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【Web版】竜帝さまの専属薬師  作者: 藤浪保


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第19話 沙羅の霊薬

 じくじくとした腹の痛みで竜帝は目を覚ました。


「竜帝様。気がつかれましたか」

「わたしは一体……」


 そう呟いて、自身に起こったことを思い出す。


 腹を刺されたのだ。よりによって片割れに。


「竜殺石で刺されたのでございます。霊薬と毒消しをを使いましたが、毒が残っていてなかなか血が止まりません」


 説明したのは白家の男だった。沙羅の父親の兄だったか。誰が刺したのかは口にしなかった。


 竜殺石。そんなものをなぜ片割れが。


「沙羅は?」


 心配そうな顔をしている面々を見回して、竜帝は(たず)ねた。薬師、筆頭女官、冢宰(ちょうさい)はいるが、沙羅がいない。


「苦しむ竜帝様を見ていられない、と言って出て行きました。筆頭専属薬師はここに」


 言ったのは沙羅の父親だった。背中を押されて前に進み出たのは、青い顔をして震えている娘。このところ沙羅の代理を務め、本日付で筆頭薬師となった薬師だ。

 

「いい。沙羅を呼んでくれ」


 女官長がうなずくと、隣にいた上級女官が部屋を出ていった。


 筆頭薬師に用があるのではない。沙羅の顔が見たかった。


 腹の傷がひどく痛むが、全く何やってんですか、と沙羅が軽口を叩いたなら、少しは楽になれるのではないかと思った。


 先ほど沙羅は涙を流していた。泣いている沙羅を見るのは何年ぶりだろう。泣き虫だった沙羅はいつの間にか大きくなっていた。


 しばらくして女官が戻ってきた。しかし沙羅を伴ってはいない。


 女官が耳打ちをすると、女官長が目を見開いた。(うまや)、という言葉が聞こえた。


「どうした」

「それが……」


 女官長の目がさまよう。


「言え」

「白沙羅がどこにも見当たりません」


 沙羅がいない?


