第20話 竜帝の想い
「やっと二人で話せるな」
「竜帝さま、もうお休みになって下さい。傷に障ります」
沙羅は溢れた血を拭き取り、薬を塗り直した。
「言っただろう。沙羅に話があるのだ」
真剣な顔で言われ、沙羅は口つぐむ。
「もっと近くに」
竜帝に言われ、沙羅は片手で布を押さえたまま、竜帝の頭の方へとにじり寄った。
竜帝の顔が少し和らいでいる。霊薬が効いてきているのだ。ほっと沙羅は息をついた。
「わたしが誰に傷を負わされたか知っているか」
沙羅は答えるのを躊躇った。
魂の片割れに刺されたなんて、さぞかしショックだっただろう。しかも竜殺石だ。明確な殺意があったとしか思えない。
だが竜帝はじっと沙羅の返答を待っている。沙羅はおずおずと口にした。
「花嫁様、ですよね」
「あれは片割れではなかった」
「なら一体誰がこんなことを……!」
沙羅は刺された瞬間を目撃したわけではない。花嫁が横にいたのを見ただけだ。
犯人は別にいるというのか。
「そうではない」
竜帝はゆるゆると首を振った。
「あの女は片割れではなかった」
「……え?」
延珠が花嫁ではなかった?
「竜涎香だ」
「竜涎香って、あの竜涎香ですか? でもあれ幻の品じゃ……」
つい先日文献で読んだばかりだ。竜にとってのマタタビのような物だが、実在しないと書いてあった。
「あるのだ。本当に。それを使われた」
延珠から香ってきたいい匂い。そして部屋に立ちこめていた甘い香り。あれがそうだというのか。
「毒消しの薬が香の効果も打ち消したのだろう。あのような物に騙されるとは、わたしは自分が情けない」
竜帝がため息混じりに言った。
「沙羅が薬を作っている間に冢宰から報告を受けた。付き人が自供したそうだ。あの女は、元々わたしを殺すために近づいてきたのだ」
「竜帝さまをですか!?」
そんな風には見えなかった。沙羅には延珠が竜帝を心から慕っているように見えていた。
「果氷国の刺客だ」
だから竜殺石を持っていたのか。
「国境に行くなと言ったのも、戻ってきたわたしに取りすがったのも、わたしの邪魔をするためだったそうだ。わたしの心配など露ほどもしていなかったのだろうな」
竜帝が自嘲する。
治療の邪魔だと沙羅が思っていたのは正しかったのだ。延珠はわざとそうしていた。薄情な女、と言った時のあの表情も演技だったのだろうか。
「でも花嫁様は妊娠されましたよね?」
竜は片割れとしか子を成さない。子ができたということは、すなわち片割れだということだ。
竜帝が口を歪めた。
傷口が痛むのかと沙羅が確かめると、傷は塞がってきていた。広がっていた紫色の範囲も狭くなってきつつある。
「あれはわたしの子ではない」
「んなバカな」
後宮は男子禁制だ。今は緊急事態だから別として、普段は竜帝しか入ることはできない。
そして延珠は最近は後宮から出ていたようだが、ずっと竜帝と一緒にいたはずだ。いつそんな隙があったのだろうか。
そりゃあ、まあ、一瞬あればなんとかなるのかもしれないけれど……。
経験のない沙羅には、男性の生理のことはよくわからない。
「付き人が妊娠させたそうだ」
竜帝がため息をついた。
「あの付き人さん、男の人だったんですか!?」
女性にしか見えなかった。
というか、後宮に入るときに検査があるはずだ。男だとしても宦官でなければ入れない。ついていなかったということではないのか。それに、ついていようとなかろうと、若い女性でなければ後宮には何日も留まれないはずだ。
「そんなわけないだろう」
呆れたように言われた。
「外で入手した物を、あの女が寝ている間に……」
「男の人のを部屋に持ち込んで、花嫁様の……ってことですか!?」
なんて事をするのか。てかそれで妊娠ってできるものなんだ。
「寝てる間って……それってまさか……」
「ああ。付き人が勝手にやったことで、あの女は知らなかったらしい」
「うわ……」
知らない間に誰とも知らない相手の子供を妊娠させられたなんて。怖い……。
「腹の子は本当にわたしの子か、と聞いたら刺された」
妊娠したと報告した女性に男が絶対に言ってはいけない言葉である。
「それは……刺されても仕方ないのでは……? 花嫁様は知らなかったわけですし」
「実際違っただろう。それにあの女は刺客なのだからどのみちいつかは刺されていた」
それはたまたま竜帝の勘が当たっただけでは。
「わたしには確信があった。竜の子かそうでないかくらいわかる」
それはどうだろう。
そう思いながら、沙羅は傷口をまた確認した。さっきよりも塞がってきている。壊死していた部分も、下から新しい肉が盛り上がってきていた。
沙羅は霊薬を塗り直し、布を当てて竜帝の顔を見る。
「ということは、花嫁様探しは継続ってことですか?」
「いや、片割れはもう見つかった」
「え?」
竜帝が沙羅の顔に手を添えた。
「沙羅がわたしの魂の片割れだ」
……ん?
