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【Web版】竜帝さまの専属薬師  作者: 藤浪保


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第15話 決別の言葉

 数日後、沙羅は後宮の外にある庭園の一つを散歩していた。


 引退と結婚が決まったという衝撃は、結亜(ゆあ)との別れのショックで少し緩和されていた。


 結婚し、筆頭専属薬師でなくなったとしても、沙羅は専属薬師には復帰できるはずだ。子どもができるまではしばらく仕事を続けることができる。


 ならば休んでいる今でしかできないことを、と白家の文献を読むことにした。竜についての本、薬の研究成果、これまでの歴史など、(はく)家の宮で(ほこり)を被っている文献を片っ端から紐解(ひもと)いた。


 竜と人との交わりの歴史は深く、竜が人の形を取ることができるのも、始祖と呼ばれる竜が人間に恋をして結ばれたかららしい。


 他にも、他国の竜や竜族の村の話、竜がよだれを垂らして欲しがるという竜涎香(りゅうぜんこう)、竜にとって触られるのが嫌で嫌でたまらない逆鱗、不老不死の秘薬とされる(たん)は実は毒、竜殺石(りゅうさっせき)は婚約者をさらわれた男が竜への恨みを(つの)らせて石へと姿を変えたもの、なんて本当なのか嘘なのかわからないような話がたくさんあった。


 竜は花を食べるという記述を見つけたときには笑ってしまった。ぼろぼろの古文書にひっそりと書いてあった。特に幼い頃は好んで(しょく)すという。竜帝にも子供っぽい所があったのだ。沙羅がおやつだと思っていたのは正しかった。


