表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ステータス『0』の観測兵 ~クラス転移を離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~  作者: ハルキーノ
第三章 ”自己”

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/128

三章三話 荷を崩さない手

《辺境者の歌》 三章 三節

『荷を崩さぬ手は、神殿の柱より静かに重さを受ける。』


 樽の位置を一つずらし、布束をその反対側へ寄せる。


 それだけで、荷台の見え方が少し変わった。


 さっきまで片側へ寄っていた重みが、ようやく車体の真ん中に戻ってくる。


「あ、あの、大丈夫なんですか?」


 商人は不安そうに荷台と僕の手元を見比べていた。


「このまま出す方が危ないです」


 縄をいったん緩め、通し方を変える。


 城の補給庫でも何度か似たことはやった。


 違うのは、あちらでは失敗しても怒鳴られるだけで済むことが多かったのに、こっちではそのまま相手の損になることだ。


 だからこそ、手順を飛ばさない。


 布束を緩衝材代わりに入れ直し、染料樽同士が直接ぶつからないよう間を空ける。


 甘くなっていた右側の留め具には、いま掛けている縄だけでは足りない。


「予備の縄、ありますか」


 返事が遅れた。

「え、ありますけど」


「一本ください」


 商人が慌てて荷台脇の箱を開けようとした、その時だった。


「おい、勝手に荷をほどくな」


 低い声が飛んできた。


 振り返ると、装甲車の運転席側から大柄な男が歩いてくるところだった。


 四十前後だろうか。雨除けの革外套を片腕に引っかけ、片手に工具袋を持っている。


 さっきまで姿が見えなかったのは、車体の点検でもしていたのかもしれない。


「こっちは出立前だ。崩したら積み直しの時間まで食う」


 商人が慌てて口を挟む。


「いや、その、新しい護衛補助の人で……」


「仮登録です」


 僕がそう言うと、運転手の視線が胸元の金属片に落ちた。


 協会の刻印入りの仮登録札。


 それを確認してから、彼は面倒そうに鼻を鳴らす。


「なるほど。初仕事で荷台をいじる度胸だけはあるわけだ」


「右側の留め具が甘いです。樽も片寄っています。このままだと、ぬかるみで車体が振れた時に右へ負担が寄ります」


 言い切ると、運転手は少し目を細めた。


「どこが甘い」


 僕は問題の金具を指さした。


「ここです。噛みが浅い。掛けた時に止まって見えても、揺れを食うと戻ると思います」


 彼は荷台に片足を掛け、金具を指で押した。


 かち、と小さく音がした。


 止まっていたはずの留め具が、わずかに戻る。


「……ちっ」


 男は僕ではなく、荷台の傾いた車輪を睨んでいた。


「朝っぱらからよく気づくな」


「見えたので」


「見えても言わねぇやつは多い」


 そう言ってから、運転手は工具袋を開け、細い補助金具を一本取り出した。


 その背後、詰所の入口にラドが立っているのが見えた。


 こちらと目が合うと、彼はすぐに視線を逸らす。


 見ていたのか。


 だったら何か言えばいいのに、と思う。


 僕も同じ立場なら、手を出さずに見ていたと思う。


 初仕事から見られている。


 剣を抜くところではなく、荷縄を直しているところを。


 そう考えると少し喉の奥が詰まったが、手は止めなかった。ラドが入口を離れないなら、まだ判断の途中だと思う。


「商人。予備縄」


「は、はいっ」


「坊主、お前はそっちを通せ。アタマ側からじゃなく、後ろで一回返せ。樽の首を殺すなよ」


「分かりました」


 それからは早かった。


 僕が縄を通し、運転手が金具を替え、商人が布束を押さえる。


 三人でやると、さっき一人で整えていた時よりずっと速い。


 留め直したあとで荷台を揺すってみる。


 樽は鳴ったが、嫌なずれ方はしなかった。


 運転手が荷台から降り、車体の横を一周する。


「まあいい。出せる」


 その一言で、商人が目に見えて息をついた。


「よ、よかった……」


「よくねぇよ。本来は出る前に済んでる話だ」


 そう返しながらも、運転手はもう怒っていなかった。


 代わりに、僕の方を見て顎をしゃくる。


「乗れ。後ろ見ろ。今日の仕事は剣振るより、たぶんそっちだ」


「はい」


 歓迎というより、空いた手へ仕事を置いただけだった。


 でも少なくとも、邪魔者扱いではなくなった。


 初仕事としては、そこまで戻せればいい。



 装甲車が動き出すと、低い駆動音が腹の底に響いた。


 音は一つではない。前の機関部で大きな輪が回っているような唸りと、その下で細かい歯車が噛み合う音が重なる。荷台の床板は予想より熱く、靴底越しにじわりと伝わってきた。