「えぇと、竜帝さま」
沙羅は小さく手を上げた。
「私、今年二十一になりました」
「知っている」
「魂の片割れだとわかるのは十六からでは? 私ずっと後宮にいましたけど」
「そうだな。沙羅はずっとわたしの側にいた」
意味がわからない。
「沙羅は薬を飲んでいただろう」
「薬? 竜気の影響を減らすためのですか?」
「そうだ。それが沙羅の竜気も抑えていたのだ」
「今朝も飲みましたけど」
「それは偽物だ。あの女がすり替えた。沙羅を後宮から追い出すために」
忌々しい、と竜帝は吐き捨てた。
「そんな馬鹿な」
すり替えられたら味でわかるはずだ。沙羅は薬師なのだ。
「事実そうなのだ。今は僅かだが竜気を感じる。沙羅が片割れで間違いない」
「……そう言って間違えたじゃないですか」
竜帝がまた眉を下げた。
「それを言うな。今度は本物だ」
「どうでしょうね」
沙羅は目を眇めた。
「沙羅。子どもの頃から迷子になった沙羅を見つけてきたのはわたしだろう。先ほども沙羅を見つけられたのは竜気があったからなのだ」
竜帝は真剣な顔をしていたが、沙羅は疑わしく思っていた。
そんな都合のいいことがあるわけがない。あってたまるか。
「今まで何とも思っていなかったくせに都合が良すぎませんか。竜帝さまは私の事を娘のように思っていると言いました」
竜帝が困った顔をした。
「それも……沙羅に惹かれた結果だ」
よくもまあ、ぬけぬけと。
ふつふつと怒りが湧いてきた。
刺されるまで花嫁にべったりだったくせに、沙羅を異性として見ていなかったくせに、今になって沙羅が魂の片割れだって?
沙羅の目がどんどん据わっていく。
「どうしたら信じてくれるのだ。沙羅はわたしの事が嫌いか」
「ええそうですね。今嫌いになりました」
竜帝が泣きそうな顔をした。
そんな顔をしたって駄目だ。
「沙羅、そんな嘘をつくな。そなたはわたしの片割れだ。惹き合うと言っただろう」
「はぁ?」
気安さを通り越した無礼千万な声だったが、もうどうでもよかった。
沙羅は今まで散々泣かされてきたというのに、当然自分の事が好きだろう、というこの態度。
「私、香瀬兄と結婚することになっているので」
かなり血色が良くなってきていた竜帝が、さっと顔色を変えた。
「だめだ」
竜帝は勢いよく上半身を起こして沙羅の腕をつかみ、うっと痛みに呻いて後ろに倒れた。
「他人の結婚に口出さないでもらえますか」
「他人ではない」
「他人です」
「片割れは他人ではない。沙羅はあの男の事が好きなのか」
「ええ。好きです。香瀬兄は優しい人です。私を大切にしてくれると思います。――竜帝さまとは違って」
沙羅が冷たく言い放つ。
「わたしだって沙羅を大切にする。片割れなのだから」
「その片割れって、竜帝さまが言ってるだけですよね。証明できるんですか?」
「できる。子を作ればいい」
「は? 嫌です。絶対嫌です。それで違ったらどうしてくれるんですか」
証明のために子作り? するなら証明してからだ。
「ていうか、花嫁様の赤ちゃんが竜帝さまの子じゃないって言ってるのも竜帝さまだけですよね。付き人さんのせいで妊娠したとは限らないじゃないですか。嘘をついているのかもしれません。本当は竜帝さまの子どもなのかも」
やることはやっていたのだ。違うとは言い切れない。
「絶対に違う。あの女は片割れではないのだ。わたしの片割れは沙羅だけだ」
「はいはいそうですか。そう思ってればいいんじゃないですか。お一人で」
「沙羅、わかってくれ」
「竜帝さま」
沙羅は大きくため息をついた。
「竜帝さまは一度間違えたんですよ? 白家がいくら花嫁様は違うんじゃないかと言っても聞かなかったですよね。信用できると思います?」
「沙羅はわたしが信じられないと言うのか」
「さっきからそう言ってるじゃないですか。そんな簡単にころころと言うことを変える人を信じられるわけがありません」
竜帝がまた泣きそうな顔になった。
「沙羅、どうかわたしを信じてくれ。ずっと待ち続けていた。やっと見つけた魂の片割れなのだ」
「……それ、花嫁様にも言ってましたよね」
「沙羅、幼き頃、片割れになってくれると約束しただろう」
沙羅は絶句した。
先に約束を破ったのは竜帝の方だ。
いや、竜帝は、考えよう、と言っただけのだから、破ったわけではないのかもしれない。約束通り考えたのだろう、沙羅が十六歳になった時に。そして違うと判断した。
思い返せば、考えるなどと曖昧な表現を使われたことにも腹が立つ。竜帝は、沙羅が片割れである可能性はないと思って曖昧に濁したのだ。
沙羅は何も言わずに傷口を押さえていた布を取り、様子を確かめた。
出血は止まっていた。紫色の腫れはむしろひどくなっているものの、その範囲はかなり狭くなっていて、毒の効果も弱まっているようだった。ひとまず安心していいだろう。
沙羅の霊薬が効いたのかはわからない。切立花を採りにいかなくても変わらなかったかもしれない。
だがそんなことはどうでもよかった。竜帝が今無事であることが大事なのだ。
沙羅は傷口にもう一度薬を塗った。
「血は止まったようです。伯父様たちを呼んできますね」
「沙羅、まだ話は終わっていない」
「これ以上話すことはありません」
伸ばされた手を優しく――相手は病人だ――払い、沙羅は足を引きずりながら退出した。
沙羅は隣室で待機していた伯父や清伽たちを呼び、そのまま竜帝の部屋へは戻らず、自室に戻った。