「まさか――」


 声を上げたのは沙羅の父親だった。それ以上言葉は発しなかったが、竜帝はその男が何を考えているのかを察した。


 そして、沙羅が後宮に――宮廷にはいないのだと直感した。


 ざわざわと竜帝の胸が騒ぐ。


 竜帝は体を起こした。


 巻いた包帯がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。


「いけません。安静にして頂かないと……!」

「触るな。わたしのことはいいから沙羅を探せ!」

「そういう訳には参りません」


 竜帝の言葉だというのに、薬師だけでなく、女官長、冢宰までもが竜帝を押さえにかかった。


「沙羅は私どもが探します。ですからどうか安静になさってください」

「うるさい。そこを退()け。命令だ!」


 竜帝の眼光が鋭くなった。刺すような視線に、彼らはたまらず後ずさってしまう。


 竜帝が本気で怒れば耐えられようもない。見えない竜気がぶわりと広がり、その場の――特に男たちの皮膚がちりちりと痛んだ。うっと吐き気をこらえる(うめ)き声がした。


 竜帝は痛む腹を押さえて寝台から降りると、制止の声を無視して部屋を横切り、廊下に出た。


「竜帝様、何をなさるおつもりですか。どうかお戻りください。傷は浅くはないのです」


 追ってきた彼らは口々に言ったが、竜帝の一睨(ひとにら)みで口を閉じた。


 竜帝は中庭に出た。


 ここにきて、彼らは竜帝が何をしようとしているのかを悟った。


「お止めください! 沙羅はどこかにおります。お戻りください!」

「竜帝様、お止めください!」


 懇願に近い彼らの言葉を振り切って、竜帝は黒竜へと(へん)じたかと思うと、空へと舞い上がった。


 ばさりと羽ばたかれた翼が、竜帝を止めようと寄っていた彼らの体を打つ。


「竜帝様っ!」


 叫び声は、黒竜の耳には届かなかった。




 沙羅。沙羅。沙羅。


 黒竜のわき腹の鱗は大きく割れ、血が(したた)り落ちていた。翼を動かすたびに、ずきずきと全身に痛みが走る。


 沙羅。沙羅。沙羅。


 きっと沙羅は切立花を採りに行ったのだろう。より効能の高い霊薬を調合(つく)るために。


 それは推測でしかなかったが、竜帝には沙羅のいる方角がわかっていた。


 大雨の中、夜一人であんな危険な崖に行くなど無謀が過ぎる。


 迎えに行ってやらなければ――。


 沙羅が迷子になったとき、探し出すのはいつも竜帝だった。


 竜帝が見つけると、目に涙をためた沙羅はぱちくりと一度(まばた)きをしたあと、大泣きするのだ。


 泣く沙羅をだっこしてあやしながら宮廷まで戻るのが竜帝の役目だった。


 竜帝が意識を取り戻し、気力を振り絞ったことで、空を覆う分厚い雲は急速に晴れていった。




 沙羅はここだ。


 そう思ったその場所は、崖のある山を通り越した向こう側だった。明かりの一つも見えず、沙羅がいるはずもない場所だ。


 だが、竜帝は確信していた。


 竜帝はふわりとその場に降り立った。





 木の幹に寄りかかって座っていた沙羅は、寒さでがたがたと震えていた。このままここにいたら死んでしまうだろう、とぼんやりと思った。


 竜帝さま。ごめんなさい。何もできなくて。ごめんなさい。


 そう呟いたとき、ばさりと羽音が聞えた。


 沙羅が空を上げると、いつの間にか雨は止んでいて、満月が見えていた。その大きな月を背景にして黒竜が飛んでいた。


「竜帝さま……?」


 沙羅が見ている前で黒竜は地に降り、人の形を取った。


「沙羅っ!」


 竜帝が駆け寄り、膝を落として沙羅を抱き寄せた。


「こんなところにいたか。探したぞ。こんなに冷たくなって。怪我はしていないか」


 黄金の瞳が心配そうに沙羅を見ている。


「竜帝さま?」


 顔に手を添え目を(のぞ)き込んでくる竜帝に、沙羅が問う。幻を見ているのではないかと思ったのだ。


「ああそうだ。迎えに来た。帰ろう」

「本当に、竜帝さま?」

「そうだと言っている」


 沙羅はぱちぱちと目を(またた)かせたのち、はっと我に返った。ここに来たということは、傷は治ったということなのか。


「お腹の傷は!?」

「大したことはない」

「治ったんですか?」

「いや……治ってはいない」


 竜帝は目をそらした。


 沙羅は、顔を下に向けて竜帝の体に目を走らせると、悲鳴を上げた。


 上半身に巻かれた包帯が真っ黒になっていた。もはや黒い包帯を巻いているようにしか見えない。太陽の光の下では真っ赤に見えるに違いなかった。下半身の衣服が濃い色のためわからないが、絶対に服も血だらけだ。


