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【Web版】竜帝さまの専属薬師  作者: 藤浪保


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第13話 空白の時間

 突然お役目を外され、鳴伊(めい)への引継ぎを終わらせた沙羅(さら)がまず最初にやったのは、自室の大掃除だった。ずっとやらねばと思いながらも、日々の仕事を言い訳にして(おろそ)かにしていたのだ。


 ()まっていた不要な物を片付け、天井板から窓の(さん)までしっかりと拭き上げると、竜帝の決定に納得いかない気持ちも、汚れと一緒に無くなって行ったような気になった。


 とそこへ、とんとん、と扉を叩かれる音がした。


結亜(ゆあ)!?」


 廊下にいたのは結亜だった。


「しっ。早く入れて! 見つかっちゃうでしょ!」


 いるはずのない人物が現れたのに驚いて素っ頓狂(とんきょう)な声を上げた沙羅は、結亜に口をふさがれ、勢いに押されて数歩後ずさる。一緒に結亜は沙羅の部屋に侵入し、素早く扉を閉めた。


「どうやってここに」


 下級女官は余程の事がなければ後宮の奥には入って来られない。しかもここは専属薬師に割り当てられている区画だ。一応、竜帝に関わる重要な人物として警備が厳しくなっている。


「ふっふっふ」


 結亜は不敵な笑みを浮かべた。


「仕事?」

「ううん」

「じゃあ早く戻らないと」

「お休みをもらったわ」

「休み!?」


 女官には基本的に休みはない。仕事はいつも山のようにあるし、人手は常に足りていない。後宮にいられるのは十六歳からせいぜい十九か二十まで。花嫁選定の儀を機に一気に入って来る新人たちはすぐには使えず、仕事ができるようになったかと思えば、竜気の毒気にやられて(くし)の歯が抜けるようにいなくなってしまう。


「お腹が痛いって言って仮病(けびょう)を使ったの」

「仮病! 何でそこまでして」


 沙羅が目を丸くして言うと、結亜は片手を腰に当てて、もう一方の手は指を一本立てた。それを沙羅の目の前に突きつける。結亜の癖だ。


「あんたのために決まってるでしょ? あたしが自分から奥に来るって言ったらそれしかないの。いい加減学習しなさいよ」

「あ……」


 結亜は専属薬師から外された沙羅を心配して来てくれたのだ。いつもそうだ。沙羅が落ち込んでいるときはこうやって駆けつけてくれる。


「あたしには何もできないけど、話だけは聞いてあげるから」


 結亜は沙羅の頬に手を当てた。


「ありがとう」


 沙羅はその手に自分の手を重ねた。




「筆頭専属薬師が花嫁様のご懐妊を邪魔してたって噂になってるけど……」

「そんなことしてない」

「だよね。沙羅がそんなことするわけない」


 寝台に沙羅と並んで座った結亜は腕を組んで、うんうん、と(うなず)いた。


「信じてくれるの?」

「当たり前じゃない。あたしたち親友よ? あたしが信じなくて誰が信じるのよ」

(はく)家のみんなも信じてくれてるけど」

「ちょっと! そこは黙って喜ぶとこでしょ!?」


 ばんっと沙羅の腕を軽く叩く結亜と、あはは、と笑う沙羅。


「でもよかった。沙羅が孤立してなくて」

「さすがにねぇ。そんな事をする人は私も含めて一族の中にはいないよ。竜帝さまのためにってそれこそお腹の中にいる時から刷り込まれてるからね」


 沙羅もその一心でここまでやってきた。


「竜帝様だってそれはわかって下さってるよ」

「うん。最初は反対してくれた」

「花嫁様の我儘(わがまま)ってわけね。なかなかお世継ぎができなくて焦る気持ちもわかるけどさあ。沙羅に当たったって仕方ないのにね」


 沙羅は結亜に苦笑を返した。


 延珠(えんじゅ)に一番プレッシャーを与えているのは白家だ。沙羅自身はそのつもりはないが、筆頭として目の(かたき)にされるのは当然とも言える。


「それだけじゃないみたい。私が竜帝様と近すぎるんだって」

「あー、女の勘ってやつか。沙羅の気持ちに薄々気づいているのかもね」

「近づいたことなんてもう全然ないのに」


 沙羅は両手を組み合わせた。その肩を結亜が抱く。


「三ヵ月でしょ? そんなのすぐだよ。すぐにまた竜帝様の御側(おそば)にいられるようになる」

「うん。そうだね」


 結亜の顔に頬をすり寄せて、沙羅は(うなず)いた。 

 




