第8話 竜殺石の毒
竜帝の鱗を穿ったのは、バリスタと呼ばれる据え置き型の弓だということがわかった。沙羅は言葉を聞いただけで仕組みはわからない。とにかく、あの大きさの杭を竜帝の鱗を突き通すほどの威力で打ち出せる機械らしい。
果氷国の新兵器による花炎国の被害は甚大だった。バリスタの前では、人の持つ盾など紙ようなものだ。
花炎国も見よう見まねで同じものを造ったが、所詮は猿真似でしかなく、同等の威力を出せるまでには至っていない。
そしてその矛先が最も多く向けられたのは、他ならぬ黒竜なのだった。というより、黒竜対策に造られた物なのだろう。黒竜が何度炎で焼き尽くしても次の攻撃の時には新しく造り直されており、黒竜は数日おきの出征のたびに傷ついて戻って来た。
いまだかつて、果氷国にこれほどまでに連続して攻撃を仕掛けられたことはなかった。これまでは、竜帝が軍勢を蹴散らした後は一年以上も攻めて来ないのが普通だったのだ。果氷国は、今回本気で花炎国を落としにかかっているようだった。
竜帝が傷を負うため、筆頭専属薬師である沙羅は大忙しだった。治療するためには、霊薬がなくては始まらない。調合っても調合っても片っ端から無くなっていく。
材料となる切立花を何度も採りに行った。黒竜の背に乗って。
国境まで往復し、その間に溜まった政務を傷を治療しながらこなしている竜帝にこれ以上負担をかけるわけにはいかないと断ったが、傷を治すなら沙羅が選んだ方がいいと逆に竜帝に説得された。
沙羅が自分で採りに行くことももちろんできるのだが、正直その時間を捻出するのが厳しくなっていたため、毎回黒竜に頼ってしまうことになった。
竜帝が傷ついて帰って来るたびに、沙羅は自分が傷つく以上につらい思いをしていた。それなのに、治療のために霊薬を使えば黒竜の背に乗れる、ということを喜んでもいる。
自分の浅ましさに落ち込んだ。
一方、傷を負う竜帝の方は、淡々としたものだった。沙羅が薬を持って駆け付ければ自分で杭を引き抜き、人型になって手当てを受ける。その後は何事もなかったかのように政務を再開していた。
「今回はまた多いですね」
後宮で応急処置を受けたあと、竜帝は政務をしに後宮を出て執務室へと行く。待っていた清伽が眉をひそめた。竜帝について来た沙羅が手当てをしながら軽口を叩く。
「少しは避けられないんですか?」
「これでも避けている」
「もっとこう……ひゅひゅっと」
「無茶を言うな」
こんな会話ができてしまう程に、竜帝が戦場に行くのは日常化していた。沙羅は胸の痛みを振り払うように、無理をして明るく軽い口調で話していた。
誰しもが良くも悪くも竜帝が怪我を負うことに慣れていく中、そうならない者がいた。
延珠だ。
延珠は竜帝が知らせを受けるたびに行かないでくれと泣いてすがり、帰って来るたびにしがみついて泣いた。それは回を重ねるごとに酷くなっていった。
不幸なことに、延珠が竜帝を引き留めれば引き留めるほど国境にいる軍の被害は増し、竜帝の胸で涙を流す時間のぶん手当は遅れる。延珠のしていることは、竜帝の足を引っ張る行為だった。
それは延珠もわかっているようで、たびたび竜帝に謝罪している。だが、竜帝の事を想うと取り乱してしまうのだという。
それが魂の片割れというものなのだろう。竜帝の方も、延珠が傷つけば自分もそうなるだろうと言い、咎める周囲の声から延珠をかばった。
傷を見せると延珠が心配するからと、竜帝は何度か表の方に降りた。だが、竜帝がまた怪我をして戻って来たと知った延珠が過呼吸を起こすほどにパニックになってしまった。治療が済んでいると言っても実際に無事な姿を目にするまでは意味がなかった。知らせがなければないで、戻って来ないのは何かあったに違いない、とパニックを起こす。
戦場に赴くことを黙っていようとしても、空を見上げていれば竜帝が行き来していることは一目瞭然だ。見せないようにすれば、竜帝はちゃんと宮廷にいるのかと何度も聞いて取り乱す。
そのため竜帝は必ず後宮に戻るようになった。
ぼたぼたと血を落としながら戦場から飛んで戻るくらいなら、いっそ国境にいた方がいいのではないかという意見も出たが、それでは延珠がもたないからと、竜帝が延珠と離れることを拒んだ。かといって延珠を危険な戦場に連れて行くわけにはいかない。
一応、行くときに霊薬を持って行って、現地で応急手当てを受けることにはなった。
そんなある日、後宮の上空に現れた竜帝が、不時着するように中庭に降り立った。勢い余って建物にぶつかる程に乱暴な着地だった。いつもなら音も立てずに静かに降りるところだ。