 僕は荷台の後方寄りに腰を下ろし、縄の張りと樽の位置を見ながら揺れを受ける。


 商人は前寄りで落ち着かなさそうに指を組み、運転手は前方から短い指示だけを飛ばしてきた。


「揺れるぞ」


「はい」


「布、濡らすなよ!」


「分かってます」


「初仕事で荷台番か」


 運転手の声が、前から飛んできた。


「不満か?」


「いえ。思っていた冒険者とは、少し違います」


「だろうな。絵本だと荷台の揺れは描かねぇ」


 商人が小さく笑った。僕も、少し息を抜いた。揺れが収まったわけではないのに、荷台の空気がさっきより柔らかくなる。


 西詰所を離れると、街道はすぐに石畳から土混じりへ変わった。


 昨夜の雨が残っているのだろう。


 轍の底には鈍い色の水がたまり、踏み固められていない端の土は黒く沈んでいる。


 詰所の掲示板にあった「雨で路面が悪い」という一文を思い出す。


 依頼票の中では短い注意書きだった。


 でも実際に走り始めると、それがこの仕事の中心なのだと分かった。


 敵が出るかどうかより先に、道が荷を揺らし、車体を傾け、到着を遅らせる。


 護衛は物流と人の往来を支える仕事。


 シュメーダさんの言葉が、ようやく手触りを持ってつながった。


「兄ちゃん」


 商人が遠慮がちに声をかけてくる。


「はい」


「その、さっきは助かりました。実を言うと、昨日のうちに積み終えるつもりだったんですが、北側の窯が一つ止まりかけてて、今朝になって積み直しになって」


「急いでいたんですね」


「急ぎますよ。染料ってのは、届けばそれで終わりじゃないんです。向こうも人を並べて待ってる。遅れたら布を浸ける順番がずれるし、窯の火も無駄になる」


 戦場の補給線ほど大きな話ではない。


 でも、規模が小さいだけで、止まる困り方は同じだった。


 一つ遅れれば、その先で別の誰かの作業が止まる。


 荷はただの物ではない。


 人の時間まで積んでいる。


「それなら、なおさら崩せませんね」


 僕がそう言うと、商人は少し驚いたように目を丸くした。


「……ええ。そうなんです」


 男は返事を待たずに次の荷紐へ手を伸ばしかけていた。


 僕だって、ついこの前まで分かっていたわけではない。


 城の中では、物は倉庫の数字や在庫表として先に見えることが多かった。


 でも今は違う。


 目の前にいる商人の焦りと、街道の揺れと、樽の重さが、全部一つの現実になっている。



 外縁北の街道へ折れてしばらくした頃、装甲車の揺れ方が変わった。


 前と同じ轍を踏んでいるのに、右後ろだけ沈み込みが長い。


 僕は荷台の縁から道を見る。


 轍の脇にたまった水の色が、少し違っていた。


 表面だけが濁っているのではなく、底から黒くにじんで見える。


 しかも、道端の草が斜めに寝ている。


 そこだけ、土の縁が崩れている。


「止めてください!」


 声を張ると、商人がびくりと肩を震わせた。


「な、何です?」


 前方から運転手の声が返る。


「理由」


「右の端が空洞みたいです。このまま寄せると後輪が落ちます!」


 短い間のあと、駆動音が弱まり、装甲車が止まった。


 運転手が前から降りてくる。


「空洞?」


「たぶんです。でも、試した方が早い」


 道端に転がっていた折れ枝を拾い、問題の場所へ差し込む。


 最初は泥を押した感触だけだったが、少し力を入れた瞬間、枝先がずぶりと深く入った。


 表面の下が抜けている。


 商人が青い顔になる。


「うわ……」


「今のまま右へ寄せたら、荷重で崩れるな」


 運転手はそう言うと、僕を一度だけ見た。


「よく止めた」


 短い言葉だった。


 でも、その四文字は意外なくらい胸に残った。


「どうしますか」


「荷を少し軽くする。右後ろだけ一度抜く。布二束下ろせ」


「はい」


 僕と商人で布束を二つ下ろす。


 濡らさないよう、街道脇の比較的乾いた場所に並べ、その下へ荷布を敷く。


 運転手は車体横の収納から薄い板を二枚引き出した。


「こういう日のための予備だ。右輪をここへ乗せる。坊主、後ろ見ろ。商人、お前は騒ぐな」


「さ、騒いでません!」


「声がうるせぇ」


 やり取りのわりに、動きは無駄がなかった。


 僕は荷台後方へ回り、樽が傾いた瞬間に押さえられる位置を取る。


 頭のどこかで、数字を見る力を使うべきかと一瞬だけ考えた。


 でも、使うまでもなかった。


 危ない場所は、泥の色と沈み方だけで十分に読める。


 少なくとも今は、それで足りる。


 その瞬間、樽の縁に薄い影が浮いた気がした。


 数字、に見えた。けれど、まばたきをすると消えている。……荷物に数字?


