表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ステータス『0』の観測兵 ~クラス転移を離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~  作者: ハルキーノ
第三章 ”自己”

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

100/130

五章九話 母は王冠を見ない

《王録》 五章 九節

『見ぬ者の胸にも、王冠の輪は冷たく触れる。』


2375- 第一王城私室 第二婦人視点


 第二婦人は、王冠を見なかった。


 王冠は、部屋の奥の硝子棚に置かれている。今の王が儀礼で用いるものではない。戴冠式の時だけ使われる、古い方の王冠だ。


 金はくすみ、宝石の一つは色が死んでいる。


 それでも、部屋に入った者は必ず一度そちらを見る。


 権力とは、見られることで形を保つ。


 第二婦人は、それを知っているから見なかった。


「西回廊の通行許可が、また差し止められました」


 文官が言った。机の上には、三種類の書類が並んでいる。通行許可。


 軍用物資の検査記録。第二王子派と接触した貴族の名簿。どれも、直接には何も起こしていない。


 帝国の名は、まだ表に出ていない。だからこそ、危ない。


 紙は人を殺さない。ただ、紙は人を動かす。


「森田ですか」


「森田ロハン本人の署名はありません。ただ、第二王城側の防諜と、軍務地図室の補給路制限が噛み合っています。偶然にしては、こちらの足が止まりすぎる」


「あの女は、偶然の顔をして邪魔をします」


 第二婦人は、名簿の端を指で押さえた。エルトラル侯爵。ポテンティオール公爵。


 軍務士官の一部。西方商隊に口利きをした男。聖六色教会の書記官。


 民族会議の使い走り。名前は並んでいる。


 だが、名前だけでは足りない。敵国と握った、と書ける者はまだいない。


 けれど、敵国の道具を借りようとしている者ならいる。


 第二婦人は、その線を自分の側へ引き込むつもりはなかった。引き込めば、こちらも同じ泥に足を入れる。


 必要なのは、相手の足跡だけだ。


 ランドマールの顔が必要だった。


 あの子が会議に座るだけで、慎重な者は口を閉じ、野心のある者は少し前へ出る。母を前にしては言わないことを、幼い王子の前では言う。


 かわいそうな子だ、とでも思うのだろう。


 ならば、それでいい。


 母でいることと、王冠の近くに子を置くことは、ときどき同じ形をしている。


「ランドマール殿下を、次の会議にも」


「ええ」


 第二婦人は、文官の言葉を遮らずに頷いた。


「ただし、長く座らせすぎないように。あの子は疲れると、昔のことを思い出そうとします」


 文官の目が、一瞬だけ伏せられた。知っている者の目だった。


 第二婦人は、その反応を許した。知らない者よりはましだ。


「茶葉は」


「薄く」


 短く答える。


「強くしてはいけません。今のランドマールから、これ以上削れば、玉座に座る人形にもなれなくなる」


 部屋の音が消えた。


 言い過ぎた、とは思わなかった。


 真実は、時に刃物より扱いが難しい。だから、普段は布で包む。今日は包む時間がなかった。


「第二王子派が、西方で兵を動かしているとの噂が広がっています」


 別の男が言った。


「噂ではなく、事実に近いでしょう」


「では、こちらは」


「慌てません」


 第二婦人は、ようやく顔を上げた。


「ヘルドランテが兵を動かすなら、こちらは王国を借ります。貴族の恐れ、民の不安、軍の面子、商人の損得。それらは、王冠より動きます」


「都市の税と迷宮租税で回っている国です。流通が止まると聞けば、議場はすぐ傾きます」


「ランドマール殿下を王に」


「違います」


 文官の言葉を、今度は切った。


 第二婦人の声は荒くない。


 荒くないから、室内の温度が下がった。


「あの子に王冠をかぶせたいわけではありません」


 硝子棚の中の王冠を、見ないまま言う。


「あの子から、もう何も奪わせたくないだけです」


 返事はなかった。第二婦人は、扇の骨を一度だけ鳴らした。


 憐れみが混じるからだ。彼らは、勘違いをしている。


 母が子を守るために動くなら、それは美談になると思っている。王城で美談ほど危険なものはない。美談は、人を盲目にする。


 第二婦人は、自分が美しいことをしているとは思っていない。


 茶葉で記憶を削った。


 幼さを守るために、幼さを利用した。


 国を割るかもしれない動きを、あえて途中まで進ませるために、別の書簡へ印を押している。


 それでも、止まらない。


 止まれば、あの日の寝台に戻る。


 十日間、何も食べなかったランドマール。


 兄の名だけで喉が塞がり、水すら飲み込めなかった子。


 あの子を、もう一度そこへ戻すくらいなら。


「通行許可は、止めません」


 第二婦人は言った。


「第二王子派の使節団ではないと書かれているもの、巡礼団の護衛物資として処理されているもの、西方商隊の荷として出ているもの。すべて、写しだけを取りなさい」


「軍務地図室には」


「正式な照会は出さない。止めれば、ヘルドランテは引っ込む。引っ込まれては困ります」


 文官が、そこで顔を上げた。


「起こさせる、ということですか」


「ええ。こちらが先に剣を抜いた形にしてはいけません。起こすのは、ヘルドランテ側です。小さく起こさせ、すぐに鎮める。そのための道だけを残します」


「そうなれば、国務代行法第十条の延長判断も、議場はこちらへ寄る」


「鎮圧のために」


「名目のために」


 第二婦人は、そこだけ訂正した。


「貴族は正義だけでは動きません。恐怖だけでも動きません。自分が勝つ側にいて、しかも正しい側にいる、という紙が必要なのです」


 紙は人を殺さない。


 ただ、人を歩かせる。


 歩かせる道を間違えなければ、剣を抜く場所も、取り押さえる場所も選べる。


 第二婦人は、机の上の印璽へ手を伸ばした。


 重い。


 王冠よりずっと小さいのに、これを押す方がよほど堪える。


「ランドマールには」


 文官が聞いた。


「何とお伝えしますか」


 第二婦人は、少し考えた。


 そして、母の声で答えた。


「迷っている人たちに、まっすぐ進ませてあげて、と」


 文官は深く頭を下げた。


 第二婦人は、王冠を見ない。


 ただ、印璽を押した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