はじまりの物語
それは昔々、九百年程前。フユの住む村が日照りで深刻な貧窮状態に陥っていた時の出来事。
偶々村の近くを通り掛かり自分好みの美しい、清涼な水を湛えた泉を見付け人知れず時折訪れていた一匹の龍が居た。
後に“龍神様”と呼ばれ村の守り神となる彼は久方ぶりに泉を訪れた際、その姿を目にして藁にも縋る思いで助けを乞うた村人たちの願いに応え雨を降らせ田畑を潤し、死に掛けていた村を救う。
日照りの恐怖に幾度と無く晒されてきた村人たちは、絶大なる力を目の当たりにして感謝すると同時に欲が出た。
―――このまま村の守り神となって貰えれば
龍は人の力の及ばぬ自然に干渉する術を持つ。ただただなす術も無くやせ衰えてゆく土地にしがみ付くしかなかった人々にとってその力は生き延びるために必要なもので、喉から手が出るほどに渇望するもの。
けれど龍は気紛れな生き物。今回助けられた事とて奇跡なのに更にそれ以上を望めば下手をすれば逆鱗に触れ、助かった命を失うことにもなりかねない。そう解ってはいても諦め切れなくて。何度も何度も訪れる村人たちが煩わしかったのか絆されたのか、村人たちの前に姿を見せた龍はひとつの条件をだした。曰く、加護をと願うのであれば相応のモノを差し出せ、さすれば考えよう、と。この言葉を受け、苦悩の末村長が出した結論は生贄と引き換えに村を守ってもらうというものだった。
尊き神に捧げられる生贄といえば若く美しい娘。そんな理由で選ばれたのが当時村一番の器量好し、その顔(かんばせ)の美しさは都の姫君に勝るとも劣らないと評判だった“フユ”、今回生贄として龍神様に捧げられることになったフユのご先祖様である。
さて、村人たちが“生贄”の末路をどう解釈していたかは分からぬが、困ったのは望んでもいないのにそんなものを差し出された龍である。
人を喰った事もなければ特に喰いたいとも思わない。人を番とした同族の話も聞いたことはあるが自分はそんな気はないし人を傍に置く気も無い。そもそも守り神になぞなる気はなく何を差し出されても突き返す気満々だったのだから受け取るなぞ有り得ない。けれど返すのは簡単だがそれで諦めるとは思えず、しつこく付き纏われては面倒だ。折角見つけた気に入りの場所なのに煩くされてはのんびり寛ぐことも出来ない。
こんな面倒な事になるのなら最初から条件など出さずに人の子の声など無視していればよかった、そうすればその内諦めただろうと後悔するが、あの時は懇願する彼らの必死さに少しばかり悪戯心が疼いてしまったのだ。龍から得る永久の加護、それ相応のモノを差し出せといえば一体どんなものを用意するのだろうかと。
結果は何と言うか在り来たり過ぎてつまらない上に面倒なことこの上なく、気に入らぬと返した所でそれならばと次々と違う娘を差し出される事になるのは想像に難くない。次は何を用意するのかと愉しむことさえ出来ないのでは人の子との遣り取りなど鬱陶しいだけである。
そんなことを考えながら思考に耽っていると娘が声を掛けてきた。
「気に入らぬ」と返してしまえばよいという娘。代わりの娘が送られて暫くは煩わしいでしょうが差し出す娘が居なくなればその内諦めるでしょう、と。それでも諦めないようならば尊き御身を煩わせた人間への怒りということで雷付きの豪雨でも少々降らせれば所詮は弱き人の身、「触らぬ神に祟りなし」と申しますし恐れ戦き当分はちょっかいを出す気も起こらなくなるでしょう、と。そう言って娘はにっこりと笑ってみせた。
喰われるかも知れぬ恐怖、気に食わぬと嬲り殺されるかも知れぬ恐怖の中で強大な力を持つ存在を前に豪胆にも意見し笑顔さえ浮かべる娘に好感を抱いた、それが何者にも縛られぬ只の龍であった彼を“龍神様”と呼ばれる守り神にした、その切っ掛けとなる出来事だった。
結局娘の言葉に乗って娘を村へと帰した龍は娘の様子を見に人型をとって村に下り、そこで知った事実に僅かばかり罪悪感を疼かせる事となる。