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【Web版】竜帝さまの専属薬師  作者: 藤浪保


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第17話 今の自分にできること

 延珠(えんじゅ)が懐妊したとの知らせが宮中を駆け巡ったのは、それから幾日(いくにち)()たない時だった。


 宮廷内は一気にお祝いムードとなった。


 花嫁が見つかり、すぐにできると思っていた子が、ようやっとできたのである。期待を裏切られて落胆したあとの喜びはひとしおで、白家の長老たちは寿命が数十年は伸びたのではないかと思う程に元気にはしゃいでいた。


 そんな中、沙羅に向けられたのは厳しい目である。


 当然だ。子ができないように沙羅が毒を盛っていると延珠が言い、専属薬師から外してみれば懐妊したのである。本当に沙羅がやっていたかのように見える。


 朝廷では罰するべきではないかという意見が上がった。竜帝の伴侶(はんりょ)を害したとなれば死刑が妥当だ。


 当然白家はそれに反対する。大喜びをした長老たちも沙羅は潔白だと主張した。誰も沙羅を疑う者はいなかった。いくら沙羅が竜帝を想っていたとしても、嫉妬(しっと)でそのようなことをする人間でないことは皆わかっていたのである。


 竜帝もそうだった。こればかりは延珠に泣かれても(がん)として聞かなかった。沙羅がそのようなことをするはずがない、ただの偶然だった、と。それは清伽(せいか)も同様で、竜帝と冢宰(ちょうさい)が耳を貸さなかったため、沙羅は刑罰を受けることを(まぬが)れた。


 だが、このまま筆頭専属薬師に復帰させることは、さすがにできない。


 沙羅は刑罰を受けるまでには至らなかったが、花嫁を妊娠させるための薬が上手く作れていなかった、という名目で、責任をとらされることになった。専属薬師の地位の剥奪(はくだつ)である。


 筆頭専属薬師を、ではない。専属薬師を、だ。


 つまり、鳴伊(めい)にその役目を譲るだけではなく、薬師でいられなくなるのだ。今のような一時的なものではない。これから一生、沙羅は薬師の仕事ができなくなる。


 その決定を白家は飲んだ。実質減刑である。沙羅が延珠の妊娠を実現できなかったのは事実だ。タイミングの問題だったとはいえ。


 自室にいた沙羅にそれを伝えたのは鳴伊だった。


「沙羅姉さま、ごめんなさい。私がいたから……私のせいで……」


 鳴伊は涙を流しながら言った。


「鳴伊のせいじゃない。どのみち筆頭は辞めるつもりだったもの。その時に責任を問われる可能性はあった。これはおめでたいことだよ。鳴伊のせいじゃない。だからそんなに泣かないで」

「でも……だって……」

「鳴伊は名実ともに筆頭専属薬師になったんだよ。もう見習いでも代理でもない。鳴伊が竜帝さまをお守りするの。わかるよね?」

「姉さまがいないと……私……まだ無理だよぉ……」

「大丈夫。鳴伊なら大丈夫。私の代わりに、竜帝さまを守ってね」


 抱き締めた沙羅の胸の中で、鳴伊はわんわんと泣き続けた。


 沙羅の心は不思議と()いでいた。


 筆頭専属薬師を引退した後も、宮廷で専属薬師として働けると思っていた。働きたいとも思っていた。子供を産んでからもずっと。


 それが叶わなくなったことへのショックはなかった。


 もう全てがどうでもよくなっていた。


 竜帝に引退を告げ、結婚の祝いの言葉をもらったときに、沙羅の中の何かが壊れてしまったのだ。薬師としての誇りも情熱も失っていた。竜帝のために、と思っていた気持ちはなくなり、かつての、目の前に伸びる薬師の道をただ歩いていくだけの自分に戻っていた。


 白家の血を繋ぎ、娘が生まれれば立派な筆頭専属薬師となれるように育てる。


 自分にはそれだけ残っていればいいと思えた。女だからこそできることだ。たとえ竜帝に異性として見られていなくても、沙羅はやっぱり女で、子供を産むことができる。それでいいじゃないか。


