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ステータス『0』の観測兵 ~クラス転移を離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~  作者: ハルキーノ
第二章 "道筋"

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二章二話 磨きにくいもの

《教導書》 二章 二節

『磨かれぬ力は荒い石であり、握る手の皮を先に削る。』


2373- 第二王城 三郷弦視点


 廊下の奥から、腹に響く音が飛んでくる。誰かの能力訓練だろう。壁越しでもこれか。


「能力の訓練か、それらしくなってきたな」


 少し狭い廊下の中で俺たちは歩いていた。窓から差し込む光は暖かくも刺すようでもあり、石の床に伸びた影を踏むたびに、ここがまだ城の中なんだと変に思い出す。


 隣を歩く小林が、壁に肩を寄せるような猫背のまま、欠伸を噛み殺して答える。


「そうだな、三郷、せっかくあるんだ、より効率的にしないと」


 小林の言う通りだ。俺たちはこの世界に来て、どうにかして守られるだけの立場を脱却しなきゃならない。せっかく異世界に来たんだ。誰かの後ろで震えて終わるのは違うだろ。俺は服の袖の皺を伸ばした。これからだ。


「にしても、羽黒のやつは大丈夫か?かなり無理して頑張ってるみたいだがどうにも能力を考えればなんというか……アレだろ」


 さすがに可哀想とは言えない。羽黒に失礼だからな。


「そうだな、異能だけが全てじゃないって言ってるがさすがに戦闘向きではないな」


 俺たちも頑張らないといけない。どうにかあがいて上に行きたいし、上に行けば、後ろで見ているやつの場所も少しは作れるかもしれない。


「俺はまずは座学だってよ、空戦の基礎を叩き込むって、つまり俺の相手も空を飛ぶことになるんだろうな。」


 人間だけでも空が飛べる。俺だけじゃない。だったら、もっと上に行くしかない。分かってはいても、胸の奥が少しざらついた。


「羽黒のやつ、毒ガスの試験だって。まぁアブナイ物であることは間違いないから調べるんだとさ」


「この世界に来たのは俺たちが初めてじゃない。特別だけど、特別じゃないんだ」


 俺は空を見上げる。青い空、白い雲。見慣れた景色のはずなのに、どこか違う。この世界の空を飛ぶのは俺だけじゃない。胸の奥が少しざらついて、それでも口元は緩んだ。


「特別じゃない、か……」


 小林が繰り返す。その言葉には、納得と複雑さが混じっていた。


「ただの人間でも、俺たちが今ここにいるのは事実だ。できることを、やるしかないだろ」


 俺は前を向いた。廊下の先に訓練場への扉が見えて、扉の向こうから、木剣のぶつかる音と誰かの笑い声が混じって流れてくる。


「そうだな。じゃあ、行くか」


「おう」


 小林と並んで歩き出す。足音が石畳に響き、その音がどこか心地よかった。羽黒のことは気になる。だけど、今は自分たちができることをやるしかない。


 俺たちには、夢がある。この世界で輝きたいという、単純で強い願いが。


 ただ、輝きたいだけじゃない気もする。自分がいる場所を、誰も死なない場所にしたい。そこまで言葉にすると大げさだけど、たぶんそれが一番近い。


 訓練場の扉を開ける。熱気と汗の匂いが押し寄せてくる。


 さあ、始めよう。


倉庫の眠り姫たち


『眠れる鉄にも、油を注ぐ手は要る』


「…………痛」


 朝、意識が浮上すると同時に、全身を走る鈍痛が僕を現実に引き戻した。


 筋肉痛が日常の一部となり、朝起きるたびに身体の節々が軋む音を上げる。太腿の前、膝の裏、背中の端。名前を知らない場所まで痛い。


 ベッドから起き上がるだけで一分。軍服に袖を通すのに三十秒。ブーツの紐を結ぶのに……ああ、腰が痛い。


 異世界転移の朝に必要なものが、勇気でも伝説の剣でもなく、まず腰を曲げずに靴紐を結ぶ技術だとは思わなかった。


 いや、これも成長と言えば成長なのかもしれない。かなり地味な方向に。


 それでも、この一週間で僕の身体は変わりつつあった。手についたマメは潰れては固まり、皮が少し厚くなっている。


 鏡に映る自分を見る。まだヒョロリとした体型に変わりはない。


 ただ、軍服の袖を通す順番は、昨日より迷わなかった。ブーツの紐も、一度で結べた。


 前に進んだ、というほど大きな話ではない。


 でも、起き上がる理由にはなった。


 食堂で薄味のスープと硬いパンを流し込み、教練場へ向かう。朝の空気は冷たく、吐く息が白い。


 そこでは既に、クラスメイトたちが準備運動を始めていた。彼らの動きは一週間前とは比べ物にならないほど鋭くなっている。


「よし、今日の教練はここまでだ。羽黒、貴様の動き、悪くはないが無駄が多い。次はもっと最短距離を意識しろ。剣を振るうな、最短で『置く』んだ」


「はい!」


 トズメク教導長の声が、耳の奥に残る。


 肺が焼けるように熱い。視界が点滅する。それでも、僕は教導長の言葉を一言も漏らさぬよう、脳に刻みつけた。


 最短距離。剣を「置く」。


 それは武道というより、高度な「座標管理」の命令に聞こえた。


 グラウンドの向こうでは、クラスメイトたちが魔法を振るい、派手な爆鳴と閃光が空を焦がしている。


「アクセラップ、踏み込む! ――『インターキラー(近接殺)』!」


「――『根縛り(ルート・バインド)』!」


