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【Web版】竜帝さまの専属薬師  作者: 藤浪保


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第12話 専属薬師の剥奪

 朝早く、馬に揺られて帝都へと戻った沙羅(さら)は、一旦(いったん)宮廷の中、白家に与えられた宮に寄っていた。


「こりゃひどいね」


 そう言ったのは母親の世羅(せら)だ。沙羅の顔を見た誰しもが言うので、沙羅もいい加減慣れてきた。鏡は怖くて見ていない。そうでなくても触れればわかる。ぷっくりと()れているのが。


「姉ちゃん!」


 沙羅が戻ったと聞いて、呂宇(ろう)が部屋に駆け込んできた。長椅子に座る沙羅を見て狼狽(うろた)える。昨日より腫れているんだろうな、と沙羅は察した。


「これ、ほんとに骨折れてない?」

香瀬(かせ)()たなら間違いないだろうさ」


 恐る恐る(たず)ねる呂宇に世羅が言った。


 後宮に入ることのできない男衆(おとこしゅう)は、年頃になると、宮廷に残るか市井(しせい)に降りるかする。さらに、そのまま薬の道を極めるか、医術に転向するかに分かれる。


 もちろん中には王都の外に出て別の街に住む者もいるし、薬や医術とは全く関係のない職業に()く者もいる。


 香瀬は宮廷に残り、医術に転向した口だった。


「沙羅が我慢できるなら、他の(もん)にも診てもらうけど」

ぜったいやだ(れったいやら)


 あんな痛い思い、二度とごめんだ。さらに腫れているというのなら、きっと昨日よりももっと痛い。


 万が一折れていたとしても添え木ができるわけでなし、どうせじっとしているしかないのだ。それなら確かめたって仕方がない。



 

 (ほほ)にたっぷりと軟膏(なんこう)を塗って布を貼った沙羅は、すぐに後宮に戻った。


 朝の薬を鳴伊(めい)調合(つく)らせる。鳴伊の手つきや完成した薬を見て、ちゃんと代わりは務められていたな、と安心した。もう沙羅がいなくても大丈夫かもしれない。目利(めき)きはまだまだだけれど。


「合格」

「やった!」


 これまでも何度か調合(つく)らせているのだからできて当たり前なのだが、鳴伊(めい)は素直に喜んだ。


 沙羅の代わりができることは重要なことだ。


 最悪――突然沙羅が死ぬことだってある。昨日だって、一歩間違えば失明していたし、蹴られた所が悪ければ死んでいたかもしれない。滑落した可能性だってあった。


 これくらいで済んでよかった、と沙羅は頬にそっと手で触れた。


 その沙羅の前に、鳴伊が薬を入れた椀を載せた盆を差し出す。


 沙羅は憂鬱な気分になった。今からこれを竜帝の所に持って行くのだ。赤黒い内出血の痕は隠しているとはいえ、頬はぱんぱんに()れている。これを見た竜帝はどう思うだろうか。


 まだ休んでいればよかった、と沙羅は筆頭専属薬師にあるまじき思いを(いだ)いた。


「鳴伊、一緒に来てくれない? 私、顔伏せていたいから」

「えぇ? 私が? また?」

「そう。竜帝さまの前にお盆出すだけで(らすらけれ)いいから」

「……わかった」

「あ、あと具合(るあい)も聞いてね。花嫁様にも。私まだ(まら)上手く話せないから」

「お盆出すだけじゃないじゃん……」


 竜帝様怖いんだよなぁ、と鳴伊が呟く。やっと沙羅姉さまが戻ってきたのに、とも。


 薬を飲み始めてからも、鳴伊はまだ竜帝が怖いらしい。


 これもどうにかしなくてはならない。専属薬師は竜帝が怖いから嫌だとは言っていられないのだ。もちろん個人的な感情で鳴伊が責務を投げ出すとは思えないが。


 沙羅が鳴伊に帳面と筆記具を渡した。


「さて、行こうか」


 沙羅は手で包んだ拳を顔の前に持って行き、その腕で顔を隠しながら鳴伊を先導し、延珠(えんじゅ)の私室へと向かった。昨夜は泊まったのだと聞いたから。





「失礼いたします。竜帝様、お薬をお持ちしました」


 部屋に入ると沙羅と鳴伊(めい)は一礼した。声を出したのは鳴伊だ。


 朝餉(あさげ)を終えて延珠と寄り添っている竜帝の前までしずしずと進む。沙羅は平伏し、盆を持っている鳴伊はその横で立って目を伏せた。


「沙羅、もう加減はいいのか」

「はい」


 竜帝が問う声に、沙羅がそのまま答える。舌ったらずにならないように、なるべくはっきりと(しゃべ)った。大きく口を動かすと痛いが我慢した。


「顔を見せてみろ」


 見てどうするんだ、と沙羅は思った。心配してくれるのは嬉しいが、見られたくない。好きな人にこんな顔を見られるなんて嫌だ。傷があるのだから察して欲しかった。


「お見苦しいだけです(らけれす)


