第4話 待望の花嫁
「沙羅っ!」
「竜帝さま」
薬草園で薬草の世話をしていた沙羅の元へ、突然竜帝がやってきた。
竜帝が薬草園を訪れることはよくある。仕事の合間にふらりとやってきて、沙羅がいればお茶を飲んで行くこともあった。
息抜きのように見えて、実はそれだけではないことを沙羅は知っている。
竜は花が好きらしい。
観賞用としてではない。以前、お茶の香りづけとして栽培していた花が竜帝が来るたびにむしられていて、よほど香りが好きなのだと思っていたら、ある日ぱくりと食べた所を目撃してしまった。
それ以来沙羅は個人的に育て続けている。沙羅も花弁を食べてみたが、何が美味しいのかわからなかった。人型をしているときの味覚は人間と同じだと思っていたが、そうではないようだ。
沙羅が見てない間に摘まれている所を見ると、花を食べに来ていることを沙羅が知っているのだと、竜帝は気がついていないのだろう。
また竜帝がおやつをつまみに来たのかと思ったら、しかしそうではなかった。
勢いよく駆け込んで来た竜帝に両手を取られ、ぶんぶんと振られる。
「見つかった! 見つかったんだ!」
「見つかったって? ――まさか!」
「そうだ! 片割れが見つかった!」
沙羅はぱちぱちと目を瞬かせた。
見つかった? 魂の片割れが? 竜帝さまの?
思考が追い付いていくにつれて視界が真っ暗になっていき、ぐるぐると回り始める。足元の土が消え去り、ゆっくりと回りながら奈落に落ちていくような感覚がした。
「それは……よかったですね」
「ああ!」
なんとか絞り出した声に、竜帝が破顔する。
その満面の笑顔を見て、ああこれは本当のことなのだ、と沙羅は理解した。
と同時に、急速に頭が冷えていった。指先が冷たい。ふと、体からすべての血液が流れ出てしまったらこんな感じなのかもしれない、と思った。
「それで、竜帝さまはどうしてここにいるんですか?」
「沙羅に報告しにきた。一番に伝えたかったのだ」
「花嫁様をほっぽって?」
「あ」
竜帝は、しまった、という顔をした。
「何やってるんですか。早く戻ってあげて下さい」
「そうだな。戻る」
立ち去っていく竜帝の背中に、沙羅は叫んだ。
「竜帝さま、おめでとうございます!」
竜帝はその声に振り返り、嬉しそうに笑った。
竜帝に拝謁するために宮廷で待っていた花嫁は、竜帝が謁見室に入って来るなりすぐさま出て行ってしまったことで、やはり怒りを買っていたのだと恐れ慄き、青い顔で平伏していた。
そこへ戻って来た竜帝に突然抱き締められ、彼女は倒れてしまった。
すぐさま筆頭専属薬師である沙羅が呼ばれ、花嫁の元へと駆けつけた。
蒼延珠というその花嫁は、竜帝の片割れと言われてもおかしくない外見をしていた。竜帝と同じ黒いまっすぐな髪を持つ美少女だったのだ。
沙羅はとてもいい匂いのする女性だと思った。
髪を綺麗に結っている。着ている襦裙は高級なものだ。竜帝に謁見するのだから当然上等な物を着てくるのだが、並の品ではなかった。いいところのお嬢様なのだろう。
竜帝は普段の落ち着き払った態度はどこへやら、オロオロとうろたえていた。
「気絶しているだけです。驚き過ぎたんでしょう」
「本当か? 本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫ですって。気付け薬を嗅がせて起こすこともできますが」
「いや、このまま寝かせてやってくれ」
沙羅が天蓋から薄絹のかけられた寝台から離れると、竜帝は延珠の枕元に跪き、その手を取った。
冢宰を含め、成り行きを見守っていた上級官吏らはみなぎょっと目をむいた。皇帝のすべき行動ではなかったからだ。
だが、竜にとって片割れとは文字通り自分の半身であるという。病んだり傷ついたりすると心労で竜自身も病んでしまうほどに。
であれば、この行動も頷けるというものだ。親が子を思う以上に大切なのだから。
「竜帝様、朝議は」
「勝手にやっていろ。わたしは片割れから離れるつもりはない」
「そういうわけには」
「くどい」
竜帝はぴしゃりとはねつけた。
そう言われてしまえば従うしかない。朝議の参加者はみなこの場に揃っていたため、竜帝欠席の伝達をする必要はなかった。