 ここのところ体の調子がとてもいいのもあって、気をつけないと()り性の沙羅はついついのめり込んでしまう。だからこうして意識的に休憩を取るようにしていた。


 庭園に生えている植物にも薬効のあるものがある。


 あの木の葉は食中(しよくあた)りの薬。あの草の根はそのまま食べれば毒だけれど処理をすれば頭痛薬になる。


 職業柄、ついついそんな目で見てしまう。自分は根っからの薬師なんだと思った。死ぬまで沙羅から切り離すことはできないだろう。


 と、その背に声がかかった。


「筆頭専属薬師どの」


 振り返ってみれば、そこにいたのは冢宰(ちょうさい)清伽(せいか)だ。竜帝の姿はなかった。清伽はいつも側についているはずなのに。


「お一人ですか」


 言おうとした台詞(せりふ)を清伽が先に口にした。


「はい。暇すぎて散歩中です」


 そう言うと清伽が少し眉を寄せた。多忙な冢宰の前で口にすることではなかったな、と沙羅は内心で謝った。


「筆頭専属薬師どの、よろしければお時間を頂けませんか?」

「別にいいですけど……」


 冢宰が沙羅に何の用だろうか。




 清伽に連れて行かれたのは宮廷の一室だった。応接室のようで、家具は部屋の真ん中に卓と長椅子があるだけだったが、内装は豪華で、高価そうな壺や掛け軸が飾ってあった。


 沙羅はこういった部屋には入ったことがないので、きょろきょろと目線をさ迷わせてしまう。


 宮廷付きの女官がこれまた高そうなお茶を淹れてくれた。退室するときににらまれたことには気づかなかったことにする。


「それで、何のご用でしょうか?」


 ただ向かい合ってお茶を飲むだけで一向に口を開かない清伽に(ごう)を煮やし、沙羅の方から口火(くちび)を切った。


「用という程のことではありません」


 澄ました顔で清伽が言った。


 有り余る時間を使いきれなくて困っている沙羅ならともかく、用事もないのに、忙しい冢宰がこんな所でのんびりとお茶を飲んでいていいものなのだろうか。


 沙羅が不思議に思っていると、清伽が気まずそうに目線をそらした。


「その、竜帝様と延珠(えんじゅ)様の事を少しお話したいと思いまして」

「竜帝さまと花嫁様ですか」


 そう言って、沙羅は眉間にしわを寄せた。


「もしかして、お体の具合でも悪いのでしょうか?」


 代理の鳴伊(めい)には言えないような深刻なことなのだろうか、と不安になったのだ。


「いいえ、そういうわけではありません。その……あり大抵に言えば、愚痴(ぐち)を聞いて頂きたいと言いますか……」

「はあ……愚痴、ですか」


 いつも澄まして表情を崩さない清伽からは出てきそうにない言葉だった。この人も人間だったのか、と沙羅は失礼なことを考えた。


「最近延珠様が朝廷に出ているのはご存知でしょうか」

「のようですね。竜帝さまと離れたくないと言って」


 あきれたように沙羅が言った。


 沙羅を専属薬師から外す、というとんでもない「お願い」を聞いてもらった延珠は、それに味をしめたのか、次々と「お願い」を言うようになっていた。その最たるものが「竜帝様とひと時も離れたくない」という無理難題だ。


「後宮に入った女性が後宮を()すわけでもないのに後宮を出るなんて、前代未聞(ぜんだいみもん)です。どこぞの馬の骨の(たね)でも仕込まれたらどうするおつもりなのか」

「でも竜帝さまがお許しになったのでしょう?」

「……はい。竜帝様から離れないのであればその心配もないと」


 清伽は片手で(ひたい)を押さえた。人間臭い仕草だ、と沙羅は再び失礼なことを思った。


「それはまだいいのです」


 ぱっと清伽が沙羅を見る。


「困っているのは、延珠様が(まつりごと)にまで口を出すようになったことです」

「政に、ですか」

「ええ。竜帝様のお側から離れないのですから、朝廷にもお出になります。初めは大人しくなさっていたのですが、次第に疑問を口になさるようになり、やがてご自身の意見もおっしゃるようになったのです」

「へえ」

「今日なんて、竜帝様に堤防工事のために近くの農民を徴用することを承認頂こうとしていたのに、なんと言ったと思います!?」

「さあ」

「『長らく洪水など起こってもいないのに、民をこれ以上働かせるなんて可哀想(かわいそう)ですわ』ですよ!?」


 清伽は裏声を使って延珠の真似をしてみせた。よく似ていた。器用なことだ。


「あの川は定期的に氾濫(はんらん)を起こすことがわかっています。築いた(つつみ)は川の流れによって削られていきますので、そろそろ築き直さなければなりません。なのに、あの方はっ!」


 どんっ、と清伽が卓を(こぶし)で叩いた。茶器の中の茶がちゃぷんと跳ねる。その様子など気にも止めない勢いで、清伽は続けてまくし立てた。


「こちらは農民に極力負担がかからないよう、農閑期(のうかんき)を狙って計画しているのです。人手として兵も派遣しますが、全てを国で(まかな)うわけにはいきません。民には自分たちで自分たちの生活を守っているのだという自覚が必要です。全て国がやってくれると思わせてはならないのです」


 そうなんだ、と沙羅は思った。全部国が面倒みてくれる方が税に文句を言わないような気がするが。国を率いる人は色々考えてて大変なんだな、と他人(ひと)事のように思った。実際他人事である。