 包帯に覆われていない所には紫色が軟体生物のように広がっていて、それは首元まで達しようとしていた。


「こんなにひどい傷なのに、どうして来たんですか!」

「沙羅が心配だったからだ」


 竜帝が困ったような顔をした。


「これくらいの傷、大したことはない」

「いやいやいや、大したことありますよね。まだ血が止まっていないでしょう!?」

「沙羅が無事ならそれでいい」

「よくない!」

「もう来てしまった」

「それはっ……そうですけど……!」


 それ以上何も言えなくなった沙羅の腕を竜帝がつかみ、沙羅を立たせた。


(いた)っ」


 うっかり右足に体重をかけてしまった沙羅が声を上げる。


「どうした!? 怪我をしているのか。どこだ」

「竜帝さまに比べたら大したことはありません」

「右足が腫れているな。痛むか」

「……体重をかけなければ痛くありません」


 皮肉が通じなかった沙羅は、素直に答えた。


「乗れ」


 竜帝が背を向けた。梯子(はしご)がないから、小さいときのように()ぶってから竜の姿になるということなのだろう。


 だがそれを沙羅は断った。


「乗りません」

「なぜだ」


 振り向いた竜帝が言う。


「これだけ持って行って下さい。切立花です。鳴伊(めい)に霊薬を作らせてください。最高の花を集めました。(なま)ですからずっと効き目はいいはずです」


 沙羅は鞄を竜帝へと差し出した。ここまで来れたならもう必要ないかもしれないけれど。


「私がいない方が竜帝さまに負担がかかりませんよね。いいから行って下さい」

「わたしは沙羅を迎えに来たのだ。早く乗れ」

「乗りません」


 強情な沙羅に竜帝が眉を寄せる。


 かと思うとその輪郭がぼやけ、黒竜に変わった。


 沙羅が無言で鞄を差し出す。


 黒竜はそれに顔を近づけ――。


 ぱくりと沙羅の服をくわえた。


「え? え? ええ!?」


 沙羅が動転している間に、黒竜は沙羅をひょいっと持ち上げて背中へと乗せた。


「ちょ、ちょっと竜帝さま!」

「沙羅一人乗せても変わらない。――落ちるなよ」


 沙羅が答える前に、ふわりと黒竜が浮き上がってしまった。


「……落とさないで下さいね」


 沙羅はそう言うしかなかった。


 温かく優しい感触が沙羅を包み込む。幼い頃に竜帝に抱っこされたときのような安心感。


 沙羅の目から涙が落ちた。


「どうした。傷が痛むのか」

「違い、ます」

「ならなぜ泣く」

「安心っしたら、急に」

「そうか。沙羅は迷子になるといつもそうだな」


 くくっと黒竜は笑った。


 子ども扱いをされた沙羅は、むぅと口をとがらせた。


 そうではない。独りで途方に暮れていた所を見つけてもらえたことではなく、竜帝が無事だったことに安心したのだ。


「竜帝さま、私、竜帝さまのために切立花を採りに行ったんですよ」

「知っている」

「じゃあなんで来たんですか。私が来た意味ないじゃないですか」

「無茶をするな」

「私は竜帝さまの筆頭――元筆頭専属薬師です。竜帝さまのためなら無茶でも何でもします」


 自然と筆頭専属薬師という言葉が口をついて出た。もう、筆頭専属薬師どころか、薬師でもないのに。


「沙羅、このような無茶はもうしないと言ってくれ」

「嫌です。竜帝さまに何かあったら何度でもします」


 沙羅は黒竜の首に顔を寄せた。


 大好きな人。一番大切な人。


 この人のためなら死んだっていい――。


「沙羅……」


 黒竜は、呆れたような諦めたような声を出し、それきり口を閉じた。




 黒竜が戻って来るのを見て、薬師や女官、冢宰(ちょうさい)たちが中庭に集まった。


 その中心へふわりと降り立つ黒竜。


 とろりと黒竜の輪郭が溶けたかと思うと、竜帝に背負われた沙羅が現れた。竜帝がそっと沙羅を降ろす。


「竜帝様っ! お早く寝台へ!」

「わたしのことはいい。まず沙羅の手当てを。足を怪我している」

「そういうわけにはいきません。お早くお戻りください」

「わたしは沙羅の手当てが終わるまでは寝台に入らない」

「何を仰いますか!」

「わたしの言葉が聞けぬのか」


 竜帝が言い(つの)った冢宰をにらみつけた。


「沙羅っ! 何をやってるんだ!」


 沙羅を怒鳴りつけたのは父親だった。


 沙羅はそれを無視した。怒られるのは後でいい。


鳴伊(めい)、切立花を()ってきた。竜帝さまに霊薬を調合(つく)って差し上げて」

「は、はいっ」

「駄目だ」


