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【Web版】竜帝さまの専属薬師  作者: 藤浪保


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第18話 沙羅の想い

 瀕死の竜帝に呼応して、外は大嵐になっていた。雨は桶をひっくり返したような勢いで、稲光(いなびかり)が立て続けに光る。ゴロゴロという雷鳴が鳴り止まない。


 そんな中、ランプ一つで馬を駆るのは正気の沙汰(さた)ではなかった。


 だが沙羅は尋常ではない集中力で馬を操った。馬の方も野生の勘が働いたのか、普段よりも随分と時間がかかってしまったものの、どうにかこうにか切立花(きりたちばな)のある崖の上までたどり着いた。


 馬から飛び降りた沙羅は、早速背負っていた荷物からロープを取り出し、両端を自分の体と木の幹にしっかりと結びつける。


 そして崖を降り始めた。


 腰につけたランプだけでは岩の凹凸(おうとつ)がよく見えない。ピカッと光る稲妻が沙羅を導いた。


 焦りと雨で手の中のロープが滑る。岩にかけた足も滑る。


 もはや降りているのか滑り落ちているのかわからない速度だった。


 それでも、切立花が生えている辺りにまで来たところで止まることができた。


 目の前には雨に打たれている二輪の花。だがそれは開ききってしまっている。


「これじゃない」


 その辺りの花を調べて回るが、どれも時期が過ぎてしまっていたり、まだつぼみだったりして、沙羅が求めている状態ではなかった。


 普段でさえ人数を集めて複数人で採りにくるのだ。暗い中、崖を縦に横に移動しながら沙羅の目だけで探すのは無理があった。


 沙羅は唇を噛んだ。顔を(ゆが)めて苦しそうに沙羅の名を呼んだ竜帝の顔が浮かぶ。


 なんとかして見つけなくてはならない。


 もっと下に行けばきっとある。


 薬師は上から順に花を()んでいくのだから、採りにくい下方にはまだ残っている可能性が十分にあった。


 ロープの長さが限界に達した。だがまだ一輪も見つかっていない。


 沙羅は鞄からナイフを取り出し、腰に結んだロープを切った。


 そこからさらに降りていく。


 命綱が無かろうと関係なかった。手を滑らせたら最後、崖下へと真っ逆さまである。しかし何も怖くはなかった。沙羅は今まで落ちたことはなかったし、竜帝が死んでしまうことの方がよっぽど怖かったのだ。


 そうやってしばらく降りた後、ようやく目当ての花を見つけることができた。そっと()んで鞄にしまう。


 手つかずのこの場所ではすぐに必要分が集まった。


 後は登るだけだ。


 だが、これが問題だった。


 視界が悪い。手は寒さにかじかんで、力が入らなくなってきた。手袋をしたままでは上手く岩をつかむことができず、沙羅は手袋を投げ捨てた。


 ロープが垂れている所まで登ると腰にロープを結び直し、さらに登っていく。そのうちに指先から血が出始めた。手のひらもロープにこすられてぐずぐずだ。幸いなことに冷え切った手に痛みは感じなかった。


 急ぐあまりに何度か足を滑らせ、時には腕二本で体を支えることになりながらも、沙羅は着実に崖を登っていった。


 竜帝さま。竜帝さま。


 心の中にあったのは、なんとしてでも竜帝を助けたいという想い。


 最高の状態の生花(なまばな)を使って最高の霊薬を調合(つく)ったとしても、あの傷には効かないかもしれない。


 それでも、自分にできることをしたかった。ただ見ているだけなんてできない。


 歯を食いしばり、かじかんだ手と滑るつま先で体を持ち上げる。


 一度も降りたことのない長い距離を、沙羅はなんとか登り切った。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 地面ににぺたりと座り込み、もう腕は上がらないというほどに筋肉を限界まで使い切った沙羅だったが、ここでじっとしていても意味がない。一刻も早く竜帝の元へと帰らなければ。


