恩の提案
「――――というわけで、もう心配はいりませんよ」
「よ、よかった~…………」
お医者さんと看護師さんからそう言って貰えて、ようやくホッと一息がつけた。
「ただ念のため入院は必要になるでしょう。諸々の手続きはお孫さんがなされますか?」
「お孫さん……?」
その一言で、私は相手の勘違いに気付いた。
「あ、その、違うんです。私は偶然通りがかったというかその場に出くわしただけでして……」
「ああ、そうだったんですか! それは失礼しました」
「いえいえ、お気になさらないでください」
というか半分は私のせいによる誤解だ。
促されるまま病院まで来てしまったわけで……余計なお世話だったらどうしよう。
「ありがとうございます。あなたがいなければおじいさんがどうなっていたか分かりません」
「あ……ど、どうもです」
「それじゃあ後はこちらにお任せいただきます。ああ、もしお時間があるようなら会っていかれては?」
…………ん??
と首を傾げそうになっている間に、気づけば私はおじいさんのいる病室を訪れていた。
「やあ、これはどうも。この度は大変お世話になりました」
ベッドから上半身を起こしている状態でお礼をするおじいさん。
その恭しさというか気品は、病衣姿でも漂いまくっている。本物のジェントルマンとはこんな人なのかもしれない。
「御加減はどうですか?」
「おかげさまで、ほれこのとおり!」
両手を上げてムキッとするポーズ(ダブルバイセップス)をしてみせてくれるおじいさん。
良かった、少なくともお元気にはなられたようだ。
「ありがとうございます、命拾いしました」
「大げさですよ。きっと私じゃなくても誰かが助けたでしょうし」
「そんなことはありません! 今のご時世、頭では分かってはいても正しく行動に移せる方は案外少ないものです」
「……でしょうか」
「はい。あなたは十分ご立派ですよ」
「あ、ありがとうございます」
とても優しい感謝の言葉が沁みた。
ああ、良かったなと。間違って無かったなと。強くそう思える。
「それでひとつ、何かしらのお礼をしたく」
「お礼? 今してもらったのでは」
「言葉だけでは足りません。是非ともこちらの誠意を示させてもらえればと」
「……え、お礼ってそういう……ええ!? いえそんなお気持ちだけで大丈夫ですから!!」
「そうご遠慮なさらず。これはこちらの我儘でありまして」
「は、はぁ」
「私の主人が是非に是非にと」
「しゅ……?」
日常的に聞く機会のない単語が聞こえたそのタイミングで。
<バターン!!!!!!>
病室の扉が勢いよく開いた。
「ジイ!! 無事か!!???」
必死の形相で大声を上げた男性が入って来る。
よほど急いだのか額に汗が浮かんでおり、息も荒い。
シャンとした仕立てのいいスーツにコートを羽織った――無意識に見惚れてしまいそうな眉目秀麗のカッコイイ人だった。
「おお、誠彦様! 爺はこのとおり、ピンピンしておりますぞ」
「ピンピンって……お前なぁ! 外で倒れて病院に担ぎ込まれたと連絡があった時は生きた心地がしなかったぞ!」
心配そうにベッドに駆け寄った男の人――誠彦さんが声を荒げる。しかしそこには、おじいさんの身を案じた気持ちがありありと浮かんでいた。
………………いいなぁ。
一目で強い情を感じさせるやり取りに、無意識にそう思ってしまったのはうらやましかったからかだろう。
……さて、いつまでも部外者の私がここに居るべきではないか。
「あの、ご家族の方もいらっしゃったようですし。私はこれで失礼しますね」
「いや、お嬢さん。少しお待ちを――」
背中にかかるおじいさんの声。
それから「あの人は……?」とおそらく訝しむような男性の視線を振り切って、病室から出ていく。
その直後、ぐんにゃりと視界が歪んだ。
「うっ」
突然立ちくらみをひどくしたような嫌な感じに襲われて、足元がおぼつかなくなる。慌てて廊下の手すりを掴んでふんばろうとするが、上手くいかない。
「どうした、おいキミ!?」
誰かが声をかけながら支えてくれる。
なんとか「大丈夫……です」とだけ口にしたものの、段々と視界が小さく、意識が遠のいていく。
ああ……またやっちゃったのか。
私はなんでこうも迷惑をかけることしか出来ないのだろう。
ぽろりと悲しみの欠片を零しながら、私の意識は暗い闇の中へと沈んでいってしまったのだった。
///
目が覚めたら、知らない天井だった。
「ここは……」
身体を起こした際に手触りのいいかけ布団がめくれ上がる。
どうしてかは分からないけれど、ふかふかのベッドで寝かされていたらしい。
周囲を確認してみると、病院の個室のようだった。
ただなんというか普通の個室ではなく、医療ドラマに出てくるようなお金持ちが入院する時の特別な部屋のように見える。
ええ……なんで……???