「暇だ」


 沙羅は後宮の自室で寝台の上に転がっていた。天井の節目(ふしめ)を数えるのは何度目だろうか。


 専属薬師から外されてから二ヵ月、沙羅は薬師としての仕事を全くしていなかった。


 薬の調合は元より、薬草園での世話も、採取も全くしていない。薬室への立ち入りさえ禁じられていた。他の女官は入れないのだから同じ扱いになるなら当然だった。


 ちょうど切立花(きりたちばな)の定期採取の時期が重なっていたが、鳴伊(めい)が行った。その代理は沙羅ではなく、先代が一時的に後宮に戻って務めた。


 鳴伊が夕餉(ゆうげ)の薬の時間に遅れれば沙羅の出番はあったかもしれないが、鳴伊は事故なく無事に戻ってきた。


 鳴伊は状態の良い花を採っただろうか。上手く薬を調合できただろうか。毎日の薬はちゃんと作れているだろうか。竜帝を怖がって健康管理を(おろそ)かにしていないだろうか。


 そんなことばかり考えてしまう。


 時間ができたのだからと帝都の市場に出かけたり、他の白家に遊びに行ったり、宮廷の白家の宮(じっか)に戻って家事をしたりしていた。やることをやり尽くした沙羅は、退屈にさえ()いていた。

 

 女官の仕事でも手伝おうかと申し出てみたこともあるが、もともと快く思われていなかった沙羅はすげなく拒否された。筆頭専属薬師の称号を剥奪(はくだつ)されたことを、陰でざまぁみろと嘲笑(わら)われていた。


 心配は尽きなくとも、鳴伊は沙羅の代理を良く務めている。


 沙羅がいなくても全てが上手く回っていて、沙羅は自分の存在意義を見失いつつあった。


 これまでの筆頭専属薬師は、引退したあと、宮廷で薬師を続けたり、結婚して子供を産んでいた。母親の世羅(せら)のように、子育てが一段落してから薬師に復帰する者もいる。


 なのに、今の自分はどうだ。


 薬師ではなくなり、他に仕事もなく、子供を産むわけでもない。


 あと一ヵ月たてば元の生活に戻るのだとわかっていても、何もできることがないというのが、そして誰にも必要とされていないという事実が、沙羅の心に重くのしかかった。


 独りでいると嫌な考えがとめどなく(あふ)れてくる。


結亜(ゆあ)の所に行こう……」


 そろそろ仕事も終わる頃だろう、と沙羅は親友の部屋に向かうことにした。




「こっちは毎日仕事に追われて後輩の尻ぬぐいまでしなきゃいけないのに、なんて贅沢(ぜいたく)な悩みなの!? その暇な時間、少しくらい分けて欲しいわ!」


 沙羅が胸の内を打ち明けると、結亜は(こぶし)を握ってぷりぷりと怒り出した。


「女官長に断られたって言ったでしょ」

「断る意味がわからない! 手が()いてる人がいるんだから使えばいいのに!」


 本当は女官長はこれ幸いと沙羅を使おうとしたのだが、他の女官が嫌がったのだ。何も知らない人間が下手に手を出すと仕事が増えると言って。


「私嫌われてるからねー」

「それも意味がわからない!」


 延珠(えんじゅ)が来てからというもの、竜帝が他の妃嬪(ひひん)の元に通うことはなくなり、前回の花嫁選定の儀を折に入った妃嬪たちは一度も竜帝に触れられたことがないらしい。いわんや女官をや。


 元から女官たちにチャンスなどないのだが、希望があるのと完全に断たれるのとは話が別だった。


 竜帝を独占している延珠へのそういったイラつきはなぜか沙羅に向けられていて、聞こえるように陰口を叩かれたり、廊下でわざとぶつかられたりしていた。


 以前からそういうことが全くなかったわけでもないが、この一年以上、沙羅が竜帝と親しくしている所を女官たちは見ていないはずだ。なのに年長の女官に(なら)って入ったばかりの女官にまで冷たく当たられるのは理不尽だ、と沙羅は思う。


「それとね、沙羅は自分を卑下(ひげ)する必要はない!」

「卑下はしてないよ」

「してる! 自分なんていなくてもいいんじゃないか、って思ってるでしょう!」


 びしっと結亜は沙羅の眼前に指を突きつけた。図星だった。


「……まあ、そうかな」

「薬師なんて特殊な技能を持ってるんだから、いなくていいわけないでしょ!? 沙羅はこれまでそのために頑張ってきて、ちゃんとそれを生かしてきた。何度も竜帝様の御命(おいのち)を救ったし、竜殺石(りゅうさっせき)の時なんて、沙羅がいなかったら大変だった。また復帰したら竜帝様のために働くんでしょ?」

「そうなんだけどね。……もう筆頭は引退してもいいのかな、なんて思ったりもして」

「そしたら竜帝様にほとんどお会いできなくなっちゃうんだよ!? それでもいいの?」


 沙羅が筆頭を引退したら、鳴伊に後を託して後宮を出ることになる。白家に与えられた宮に住み、朝廷の方の薬師として薬室に詰めるのだ。毎日三度竜帝に会う今の生活とはがらりと変わる。


 よくはない。


 よくはない、が。


「だってこの想いが叶うことはないんだよ。花嫁様と一緒にいる竜帝さまを見るのはつらい」


 竜帝が延珠と寄り添っているのを見るのも慣れて、とっくに平気だと思っていたのに、胸が痛くなった。沙羅の目から涙がぽとりと落ちた。


「それはわかるよ。でもね、竜帝様は沙羅を必要として下さってるんだよ。今回のことだって、一度は反対して下さったんでしょ? いつかは離れなきゃいけないんだから、いられる間はお側にいたらいいと思う。引退してから後悔しても遅いんだよ?」