「さあ、皆様、花嫁様のお体に障ってはいけませんので、ご退出願います」
沙羅が竜帝と延珠の付き人以外を追い出した。
「では私も」
「沙羅、ここにいてくれ」
自分も退出しようとした沙羅を竜帝が引き留めた。
「隣の控室にいますから」
「ここにいてくれ」
不安に揺れる金色の瞳を向けられて、沙羅は諦めた。
「わかりました。ここにいます」
竜帝を床に座らせているわけにもいかないので、長椅子を運ばせ、沙羅は横に立った。
「沙羅も座れ」
「ですが」
「座れ」
言われて隣に座る。
「お前たちは下がれ」
竜帝が付き人までもを下がらせ、部屋には竜帝と沙羅、そして延珠だけが残った。
「この娘だ」
「ええ」
「わたしの片割れだ」
「はい」
「ずっと待っていた」
「はい」
「長かった」
「ええ」
ぽつりぽつりと竜帝が呟いていく。
どれほど待ち焦がれていたのか。どれほど彼女が大切なのか。
聞きたくない。
それ以上言わないで。
沙羅は短く返事をしながらも、心がずたずたに引き裂かれていくような思いがしていた。
しばらくして延珠が目を覚まし、別の薬師に後を引き継いだ沙羅は、後宮の薬室へ戻るべく廊下を歩いていた。
「ちょっと」
「きゃっ」
突然、横から出てきた手に腕をつかまれ、沙羅はそこにあった空き部屋に引っ張り込まれた。
驚いて抵抗しようとした沙羅だったが、犯人の顔を見て体の力を抜いた。
沙羅の親友、結亜だった。下級女官服を着ている。
「なんだ結亜か。びっくりするじゃない。普通に声かけてよ」
「私は奥にあんまりいられないの!」
「なら早く戻りなよ」
「沙羅が心配で来たんじゃない!」
ぷぅ、と結亜がむくれた。沙羅と一つしか違わないのに、その仕草とうっすらと残るそばかすも相まってまだまだ子供に見える。
花嫁が現れたことを知って、ここまで駆けつけてきてくれたのだった。
「私は大丈夫」
「大丈夫なわけないでしょ、そんな顔して!」
「そんな顔ってどんな顔よ」
「この世の終わりみたいな顔してる!」
「してない」
両手で沙羅の顔を挟んだ結亜にきっぱりと否定する。自分で心配になってついさっき鏡を見たばかりだ。やつれたり目の下にクマができたりもしていない。
「比喩よ!」
「してないんじゃない」
心配してるのに、とまた結亜はむくれると、眉を下げてしょぼくれた顔になった。
「……本当に、大丈夫?」
「大丈夫。覚悟してたことだもの」
沙羅は薄く笑った。
多少の強がりも入っているが、覚悟していたのは本当だ。白家の一員として、花嫁を見つけたいと思ってた。どちらかと言えば――というかかなり――見つからなければいいと思う気持ちの方が大きかったけれど。
「どういう人なの?」
「綺麗な人だよ。真っ直ぐな黒髪で――」
「やっぱいい! 今夜あたしの部屋に来なさい!」
「え、なんで」
「話聞いてあげるって言ってるの!」
「いいよ、別に」
「よくないでしょ」
両の手の平を体の前で振って断る沙羅を、結亜はぎゅっと抱きしめた。結亜の体温が沙羅に伝わってくる。
「……ありがと」
ぼそっと沙羅が呟いた。
「いいのよ。あたしたち、友達じゃない」
「ありがとう」
結亜は沙羅から体を離すと、じゃあ戻るから、と言って部屋を出て行った。
沙羅は自分の顔を両手でパンッと叩き、結亜の優しさで溶けかかった強がりの仮面を、しっかりと顔に貼り付けた。
「さぁて、仕事仕事っと」
その日の晩、沙羅は誘われた通りに、結亜の部屋に来ていた。
「一緒に寝るの久しぶりだねー」
同じ布団に二人で潜り込むと、くすぐったいような恥ずかしいような変な気持ちになる。
結亜とは二年の付き合いになる。
庭園の木の陰で涙をこぼしていたのを沙羅が見かけ、声をかけたのがきっかけだった。
後宮の女官として働き始めた頃、結亜はひどいホームシックにかかってしまった。
結亜は十六歳の花嫁選定の儀で帝都にやってきて、そのまま下級女官として後宮で働くことになった。親元離れて慣れない場所に放り込まれ、心細くなっていたところに、女の園につきものの「後輩いびり」に傷ついたのだ。
