龍神様と花嫁2
龍神様に会ったら絶対に言ってやろうと決めていた事がある―――
ぱちり、と。瞼を開くと同時に覚醒したフユは一瞬、自分が何処にいて何で寝ていたのか分からず混乱した。困惑しながら横たわっていた体を起こし現状を確認しようと周囲を見回したところでピタリ、とその動きが止まる。
「ッ…!」
思わず飛び出そうになった悲鳴を呑み込み恐る恐る見上げる先に在るのはフユがずっとずっと会いたいと思っていた、村の守り神である龍神様の巨大な顔。
フユの身長よりも長い面長の顔に、青い鱗に覆われたとぐろを巻く長い体。頭部から背中に掛けて靡くのは白銀色の、さらさらととても触り心地が良さそうな鬣。その巨大さを除けば一見して優美ともいえる御姿だけれど、猛禽類を思わせる鋭い爪のついた四肢と噛まれたら痛いどころじゃ済まないだろう口の隙間から覗く鋭牙を目にして血の気が引いた。
「気分はどうだ?」
そんなフユを余所に発せられたのは平時であれば聞き惚れそうな、何とも耳に心地よい美声。穏やかな声音で空気を震わせたそれはフユを案じるものだったけれど、だからといって安心は出来ない。“龍”とはそもそも気紛れな生き物なのだ、機嫌を損ねれば自分など一溜まりもないだろう。心の片隅でそんな事を思いつつ「大丈夫です」と小さく返したフユは、怯えてしまった心を取り繕うように居住まいを正し、しゃんと背筋を伸ばして龍神様、と思われる存在と向き合った。
「龍神様、ですか?」
状況から判断すればそれ以外では有り得ないのにちょっと間抜けな質問だな、と。そう思いながらも確認のために問い掛ける。フユが此処に居るのは否応無い村の決定によるものだけれど自分の意思でもある。“花嫁”など嫌だと逃げ出すことも出来たのにそうしなかったのはどうしても“龍神様”に会って言いたいことがあったからだ。だから「是」との応えにフユは一旦瞼を閉じ気持ちを静めるように深く深呼吸をして、それからゆっくりと閉じた瞼を開き、その青い瞳で真っ直ぐに龍神様を見つめた。
「“フユ”を、龍神様に捧げられた最初の娘を憶えていらっしゃいますか?」
最初の怯えが嘘のような毅然とした物言い。ひたと己を見つめる凛然としたその瞳に“龍神様”と呼ばれる彼はふと既視感を覚え、その瞳の色が青色であることに気付き驚きに目を瞠った。
彼の守護する村の住民が持つ色は黒。黒髪黒目の民で、昨今外との交流が盛んになり黒以外の色を持つ者が生まれていても不思議はないが目の前の娘の持つ青は彼にとってはとても馴染み深い、深い深い純粋な青。それは人が持ち得ない、龍の色。
気付いた彼の脳裏に遠い遠い、記憶の底に眠っていた情景が蘇る。
―――“フユ”
懐かしげに囁かれたその声に、肯定と受け取ったフユの怒気が一気に膨れ上がる。龍神様の不思議そうに首を傾げる様(さま)に更に怒りを煽られたフユは「お話があります」、そう言ってひとつ大きく息を吸い込んだ後、積もりに積もった怒りの丈をぶつけるかのように怒声を発した。
「この、すっとこどっこいのヤリ逃げ無責任ヤロ―――――――ッ!!」
言いたくて言いたくて、ひと言言ってやらねば気が済まなくて、ずっとずっと溜め込んできた言葉。年頃の娘が大声で叫ぶのはどうかと思うそれを思いっきり叫んでちょっとだけすっきりしたフユは、あんぐりと口を開け、目を見開いて固まっている龍神様を見て少しだけ溜飲を下げるもまだまだ足りないと云わんばかりにキッと眼前の尊顔を睨みつけて言葉を続けた。
「事情は知ってます、聞いてます。“フユ”が願った事だというのも知っています。これが只の八つ当たりだという事も解っています。解った上で敢えて言わせていただきます。―――いくら請われたからといってほいほい手を出さないで下さい! 出すなら出したで最後まで面倒を見る。見れないなら最初から手を出さない。いい歳した大人なんですからその位の分別はもって下さい。そもそも事の発端は龍神様の悪戯心だそうではないですか。そりゃあ村を救って下さった事はありがたいことだと思います。思いますけど嫌なことは嫌だとはっきり断って下さい。下手に罪悪感持って手を出した上一度抱いたらポイ、その後は何の音沙汰もなしだなんてどんだけ無責任なんですか。ええ知ってます。聞いてます。異種族間だと子が出来にくいから大丈夫、出来ない、問題ない。そんな軽い気持ちで避妊もせずあっさりちゃっかり中に出しちゃったんですよね。ええええ、分かります。龍神様といえど所詮は生身の雄。子孫を残すための種付けは雄としての本能なのでしょう。でも! だからこそ! 出したら出した、ヤッたらヤッたでちゃんと責任取って下さい。子が“出来にくい”であって“出来ない”ではないんです。お陰で私たちがどれだけ苦労したと………」
生まれて十八年。溜めに溜め込んだ鬱憤を怒涛のように吐き出すフユの勢いに呑まれ、グサグサと遠慮容赦なく突き付けられる言葉の刃を大人しく聞いていた龍神は、やがて言葉が尽きたのか陽が昇り始めた頃になって漸くふぅーと大きく息を吐き口を閉じた娘を見てほっと安堵の吐息を吐いたのだった。