「うん……」


 結亜に慰められ、励まされた沙羅は、少し自信を取り戻していた。


 弱っている今は大事なことを決めない方がいい。あっと一ヵ月して復帰してからにしよう、と沙羅は思った。




 次の日、沙羅は白家の宮(じっか)に家事の手伝いをしに後宮を出た。部屋でぼうっとしていると後ろ向きなことばかり考えてしまう。無心で掃除でもすれば気も(まぎ)れるだろう。


「ただいまー」


 沙羅一家に割り当てられている一角(いっかく)に入ると、なぜか居間に従兄(いとこ)香瀬(かせ)がいた。六人掛けの卓につき、父親の杜南(となん)と母親の世羅(せら)が向かいに座っている。


 弟の呂宇(ろう)と妹の延緋(えんひ)は家にいないようだ。


「あれ、香瀬どうしたの? 仕事は? 父さんと母さんまで」

「ちょうどよかった。いま香瀬と話をしていた所だ」


 世羅がお茶を入れ直すために、三人の茶碗を盆にのせて一度部屋を出て行った。沙羅もついて行こうとしたが、座りなさい、と杜南に言われ、香瀬の隣に座った。


「なになに、どうしたの?」


 杜南は真剣な顔をしたまま何も言わない。ただならぬ様子に、沙羅も口を(つぐ)んだ。


 世羅が戻ってきて席に着いたところでようやく杜南が口を開いた。


「沙羅、そろそろ結婚しなさい」


 突然言われた言葉に、沙羅は目を(またた)かせた。


 けっこん? けっこんって、結婚?


「お前もいい歳だ」

「誰と」


 言いながら、沙羅は隣にいる香瀬を見上げた。


「お前もわかっていただろう? 相手は香瀬になると」

「私は――」

「竜帝様に想いを寄せているのは知っている。(おそ)れ多いことだが、想うだけならば(ばち)は当たるまい。だが、結婚して子供を産むのも白家の女のお役目だ。いい加減諦めなさい」

「で、でも、私はあと一ヵ月したら筆頭専属薬師に戻るし」

鳴伊(めい)は十六になったし、筆頭専属薬師の代わりを務められることがわかった。引退しても問題ないだろう。いい機会だ」


 沙羅は杜南の顔を見て、世羅の顔を見て、それから香瀬の顔を見た。


「香瀬(にい)は、いいの? 私で」


 ささやくように聞く。嫌だと言って欲しかった。


「俺は元々そのつもりだった。ちょうどいい相手が沙羅しかいないからな」


 香瀬は、何を今さら、というように肩をすくめた。


 なに、それ。


 本当は沙羅にもわかっていた。結婚するなら香瀬なのだろうと。いずれは竜帝ではない男性(ひと)と結婚して、そして子供を産む。妥当な相手は香瀬だ。


 結亜(ゆあ)(さと)されて、今後の事は筆頭専属薬師に戻ってから改めて考えようと思っていたのに。


 だが、杜南の言うことはもっともだった。白家を存続させるのは白家の者としての義務だ。竜帝にこれからも薬師として仕えていけるように。


 いい機会だというのも。今ちょうど沙羅はお役目を離れている。一度復帰して辞めるよりも、このまま引退してしまった方がいいだろう。


 そしてなにより家長の決定だった。沙羅には従うしかない。


「わかりました……」


 沙羅はうつむいてきゅっと唇を引き結んだ。膝の上で(こぶし)をきつく握る。


「祝言は沙羅が筆頭専属薬師に復帰する前に上げる。今から準備をするから、ちょうど一か月後くらいになるだろう」


 杜南がそう言い、家族会議は終わった。




 家事をしに行ったことも忘れ、ふらふらと上の空のまま後宮に戻った沙羅は、自室の寝台にうつ伏せに倒れ込んだ。


「結婚……」


 いつかはすると思っていたが、具体的なイメージが浮かばない。祝言(しゅうげん)を上げて、子供を産んで、育てる。言葉ではわかるが、自分がその中にいることが全く想像できない。


 香瀬のことは好きだ。優しくて頼れる人だし、かっこいいと思う。でもそれは従兄(いとこ)としての情であって、恋ではない。


 いつだって、沙羅の想いは竜帝にしかなかった。


 ――諦めなさい。


 杜南の言葉を思い出す。


 諦めなければならないのだ。


 竜帝が魂の片割れを見つけた時に、諦めるべきだった。


「竜帝さま……」


 ごろりと仰向けになった沙羅の目に涙が浮かんだ。目尻から耳元へ、すっと涙の跡ができる。


 胸が痛い。諦めなければならないことが(つら)くて仕方がない。秘めていた想いが、叶わなかった想いが、胸の中で暴れているようだった。


 それと同時に、ほっとしている気持ちもあった。


 これでやっと諦められる――。

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