ずずんと地が揺れる気配と竜帝を呼ぶ誰かの悲鳴を聞いて、竜帝が戻ってきたことを悟り、よほどの傷を負ったに違いない、と沙羅は顔を真っ青にして中庭へと走った。
沙羅が黒竜の姿を視界に入れたのは、ちょうど黒竜が杭を引き抜く所だった。応急手当も受けずに飛んできたのだとわかった。
見る間に空に黒雲が集まり始める。黒竜が呼んでいるのではない。竜の不調に空が同調しているのだ。
駆け寄った時には竜帝は人型になって地面に横たわっていた。苦悶の表情を浮かべ、額には汗が浮かんでいる。手を血にまみれる左ももに当てていた。
沙羅が小刀を使って着物を引き裂けば、傷口が紫色に腫れあがっていた。毒だ、と一目で判断する。
「杭の先を確認してっ! 絶対に触らないように!」
言いながら、あとを追って来た鳴伊から布を受け取ることもせずに、霊薬を傷口へと塗布した。傷口が熱い。
「熱がある」
その一言で鳴伊は動き、水に濡らして絞った布を竜帝の額に置いた。
竜帝がこれほどまでに苦しむ毒。となれば、それは一つしかない。
「先端に、りゅ、竜殺石だと思われる物がっ!」
杭を確認していた女性兵が叫んだ。周りの女官たちが息を飲む。
――やっぱり。
沙羅が唇を噛んだ。
竜をも殺すと言われる猛毒を持つ石、竜殺石。黒に赤い血管のような筋が張り巡らされているような外見をしているそれは、見間違えようがない。竜帝の容体からしても確定だろう。
そんな物をどこから――。
竜殺石は非常に珍しい物だ。ほんの小さな石だとしても。果氷国はどうやって手に入れたのか。
――今は考えてる場合じゃない。
沙羅は浮かびかけた思考を頭から追い出した。まずは毒をどうにかするのが先だ。
そのとき、ざっと大雨が降り出した。この中では処置どころではない。
「薬室に運びます。手伝って下さい」
すぐさま竜帝は担架で運ばれ、薬室の大きな台の上に寝かされた。
「誰か朝廷に報告を。竜殺石が用いられました。急ぎ処置をします」
女官の一人が部屋を飛び出す。他の者も追い出した。残るのは沙羅と鳴伊、そして女官長だった。沙羅は女官長にも出て行けと言ったが、沙羅の処置を見届けると突っぱねられた。
「なら手伝って。竜帝さまの足を押さえて下さい」
女官長に膝を押さえさせる。鳴伊は止血のために傷口のすぐ上を押さえていた。
「痛みますよ」
沙羅は薄い革の手袋をはめ、竜帝の耳元で宣言すると、小刀で傷口をさらに開いた。そして中が見えるように大きく広げる。びくっと竜帝の体が跳ね、うめき声が漏れる。傷口は火で炙ったかのように爛れていた。毒のせいだ。
「何をするんです!」
治療するどころか逆に傷を広げる行為に、女官長が裏返った声を出した。
しかし手はしっかりと竜帝を押さえ込んでいる。肝が据わっているな、と思った。後宮にいるということは沙羅といくつも変わらない歳のはずだが、さすがは女官長になっただけはある。
「欠片が残っていたら大変ですから」
水をかけながら石が残っていないことを確認して、中を洗浄していく。傷の割に出血は少ない。大きな血管は傷ついていないのだ。
沙羅は手袋をはずし、今度は霊薬を傷に塗った。傷口が埋まるほどにたっぷりと。竜の傷にはとにもかくにも霊薬だ。
その上に布を置き、女官長に圧迫止血するように指示を出す。
「それじゃだめ」
布を当てる程度の強さで押さえた女官長の手を、沙羅が上からぐいっと強く押す。女官長は竜帝の呻き声に顔を青ざめさせながらも、気丈にその強さを保とうとした。
沙羅は鳴伊に指示を出して薬棚から材料を出させ、解毒剤の調合に取りかかる。
まさか竜殺石を使ってくるなんて――。
竜殺石を中和するほどの薬は作れない。伝承の中にあるにはあるが、材料が揃っていない。だから今手元にある物で最良の薬を調合る。
常備薬を元にするため、手間も時間もそれほどかからなかった。鳴伊も沙羅の短い指示に従ってよく動いた。女官長は竜帝の傷を押さえ続けている。
できた煎じ薬を手に、竜帝に声をかける。
「竜帝さま、お薬ができました。飲めますか?」
「……あぁ」
うめき声とも取れる返事が返ってきた。
沙羅が薄く開いた唇に匙で薬を流し込むと、こくりと竜帝の喉が動いた。抗炎症と鎮痛の成分も入っている。これで少しは楽になるだろう。
竜帝に必要量を飲ませたところで、沙羅は傷口のある足の方へと回った。
女官長の手を外させる。出血はだいぶ収まったようだが、それよりも腫れが酷い。どす黒い紫色は傷口の周りだけでなく、そのさらに外側まで広がっていた。
鳴伊が毒消しと霊薬を混ぜ合わせた物を沙羅に手渡した。それを傷口とその周りに丁寧に塗っていく。
