第21話 竜帝の求愛
翌日、沙羅は白家の宮ではなく、帝都にある親戚の家の一つに転がり込んだ。
そこは白家の薬の知識を元にした薬膳料理を出す店を営んでいて、沙羅が専属薬師を辞めることになったことを伝えると、看板娘として置いてもらえることになった。
「で、どうしてここにいるんです?」
卓に乱暴に薄い茶の入った茶碗を置くと、沙羅は目を眇めた。
その前に座っていたのは、真っ直ぐな腰まである黒い髪を持つ、きりりとした顔立ちの男。上衣下裳の色は黒と黄だ。
「沙羅を説得しに来た」
「商売の邪魔なんですけど」
あり得ないほどの美形だとか、着ている服が上等すぎるとか、そんなことは些末なことだ。問題なのは、男の目が黄金色であること。一度もその顔を見たことのない下町の住人であっても、一目で誰なのかわかる。
「お仕事はどうしたんですか」
「片付けてきた」
あれから一年。
沙羅はずっと竜帝に戻って来いと言われていたが、断り続けた。さすがに香瀬と結婚はしなかったが、沙羅が片割れだという竜帝の言葉をまともに受けてはいない。
使者や書面での説得では埒があかないと思ったのか、なんと竜帝が直接店に来た。
当然、この場にいる全員が床に平伏していた。立っているのは沙羅と、竜帝の斜め後ろにいる清伽だけだ。閉じられている扉からは誰も入ってこられない。立派な営業妨害である。
「いい加減諦めてください」
「それはできない」
「朴冢宰も何とか言ってください」
「これ以上説得する言葉が見つかりません」
澄まし顔でさらりと言われて沙羅は清伽をにらんだ。最後の砦かと思いきや、あっさりと陥落したらしい。沙羅が花嫁であればよかった、と言っていたのだから当然かもしれない。
一向に譲らない竜帝に、清伽以外の臣下たちも匙を投げていた。竜帝が政務を片付けてくれるのであれば、あいた時間で何をしようが文句はないというわけだ。
白家は歓迎も反対もしなかった。花嫁選定において、竜帝は完全に白家の信用を失っていたのである。長老たちはもうぬか喜びはしたくないらしい。延珠が花嫁ではなく刺客だったと知り、子が出来た喜びで伸びた寿命が縮んだのだそうだ。
先日、今年の花嫁選定の儀が行われた。片割れが見つかったのだからやる必要はない、と竜帝は言ったが、白家はそれには取り合わず、後宮を維持するため、と前回と同じ理由をつけて強行した。
竜帝は誰も選ばなかったので、いつもの通りに見目のいい娘が後宮に妃嬪として入れられ、希望者は女官や衛兵になった。
「花嫁様の所に行ったらどうですか」
「沙羅……」
沙羅の冷たい言葉に、竜帝は眉を下げた。
「わたしの片割れは沙羅なのだ。あの女ではない」
「はいはいそうですか」
延珠は果氷国と繋がっている父親を捕らえるために、いまだ生かして牢に繋いでいるらしい。
あれから数か月してわかったことなのだが、結局延珠は妊娠していなかった。想像妊娠だったそうだ。交わってもいない男の子供ができたわけではなかった。
だからと言って延珠が花嫁ではないという証明にはならない。本当の魂の片割れと竜帝が子を成さない限り、それはわからないのだ。竜帝は竜涎香に惑わされていただけなのだから、その可能性は限りなく低いが。
とにかく竜帝の言葉が全てで、それが信用できない以上、沙羅は自分が片割れだいう竜帝の言を信じることはできなかった。そう願い続けていて一度どころか何度も打ち砕かれたのだ。白家の皆と同様、もうこりごりだった。
「沙羅、どうか後宮に戻って来ておくれ」
「私はもう筆頭専属薬師ではありませんし、薬師でもありませんから」
沙羅はすげなく断った。
「もう一度任命する。わたしの体を任せられるのは沙羅しかいない」
はっ、と沙羅は鼻で笑った。皇帝相手に不遜も甚だしいが、竜帝や清伽が咎めるはずもない。
「何も食べないなら出て行ってもらえませんか。ここは食事処です」
「……食べる。あの日替わり定食とやらをくれ」
竜帝は壁に貼られたメニューを指差した。
「おやっさん、日替わり一丁」
沙羅が平伏している店の主人に言ったが、主人はがたがたと震えているだけで頭を上げようとしない。一介の庶民である主人は、味が気に入らなければ首が飛ぶとでも思っているのだろう。
仕方なく沙羅は自分で作ることにした。
「日替わり定食です」