結亜よりも前から専属薬師として後宮で過ごしていた沙羅は、後宮での処世術を結亜に教えた。
嫌な先輩はそのうち居なくなるのだから絶望したりしないこと。自分も数年で出て行けるのだから辛いことも割り切ること。同期との繋がりは大事にすること。妃嬪にはできるかぎり近づかないこと。目立たず陰の仕事に徹すること。
女官の中には、竜帝に見初められて妃嬪となりたいと願う者もいるが、結亜はそうではなかったので、目立たないように立ち回ることで、先輩たちからのいじめはすぐに止んだ。
竜帝は女官に手を出したことは今まで一度も無く、その事は代々の女官に伝わってはいるのだが、お姉様方は希望を捨てられないらしい。あわよくば子を成して花嫁に――とまでは思っていなくても、数年だけでも妃嬪となり、竜帝に可愛がれたい、贅沢をして女官にかしずかれる生活を送りたい、と夢を見る気持ちはわからないでもない。
仲良くなってから、沙羅は時々こうして結亜の部屋に来ていた。下級女官である結亜は沙羅の住む後宮の奥の方まではなかなか入って来られない。だから沙羅の方が結亜の部屋に向かうのだ。
沙羅にとって結亜は初めての友達だった。後宮にいるのは全員十六歳以上なのだ。身内以外で同じ歳の頃の友人はそれまでできようがなかった。
「花嫁様はね――」
たわいもない話をしばらくした後、沙羅が小さな声で言った。
「昼間も言ったけど、すごく美人。竜帝さまと同じ黒くて真っ直ぐな髪をしていて、儚げな感じ。腰とかもすごく細くて、守ってあげなくちゃって思うような人。竜帝さまが抱き締めたら倒れちゃったんだよ」
びっくりだよね、と沙羅はくすくすと笑った。
結亜は一緒には笑わず、体を沙羅の方へと向けただけだった。
「竜帝さま、すごく喜んでた。私の所に一番に報告に来てくれたんだよ。片割れが見つかったって。ずっと待ってた、やっと会えたって。とても大切な人なんだって」
沙羅は何でもないように言った。
「竜帝さまったら、倒れた花嫁様の前をうろうろして全然落ち着かないの。いつも堂々としているくせに、子供みたいだった。もう二百八十二歳なのにだよ。おっかしいでしょ」
沙羅がまたくすくすと笑う。
そんな沙羅の頭を、結亜は優しく抱き寄せた。
「泣いていいんだよ」
結亜が囁くと、沙羅は結亜にすがりついて、声を押し殺して泣き始めた。
「私ね、竜帝さまの事が好きなの」
泣き終えた沙羅が、仰向けになって天井を見ながらぽつりと言った。体は結亜にぴったりとくっつけている。
「最初は父さんみたいに好きだったの」
「うん」
「私が後宮に来るたびに、たくさん遊んでくれてね。子どもの相手などしたことがない、って言いながら」
「うん」
「初めて背中に乗せてもらったときね、世界って広いんだなって思った。こんな景色を見せてくれる竜帝さまって、実はすごい人なんじゃないかってその時初めて思ったの」
「うん」
結亜は全て知っているのに、相づちだけを打ってくれていた。
「だってね、周りの人は竜帝さまに畏まっていたけど、私にはすごく優しくて、全然恐い人に見えなかったから」
「うん」
「それが従兄のお兄ちゃんをかっこいいって思うような気持ちになって、いつの間にか恋をしてた」
「うん」
「竜帝さまが私だけ特別扱いしてくれるのが嬉しいの。ううん、竜帝さまはみんなに優しいんだよ。竜帝さまが私を特別扱いしてるんじゃなくて、私が竜帝さまを特別扱いしないだけなのはわかってる。だけど、私が竜帝さまの一番なんじゃないかって勝手に思ってた」
「うん」
「でもぜーんぜん違ったんだ。竜帝さまの一番はずっと前から花嫁様だった。会ったこともない人を、ずーっと想いつづけてたんだ。それで、とうとう見つけちゃった」
「うん」
「あんなに嬉しそうに話す竜帝さまを初めて見たの。一番に私に報告に来るなんて無神経だよね。きっと私が白家の筆頭専属薬師だから来てくれたんだ」
「そんなことないよ。竜帝さまは沙羅を特別だと思ってるよ」
「そうだったらいいな、って思ってるよ。だけど、その特別は私が竜帝さまを想う特別とは違うんだ」
沙羅の目からまた涙がこぼれた。
結亜は沙羅が寝付くまで、ぽんぽんと布団を叩いていてくれた。