 子供ができなければ……まあ、それはその時だ。他の子供たちに知識を教えるくらいのことはできるだろう。


 鳴伊の頭を優しくなでながら、沙羅は部屋を片付けなければな、と思っていた。明日にでも白家の宮に移ろう。




 後宮の自室の寝台の中で最後の夜を静かに迎えていた沙羅に、突然雷に打たれたような衝撃が走った。目の前が真っ白になり、体が強張(こわば)った。


「竜帝さまっ!」


 次の瞬間、沙羅は飛び起きた。寝間着のまま部屋を出て、竜帝の元へと走る。竜帝の私室ではない。花嫁の部屋だ。


 何が起こったのかはわからない。だが竜帝の身に何かが起こったのだということはわかった。


 どくどくと痛いほどに心臓が脈打っているのは、走っているせいだけではない。


 あられもない格好で廊下を全速力で駆ける沙羅に遭遇した女官たちは、慌てて飛び退()き、悲鳴混じりに制止の声を上げたが、沙羅はその全てを無視した。


 巡回している女兵士たちも、相手がついさっきまで筆頭専属薬師であったことに躊躇(ちゅうちょ)している間に、沙羅を素通りさせてしまった。兵士としては失格だが、それだけの気迫が沙羅にあったとも言える。


 沙羅の後を何人かが追いかけたが、沙羅の俊足に追いつくことはできなかった。その速度は沙羅自身でさえ驚くほどのものだったが、本人はただただ竜帝の無事を確かめたい一心であり、そのような些事(さじ)を考える暇はなかった。


 花嫁の私室の扉を守る衛兵に取り押さえられそうになりながらも、沙羅は体当たりで扉を開けた。


「竜帝さまっ!」


 部屋の中には甘ったるい匂いが立ち込めていた。


 視界に飛び込んできたのは、薄暗い部屋の中、倒れている竜帝――。


 顔を両手で挟んでわなわなと震えている延珠には目もくれず、沙羅は竜帝の元へと駆け寄った。


 竜帝はぐったりとしていて意識がなく、その脇腹には小刀が突き刺さっていた。


 鼻腔(びこう)鉄錆(てつさび)の匂いが刺激する。


 沙羅がナイフを引き抜くと、どぷりと血があふれた。


 竜殺石――。


 血まみれのそれは黒い刀身に赤黒い筋が走っていて、一目でそうとわかった。()いだ石に幅の広い革ひもを巻き付けただけの簡素な物だった。


 沙羅の顔が真っ青になった。


 この大きさは異常だ。以前矢尻についていたような小さな石でさえ珍品だというのに、全体が手首から中指までのサイズがある。


 沙羅は悲鳴を上げそうになるのをこらえ、代わりに叫んだ。


「薬を持ってきて! 早く! 鳴伊を呼んで!」


 顔を上げると、沙羅を追いかけてきた衛兵たちが部屋を入ったところで立ち尽くしていた。


「早くなさいっ!」


 そのうちの一人が、沙羅の叱咤(しった)で我に返ると、それが一瞬で彼女たち全員に伝播(でんぱ)して、それぞれに動き始めた。


 薬師を連れてくると飛び出した者、他の衛兵を呼びに行く者、竜帝を寝台へ寝かせようとする者、明かりをつけ始める者――。


「布を用意して! あと水!」


 沙羅は寝台に寝かされた竜帝の衣服を()ぎ、傷の具合を確かめた。竜帝の鼓動に合わせて、血がどぷりどぷりとあふれてくる。その周りは紫色に()れていた。


 シーツで傷を押さえ、圧迫止血を試みる。しかし深く刺された血が止まるはずもない。見る見るうちにシーツが真っ赤に染まっていく。


「ちょっとここ押さえてて!」


 沙羅は女官の一人に圧迫を任せ、部屋の棚の一つに駆け寄った。引き出しから小さな薬壷(やくつぼ)を取り出す。


 霊薬だ。何かあったときのためにと竜帝と花嫁の私室にも置いてある。


 紙で(ほどこ)された封を乱暴に開け、顔をしかめた。綺麗なクリーム色をしているはずが、少し色が濁っている。使った切立花の状態が良くなかったのだ。


 その思考を一瞬で捨て、沙羅は薬を二本の指ですくい取った。


「どいて!」


 とめどなく血をあふれさせる傷口にべったりと塗りつける。


「お願い、止まって!」


 沙羅の願い(むな)しく、出血は続くばかり。それどころか、紫色が傷口からその周囲へとじわじわと広がっていた。


 そこへ、鳴伊(めい)が駆けつけた。


「姉様っ」


 沙羅はその手の薬壷をひったくった。薬室にあった残りの霊薬だった。


 中身を指ですくって竜帝の傷口にたっぷりと塗る。


 薬効なのか、単に軟膏(なんこう)を塗り込めたからなのか、出血が幾分(いくぶん)(やわ)らいだように見えた。


「竜帝さま、竜帝さまっ!」


 沙羅は傷口を押さえながら竜帝の名を呼ぶ。しかし竜帝は苦しそうな顔で気を失ったままだ。その額には脂汗(あぶらあせ)が浮かんでいた。


「鳴伊、代わって」


 鳴伊に圧迫役を代わると、鳴伊が肩に下げていた鞄を受け取り、中身を確認した。片っ端から薬を入れて来たらしい。良い判断だ。


 沙羅は中から毒消し薬の壷を取り出した。果氷(かひょう)国の攻撃があってから常備していたものだ。材料を取りそろえ、あの時に間に合わせで調合(つく)った薬よりも効能が高い。


