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ステータス『0』の観測兵 ~クラス転移を離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~  作者: ハルキーノ
第三章 ”自己”

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七章三話 橋を残す

《王録》 七章 三節

『渡れる橋ほど、人を選ばず、選ばぬまま遅らせる。』


 橋を残す、という言葉は簡単だった。


 実際の橋を見ると、簡単ではなかった。


 ゴルペホの古い石橋は、川の上に低くかかっている。幅は装甲トラック二台がぎりぎりすれ違えないくらい。欄干の一部は欠けていて、石と石の隙間には草が生えていた。


 壊すだけなら、たぶん早い。


 残す方が、ずっと面倒だった。



 朝の川は、薄い灰色をしていた。


 水音は静かだ。静かなのに、耳に残る。昨日からずっと水の音ばかり聞いている気がする。


 橋の手前では、ペクワ工兵隊が三組に分かれて動いていた。


 一組は道を狭めている。石を積み、土嚢を置き、車輪が自然に左へ寄るように轍を削る。もう一組は湿地側に杭を沈めていた。上から見るとただの草むらにしか見えないが、踏めば足か車輪を取られる。


 最後の一組は、術式標識を埋めていた。


 土嚢を運ぶ列には、女性兵も男性兵もいた。肩の位置や歩幅はばらばらなのに、置く場所だけは同じ線に揃っている。力が足りない人が軽い物へ回されているのではなく、誰がどの角度で置けば早いかで分けられているようだった。


 小さな銅片に、色の違う線が刻まれている。赤は止まれ。黒は撃つな。青は味方だけが夜に拾える誘導線。そう説明された。


「標識って、敵にも見えるんですか」


 僕が聞くと、工兵の一人が手袋の泥を払った。


 手袋の指先は、何度も縫い直されていた。泥を払っても、縫い目の中だけは黒いままだった。


「昼は見えません。夜は、味方の魔導灯にだけ返します。まあ、敵の術式兵が丁寧に見れば分かります」


「分かるなら、意味ありますか」


「見つける時間を使わせます」


 工兵は、当たり前みたいに言った。そうか。


 足止め作戦は、全部そういうものなのだ。止めるのではなく、時間を使わせる。



 橋の中央には、何も置かれていなかった。


 それが逆に不自然だった。手前は狭い。湿地には杭がある。横道には土嚢がある。なのに橋の上だけは、通れる形のまま残されている。


 敵から見れば、そこが答えに見える。渡ればいい。


 渡れる。だから、渡る。


「ずいぶん通しにくい作りですね」


 口に出ていた。


 横にいた下士官が、少し僕を見た。


「褒め言葉として受け取ります」


「褒めてません」


「だいたい同じです」


 下士官は、橋の向こう側へ顎を向けた。


「あちらに抜けた車両は、すぐ速度を戻せません。右は湿地、左は古い壁。前進すると列が伸び、後退すると橋の上で詰まる。砲兵は、詰まったところではなく、詰まった後ろを撃ちます」


 説明は短かった。短いのに、頭の中では長く続いた。橋を残す。


 渡らせる。詰まらせる。後ろを撃つ。


 僕は橋の石を見た。そこには、誰の名前も書かれていない。


 名前がないと、まだ作業に見える。石を置く。杭を沈める。橋を残す。


 その先で誰が止まり、誰が撃たれ、誰が水へ落ちるのかまでは、石の表面に出てこない。


 僕はそれを、少し楽だと思った。


 楽だと思ったことに、遅れて喉が詰まった。


 でも、たぶん誰かがそこで止まる。



 味方の後退路には、アクセラップを使う兵のための足場が残された。


 工兵は泥を削り、浅い石を置き、靴底具が滑らず小型起動具の力を踏み込みへ返せる角度を作っていく。見た目には、少し踏み固められた泥にしか見えない。けれど、そこでアクセラップ機を作動させれば、もう一歩だけ速く下がれる。


 もう一歩。


 それだけで、助かる人がいる。


 それだけで、追う側が届かないこともある。


 マギブレイク用の短杭型機械は、橋の手前の障害の切れ目に置かれた。敵が術式で土嚢や杭を剥がそうとした時、術式兵が魔力を送り、その場所から干渉を起こすためのものらしい。


