表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。

彼女が好きなのは リベンジ

掲載日:2025/12/07

恋をしてみたい。

幼いころから、わたしは恋バナというものに憧れていた。


女の子たちは、小学校の低学年あたりからもう色めき立つ。

クラスの男の子がどうだとか、ドラマに出ている俳優がかっこいいだとか。

きゃあきゃあ笑い合う輪のそばで、わたしはいつも少しだけ距離を感じていた。


同い年で、同じ「女の子」のはずなのに。

どうして理解できないのだろう。

どうして胸がときめかないのだろう。


わからないまま悩んで、もがいて、ある日、母に打ち明けた。


すると母は微笑んで言った。


「そのうち、わかるよ」


——もう二十五歳だ。

わたしの「そのうちは」、いつやって来るのだろう。


二十七歳の夏、駅前の居酒屋で、その「そのうち」はやって来た。


金曜日の夜。

仕事の疲れが消えないまま、同僚と小さなテーブルを囲んでいた。

店内は油と笑い声の匂いで充ちている。


そこへ同僚がスマホを覗き込み、顔を上げた。


「もう一人、呼んじゃっていい? 家、近い子がいてさ。今からなら来れるって」


「いいよ、来て来て」


しばらくして、引き戸が開いて、少し息を切らした誰かが入ってきた。


「遅くなってごめんね」


「はじめまして」


その声だけで、わたしの胸がぎゅっと締めつけられた。

鼓動が、まるで自分とは無関係に速くなっていくのを感じる。

風邪のときみたいに頬が熱い。

鏡を見なくても、自分の顔が赤いのがわかった。


——ああ、これが恋というものか。


恋を味わえたことは、嬉しかった。

同時に、少しだけ怖かった。

自分が同性愛者なのかもしれない、という事実を、すぐには飲み込めなかったからだ。


それからわたしたちは、自然と何度も会うようになった。


仕事の愚痴をこぼすと、広は真剣に耳を傾けてくれた。

上司の理不尽さを話せば、自分のことのように怒り、

仕事のミスを打ち明けると、「それはつらいよね……」と、代わりに泣いてくれた。


感情を表に出すのが苦手なわたしにとって、

彼女と過ごす時間は癒しだった。


ある冬の夜、駅前で立ち止まっていたとき。


「寒そう。カイロいる?」


わたしが遠慮すると、広はカイロを握ったまま、わたしの手を包んだ。


「こうすると、ふたりとも温かいね」


その笑顔はずるかった。

受け入れ難い自分を、受け入れたくなる輝きを放っていた。


たまに喧嘩もした。

本当にどうでもいい、食の好みで。


「私、おしるこにはお麩を入れるの。美味しいよ」


「え!?おしるこにお麩とか正気?合わないよ〜ふやけちゃうじゃない」


わたしは笑いながら、本気で眉を寄せた。


「お麩の方がさ、ふわっとして、甘さとあうんだって」


広は真顔で譲らない。


結局その夜は、どちらが正しいか決着がつかず、互いに意固地になるだけだったが、

不思議と気まずくはなかった。

喧嘩のあとの仲直りは、距離を縮める役割を果たした。


何度か家を行き来するうちに、

わたしは自分の心の姿を少しずつ許すようになった。


彼女の手の温度、寝起きの顔、ふとした仕草の柔らかさ。

それらはすべて、わたしにとって新しい「居場所」だった。


ある夜、やけに酔ったわたしは決めた。

もう隠すのはやめようと。

目の前の空気を全部吸い込み、自分に活を入れる。

はっきりと言おう。


「広……あのさ、私、その、好きかもしれない。友人としてではなく……」


広は驚いたように目を見開いた。

笑いながらも、手が一瞬固くなるのが見えた。

彼女は顔を伏せて、小さく笑った。


「……ありがとう。そう言ってもらえて、嬉しい」


その言葉に、胸が満たされると思った。

けれど次の瞬間、広の表情に微かな戸惑いが浮かんだ。

話題が別の方向に滑り、彼女はどこか、よそよそしくなった。


そこには、これまで一緒に笑っていた広が、いないように感じられた。



数日後、わたしは広の「素の姿」を知る。


仕事帰り、同僚が男性と歩いているのを見かけた。

後日、冗談交じりに聞くと、同僚はあっさりと言った。


「え?広だよ、あの人」


そのとき初めて、広は「女装をしている男性」だという事実が、

ふいに目の前に現れた。


記憶の中の広は、今まで気づかなかったのが嘘かのように、肩の骨格、細かな、身体の色々なところが男性だった。


わたしの中で、何かが静かに崩れた。


「そうだったんだ……」


その言葉は声にならなかった。

鼓動はまだ早いのに、胸の奥が冷たく、空洞のようになっていくのがわかった。


好きだと思っていた感情が、

広の「素の姿」には反応しなかった。

身体が、心の奥が、正直に離れていく。


わたしは愕然とし、同時に罪悪感と哀しさに襲われた。

嘘をついていたわけではない。

わたしの心は、本当に広に向いていた。


ただ、その向き先は、

「女性としての広」だったのだ。



翌日、わたしは広と会うことを決めた。

胸は張り裂けそうで、それでも確かめなければならなかった。


自分が変わったのか。

それとも、今まで見えなかった何かが現れただけなのか。


喫茶店の窓際。

広は静かに座っていた。

午後の光がテーブルを照らしている。


わたしは震える手でカップを握り、深く息を吐いた。


「話があって……」


「え? あー……うん。いいよ」


一瞬だけ、広の表情が曇った。

覚悟していたような、どこか残念そうな顔だった。


広はゆっくりと、自分のことを話してくれた。

女装が好きなこと。

その姿の方が自分らしくいられること。

けれど生物学的には男性であること。

そして、好きになるのは女性だということ。


わたしは黙って聞いた。理解しようとした。

理屈の上では、きちんと理解できたと思う。


胸の奥は、理解することに全力を注いでいた。


でも、理解と「好きであり続けること」は、どうやら別物だった。


感覚は理屈に抗う。

わたしのときめきは、

見た目や立ち振る舞い、その柔らかさの総体に

反応していたのだと、冷たく腑に落ちた。


白昼に差し込む強い光みたいに、

自分の心の輪郭が、くっきりと浮かび上がる。


「私……ごめん。びっくりしちゃって。

たぶん、……えっと……違う、みたい」


言葉にした瞬間、胸がずきりと痛んだ。

広の目に、一瞬だけ驚きと傷ついた色が走る。

けれどすぐに、微笑もうとする。


それは誰かを安心させるためというより、

自分を守るための笑顔に見えた。


「そっか。正直に言ってくれてありがとう。

つらい思いをさせてごめんね……」


広は静かにそう言った。

その声には、妙に慣れた強さがあった。



それから広とは距離を置いた。

会えば、軽く会釈を交わす程度だ。


互いの居場所をこれ以上傷つけないための、

静かな選択だったのだと思う。


人を傷つけてまで知る恋なら、

知らないままの方がよかった。


ごめんなさい。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