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逆回転のゆめ  作者: 大宮ゆあ
第1章 夢見昼顔
1/1

1.蜃気楼

夢見る花に似ている人は本当に昨日を夢見てた。

タダキミニアイタクテ・・・


登場人物

深山ミヤマ 陸斗リクト・・・22才。フリーター。

忍田シノダ 悠唯ユイ・・・20才。陸斗の幼なじみ。大学生。

「て、が、み」

 いくら声を掛けても振り向かない陸斗に業を煮やして、悠唯は彼の顔の前でひらひらと白い封筒を振ってみせた。

「うわっ」

 さすがに驚いたのか、陸斗は目を丸くしてスケッチブックから顔をあげる。

「ユイか。脅かすなよ」

 突然の訪問者が彼だとわかると、陸斗は不機嫌そうに下唇を突き出した。

「脅かすなよじゃねぇよ。おまえカギくらいかけとけ。すげぇ不用心!」

 言いながら悠唯は勝手知ったる何とかで、当たり前のようにキッチンに向かう。

「っかし、暑ッついよなあ、やっぱ温暖化ってやつ?なんか年々暑くなってきてねぇ?」

 彼は慣れた手つきで冷蔵庫から麦茶を出すと、コップに注いで一気に飲み干した。そう言えば俺も喉が渇いた。受け取った封筒を眺めていた陸斗は、自分も何か飲もうと立ち上がりかける。

「ほい」

 それを見越していたようにタイミングよく、悠唯は冷たい麦茶を差し出した。

「ありがと」

「どういたしまして」

「て、ここ俺の部屋。これ俺の麦茶」

「はいはい、つーかおまえさ」

「んあ?」

 椅子に体を預け麦茶を飲もうとしていた陸斗は、コップをくわえたまま、やたら間の抜けた返事を返した。

「おまえ、なんで、いつも戸締まりしないわけ?最近、物騒なんだからさ、何かあってからじゃ遅せーだろ。転ばぬ先の杖って言うし」

「ころ・・・?」

「だから。特別に理由がないんなら、つーかあっても、マジでカギは締めとけって」

 のれんに腕押しと言おうかなんと言おうか。悠唯の小言はどこ吹く風。陸斗は麦茶をちびちびと飲んでいる。その表情から、彼の考えを読み取ることは難しい。

(つーか、何も考えてねぇか)

 彼らは2歳違いの幼馴染みだ。こう見えて実は陸斗の方が年上である。だが子ども時代から、しっかりしているのは明らかに悠唯の方だった。何しろ陸斗は『誰かが助けてやらないと生きていけないのではないか』と疑いたくなるほど、無頓着にして無防備な気配を漂わせている。対する悠唯は、生真面目で面倒見がいい。おかげで、陸斗に対して必要以上に過保護になってしまうことが多く、こうした小言も年中行事だった。残り一口となった麦茶を満足げに飲んでしまうと、陸斗はやっと口を開いた。

「なんか、面倒くさい、カギ」

「は?」

「えーと、来る者、拒まず?」

「・・・・」

 ニンマリ笑う彼の顔を見れば冗談だとわかっても、悠唯は二の句が継げなくなって大袈裟にうなだれてみせる。

「そう落ち込むな、わかったって」

「落ち込んでねぇ」

 呑気にポンポンと肩を叩かれて、悠唯は本気で脱力した。

「あのさ」

「・・・なんだよ(こいつとの日常会話はある意味、ディベートより疲れる。ま、そこがまた面白いんだけど・・・)」

 思いながら陸斗に目をやると、菩薩まがいの微妙な笑みで彼が言う。

「ころがる、さぎってなんだ?」

「はあ?サギ転がしてどうすんだよっ!」

 思わず悠唯は吹き出した。相変わらず話のキャッチボールが難しい奴だ、とは思うが、毎度のことなのでハラも立たない。

「・・・てか、」

 カギが締まってたら、おまえはどこから入ってくんだ?と、陸斗は小首を傾げて唐突に聞いた。目鼻立ちそのものは整っているくせに、どこか間の抜けたその顔が無駄に可愛い。

「な、」

 なんで今、俺の話?ちゃんと戸締まりしとけって話だろーが、と言いかけて悠唯は黙る。

(ああ、そーいうことか?こいつがカギしないのは)

 ぽやっと自分を見上げている陸斗の顔を見て、悠唯はなんとなく理解した。

「少なくとも窓からは入ってこねぇから、俺のことは気にするな」

 ため息まじりに言うと「そうなの?」と、真顔で聞かれる。

「アナタは僕に何を期待してんですか?」

「いや、別に」

 言葉とは裏腹に、彼は片口をあげてニヤリと笑った。

「何?」

「何でもねぇって」

 そう言うわりに陸斗はクツクツと笑い出す。そんな彼を理解しかねて、悠唯の形のいい眉が中央に寄る。

(百面相みてぇ)