作りたての食事の載った盆を竜帝の前に出す。
「毒味が必要ですか」
「沙羅が作ったのなら必要ない」
沙羅は清伽を見た。澄ました顔で何も言わなかった。沙羅もさすがに毒は入れていない。少し……いやかなり辛めにしたけれど。
竜帝は沙羅が作った食事をぺろりと食べた。食後に出したお茶をすする。
「美味かった」
「……それはようございました。食べたならとっとと出て行って下さい。お代は宮廷宛てに請求しますんで」
沙羅は店の出口を指差した。
余りにもぞんざいな扱いに、竜帝は引き下がるしかなかった。
「また来る」
「もう来ないで下さい」
数か月後、沙羅は宮廷の薬草園にいた。
何度も何度も何度も来る竜帝に負けたのである。店の主人が。
生きた心地がしないと泣いて訴えられ、これ以上迷惑はかけられない、と辞めるしかなかったのだ。
この分だとどこに行っても来るだろう、と思い、仕方なく宮廷に戻った。例え帝都を出たとしても、黒竜は簡単に飛んできてしまう。
花嫁は偽りだったのだから妊娠するはずもなく、現筆頭専属薬師が妊娠を支えたわけでもない、ということで、沙羅の責任問題はなかったこととされ、処分は取り消しになった。今は専属薬師として宮廷の薬室に勤め、白家の宮で家族と暮らしている。
「沙羅!」
薬草の手入れをしている沙羅に、竜帝が声をかけた。この時間になると竜帝は毎日沙羅に会いにくる。沙羅は適当にあしらっているのだが、竜帝はめげなかった。
「沙羅、そろそろ片割れだとわかってくれないだろうか」
「何度も言っているでしょう? 死にそうになったときにたまたま目の前に居たのが私だったから、そんな風に思ってしまっているだけです。それは思い込みです。雛の刷り込みのようなものです」
「違う」
「介抱したのが鳴伊だったら、同じ事を鳴伊にも言ってますよ」
「そんなことはない」
「戦場では看病してくれた薬師に恋をするって言うじゃないですか」
「それとは違う」
いつもはこの辺で諦めるのに、この日はしぶとかった。
竜帝が調合で荒れた沙羅の手を両手で包み込んだ。
「沙羅、どうかわたしを信じてくれ」
「私、香瀬兄と結婚するんで無理です」
「その話はなくなっただろう」
「いいえ。延期しただけです」
色々あったせいでまだ結婚はしていないが、婚約の解消まではしていなかった。
「仕事の邪魔なんで離してもらえませんか。これは竜帝さまをお守りするために必要な薬草なんです」
「沙羅が側にいてくれるのが一番の薬だ」
「私、もう二十二歳になりました。後宮を出てから薬は飲んでいません。その前から薬が偽物だったんですから、もう後宮にはいられないんです」
「沙羅には竜気があるから大丈夫だ。それにわたしと契れば――」
「嫌だって言ってるでしょう!?」
沙羅は竜帝の手を勢いよく振り払った。竜帝が泣きそうな顔をしたのを見て、思わず後ろを向く。
「私、花嫁かどうか確かめるために子作りをするなんて絶対に嫌です」
「沙羅」
竜帝が沙羅の両肩を優しくつかみ、前を向かせる。
「信じてもらうためには何でもする。どうしたら信じてくれるのだ?」
「子作り以外の方法を考えてください」
沙羅は目をそらした。
そのとき、はっと竜帝が目を見開いた。
「沙羅、わたしの名前を知っているか?」
突然言われた問いに、沙羅は不思議そうに首を傾げた。
「ログアディトゥシュサリス?」
長く発音のしにくいその名を考える素振りも見せずに即答した沙羅に、竜帝が破顔する。
「ああ、そうだ。それがわたしの名だ。沙羅はなぜそれを知っている?」
「なぜって――」
自分の国の皇帝の名前だ。知っているに決まっている。
「誰に聞いた?」
誰に聞いたんだろう。父さん? 母さん? それともお婆ちゃん?
「覚えていません」
「誰からも聞いていないはずだ。文献にも載っていない」
「文献にも?」
確かに、沙羅が読みあさった文献の中には竜帝の名前についての記述は見あたらなかった。「竜」「黒竜」「皇帝」「竜帝」とは書いてあったが……。
「わたしの名を知るものは下界にはいない。わたしが誰にも教えていないのだから」
「じゃあ、なんで私……」
「魂に刻まれた名だからだ、沙羅。わたしの魂の半分を持っているから知っている」
「そんなわけ――」
本当に? 竜帝の名は沙羅しか知らない?