 震える太股(ふともも)を拳で叩いて立ち上がると、沙羅は馬に(また)がって帝都へと向かった。




 山道を馬を()って駆け下りていく。無茶な行程だというのに、馬は従順に従ってくれていた。


 間に合え。間に合え。間に合え。


 雨が降りしきる暗闇の中、馬は順調に進んでいた。


 しかし――


「あっ」


 わずかに気が緩んだのだろう。


 曲がりくねる山道を馬が急カーブしたとき、限界まで酷使して力の入らなくなった手が、手綱(たづな)から離れた。そして馬を挟んでいた太股(ふともも)は同じく筋力を失っていて、振られた上半身を支えきれなかった。


 沙羅は馬上から投げ出され、遠心力に従って急な斜面へと落ちた。


「かはっ」


 体が斜面へと叩きつけられ、そのままごろごろと転がり落ちる。


「う、うぅっ……」


 頭をぶつけて気を失う……などということには、幸いにもならなかった。


「早く、行かなくちゃ」


 体を起こした沙羅は斜面の上を見つめた。


 木の枝に覆われた下からは暗くて山道まで見通すことができない。だが、斜面が相当急なことはわかった。


 登れるだろうか。


 登ったところで、馬は待っていてくれているだろうか。馬につけたランプの光が全く見えないことからして、それは望み薄だった。


 沙羅は頭を振った。


 考えるよりも先に動け。なんとしてでも切立花を持ち帰り、薬を調合(つく)らなければならないのだから。


 沙羅は立ち上がろうとして――


「痛っ」


 ――失敗した。


 右足首がひどく痛んだのだ。


 触って確かめると()れていた。折れてはいない。捻挫(ねんざ)だった。


 沙羅は途方(とほう)に暮れた。この怪我でこの斜面を登れるだろうか。


 改めて斜面を見上げる。


 だが、登るしかないのだ。


 右足に力を入れないようによろよろと立ち上がり、沙羅は斜面に取り付いた。


 丈夫そうな草をつかんで体を引き上げる。


「あぁっっ!」


 だが、右足に力を入れたときに、激痛が走った。力の抜けた左足が滑り、沙羅はずり落ちた。


 痛みを(こら)えて何度かトライしたが、少しも進むことはできなかった。急なだけでなく、斜面がぬかるんでいて踏ん張りがきかない。


 だめだ。登れない。


 怪我をしていなかったとしても、登りきることは到底できそうになかった。


 どうしよう。どうしよう。


 竜帝さま。竜帝さま。


「降りればいいんだ……!」


 帝都は山の(ふもと)にある。逆に下っていけば――


 だが。


「どっち……?」


 月も星も分厚い雲に遮られていた。方角を知る手立てがない。


 帝都から切立花の崖に行く道は山をぐるぐると回っている。どこで落ちたのかわからない。帝都が運良く下る方向にあればいいが、反対側だったら逆に遠回りだ。


 かつて見た地図と通ってきた道のりを必死に照合しようとするが、地図自体当てになるものではなかった。


 山で迷子になったときは登るのが鉄則だ。山頂か尾根に出れば方角もわかるし、誰かが助けに来たときに見つけてもらいやすくなる。


 だが、目の前の斜面は登れない。


 今度こそ沙羅は途方に暮れた。


 それでも沙羅は登れる場所を探して斜面に沿って歩いた。手頃な枝をつえに、右足を引きずって。


 それもやがて限界がやってくる。


 濡れた服は重く、冷えた体は思うように動かない。崖の登り降りで筋力も体力も限界だ。


 ついに気力だけでは動けなくなり、沙羅は大きな木の根本に座り込んだ。葉は多すぎる雨を防ぎきれず、ぽたぽたとしずくが沙羅の上に落ちてくる。


 鞄の中の切立花を見た。


 竜帝さま。竜帝さま。


 ようやく自分の行いが無謀だったことに気がついた。せめて誰かについて来てもらっていたのなら。


 竜帝さま。竜帝さま。


 どうして自分は竜帝から離れてこんなところにいるのだろう、と思った。


 側にいればよかった。


 竜帝さま。竜帝さま。


 他にもできることがあったんじゃないか。


 竜帝さま。竜帝さま。


 どうか、どうかご無事で。


 沙羅は拳を片手で包んで握りしめた。


 この無茶が無駄になればいい、と強く願った。

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