 顔に文字が書いてあるって、きっと悠唯みたいな奴のことなんだな、と陸斗は呑気に考えていた。悠唯は面白いほど感情が顔に出る。嬉しい楽しいは言うに及ばず、苛立ちも何もそのまま顔に出す。落ち込んでいる時など一目でそれとわかる。

(面白れぇ顔)

 言葉遣いの悪さとは裏腹に育ちの良さがにじみ出ている端整な顔を、無造作に歪ませてしまう彼が、陸斗は面白くて仕方なかった。

「マジうぜぇ」

 そんなことを思われてるとは露知らず。笑いが止まらない陸斗にふてくされた悠唯は、目の前の机にどっかと座る。と、そこに、さっき自分で届けた手紙があった。手にとって表書きを眺める。《深山陸斗様》と書かれた文字は明らかに女文字で、おまけに読めないほど達筆だった。裏を反すが差出人の名前がない。

「・・・?」

 不思議そうに封筒をいじる悠唯に陸斗は言った。

「ゆめみひるがお」

「あ?」

 脈絡がまったくない彼の言葉についていけず、悠唯は片眉を上げる。

「ユイの服」

「は?何?」

 ったく、たまには日本語でしゃべれよ、と軽口をたたいたが、陸斗は気にもとめず言葉を続ける。

「その淡いピンク色は、夢見昼顔って言うんだ」

 ああ、コイツ何か特別な話がしたいんだな。直感して悠唯は真顔になった。

「うん」

 なかなか出てこない陸斗の次の言葉を、相づちを打って待つ。けして冗舌ではない彼が、特に何か語ろうとした時はいつもこうだ。自分の気持ちにしっくりする言葉を探すのか、途切れ途切れに口を開く。しかも話の順序がパズルのようにバラバラになっていることも、少なくない。

「ヒマワリとかって、なんか濃いけど、」

「濃い?ああ、存在感があるってことね」

 悠唯は慣れたもので、陸斗の言葉を補いながら話に耳を傾ける。

「夏って暑くね?」

「暑いね」

 傍から見たら会話になっていなさそうなやりとりだ。

「でも昼顔は、夏の真っ昼間に咲くんだよ」

「うん」

「小っちぇピンクの花なの」

「うん」

「だから夢見昼顔って言うんだって」

「へぇ、この色を?」

 悠唯は自分のタンクトップを両手で引っ張ってみせた。

「なんか、はかねぇ感じしね?」

 そう言ったきり口をつぐんでしまった陸斗を、悠唯はじっと見つめた。話は終わったらしい。さて、彼は何が言いたかったんだろう?と、悠唯は考える。ふと、手にしたままの封筒に目が止まり・・・

「そういう人、なんだ?夢見昼顔みたいな人からの手紙?」

 悠唯はそう問い掛けながら封筒を彼に返した。

「知ってるの?」

 陸斗はまるで夢から覚めたように目を見開き、問いに、問いを返す。

「いや、知らねぇよ」

 やっぱおまえって天然な、と思いながら悠唯は彼の頭をぽんぽんと叩き微笑む。

「そっか知らねぇか、そうだよな」

 陸斗は呟いて、ふわりと微笑み返すと大きく伸びをした。

「なあ、ラーメン喰いに行こうぜ」

 机の引き出しに封筒をしまいながら、そう言った陸斗の声は妙に明るかった。

「このクソ暑いのに、よりによってラーメンって何んだよ」

「いいじゃねぇか。よし、奢ってやるぞ」

「わけわかんねぇ、っつーか、おい、こらカギしてけっつーの!」

 さっさと玄関に向かう陸斗を追い掛けようとして、悠唯はちらりと引き出しに目を向ける。

(何かあるんだな…)

 そう思いながらも彼はあえてそれ以上、話を聞こうとはしなかった。言う必要があることなら自分から言ってくる。子どもの頃からの長い付き合いで、悠唯にはそれがわかっていた。言い換えれば、必要のないことは何があってもしゃべらない、そういう奴だ。だから今は何も聞かない。いや、聞けない。陸斗に視線を戻すと、ちょうど彼は外に出たところだった。

「だから!カギ締めてけっつってんだろうが!」

「ふはは」

 悠唯の怒鳴り声をドア越しに聞いて陸斗は笑った。

(ユイって、母ちゃんみてぇな奴だ)

 思いながら顔に手をかざし青空を見上げる。

「やっぱ、ラーメンはねぇか」

 じりじりと暑い陽射しが街にも人にも降り注ぐ。焼けたアスファルトから蜃気楼が立つ。上下からの容赦無い熱気に、街路樹はぐったりとして元気がない。

「りくとっ!カギぃ!!」

 悠唯の一際、大きな声が炎天下に響き渡った。

「わかったよ」

 彼は取って返すとドアにカギをかけた。

「やっぱ寿司にしね?」

「え、寿司?奢り?」

「おおう、って、んなわけねぇじゃん」

 今を盛りと、騒々しい蝉の声が彼らの楽しそうな笑い声に重なる。とりとめのない会話を続けながら、二人はうだるような暑さの中を歩いていく。

(ヒマワリは濃い、ね。まさしく)

 夏の代名詞になるだけあって、黄色い巨大な花があちらこちらで咲いている。悠唯は、街に立ち並ぶ向日葵の花を眩しそうに眺めた。太陽に向かって一筋に咲く姿は堂々としてさすがの風格だ。しばらく行った線路脇で陸斗が急に足を止めた。何事かと思えば、彼の視線の先で数輪の昼顔がひっそりと花を咲かせている。

(たしか、夕顔も似たような花だったよな?同じなら夕方に咲いた方が効率よくね?何が楽しくてコイツは夏の真っ昼間に咲いてんだ?)