「それで、竜帝様は?」


 聞かなくてもわかるが、話し相手としての礼儀だと思って聞いた。


「しばし考え込まれたあと、計画の練り直しを命じられました……」


 がくり、と清伽が肩を落として目線を下げた。


「竜帝様はあの方に甘すぎるのです。魂の片割れだというのも怪しいというのに」


 清伽は吐き捨てるように言うと、沙羅が目を丸くした。


「そんなことを言うなんて、意外ですね」


 竜帝が片割れだと言うのだから、清伽もそれを信じているのだと思っていた。


「そうですか?」


 今度は清伽が意外そうな顔をした。そして、はっと息を飲む。冢宰という立場では言ってはいけない言葉だ。


「……ここだけの話にしてください」

「ええ、もちろん」


 沙羅は(うなず)いた。釘を刺されなくともぺらぺら(しゃべ)るつもりはない。


 その後も、清伽は延珠への不満を感情豊かに述べていった。徐々に延珠への敬意が薄れていき、終いには「あの女」呼ばわりしていた。よっぽど腹に()えかねていたのだろう。


「聞いて下さって、ありがとうございました」

「いえ」


 ひとしきり話をすると、清伽が深々と頭を下げた。本当にただ愚痴を聞くだけだった。


「このようなこと、誰にも言えませんので。お恥ずかしい所をお見せしました」

「聞くだけでよければいくらでも」


 相談されたらこまるが、お茶を飲みながらただ話を聞くだけなら沙羅にもできる。なぜ沙羅が選ばれたのかはよくわからないが。


「筆頭専属薬師どのが花嫁だったらよかった」


 不意に言われた清伽の言葉に、沙羅の胸が(えぐ)られた。自分でも何度も何度も思ったことだ。


「……今の私は筆頭専属薬師ではありません」


 言葉の本質には触れず、沙羅がただ静かにそう言った。


「いいえ、今も筆頭専属薬師は白沙羅様です」


 真剣な顔で清伽に言われ、沙羅は微笑むことしかできなかった。




 清伽に解放された沙羅は文献をあたる気が起きなくて、後宮へと戻った。かといって部屋に戻る気にもなれず、ぶらぶらと中庭を歩いていた。


 中庭とはいえ、それなりの広さはある。


 中央に大きな池があり、細くなっているところには対岸へ渡るための橋がかけられている。


 池には(はす)の葉が浮かんでいて、沙羅は幼い頃にその上に乗ろうとして池に落ちたことがある。母親が慌てふためく中、池に入って拾い上げてくれたのは竜帝だった。


 落ちたことよりも、女官たちが上げた悲鳴にびっくりし、竜帝にしがみついて大泣きしたのを覚えている。


 橋の中央でそんなことをぼんやりと思い出していると、名前を呼ぶ声がした。今日は人に話しかけられる日らしい。


「沙羅」


 振り向くまでもなく、誰なのかは声でわかった。


「竜帝さま……」


 竜帝の姿は休んでいる間も後宮内で見かけることがあったが、顔を合わせるのも言葉を交わすのも専属薬師を外されて以来だ。


「お仕事はどうしたんですか?」


 昼餉(ひるげ)の時間でもないのに珍しい。延珠(えんじゅ)はどうしたのだろう。

 

「政務に()きができた」


 沙羅は平伏していなかったが、それを(とが)めるような言葉はない。


「先日、沙羅の友人が後宮を出たと聞いた。それで……」


 沙羅は目を丸くした。


 竜帝が一介の、それも直接顔を合わせることもない下級女官の退職を知っているとは思いもしなかったのだ。


「心配して来てくださったんですか?」

「そうだ」


 冗談のつもりで言った言葉を肯定され、沙羅の目はますます大きくなった。


「よくここにいることがわかりましたね」

「沙羅のいる所は大体わかる」


 竜帝は当然だとばかりに言った。


 迷子になるたびに見つけてくれたものな、と沙羅は思った。竜帝は沙羅のことは何もかもお見通しなのだ。年の功というやつだろうか。なのに沙羅の想いだけは気づいてくれない。