 鞄ごと切立花を受け取った鳴伊を制止したのは竜帝だ。


「沙羅の作った薬でなければ駄目だ。他の薬師の物は使わせない」

「鳴伊はちゃんと調合(つく)れます! それに私、今は薬師じゃ――」

「沙羅のでなければ駄目だ」


 沙羅が反論したが、竜帝は聞かなかった。


「いいか、絶対だ。沙羅が作ってくれた薬しか使うな。これは命令だ」


 そう言うと、竜帝の体がぐらりと傾いた。横にいた清伽がそれを支える。


「竜帝様っ!」


 悲鳴が上がった。


 沙羅は走り寄りたいのをぐっとこらえて、父親を見た。


 私の今やるべきことは、薬を調合(つく)ること。


「父さん、薬を調合(つく)るから薬室に連れて行って。私歩けないの」


 父親は無言で沙羅を見つめると、沙羅を()ぶった。


「竜帝さま、すぐに薬を調合(つく)るので待っていて下さい。――大人しく。寝台で」

「……わかった」


 有無を言わさない口調で沙羅が言うと、竜帝は(うなず)いた。


 沙羅の姿が見えなくなった途端、竜帝の体から力が抜けた。清伽が支えきれず、竜帝はその場に崩れ落ちた。顔には脂汗(あぶら)が浮き、高熱を出している。相当な無理をしたのだ。


 臣下たちは急いで竜帝を部屋へと運んだ。




 父親に負ぶわれて薬室に向かった沙羅は、捻挫(ねんざ)の応急手当を受けながら、状態のいい(なま)の切立花で手早く霊薬を調合(つく)った。複雑な工程を流れるようにこなしていく。一緒についてきた鳴伊も手伝った。


 できたのは綺麗なクリーム色の軟膏(なんこう)だ。


 再度父親に頼んで、沙羅は竜帝の部屋へと連れて行ってもらった。


「竜帝さま、お薬ができました」

「さら……」


 寝台で横になる竜帝はひどくつらそうだった。


 額を濡らした布で冷やしているが、逆に顔が青白い。伯父が腹にあてた布を押さえていた。その布はすでに赤くなっている。


 沙羅は思わず顔をしかめた。痛々しい。


 できたばかりの霊薬を手に、竜帝のわき腹の前に立つ。


 伯父が押さえていた布をよける。


 傷口を見て、沙羅は泣き出しそうになった。出血はだいぶおさまっていたが、それでも流れ続けており、毒の影響で傷の周りはもうどす黒くなっていた。ほとんど壊死(えし)している。


 こんな傷を(かか)えて迎えに来てくれたなんて――。


 沙羅は霊薬を傷口をふさぐように塗った。触れるたびに竜帝がうめく。肌が熱を持っているのがわかった。


 差し出された新しい布で傷口を押さえる。


 これで治らなかったらどうしよう。


 沙羅は竜帝の傷を治す霊薬を作るために崖へ向かったのだ。なのに竜帝に無理をさせ、余計に消耗させることになった。


 できる限りのことはしたが、沙羅の作った霊薬が効く保証もない。


 それなのに。


 沙羅は唇を()んだ。


「そんな顔をするな」


 かすれた声で竜帝が言う。


「お前たちは下がれ。沙羅に話がある」

「そういう訳には参りません」


 清伽が即座に拒否した。


「下がれ」

「いいえ、私はお側を離れません」

「くどい」


 そう言った竜帝の眼光は、毒に(おか)され重傷を負っているとは思えない鋭さだったが、清伽は引かなかった。


「せめて医術に()けた者だけでも――」

「筆頭薬師の沙羅がいるのだ。不足はない」

「ですが――」

「下がれ」


 沙羅は竜帝を不安そうに見た。


「伯父様だけでもいてもらいませんか」

「沙羅、二人だけで話がしたいのだ。――お前たちは下がれ」

「そのご命令は聞けません」


 竜帝は引かなかったが、清伽もまた引かなかった。


「そうか」


 そう言って、竜帝は体を起こそうとした。


「竜帝さま!?」

「竜帝様、何を……!」


 慌てて周囲の者が寝かせようと手を出す。


 竜帝はそれらを払いのけた。


「お前たちが出て行かないのならわたしが出て行く。沙羅、行くぞ」

「ダメです、竜帝さま。安静にしていないと!」


 沙羅も制止したが、それでも竜帝は体を起こそうとする。腹の傷から、どぷりと血が(こぼ)れた。


「……わかりました」


 竜帝のとんでもない行動に、清伽が折れた。


「隣の部屋で待機しております」


 立礼をして清伽は部屋を出て行った。他の者たちも戸惑いながら後に続く。


「沙羅、竜帝様を頼んだぞ」

「はい」


 最後に父親が言い残し、部屋には沙羅と竜帝だけが残った。

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