 いや、そんなはずはない。この能力は人の頭上に出るものだ。気のせいだ。たぶん。


「出すぞ」


 駆動音が一段高くなり、装甲車がゆっくり前に出る。


 右輪が板へ乗り、車体が大きく傾きかける。


「止めないでください、そのまま真っすぐ!」


 自分でも驚くくらい自然に声が出た。


 運転手は返事をしなかった。


 ただ、そのままわずかに角度を保ち、車体を抜く。


 ごり、と板が泥を削る音。樽が一つ鳴る。布束が沈む気配はない。


 次の瞬間、後輪が浅い轍へ戻った。車体の傾きが解ける。


「……抜けた」


 商人の声には、本気の安堵が混じっていた。僕もそこでようやく息を吐いた。


 派手なことは何もしていない。魔法も剣も使っていない。


 あのまま進めば、次の坂で荷台を一度空にするところだった。


 布束を積み直しながら、運転手がぼそりと言う。


「護衛ってのは、こういう止め方ができるやつの方が長持ちする」


「止めただけですけど」


「まだ褒めてねぇぞ」


 荷紐の擦れる音が、二人の間に残った。


「今のは、分かってました」


 それでも少し、口元が緩みそうになった。



 その後の道は、最初より静かだった。


 商人が無理に話しかけてこなくなったせいもあるし、運転手が時々こちらを振り返るようになったせいもある。


 監視されている、というより、荷台ごと任せられている感じに近かった。


 だから僕も、ただ座っているだけではいなかった。


 縄の張りが弱まっていないかを確かめる。


 樽の木口ににじみがないかを見る。


 布束の端が風でめくれていれば押し込む。


 道が荒れそうなら、前方の轍の深さを先に読む。


 一つ一つは小さい。


 その小ささを面倒がれば、荷は次の坂で崩れる。


 やがて空気に、わずかに酸い匂いが混じり始めた。


 染料と薬液と、煮えた布の湿った匂い。


「着きます」


 商人がほっとした声で言う。


 街道の先に、背の低い石壁と長い屋根が見えた。


 壁際には色水を流すための溝が走り、屋外には布を掛ける横木がいくつも並んでいる。


 まだ乾ききっていない布が風に揺れ、その色が曇り空の下でも妙に濃く見えた。


 装甲車が門前で止まると、待っていたらしい男が一人、足早に近づいてきた。


「遅いかと見てたが、まだ間に合うな」


 荷受け係だろう。


 商人が慌てて荷台へ向かおうとする。


「すぐ下ろします!」


「その前に」


 気づけば、口が先に動いていた。


 三人の視線がこちらに集まる。


「到着時確認を先にします。途中で留め具を一つ替えてます。荷傷みがないか、下ろす前に一緒に見てください」


 商人が目を瞬く。


「え、今ですか?」


「今です。下ろしてからだと、どこでずれたか分からなくなるので」


 運転手が短く頷いた。


「その通りだ」


 荷受け係は眉を寄せたが、荷台を一瞥すると、持っていた札をすぐ別の箱へ入れた。


「……珍しいな。今日は先にそれを言うやつがいるのか」


「問題ありますか」


「いや、ない。むしろ助かる」


 そこで初めて、僕は依頼票を取り出した。仮登録札と一緒に渡された薄い紙だ。まだ真新しく、折り目も少ない。


 樽は三つ。布束は五つ。


 染み出しなし。右側留め具一件、出発前に交換。


 街道一箇所ぬかるみ回避のため荷下ろしあり。再積載済み。


 口に出して確認しながら、商人と荷受け係、それに運転手の視線を受ける。


 城にいた頃なら、こういう報告は誰か上の役目だった。