 沙羅が滑舌(かつぜつ)悪く言うと、竜帝は立ち上がって沙羅に歩み寄った。


 そしてその手を沙羅の肩にかけ、体を起こすように(うなが)す。さすがに拒むことができなかった沙羅は顔を上げた。


 布が貼られ、それでも腫れているとわかる顔を見た竜帝が眉をひそめる。その金色の瞳に自分の不細工な顔が映っているのを見て、沙羅は嫌な気分になった。


 だが、その気持ちは次の竜帝の行動で吹っ飛ばされる。


可哀想(かわいそう)に」


 そう言いながら、竜帝は沙羅の腫れていない方の頬に手を添えたのだ。


 驚いた沙羅がびくりと肩を揺らした。黒竜の背を除けば、出征の際に頭に手を置かれて以来の接触だ。顔をこんな風に優しく触れられることは、もう何年もなかった。


「すまぬ。痛んだか」

「いえ。(おろろ)いただけです(らけれす)


 竜帝は一度離した手を、もう一度添えた。


「わたしが行っていればこんなことにはならなかったのに」


 竜帝の美しい顔がすぐ目の前にあって、沙羅は自分の顔が熱くなっていくのを感じた。竜帝の手はひんやりとしているのに、そこから熱が広がっていくのがわかる。脈拍が速くなっていくと共に、反対側の傷がずきずきと痛み出した。


「竜帝様、そんなにご心配なさらなくとも、薬師ですもの。手当には慣れているでしょう」


 いつの間にか花嫁が側に来ていて、沙羅の頬に触れていた竜帝の腕に手をかけた。竜帝の手が沙羅の頬から離れた。


「竜帝様、早くお薬をお飲みくださいませ。せっかく薬師が持ってきてくれたのですから」

「そうだな」


 花嫁が鳴伊から盆を取り上げて、竜帝へと差し出した。椀を取った竜帝がぐいっと飲み干す。


 (から)の茶碗を置いた盆が返され、それを脇机に置いた鳴伊は、沙羅の隣に(ひざまず)いて帳面を取り出した。


「本日のお加減はいかがでしょうか」

「いつも通りだ」

「それはなによりでございます。花嫁様はいかがでしょうか」

「悪くないわ」

「承知いたしました」


 書きつけるほどでもないが、鳴伊はその場でしっかりとその言葉を書き取り、叩頭(こうとう)した。


「それでは失礼いたします」

「ご苦労だった。薬師、昼と夜はお前が来い。沙羅は養生して早く治せ」

「お気遣いありがとうございます」


 沙羅は鳴伊と共に立ち上がり、その場で一礼した。


 扉の前でもう一度立礼をしたとき、頭を上げた沙羅は顔を強張らせた。延珠がにこにことした顔で沙羅を見ていたのだ。口元は優雅に弧を描いていたが、その目は笑っていなかった。



 周りの疑惑の目、一向に子を成せないことへの焦り、実家からの無言の催促。そういった重圧(プレッシャー)があったのだろう。延珠は目に見えて荒れていった。


 誰も表立っては言わないが、早く早くと延珠を追い詰めていった。それは月の物の不順を呼び、ますます子ができにくくなるように思われた。


 ()いていなかったのは竜帝だけだ。


 当事者の片方である竜帝だけは、片割れを見つけたときと変わらず鷹揚(おうよう)に構えていた。二百年も待ったのだ。今さら数年くらい子を待つのは大したことではない。


 それに、竜帝にとっては、子ができることよりも、魂の片割れである延珠が自分の手の中にあることだけが重要なのだ。


 周囲は子が出来なければ真の花嫁だと認めないかもしれないが、竜帝自身は延珠が片割れであると確信している。ならばそれで十分だった。子はできなくてもいいとさえ思っていた。


 だからといって延珠の焦りを緩和させることはできない。


 ついに延珠は、とんでもない事を言い出した。


「わたくしに竜帝様の子が授からないのは、薬師が悪いのです!」

「え?」


 あるとき、朝の(せん)じ薬を竜帝へ献上しに行った所、突然延珠が叫んだ。


「薬師がわたくしに毒を盛っているに違いありませんわ!」


 あまりの言葉に沙羅は絶句した。


 私が毒を? 花嫁に? なぜ?