器を鳴伊に戻し、傷口に布を置いて包帯をくるくると巻いた。
「できることは全てやりました。あとは薬が効くのを待ちます」
「竜帝様はまだ苦しんでおられます!」
「待つしかありません。大丈夫です。命に別状はありません。外への報告をお願いします。みなさまお待ちでしょうから」
傷は塞がりつつある。毒の効果が強ければ、爛れたままなかなか治らないところだが、そこまで酷くはない。じきに毒も消えるだろう。竜としての頑丈さと霊薬の効果が勝ったのだ。
ここのところ続いた攻防で、乾燥させていない生の切立花を使って霊薬を調合っていたのが功を奏したのかもしれない。
女官長が報告のために足早に部屋を出て行った所で、沙羅はへなへなと床にへたりこんだ。
今さらになって恐怖がせり上がってくる。
顔の前に上げた両手がぶるぶると震えていた。かちかちと歯が鳴る。心臓がぎゅっとつかまれたように縮こまっていた。目を強くつぶる。
当たり所が悪く太い血管がやられていたら、毒の効果で血は止まらなかったかもしれない。いくら竜が丈夫であっても、血を流しすぎれば当然死ぬ。そうでなくとも全身に毒が回ってしまえば、出血云々の前に心臓が止まってしまう。
竜帝が戦場で応急処置をするのではなく、真っ先に筆頭専属薬師――沙羅の所に戻ってきてくれたのは正解だった。
沙羅は自分の体を両手でかき抱いた。
そこに鳴伊がしがみついてくる。
「こわっ、怖かったぁぁっっ」
鳴伊がわっと泣きだした。
「竜帝様が、死んじゃうかと、おもっ、思ったあぁっ」
「もう大丈夫だよ。それに竜帝さまだもの。そんな簡単に死んだりしないよ」
沙羅は鳴伊を抱きしめた。
「よく頑張ったね。こんなに早く手当てができたのは、鳴伊がいてくれたお蔭だよ。あとで竜帝さまに褒めてもらおうね」
わんわんと泣く鳴伊をなだめながら、沙羅は自分にも言い聞かせていた。
大丈夫。竜帝さまが死ぬなんてことは絶対にない。これからも。絶対に。
竜帝が竜殺石の毒に倒れたという第一報は、瞬く間に宮廷内を駆け巡り、大騒ぎになっていた。
中でも一番取り乱していたのは延珠で、挙句の果てには竜帝が死ぬなら自分も死ぬと刃物を振り回す始末。竜と契りを交わしたのだから、寿命を同じくしている延珠は竜帝の命が尽きればどうせ死ぬのだが。
続報で命に関わる傷ではないことが伝わると、宮廷側は一先ず落ち着いた。筆頭専属薬師が命に別状はないと言い切ったのだ。その影響力は大きかった。
処置が終わったことを告げられて、女官たちに羽交い絞めにされていた延珠が薬室に駆け込んできた。
「竜帝様っ、竜帝様っ!」
横になる竜帝の頬に手を当てて無事を確かめようとするが、竜帝は毒と薬のせいで意識が朦朧としている。返事をせず目も開けない竜帝に焦った延珠は、竜帝を大きく揺さぶった。
「花嫁様っ! 揺らしてはなりません。毒が回ります」
慌てて沙羅が止めに入ると、花嫁はそれを振り払った。
「竜帝様が目をお開けにならないわ!」
「鎮痛剤の効果で半分眠りに入ってらっしゃるだけです。体力回復のためにもそのままにしていて差し上げて下さい」
沙羅が丁寧に説明すると、延珠は一応は納得したらしい。渋々といった様子で竜帝から手を離した。
「毒消しを使ったのよね?」
「はい」
「それは竜殺石に効くほどのお薬なのかしら」
「特効薬は用意できませんでしたが、大抵の毒には効きます。傷の様子からして何とか効いたようです。竜殺石が小さかったのもよかったのでしょう」
「そう。ならいいわ」
延珠は竜帝の顔に頬をあて、愛おしそうになでた。
「お部屋に移して差し上げることはできないの? こんな部屋ではあんまりだわ」
「……そうですね。そっとならいいですよ」
許可を出すと、延珠はすぐさま女官たちに指示を出して竜帝を私室に運んだ。
そこへ、清伽が治療に支障がなければ直接報告を聞きたいと言っている、という連絡が沙羅に入り、沙羅は後を鳴伊に任せて後宮を出た。血まみれの服を着替えてから。
竜帝は翌日には体を起こせるまでに復調し、二日後には政務に復帰した。沙羅個人の気持ちとしてはもっとゆっくり休んで欲しかったところだが、体調が万全になったのだから、筆頭専属薬師としては許可を出さないわけにはいかなかった。
朝廷では果氷国の次の攻撃を懸念していた。杭につけて撃ち出したのならば、外れることも考えているはずだ。ということは、他にも竜殺石はある。次もまた同じ攻撃をしてくるに違いない。
だが、そこから侵攻はぴたりとやんだ。黒竜が敵軍の本体をこれでもかと叩き、ほぼ壊滅したとのことだから、竜殺石での攻撃は最後のあがきだったのだろう。