「鳴伊」


 声をかけられた鳴伊が布をよける。


 そこへ沙羅が薬を塗りたくった。しかし目に見えた変化はない。傷口は酸で焼いたかのようにどろどろに溶けていて、その周りの紫色は濃くなり、すでに胸の辺りまで広がっていた。


 大きな竜殺石だったせいで、体に毒がたくさん入ってしまったのだ。毒消しがほとんど効かず、そのせいで切立花の効果も弱まっている。


「白家の皆を呼んできて!」


 沙羅はおろおろとしている女官長に指示を出した。


「ですが――」

「私たちだけじゃ対処しきれない。つべこべ言わずに早くっ!」


 男子禁制などと言っている場合ではない。人手が足りないのだ。医術の知識も必要だった。




 白家の者が来るまで、沙羅はできる限りのことをした。鳴伊と女官たちに指示を出し、竜帝に毒消しを飲ませ、薬を塗布し、竜帝の体を冷やし、毒に効くというツボを押した。


 誰も沙羅が薬師でなくなったことなど頭になかった。


「沙羅!」


 声とともに飛び込んできたのは香瀬(かせ)だった。その後ろにも薬師が続いている。清伽(せいか)も来ていた。


「竜殺石による刺し傷。霊薬と毒消しを塗った。傷口が侵されてて、毒が広がっている」

「どいてろ」


 そう言ったのは香瀬の父親。沙羅にとっては伯父(おじ)にあたる男だった。医術に詳しい薬師だ。


 沙羅と鳴伊は場所を譲った。


 他の薬師が、用意されていた手桶の水に布を浸し、竜帝の顔の汗を拭っていく。


 伯父が竜帝を()ている間、沙羅は白くなるほどに握った両手を口元に持って行き、がたがたと震えていた。


 その肩に手を回したのは香瀬だ。


「大丈夫。竜帝様がこんなことでどうにかなさるはずがない」

「だけど……!」


 そのとき、竜帝がうめき声を上げた。


「う……」

「竜帝さまっ! 竜帝さまっ!」


 沙羅が声を上げるが、竜帝は苦しそうに(うめ)くだけで目を開けようとはしない。


 沙羅は後悔していた。


 この三ヵ月間、沙羅が薬を扱うことができなかったせいだ。


 どうして専属薬師から外されることになったとき、もっと抗議しなかったの。鳴伊が切立花の採取に行くときに、一緒に行きたいと竜帝さまに直訴(じきそ)しなかったの。どうして……!


 切立花を自分で採りに行っていたら。最高の状態の花を自分で選んでいたら――。


 そのとき、竜帝が薄く目を開けた。


「さら……」

「竜帝さま!」


 顔を(ぬぐ)う者を押しやって、竜帝が上げた手を沙羅が取る。


「沙羅、泣くな。大丈夫だ」


 それだけ言って、竜帝はまた目を閉じた。ぱたりと手が沙羅の両手から落ちる。


 沙羅は悲鳴を上げそうになった。


 それをぐっと飲み込む。


「私、見ていられない……!」


 震える声でそう言って、沙羅は部屋を飛び出した。


「沙羅!」


 香瀬や他の薬師の(とが)めるような声が聞こえたが、沙羅は足を止めなかった。


 自室に戻って服を着替え、調合室で手早く必要な物を集める。そして外へ。


 苦しむ竜帝を見ているのはつらかった。


 だが、それで逃げ出した訳ではない。


 もし竜帝が死んでしまったらと思うと、胸が潰れそうなほど痛かった。本当にそうなったら、心がばらばらに砕けてしまうだろう。


 私にできることはこれしかない……!


 竜帝の側にいて沙羅がやれることはもうなかった。薬師は薬を調合(つく)るのが仕事だ。そのあとは薬が効くのを願うことしかできない。


 沙羅は(うまや)に駆け込んで馬を一頭連れ出すと、切立花の咲く崖へと向かった。

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