 いや、竜帝のことだから、知っていて知らないふりをしているのかもしれない。竜帝にはどうやっても(こた)えられない気持ちだ。


「私、花嫁様に毒なんて盛っていません」


 どうしてももう一度否定しておきたくて、沙羅は竜帝に向かって自身の潔白を訴えた。


「わかっている」

「信じて下さるんですね」

「当たり前だろう」


 竜帝は少し怒ったように言った。


 そして――


「沙羅はわたしの娘のようなものだ。大切に想っている」


 ああ。


 沙羅の視界からごっそりと色が抜け落ちた。青々と茂る松の木も、池の水面(みなも)に映る空も。ただただ灰色に見える。竜帝の金色の瞳だけが色を保っていた。


 鳥の鳴き声がぱたりと聞こえなくなった。呼吸の仕方がわからなくなり、どきどきと心臓の音が耳の中に響く。


 何もわかっていなかった。


 薬師でない沙羅に価値はない。筆頭専属薬師を引退する時も結婚をする時も来る。結亜だって後宮を離れる時が来た。


 竜帝さまにとって――私は異性ですらない。


 私は何もかもわかっていなかったんだ。


 真っ直ぐに突きつけられた事実が、沙羅の心をずたずたに引き裂いていく。体がぐらりと傾きそうになった。


 しかし沙羅はぐっと足に力を入れて、体勢を立て直す。そして竜帝に精一杯の笑顔を向けた。


「ありがとうございます」


 沙羅はその場に(ひざまず)いた。


「どうした、沙羅?」


 これでおしまいにしよう。


「わたくし、筆頭専属薬師(はく)沙羅より、竜帝様にご報告がございます」


 沙羅はにこりと笑ったまま、竜帝と目を合わせる。


 黄金の、綺麗な瞳。


「なんだ」


 急に改まった口調に、竜帝は戸惑ったように言った。


「近日中に筆頭専属薬師を()させて頂きます。後任には白鳴伊(めい)を指名いたします。今後は宮廷にて、竜帝様と花嫁様が(すこ)やかであらせますよう、微力ながらお仕えして参ります」

「なぜ急に――」

「もう一つ」


 沙羅は無礼だとわかっていながら、竜帝の言葉を(さえぎ)った。


 このままの勢いで口から出してしまわなければ、言えなくなってしまうと思ったから。


「わたくし事ではございますが、筆頭専属薬師を辞したのち、白香瀬(かせ)と婚姻を結ぶこととなりました。寿(ことほ)ぎのお言葉を頂戴したく思います」

「こん、いん……」


 竜帝は言葉を失っていた。


 揺れる金の瞳を、沙羅がじっと見つめる。


 数瞬の後、視点が定まらないまま、竜帝は口を開いた。


「幸せにおなり」

「ありがとうございます」


 沙羅は叩頭(こうとう)し、その場を辞した。




「竜帝様、どうなさったのですか?」


 魂の片割れに聞かれ、竜帝は我に返った。


 夕餉(ゆうげ)を食す手を止め、昼間沙羅に言われたことを考えていたのだ。筆頭専属薬師を辞め、結婚するのだと言っていた。


「沙羅が筆頭薬師を引退すると聞いた」

「まあ」


 片割れは驚いただけで、それ以上は何も言わなかった。子を急ぐあまりに沙羅が毒を盛ったのではないかと疑心暗鬼になっているのだ。内心安堵(あんど)しているのかもしれない。


 沙羅が辞めることになったのは、専属薬師から外したからだろうか。


 片割れがあまりにも真剣に言うものだから、三ヵ月だけならばと同意した。これで沙羅の疑いは晴れるだろう。それに、もし沙羅がいない間に子ができたとしても、偶然の一致として復帰させるつもりでいた。


「代理の娘もよくやっていますわ。御心配には及びません」


 片割れの言う通りだった。鳴伊はよく代理を務めてくれている。ならばこれを機に引退しよう、と決めたのだろう。


「それに……祝言を上げるそうだ」

「まあ! それはおめでたいことですわ。白家の繁栄は竜帝様の御為(おんため)ですもの」


 片割れは手を叩いて喜んだ。


 そう、喜ばしいことだ。


 竜帝は娘のように思っている沙羅に、幸せになってもらいたいと思っていた。もしも沙羅を泣かせるような男であれば、考え直す余地はないのか、と父親の杜南(となん)に文句を言うくらいのことはするつもりだった。


 確か香瀬は沙羅と歳の近い男だ。沙羅の話に何度も出てきたことがある。沙羅が悪いように言ったことはなかったと思う。良い縁談なのだろう。


 それなのに、竜帝の胸はざわざわと落ち着かないのだった。

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