。
電車は数分後に現れた。僕らの目の前に停車し、溜められた帰宅者を吐きだした。僕らは人の波をかいくぐり、電車に乗り込む。
電車は揺れるゆりかごのよう。
揺れる地面に立ち尽くし、垂れる吊革を握りしめる。アヤメはぐらぐらおぼつかない足取りで、電車の中で立っていた。
ゆあんゆあん。電車に乗っている人たちは皆うつむいているようだった。みんな疲れているのか、絶望しているのか、死亡しているのか。
窓の景色を眺める。ひしめく住宅街の景色はずっと続いていた。
『次はぁー、小普良~、小普良~』
あっという間に小普良駅に到着する。たった一駅の電車旅だった。
駅を降りる。そこは大量に人が吐き出されていた虚幌駅とはうって変わった無人駅のような殺風景な駅だった。電車から降りたのは僕たち二人だけだった。
僕たちは静寂の駅の改札口へ向かう。そこは、人がいるのかどうか怪しい、無音の場所だった。改札機を通り(ここでもアヤメは慌てふためいて切符を通していた)駅から出ると、閑静な住宅街が現れた。
「これから……どこに行くんですか?」
「寺だ」
「お寺に……ですか」
「ああ」
僕は黙って住宅街を歩いていく。アヤメは僕が進むのを見て慌てて付いてきた。
家々の間を通っていく。アヤメはとぼとぼ付いていく。角を曲がってまっすぐ進んで……向こうに黒く渋い門構えが見えてきた。あれが寺だ。確か名前は『仙道寺』だったかなぁ。
僕は門を通っていく。アヤメも付いていく。
門を通ると大きなお寺の本堂と、木々や花、石などが並べられた庭が僕らを出迎えた。そして、その中で一人のお坊さんがほうきで地面を掃いていた。
「あら、こんばんは」とお坊さんはゆっくりと挨拶する。僕とアヤメも丁寧に頭を下げて挨拶する。
僕たちは地面に敷かれてある石の道に従い、右に曲がり、向こうの、本堂の裏の墓地へと向かった。
お盆の季節には随分と早すぎるが。花でも持ってきたらよかっただろうかと思ったがやっぱりやめておいた。アヤメのことを考えれば……。
僕とアヤメは石の並ぶ墓地の中を歩いていく。墓地というのは死んだ人の眠る場所だが、しかし、火葬した骨に果たして“死んだ人”の霊とやらが残っているのだろうか。別に人を火葬することに異を唱えるつもりもないが。それに、僕は幽霊なんて信じていないし。
やはり幽霊なんてものは幻想なんだと思う。亡骸にしろ遺骨にしろ墓石にしろ仏壇にしろ……そこに居ると思えば“幻想”なんだから見える人には幽霊は、というか幻想は見えるんだろう。
僕も今日、幽霊を見たことだし。
まぁ、墓場なんて骨を埋めるだけの、掃き溜めみたいなところだ。死んだ人間はただの骸だ。ただの固まり、タンパク質とカルシウムの固まりだ。焼いた骨はただの灰だ。そんなものに手を合わせて何になる。死んだらもう何もないんだ。僕がもし仮に、そんなことは絶対ないのだけれど、何かの間違いで、神様の手違いで……死んでしまったなら、そのまま放置しといて欲しい。放置しておくのが邪魔なら、どこかの山かどこかの海か川か湖の中に放っておいてほしい。つまり、適当に処分してほしい。亡骸なんて、塵ぐらいの価値しかないものだから。
死んだ者は死んだ”モノ”になる。生き物から物質へと変化する。
死んだものはそのまま死んだままの単なる物質でしかないのだ。それが、生き返ったり、ゾンビになったりなんかは映画か小説か漫画家アニメか御伽噺の中の話でしかない。
……のだけれど、この世界にも、例外というものがあるようだ。
僕みたいな例外がいるなら……もっとほかにも例外がいる、というのは全然何の根拠もない話だが。
しかも、その例外が知り合いとならば……随分と滑稽な話だ。
袖振り合うも多生の縁……か。
多生ってどういう意味だっただろうか。たくさん生きるだったかたくさん生き返るだったか……。僕はたくさん生きている人間であるが。
とまぁ、そんな一部罰当たりのような問答を頭の中でしながら、僕とアヤメは墓の中を歩いていた。後ろのアヤメはまるで肝試しでもしているかのような恐怖の様子であった。全身がくがく震えながら、涙を流しそうな顔をしながら僕の方へ付いていく。
おそらく、アヤメも察したのだろう。
僕が、どうしてここに来たのか。
しかしまぁ、この子は、随分と無垢な子だ。多分、隠し事とかできないような子だろう。嘘をついたら顔に出ちゃうタイプだ。
「アヤメ」
「ひゃぁっ! ひゃい! ごめんなひゃいっ!」
なぜ謝る……。本当に無垢な子だ。
「いいから、こっちだ」
僕たちは歩いていき、一つの小さな墓の前へと着く。
小さいながらも、きれいにピカリと光る直方体の墓石。そのわきに添えられている黄色い花は少し枯れていた。
その墓石の正面の面には……
『美柳家之墓』
と刻まれている。
美柳一家の墓だ。
僕は墓の前に立つ。遅れて、アヤメも重い脚を引きつりながらこちらへと来た。すごく泣きそうな顔をしている。
おそらく、お前はそんな顔をする必要はないのに……。
「アヤメ、これはお前の家の墓だな?」
「…………」アヤメは答えない。
「もともとお前の家の墓はここじゃなかったんだけどな。もともとと言っても随分昔の話だがな。昔は土葬が一般的だったから美柳家の墓には棺に入った亡骸があったんだが、それらはすべて掘り起こされて火葬されて、ここの墓に納められているんだ」
だからなんだ、という話だが。しかし、アヤメには関係のある話だ。
アヤメはぶるぶると震えている。
「アヤメ、お前は一度――」
僕は振り向く。
今現在、そこに存在しているアヤメに。
「死んだんだろ」
アヤメにそう告げた。
アヤメは涙を零していた。お前が、悲しむ必要はないというのに。何も背負うことはないというのに。
僕は墓の後ろへと回る。そこには3行の文字が並んでいる。
それは死んだ人間が付けられる名前――戒名。
連なる戒名の一つを見る。
『清浄院彩雲童女』
その下に、『俗名 美柳彩夢』と書かれてあった。
「わ、私は……」
彼女は苦しみながら話す。
「美柳彩夢は、死んでいます。一度……」
彼女はそう答え、頭を下げた。