 でもここでは、現場で見た者が言わなければならない。


 自由だが、制度は固い。


 たしかに、その通りだった。


「樽、開けるぞ」


 荷受け係が封の状態を見て、木蓋を軽く叩く。


 乾いた音が返る。


 一本ずつ、異常がないか確かめる。


「漏れなし」


 次に布束。


 水気は少しも入っていない。


 角も潰れていない。


「……こりゃ珍しい」


 荷受け係がそう呟いた。


「何がですか」


 商人が聞き返すと、彼は肩をすくめる。


「雨上がりの日は、だいたいどこか潰れて来る。紐が甘いか、角が濡れるか、荷台で擦れるか。そのどれかだ」


 そこで彼は、僕の方へ目を向けた。


「今日はまともだ」


 その評価は飾り気がなかった。


 でも、妙にうれしかった。


 荷下ろしが始まる。


 樽が運ばれ、布束が受け取られ、染色場の奥ではすでに次の作業の声が上がっている。


 遅れなかった。


 窯も止まらないだろう。


 たったそれだけのことで、こんなにも空気が変わるのかと思う。


 誰かを打ち倒したわけではない。


 何か大きな功績を立てたわけでもない。


 それでも、人の手が予定通り動き続ける。


 荷台の端に残った縄の跡を見て、剣を抜かない護衛もあるのだと、ようやく少し飲み込めた。



 荷下ろしが終わる頃には、空から細かい雨が落ち始めていた。


 屋根の端から落ちる雫を避けながら、僕は依頼票を仕舞う。


 荷受け係の確認印と、商人の署名代わりの簡単な記号が入っていた。


 そこへ、運転手が工具袋を肩に掛けたまま近づいてくる。


「坊主」


「はい」


「戻ったら、街道の崩れかけた場所も報告しろ。荷傷み無しだけじゃ半分だ」


「道の状態も、ですか」


「次に通るやつが同じ穴に落ちりゃ、結局仕事が増える。協会はそういう報告も拾う」


 それから彼は、少し間を置いた。


「剣がどれだけ使えるかは知らん」


「はい」


「だが、お前は荷を死なせない方に頭が回るらしい」


 商人が横で何度も頷く。


「本当に助かりました。あのまま出てたら、たぶん半分は駄目にしてました」


「そこまでじゃなかったと思います」


「いや、駄目になってましたよ。私はそういう勘定だけは分かるんです」


 その言い方が妙に真剣で、少し笑いそうになる。


 運転手は鼻で笑った。


「なら、初仕事としては上等だ」


 褒め言葉としては、やっぱり地味だった。助かった。


 止まらなかった。無駄に壊さなかった。


 口に出すとただの確認みたいなのに、依頼票の紙はさっきより少し厚く感じた。


 染色場の屋根を打つ雨音を聞きながら、僕は自分の手を一度だけ見た。


 剣だこより、縄の跡の方がくっきり残っていた。


 それを見ても、今日はあまり目を逸らしたくならなかった。


 詰所に戻れば、ラドは細けぇ新人か荷台の番人と呼ぶだろう。三郷なら、大げさに肩を叩いて初依頼成功じゃん、と笑う。


 そんな想像をしてから、少し足元を見た。


 ここには三郷はいない。けれど、誰かに報告したくなるくらいには、この仕事は僕の中でちゃんと残った。


 詰所で名前を出したあとに待っていたのは、名前を残すための仕事だった。


 派手ではない。


 でも、誰かの一日を止めずに済ませるための仕事だ。


 それなら、きっと悪くない。


 ただ、樽の縁に浮いて消えたあの数字だけが、まだ頭の隅に残っている。


 人の頭上にしか出ないはずなんだけどな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