 論理的思考の悠唯は昼顔を前にして考えた。7月の太陽はぎらぎらした強い光りを放つ。品のある淡いピンク色は、その強烈な明るさに負け、薄ら白くしか見えない。か細い蔓も小振りな花も、炎天下で咲くにはどこか申し訳なさそうで頼りない。いっそショッキングピンクにしとけよ、と悠唯は思った。

(たしかに、儚げだよなあ。アンタそのポジションでいいの?って感じ?でも・・・)

 陸斗に目をやると、その場にしゃがみこんでボーッと昼顔を眺めている。悠唯もその隣で腰を屈めた。

「強ぇ花だな。見掛けによらず、すげぇ生命力じゃね?このクソ暑さにコイツときたらびくともしてねぇし」

「・・・・」

 悠唯の言葉に一瞬キョトンとしたあと、陸斗は小さく頷いた。

「うん、強ぇ」

 そう言って笑った笑顔がいつにも増して幼く見え、悠唯はなんとなく見とれてしまう。手紙の相手は知らねぇけど。なんか、陸斗こそ昼顔の花に似てねぇか?

彼はふと、そんなことを思った。

「早く行くベ、寿司がのびる」

 ぼんやりしていた悠唯の腰をポンと叩いて、陸斗は立ち上がる。

「はあ?寿司がのびるかよ!」

 その時、お世辞にも爽やかとは言えない南風が吹いてきた。

「あー!風までクソ暑いっ!ニッポン脱出してぇ」

 風が掻き回すじっとりとした湿気と熱気の不快さに悠唯がキレた。彼は雄叫びをあげて先に歩き出す。

「行くぞ」

「ん」

 悠唯の背を追いながら、陸斗はもう一度、昼顔の花を見た。少し後ろで、華奢な花が熱風を受け涼やかに揺れている。

「マジで強いや」

 彼は嬉しそうに呟く。と、いきなり道幅いっぱいに大きな蜃気楼がゆらりと立ちのぼり、そのせいで花の姿がぐにゃりと歪んだ。

「え?」

 瞬間、ゆらめく景色の中に、一人の男の姿がぼんやりと浮き上がる。いや、少年だろうか?いたずらっぽい大きな黒目を、驚いたように見開いている。その彼と視線が合ったような気がして陸斗はギョッとした。

『りくと、くん?』

 声は聞こえなかった。だが、たしかに彼はそう言った。いや、そう言ったように見えた。思いがけない形で名前を呼ばれて、陸斗は声を呑む。だれ?それは瞬きの間の出来事だった。夢か現か、はたまた暑さのせいの幻なのか。その判断もつかないうちに、現れた時と同様、彼は忽然と姿を消してしまった。陸斗は、お決まりに目を擦って辺りを見回す。だが、男の姿はどこにも見当たらない。あの大きな蜃気楼もない。何事もなかったと言いたげに、ただ淡いピンクの昼顔が夢見顔に咲いている、それだけだ。

「陸斗?」

 悠唯に呼ばれてビクリと陸斗は振り返った。

「どした?」

「おとこが・・・」

「おとこ?」

「なんか、そこに、居て・・・」

「?」

「俺の、名前を」

「??」

 特別に隠すつもりはないが、言葉にしてみると我ながらすごく馬鹿げた話に感じられて、陸斗は口をつぐんだ。いきなり現れて消えた男に名前を呼ばれた?んなこと、いくらなんでもありえねぇだろ。夢か?今、俺、寝てないよな?

「おい、大丈夫か?」

 心配そうな悠唯の声を聞き、陸斗は我に返る。

「ごめん、なんでもない」

 それでも心配そうに顔を覗き込んでくる悠唯に、陸斗は笑った。

「んふふ。ユイってホント母ちゃんみてぇ。なあ、やっぱりラーメンにしようぜ」

「なんで!?」

「我慢大会?」

「ざけんなよ!おめーだけでやっとけ!てか、なんで疑問形?つーか、走んな!暑いだろーが!」

「うははは」

 陸斗の笑い声も悠唯の悪態も、眩しい青空に吸い込まれていく。じゃれるように走り去る二人の後ろで、昼顔の花がまた風に揺れる。夢見昼顔。この花が灼熱の太陽の下で見る夢は、悪夢か?希望か?この先、その夢に巻き込まれていくことを、彼らはまだ知らない。いや、すでに巻き込まれてしまったのだ。この花の、あの人の、夢に。彼らの夏は今、始まったばかりだ・・・・・。

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