気だるい身体と寝起きの頭のまましばしボーっとしてしまう。
一番説得力があるのは、これが夢で、私はまだ起きていないとかではないか。
そんな考えに至っているとカチャリと扉の開く音がして。
給仕服のおばあさんが入室してきた。もちろん知らないおばあさんだ。
「おやおや! お目ざめになられてましたか!」
「あ、あの……」
「どこか痛いところはございますか? お医者様は安静にしておられれば良いとおっしゃられていたとの事ですが……ええ、ええ、どうやらお熱もないようですし顔色も大分よくなっておられますね」
「は、はぁ……」
私が何かひとつ聞く前に五つぐらい話す勢いだ。
ただ、その柔和な表情には大きな安心感があり、怪しい素振りはない。
「失礼。少しだけご連絡を…………はい、はい。お目覚めになられましたよ」
「あの、おばあさん。ここは……どこなんでしょうか?」
雰囲気的にはダイヤル付きの古い電話を使いそうなおばあさんが、慣れた手つきで携帯電話を使うのはなんだかシュールだなと思いつつ、尋ねる。
「おやおや、覚えておられませんか。あなたはいきなり倒れてしまって、それを心配した坊ちゃんがココまで運んだのですよ」
「坊ちゃん? ココ??」
「ええ、ええ。あなたが倒れた病院は手が足りなかったようで、坊ちゃんが急いでかかりつけの信頼できるのところへね」
説明しかけたおばあさん。
だけどその言葉はノックの音で遮られた。
「ばあや、いま大丈夫か?」
「あらあら、お早いお付きだこと」
楽しげにくすくす微笑みながら、おばあさんが「お入りになられても良いですよ~」と声を響かせる。
「失礼する」
落ち着いた声で入室してきたのは、私が付き添ったおじいさんに会いに来たカッコイイ男の人だった。
「気分はどうだい?」
「ごめんなさい! 私、大きなご迷惑をおかけしてしまって!」
「気にしなくていい。ジイを助けてくれたからな」
おばあさんと入れ替わるように男性がベッド横の椅子に腰かける。
近くで見ると増々イケメンだ。歳は私より少し上だろうが、その落ち着きっぷりと出来る人感が半端ではない。
「自己紹介が遅れたな。オレは日山儂 誠彦という」
「あ、佐田川薫子です」
お互いに名乗り、ようやく相手の名前が知れた。
日山儂誠彦さんだから、誠彦様って呼ばれてたのか。でも様付けや坊ちゃんと呼ばれてるからして地位のある人みたいだけど……。
日山儂。
ひやまの……。
あれ、日山儂という名称にとても聞き覚えがあるようなないような。
そこでハッと気づいた。
「そっか、あの日山儂グループと同じお名前なんですね」
「ああ、オレの父が経営してるからね」
「そうなんですか、それはなんて偶然…………」
ん!?
いま、なんて言われました?!
あの世界に名だたる大企業グループと同じ名前なんて覚えやすくていいですね~、朗らかな会話をしようとした私の思考が一瞬で吹っ飛んでいく。
父が経営してるからね?
間違いなく目の前の男性はそう口にした。
「ち、父が経営してるって……おっしゃいました?」
「うん」
「あわわわ!? わ、私なんて失礼なことを!!」
本当の意味で違う世界に住んでる人だ!
しかも経営者が父! だったらこの方は御曹司になるよね!?