沙羅は竜帝の目をじっと見つめた。竜帝が見つめ返してくる。竜帝の手が沙羅の頬に添えられた。
「わたしの目を怖がらないのも、竜の姿を怖がらないのも沙羅だけだ。わかるだろう? 沙羅しかいないのだ」
「そんなの……理由になりません」
沙羅はうわごとのように呟いた。視線は竜帝に絡め取られたままだ。
「沙羅。わたしの魂の片割れ。待ち望んだ花嫁。もうわたしを独りにはしないでおくれ」
竜帝の両腕が沙羅の背に回り、抱き寄せられる。
どくん、と沙羅の心臓が跳ねた。
黒竜の背に乗っているときと同じだ。竜帝の体は温かく、ぎゅっと強く抱き締められているのに優しく包まれているような感じがした。
花嫁選定の儀を終えて、毎年寂しそうな顔をしていた竜帝を思い出す。
きゅぅぅと胸が締めつけられた。
もうあんな顔は見たくない。
だけど――
同時に、花嫁が見つかった、と嬉しそうに笑った竜帝の顔も思い出してしまう。そう、ちょうど薬草園で言われたのだ。
あのとき、沙羅は胸の痛みを押し殺して祝いの言葉を返した。
竜帝と花嫁が寄り添う姿を見続け、それでも想いを捨てられなかった。
そして一年前、竜帝に娘のようなものだと言われ、やっと想いに蓋をしたのだ。竜帝が死にそうになったことで溢れた想いも、この一年できれいにしまい直した。
沙羅は竜帝の胸をそっと押した。
「ごめんなさい。私、香瀬兄のことが好きなんです」
これ以上傷つきたくなくて、沙羅は嘘をついた。
見上げた竜帝は傷ついたような顔をしていた。
「ではわたしは、また二百年待つのだな。沙羅の魂が流転するまで」
竜帝は沙羅を離すと、泣きそうな顔で言った。
沙羅の胸がずきりと痛んだ。
竜帝が薬草園からいなくなったあと、がさりと背後で音がした。
びくりと首をすくめて振り向くと、そこにいたのは沙羅の従兄であり婚約者である人物だった。
「まさか沙羅が俺のことを好きだったとはな」
「え、や、あの、それは……」
「わかってるって」
香瀬は沙羅が世話していた薬草に手を伸ばした。若葉を茎から丁寧に取っていく。
「どこから聞いてたの?」
「竜帝様のことを怖がらないのは沙羅だけ、ってあたり」
では名前のくだりは聞いていないのか。
「悪いな、立ち聞きするつもりはなかったんだけど。そろそろお戻りになるかと思って」
「ううん。仕事の邪魔してきたのはあっちだから」
ぷっと香瀬が吹き出した。
「竜帝様を邪魔扱いできるのも沙羅だけだぞ」
「竜帝さまは……父さんみたいなものだから」
竜帝さまにとって、私は娘のようなもの。
香瀬が沙羅の方にちらりと視線を向けた。
「そんな顔して言われてもなぁ……」
「え? 何? 聞こえなかった」
「なんでもない」
香瀬は今度はきちんと沙羅へと向き直った。
「沙羅、そろそろ結婚しようか」
「え!?」
沙羅が驚いて手を止め、勢いよく香瀬を見た。
「驚くことないだろ。俺たちは婚約者なんだから。あれからもう一年たつし、事件も落ち着いた。いい頃合いだと思わないか? 沙羅も二十二だ。立派な嫁ぎ遅れじゃないか」
結婚。
このまま香瀬兄と結婚して、香瀬兄との子供を産むの?
――もう独りにはしないでおくれ。
沙羅は香瀬の顔をじっと見つめた。
「香瀬兄は、竜帝さまの名前って知ってる?」
急に振られた問いに、香瀬は首をひねる。
「竜帝様のお名前? そういや聞いた事ないな。考えもしなかった。そうだよな、竜帝様だってお名前をお持ちだよな」
「そう……香瀬兄は知らないんだ……」
竜帝が沙羅しか知らないと言ったのは、きっと本当なのだ。
つい先ほどの竜帝の顔が目に浮かぶ。寂しそうな、悲しそうな、泣きそうな顔。
もし間違いだったとしても――。
「……ごめん。私、香瀬兄とは結婚できない」
沙羅は竜帝の向かった方へと走り出した。
「あーあ。ったく、損な役回りだよなぁ……」
取り残された香瀬が一人ごちた。




