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ステータス『0』の観測兵 ~クラス転移を離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~  作者: ハルキーノ
第三章 ”自己”

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六章一話 言わなかった名前

《王録》 六章 一節

『言わなかった名前は、喉の奥で小さな神像となる。』


 呼び出しは、夕食の直前だった。


 兵舎の廊下で軍属の伝令に止められた時、俺は最初、何かの書類ミスだと思った。


 そうであってほしかった。


「三郷弦殿。墜界物管理機構より、面談要請です」


「飯、食ってからじゃ駄目ですか」


 冗談っぽく言ったつもりだった。


 伝令は笑わなかった。


 ああ、そういうやつか。


「すぐ行きます」


 食堂の方から、飛井の声が聞こえる。山崎が何か言い返して、誰かが笑った。その普通の音が、少し遠かった。


 俺は腰のナックルダスターに触れる。戦闘中でもないのに、確認してしまう。剣より先に、こっちを確かめる癖がついた。


 なんでも切る剣は、今は部屋の奥に置いてある。


 持ってこなかった。


 機関の面談にあれを持っていくほど、俺は馬鹿じゃない。


 馬鹿じゃない、と思いたい。案内された部屋は、小さかった。


 机がひとつ。椅子が二つ。


 窓はあるが、外は見えない。磨りガラスの向こうで、王城の灯りだけがぼんやり滲んでいる。


 女の職員が、先に座っていた。


 名前は名乗られたが、肩書きの方が長くて、そっちだけ覚えた。


 墜界物管理機構、調整官。


「三郷弦さん」


「はい」


「あなたは現在、転移者班の現場統率を担っていますね」


「担ってる、ってほど立派じゃないです。声をかけてるだけです」


「その声に、他の方が従っている」


 調整官は、薄い紙をめくった。


 そこには俺の名前と、能力と、訓練成績が書かれているらしい。


 俺のことなのに、俺より紙の方が詳しそうだった。


「北領の状況が変わっています。あなた方には、今後さらに実戦的な任務が増える可能性があります」


「もう増えてますよ」


 口が勝手に動いた。


「砲撃訓練も実敵対応も、前よりずっと本気です。みんな分かってます」


「では、こちらの話も早いですね」


 調整官は、机の上の札を動かさない。


「班内の不安定要素を減らしたいのです」


「不安定要素」


「特定人物への依存、過去の関係への固執、配置外の情報への反応。そういったものです」


 嫌な予感がした。


 胃の下の方が、ゆっくり冷える。


「羽黒承さんについて」


 来た。


 名前だけで、椅子の背が急に硬くなった気がした。


「彼は現在、協会経由のクラン活動を進めています。戦力配置上、あなた方とは別系統です」


「知ってます」


「連絡は」


 膝の上の手は、組み替えなかった。


「取ってません」


 取れていない、の方が正しい。


 でも、そこを直すと余計なものまで出そうだった。


 調整官は、俺の顔を見た。


 紙ではなく、こっちを見た。


「今後も、直接の接触は控えてください」


「命令ですか」


「要請です」


 卓上の書類には、まだ誰の署名も入っていなかった。


「命令と何が違うんですか」


「記録上の扱いが違います」


 あまりに正直で、少し笑いそうになった。


 笑えなかった。


 俺は膝の上で手を組む。


 拳を握ると、ナックルダスターの感触を思い出す。


 ここで握るものじゃない。


「あいつ、何かしましたか」


「いいえ」


「じゃあ、なんで」


「近すぎる関係は、戦場で判断を鈍らせます」


 王様みたいな言い方だな、と思った。


 実際、上から降りてきた言葉なのかもしれない。


「俺が、羽黒のこと気にして動けなくなるって話ですか」


「可能性の話です」


「じゃあ逆は? あいつが俺たちを気にして動く可能性は?」


 調整官は、少し黙った。そこで、紙の意味だけが先に分かった。それも、問題にされている。


 承。お前、やっぱりどこかで働いてるんだな。


 俺たちが知らないところで、俺たちの戦場に繋がる何かを、たぶん。


 嬉しい、とは違う。


 腹が立つ、でも足りない。


 置いていったのはこっちなのに、置いていかれた気がする。


 面倒くせぇな、俺。


「三郷さん」


「はい」


「あなたには、転移者班をまとめる立場として、班内の士気を保っていただきたい」


「士気ね」


 笑わなかった。


「羽黒さんの名を不用意に出さないこと。クラン活動の噂に過剰に反応しないこと。必要があれば、彼は別の場所で役割を得ている、とだけ伝えてください」


「それ、俺に言わせるんですか」


「あなたの言葉なら、通りやすい」


 通りやすい。


 クラスの前で笑って、冗談を言って、何となく大丈夫そうな顔をしていれば、みんな少し落ち着く。


 それは知っている。


 知っているから、やっている。


 でも、それを紙の上から言われると、急に全部が安っぽくなる。


「断ったら」


「断る理由がありますか」


 ある。山ほどある。承に会いたい。


 何してるか聞きたい。剣を返されたことを謝りたい。


 あの夜に言えなかったことを、今度こそ言いたい。


 俺みたいにはなるな。そう言いたい。


 でも言ったら、あいつはたぶん考える。考えて、また変なところで自分を責める。


 あいつは、正しい言葉を正しい形で受け取るのが下手だ。


 俺も、正しい形で渡すのが下手だ。


 駄目じゃん。


 俺たち、どっちも駄目じゃん。


「三郷さん」


 調整官が促す。


 俺は息を吸った。


 少し長く吐く。


「分かりました」


 自分の声は、喉の奥で引っかからなかった。


「不用意には出しません。噂が来ても、俺の方で流します」


「助かります」


「ただ」


 調整官のペンが止まる。


「羽黒が危ないなら、教えてください」


「それは」


「会わせろとは言ってません。連絡させろとも言ってません。危ないかどうかだけでいい」


 調整官は答えなかった。


 答えないという答えだった。


 俺は椅子から立ち上がる。


「今日の話、どこまで記録に残ります?」


「必要な範囲で」


「じゃあ、これも必要な範囲でお願いします」


 自分でも、何を言うつもりか分からないまま口を開いた。


「俺は、クラスの連中を戦場で動かします。怖がってるやつにも、撃てって言います。逃げたい顔してるやつにも、前を見ろって言います」


 調整官は、黙って聞いていた。


「だから、俺に言わせるなら、せめて俺が嘘つきだってことは記録しないでください」


「どういう意味ですか」


「俺はみんなに、大丈夫そうな顔をします。でも、大丈夫なんて一回も思ってない」


 それだけ言って、部屋を出た。廊下は長い。磨かれた床に、自分の足音だけが残る。


 食堂に戻ると、もう飯は冷めかけていた。飛井が手を振る。


「おーい隊長、遅いぞ。何の話だったんだよ」


 みんながこっちを見る。


 桐谷さんも、山崎も、佐々木も。


 俺は笑った。


「大したことねぇよ。俺が人気者すぎて、王城が困ってるって話」


 飛井が吹き出した。立川が「うぜぇ」と言った。桐谷さんだけが、少し眉を寄せた。


 ばれてるかもしれない。でも、ばれていないことにする。俺は冷めたスープを飲む。


 塩が強い。喉の奥に残る。承の名前は、結局出さなかった。


 皿の端に、少し汁が残っていた。


――――――――


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