「失礼なんてことは何もない。だからそんなにかしこまらないでくれ」
「ほっほっほっ。いきなり日山儂グループのお坊ちゃんが目の前にいたら、そうもなりましょう。ついでに会社の重鎮として働いているとご説明されてみては?」
「坊ちゃんはやめてくれって、いつも言ってるだろばあや」
「ほっほっほっ! ばあやにとって坊ちゃんはいつまでも可愛い坊ちゃんですよ♪」
「まったく……直す気なんてこれっぽっちもないな」
柔らかいやり取りに場の空気が和んでいく。
二人のやり取りが優しく感じられて、つい顔がほころんでしまいそうだ。
……いやでも無理かも。ご子息もそうだけど、会社の重鎮って。本人も凄いパターンじゃないか。
「すまない、見苦しいところをみせてしまった」
「いえいえそんな!」
「そうか。それならひとまず……キミさえ良ければ話しをさせてもらいたい」
「め、迷惑料ですかね?」
倒れた私をココまで運んで面倒を見てくれたのだ。
多分、ものすごい手間を取らせてしまったに違いない。
そう読んだ形での発言だったのだが、日山儂さんはポカーンとした顔になってしまっていた。
「とんでもない! どうして恩人にそんなものを要求するんだ!? むしろ逆だ!」
「逆……?」
「ジイから聞いてないのか? 本人は伝えたような素振りだったが」
「え、えっと? すみません何が何だか」
「……そうか、きっと行き違いがあったんだろう」
こほんとひとつ咳ばらいをして、ヒヤマノさんが改めて説明を始める。
「キミが助けてくれたご老人――太助はね、身の回りや仕事も含めて、昔からオレの世話をし続けてくれた。家族同然の大事な人なんだ」
「そうだったんですね。てっきりお爺ちゃんかと」
「実際祖父みたいなものさ。おっと、本人には内緒にしといてくれると助かる」
気恥ずかしいからね、と彼がはにかむ。
その愛嬌ある仕草で大分話しやすさのハードルが下がった気がした。
「それでね、本人は大したことないって話していたかもしれないが……実はけっこう危なかったんだ。キミが迅速に救急車を呼んで付き添ってくれなかったらどうなっていたか……」
知らなかったとはいえ恐ろしい。
私の行動がひとつの命運を分けてしまったかもしれなかったんだ。
……よかった。こんな私でも誰かを救えて。
「つまり、キミは命の恩人というわけだ」
「そんな大層なものではないですよ」
「十分大層なものだよ! そんなキミがロクなお礼も受けずにあっさりと病室から出て行こうとした時は驚いたものさ。重大な機会を失うところだった」
「アレはその、家族のご対面を邪魔しちゃいけないなと」
「であれば、改めてこの場でさせてもらいたい」
日山儂さんが、すっと頭を下げる。
「オレの家族を助けてくれて、本当にありがとう」
ここまで真摯にお礼をされた経験がないため、どう反応すればいいか分からない。多分きょどりながら「あ、そんなそんな」とか口にしてたと思うけれど自分でもよく分かっていない。
それでも胸の中は温かくなった。
人に感謝されるのなんていつぶりだろうか。
「そのため、是非ともお礼をさせて欲しい」
「それなら今頂きましたよ」
「いいや、今のは挨拶をしただけだ。オレや爺がしたいお礼は別の話だよ」
「……?」
「例えば何か困っていることがあれば力になりたい。試しに頼み事があればなんでも言ってみてくれ」
うん?
私、いまとんでもない事を言われた??
やっぱりこの状況は夢?? こんな物語に登場するランプの魔神みたいな言葉をかけられるとは!
ただ日山儂さんは至極真面目で、冗談の類ではないらしい。
揶揄われてる……? にしては本気度が高い。
なんでも、なんでもかぁ……。
そう繰り返している内に、私が最初に浮かんだものがあった。
「それじゃあ……少し話を聞いてもらえますか?」
ぽつりぽつりと。
私は自分の身の上話を始めた。
ちょっと前に不幸の連続によって途方にくれたのも含めて。
気づいたら涙が零れていたけれど、時折つっかえながらも辛さや悲しさ、淀みとなっていたものは止められなかった。
出せば出せれただけ、ほんの少しずつゆっくりと気持ちがマシになっていく。真っ黒な心が白に近づいていくようだった。
日山儂さんは、じっと耳を傾けてくれていた。
その心境は分からない。こんな話をされても困ってしまっていただけかも。
でも、今の私にとっては話しを聞いてくれるだけで有りがたかったのだ。
「…………おじいさんが倒れたところに遭遇したのは、そういった時でした。私はどうにかすればいいんですけど、身体を壊して入院続きの母の治療費をどうするかまでは――」
どれくらい話していただろう。
長かったようで案外短かったのかもしれない。
柔和なおばあさん(※名前は登米子さんと教えてもらった)が目元にハンカチをあてていた。
「辛い話をさせてしまったな。けれど、おかげで分かった」
「…………」
「それじゃあ、キミの状況を踏まえてオレから提案をしたい」
「え?」
「ウチで働いてみないか?」