 彼らが叫ぶたびに、標的が砕け、土が跳ねる。見ているだけなら、ゲームの画面みたいだった。


 だが、僕にはそれがない。だからこそ、この「号令」が必要なのだ。


 無駄な振りは露出時間を増やし、不正確な足運びは生存率を下げる。彼らが「力」で世界を塗り替えるなら、僕は距離と足場と戻る位置を間違えないようにする。


 トズメクの教えは、僕にとって単なる教育ではない。いつか、あの火力の横で、誰かが戻れる場所を残すための第一歩だった。


「午後からは別命あるまで後方支援任務だ。貴様の適性を見込んでの配置らしいぞ。第四倉庫へ向かえ」


「はい」


 後方支援。


 響きはいいが、要は雑用だろう。だが、戦闘訓練以外の任務は初めてだ。


 城の兵站、つまりこの世界の軍隊がどうやって維持されているのか。備蓄物資の種類、管理体制、兵站線の長さ。それを知れるなら、少なくとも何も分からないまま剣を振るよりはましだ。


 剣の柄を握った時より、帳簿や木箱を見ている時の方が、少し気が楽だ。


 僕は少しの好奇心を抱きながら、指定された第四倉庫へと足を向けた。


 後方支援任務。


 言い方だけなら、なんだか少し格好いい。作戦の裏側を支える少年、みたいな響きがある。ただ、たぶん実際には箱を運び、札を読み、誰かに怒られる。


 それでも、剣を振って空振りするよりは、まだ自分の手が届く場所かもしれなかった。



 第四倉庫は、城の地下深くに位置していた。石造りの階段を降りていくと、湿り気を帯びたひんやりとした空気が肌にまとわりつく。だが、カビ臭さはなく、どこか古書の保管庫のような匂いがした。静謐な図書館のような落ち着きがある。


 重厚な扉を開けると、そこには広大な空間が広がっていた。


 松明の明かりが揺らめき、巨大な影を壁に落としている。木箱や樽が整然――とは言い難いが、ある種の法則性を持って積み上げられているのが見えた。


「ん? 新しいのが来たのか。手が足りなくて困ってたんだ、助かるよ」


 倉庫の奥から現れたのは、熊のような大柄な男だった。無精髭に覆われた顔、丸太のような腕。いかにも叩き上げの軍人といった風貌で、一瞬身構える。


 だが、その目は驚くほど穏やかだ。歴戦の強者が持つ、独特の余裕のようなものを感じさせる。


 頭上の数字は『0』。


 この城では、もう珍しい表示ではない。


 それより先に目に入ったのは、木箱を叩く手の厚さと、埃を払う時にこちらへ向けた掌だった。敵意がある人間は、たぶんああいう手の出し方をしない。


「候補生の羽黒です。指示を」


「おう、俺はカルマン曹長だ。堅苦しいのはナシだ。ここは戦場じゃねぇからな。楽にしろよ」


 カルマン曹長は豪快に笑うと、近くの木箱をポンと叩き、埃を舞い上がらせた。


「仕事は簡単、ここにある『ガラクタ』の整理だ。ざっと五十点はある。特に『異界品(アーティファクト)』って呼ばれてるやつらのな」


異界品(アーティファクト)……ですか?」


「ああ。お前ら転移者が持ってきた道具や、過去に迷い込んできた異世界人の遺産ってやつだ。使い方はさっぱり分からんし、魔力も通さねぇ。だが、職人に見せると素材だけは一級品だってぬかしやがるから、捨てられねぇんだよ」


 曹長が呆れたように肩をすくめる。


 なるほど、この世界の人々にとって、現代のプラスチックや合金は「未知の素材」なわけか。加工方法が分からないから再利用もできず、かといって捨てるには惜しい。結果として、この倉庫に死蔵されているということだろう。


 曹長が指差した先には、埃を被った棚が延々と並んでいた。僕は近づき、そこに並べられた『ガラクタ』を見て――息を呑んだ。


 ガラスが割れて動かなくなった懐中時計。レンズの欠けた双眼鏡。色褪せたプラスチック製の保存容器。片方だけのスニーカー。


 それらは全て、かつて誰かが大切に使っていた「日常」の残骸だった。


 この世界に来たのは、僕たちが初めてじゃない。当たり前の話なのに、棚一つ分並ぶと、急に重い。


 一つ一つが、物語を語りかけてくるようだ。


 どんな人が持っていたのだろう。どんな思いで、この世界を生きたのだろう。


 持ち主の数字は、もう見えない。


 棚に残っているのは、割れたガラスと、片方だけの靴と、変色した樹脂だけだった。


 人の頭上に浮かぶ『0』ばかり見ていると、いなくなった人には数字すら残らないのだと、変なところで気づいてしまう。


 懐中時計の割れたガラスに指を近づけて、途中で止める。僕は棚の奥へと視線を巡らせる。


「……これ」


 僕の手が自然と伸びる。


 それは、他の品々に埋もれるようにして放置されていた、薄汚れた金属の筒だった。


 一見するとただのパイプか、何かの部品にしか見えない。だが、その形状、手に持った時のずしりとした重さ、それにあわせて微細な滑り止めの溝(ローレット加工)。僕の記憶にある知識が、その正体を告げていた。


「ん? なんだ坊主、それが何か分かるのか?」


 分かる。


 分かってしまう。


 元の世界なら、たぶん誰かのリュックの底に入っていてもおかしくないものだ。遠足ではなく、災害用の棚とか、部活の合宿とか、そういう場所にある道具。


 それが、城の地下倉庫で埃をかぶっている。


 異世界らしいと言えば、かなり異世界らしい。


 でも、胸の奥に来たのは高揚よりも、置いていかれた感じに近かった。

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