「まさか」


 竜帝が一笑に伏す。


「いいえ、そうに決まっております」

「そんなことしません」


 沙羅は顔を上げてはっきりと否定した。


 どんなに延珠が(ねた)ましくとも、沙羅には筆頭専属薬師の肩書き、そして(はく)家の一員としての矜持(きょうじ)がある。延珠――いや誰に対してだって、毒を盛るなんて有り得ない。


「あなた、竜帝様をお(した)いしているでしょう」

「ええ。お(した)いしています」


 沙羅は躊躇(ちゅうちょ)することなく認めた。


 竜帝の目がわずかに見開かれる。


「白家は代々、国ではなく竜帝様にお仕えしてきました。竜帝様のお役に立つことが私たちの誇り、魂の片割れを見つけて差し上げることが私たちの悲願。竜帝様をお慕いする気持ちにおいて、私たち白家は誰にも負けません」


 沙羅はきっぱりと言いきった。


「竜帝様、お聞きになりまして? この薬師は、竜帝様の魂の片割れであるわたくしを差し置いて、自分たちが最も竜帝様をお慕いしていると申しました。これはわたくしを(ないがし)ろにしているも同然です。先日も白家は花嫁選定の儀を強行いたしました。白家はわたくしが気に入らないのだわ」

「白家はわたしがこの国に呼ばれた時からずっと仕えている。沙羅も何年もわたしの薬を作り続けているのだ。沙羅の言うように、白家は片割れを見つけるために尽力してくれた。せっかく魂の片割れが見つかったのだから、毒を盛るようなことはしない」

「白家はそうかもしれません。ですがこの薬師は別です。竜帝様は特別扱いしすぎですわ」


 特別扱いなんて――と沙羅は唇をかみしめた。延珠の方がよっぽど特別に扱われている。


 だが、頭に手を置かれたことといい、先日の頬に触れられた件といい、否定はしきれない。ついさっきも、思ってもみなかったことを言われて、とっさに竜帝の許しもなく発言してしまった。


 竜帝は、沙羅以外が同じことをしても(とが)めたりはしないと沙羅は知っている。だが延珠はそうは思わないのだ。冢宰(ちょうさい)清伽(せいか)も平伏しないのだが、女官たちは常に(かしこ)まっているから、沙羅も同様にすべきだと言うのだろう。


 延珠が取り乱すことなく冷静にここまで反論するのは、沙羅が見る限り初めてのことだった。それは竜帝にとっても初めての事だったのだろう。竜帝は戸惑っていた。


 そして竜帝は花嫁と沙羅の顔を交互に見ると、花嫁の肩を抱き寄せて口を開いた。


「沙羅」


 たった一言。名前を呼んだだけ。


 だが沙羅にはわかった。それがとても悲しかった。


「ご無礼お許しくださいませ」


 沙羅は顔を伏せて叩頭(こうとう)した。


 竜帝との距離が開いた瞬間だった。


「わたしも距離が近すぎたな。これからは気を付ける」


 竜帝は延珠の髪を一筋(ひとすじ)とって、口をつけた。


 話はもう終わったのだから、と沙羅は退出を申し出ようとしたが、延珠の「お願い」はまだ終わらなかった。


「竜帝様、沙羅を専属薬師から外してくださいませ」


 延珠の甘えた声に、沙羅は思わず頭を上げそうになった。それをぐっとこらえる。


「何を言う。沙羅は筆頭薬師だ。外せるものか」

「半年、いいえ三ヵ月でいいのです。沙羅がわたくしに毒を盛っているのではないかと不安ですの。沙羅を後宮の外に置き、薬は他の者に作らせてください。果氷(かひょう)国の侵攻もしばらくありませんもの」


 延珠が竜帝にしなだれかかった。


 竜帝はため息をついた。


「……わかった」


 ばっ、と今度こそ沙羅は顔を上げた。


「三ヵ月だけだ。沙羅を専属薬師から外す。わたしと片割れの薬は他の者に調合させるように」


 竜帝の言葉に、沙羅の瞳が揺れた。裏切られた、と思った。


 目の前が真っ暗になっていく。


 「筆頭」の肩書の剥奪(はくだつ)だけではなかった。後宮で竜帝の側に仕えるだけではなく、薬を扱う事さえも禁じられたのだ。


 専属薬師であることは、沙羅のアイデンティティだ。沙羅からそれを取ったら何も残らない。沙羅にとってはこれ以上の打撃はない。死と同義とさえも言えた。


 たとえ三ヵ月という短期間であったとしても。


「沙羅」


 竜帝が静かに呼んだ。ひどく冷たい声だった。


「……承知いたし、ました」


 沙羅は床に(ひたい)をつけた。

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