「壊すんじゃなくて、ずらすんです」


 術式兵が言った。


 彼は若かった。僕より少し上くらいに見える。額に汗が浮いているが、声は落ち着いていた。


 首元の留め具だけが曲がっている。たぶん、さっきまで何度も屈んでいたせいだ。銅片を持つ指には、細い火傷の跡が二本あった。


「相手の術式を全部消すほどの出力はありません。ここでやるのは、起動の順番を乱すだけです」


「乱すだけで足りますか」


「足りるように、工兵が道を作っています」


 術式兵は、橋の手前に並ぶ土嚢を見た。


「魔法だけじゃ足りません。土嚢だけでも足りません。合わせると、通りたくない場所になります」


 通りたくない場所。


 現場の人は、たまにすごく正確な言い方をする。



 昼過ぎ、後方接続点へ最初の修正命令が来た。


 橋の北側、古い壁の裏に、予備の救護線を一本追加。湿地側の杭列を二十歩だけ下げる。青い術式標識の向きを、夜間観測班の位置に合わせる。


 細かい。


 細かいが、全部つながっている。


 僕は木札を動かしながら、伝令に聞き返した。


「杭列を下げる理由は」


「味方歩兵の撤退で、アクセラップを起こした後に曲がる幅が足りないそうです」


 伝令は息を切らしたまま答えた。


 僕は略図を見た。


 橋、湿地、古い壁、後退路。


 味方が下がるための余白を作ると、敵が通れる幅も少し増える。


 増えた幅を、どこで取り返すか。


 僕は赤い布片を一つ動かした。砲兵観測の線を、橋の手前から半歩後ろへずらす。


「ここ、撃てますか」


 ノクスラ班の観測手が双眼鏡を覗いた。


 彼女は髪を短くまとめ、片方の耳に通信具の細い管をかけていた。双眼鏡を目に当てる場所だけ、頬に丸い赤みが残っている。


 彼女は返事の前に、魔導通信具のつまみを一つ回した。箱の中で、小さく虫が鳴くような音がする。


「夜なら見えます。昼は煙が出ると怪しい」


「昼に来たら」


「撃てます。でも当てるより、逃がさない撃ち方になります」


 また、正確な言い方だった。当てるより、逃がさない。


 僕はそれを覚えた。覚えてしまった。



 夕方、橋の上を地元の荷車が一台渡った。


 避難する住民ではなかった。軍の許可札をつけた補給の荷車だ。橋を落としていれば、当然通れなかった。


 車輪が石の継ぎ目で跳ねる。馬が一度だけ鼻を鳴らす。御者は、こちらを見ないようにしていた。


 工兵たちは作業を止めなかった。術式兵も、魔導灯の覆いを確認し続けた。僕だけが、その荷車を目で追っていた。


 橋を残す理由が、急に別の形で来た。戦後の復旧費。


 通行権。責任印。


 昨日聞いた言葉は、机の上の話ではなかった。この馬車が通るか、通れないかの話だった。


 同時に、この橋を敵にも渡らせる。


 使える道として残すから、敵も来る。


 通したいものを通すために、通したくないものも呼び込む。


 その厄介さが、同じ石の上に乗っていた。



 日が落ちる前、川向こうの林で鳥が一斉に飛んだ。


 誰かが声を上げかけ、すぐ飲み込む。


 後方接続点の空気が変わった。木札を持つ手が止まる。魔導通信具の小さな音だけが残る。


「敵先遣、視認」


 ノクスラ班の観測手が言った。僕は双眼鏡を上げた。


 林の隙間に、黒い点が見える。一つ、二つ、三つ。


 歩兵だけではない。低い車影がある。まだ型は分からない。距離がある。煙も少ない。


 数字は、まだ遠い。でも、近づいている。


 近づくたびに、数字の周りの滲みも濃くなる。まだ読めない。読めない方が、たぶん今は楽だった。


 僕は略図の上で、青い布片を一つ押さえた。味方の後退路。


 そこへ赤い線が触れないように、少しずらす。


「橋は」


 下士官が聞いた。僕は橋を見た。


 壊せば、たぶん楽になる。でも、壊さない。


「残します」


 声は、舌の上で薄く伸びた。橋の上を、夕方の光が細く伸びている。


 誰かを渡すためであり、誰かを遅らせるためでもある。橋は、そのままそこにあった。


――――――――


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https://kakuyomu.jp/works/822139841314440520/reviews

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