【短編】シークレットシューズ
とある町の一角。とある二人が通称「破局の階段」と呼ばれる場所を登っていた。
一人は長身のスポーツマン。筋肉質だがスマートな体格で、爽やかなまとめ髪は振り返るといつも眩しい笑顔をしている。
もう一人は細身で小柄。中性的な容姿に蠱惑の瞳を持っていて、男女問わず惚れさせる魅力がある。
「頂上までまだまだありますねー先輩」
長身が涼しい顔で言った。
「全く、キミの無尽蔵の体力にはいつも驚かされるよ。汗ひとつ掻いていないじゃないか。一体どうなってるんだい?」
細身がやや口の端を上げてぼやく。
「そりゃあ、昔部活でさんざん走らされたんで。こんなの屁でもないッスよ」
「おや、それはこの程度で息を切らしている僕に対する罵倒かい?」
「えっ、いや違いますって!そんなこと自分がすると思います?」
「さあどうだろうね」
「ちょっ、先輩……」
町外れにある何の変哲もない石階段に着いた「破局の階段」という異名。その由来は至極単純なものだ。
ここは、登りきった頂上で素晴らしく雄大な景色が拝めるとして有名な観光スポットだった。しかしその道なりは長く、登る者に少しずつ疲労感をため込ませてゆくようになっている。
よって、皆気付けば自身のペースでしか先へと進めなくなってしまい、二人で登ると必然的に片方が置いていかれる形となる。
そしてそれが恋人同士であれば関係に亀裂が入るという話である。
当然彼らも例に漏れず。
「なあ、すまないが少しペースを落としてくれないかな。この靴では少々歩きづらくて」
脚の疲労が限界に達し、細身が呼び止める。
「またッスか?これでも結構ゆっくり歩いてるつもりなんスけど……」
長身は心配しつつも、やや呆れた様子で振り向いた。
「仕方ないだろう。この靴では少々登るのが大変なんだ。足も少し捻ってしまったし……」
確かに、よく見れば細身は片足を僅かに引きずっている。
痛みもやはりあるのか何度もさすっているその様子は見ているだけでもやや辛いものがあった。
他の者の邪魔にならぬよう脇に逸れた後、軽く応急処置をする。
「そんなの履いてるからッスよ。シークレットシューズ……でしたっけ?なんか中が上げ底になってるやつ。他の靴なかったんですか?」
長身は地べたに放られて転がっている靴を一瞥した。確かに、よく見れば不自然に甲が高いことがわかる。
文字通り身長をこっそりと底上げできるので『シークレットシューズ』である。
「あるけど全部シークレットなんだ……」
「な、なんで……」
「いいだろう別に……単なる趣味だよ」
その言葉に長身は不敵な笑みを浮かべた。
「……へぇー、なるほど。先輩、やっぱ気にしてたんスね」
「えっいや……ち、違う!これはその……」
思わぬ攻撃を食らい細身は言葉を詰まらせる。
なんとか言い訳を捻り出そうとするもうまくいかなかった。
何もこの小さな体躯がコンプレックスというわけではないのだ。しかし、本音である『君の顔をもっと近くで見たいから』なんて想いのほうこそ到底言えるはずもない。
先程まで後輩を手玉に取っていたはずなのに、これではまるっきり逆である。
どうにか形勢を立て直さねばと考えていると。
「もーしょうがないッスね」
長身が不意にそう言って細身の背中に腕を添え、瞬く間に脚をすくい上げて手中に収めてしまった。
仰向けにされ至近距離で目と目が合う。
「お、意外と軽いんスね」
突然の暴挙に細身はたじろぎ、混乱する。
「えっ、えっ?」
「さ、行きますよ」
「ちょ、ちょっと、何をして……」
「何って、先輩が遅くて待てないんで自分が運ぼうかと」
「そうじゃない!これじゃまるで……」
「お姫様抱っこ?」
長身はなんてことないような顔でそう言った。
わかってやっていたのか、と突っ込みたくなったが心臓の鼓動がうるさくてそれどころではない。
「ハイ、靴は自分で持ってくださいよ」
細身の内心などつゆ知らず、長身は淡々と事を進めていく。
仕方なく手渡された自分の靴を受け取る。
──下を覗かれたら終わりだ……こんな顔見せられるものか。
耳まで薔薇色に染まり僅かに涙まで滲んでいるなんて知られたら、恥ずかしさのあまり身投げするんじゃないか。頼むからこっちを見ないでくれ。
かくして、名前も知らない人間に醜態を晒しながら頂上を目指す新種の拷問が始まったのであった。
新緑と鈍色だけの風景画に、ぽつりと一点の白が差した。
木々に囲まれた階段の先に、光が見える。
やがてそれは少しずつ、少しずつ大きくなっていき、遂には全てを飲み込む。
友を抱きかかえ、今一人の若者が頂の土を踏みしめたところだった。
「先輩、赤いですよ」
階段を登りきった長身が最初に発した言葉はそれだった。
流石に人ひとりを抱えて登るのはきつかったのか僅かだが息が乱れている。
「いや……これはキミが」
とうとうこの火照った顔面を見られてしまったのか。せめてもの抵抗で顔を隠していたが、意味を成してはいなかったようだ。
胸の内で大きく衝撃が走る。
「……綺麗ッスね」
長身は目の前の光景に見惚れているかのように息を漏らした。
「はっ?そ、それは、どういう……」
またも不意の攻撃を受け、遂に細身は人の形を保っていられなくなるような気さえする。
「ほら先輩も見てくださいよ。めっちゃ赤いしめっちゃ綺麗」
しかし何かがおかしい。どうも会話が噛み合わない。
そこで細身は自身の掌の隙間から外界を覗いてみる。
視界に映った長身は、自分ではなく何処か遠くを見つめているようだった。
何かがそこにある。ふと心を奪われてしまうほどの魅力を有した何かが。
細身も、釣られてそちらへ顔を向けた。
瞬間、眩しさに目がくらむ。やがて姿を現したのは鮮やかな朱色に染まった町と空。そしてその根源たる美しい太陽。
先程まで樹木で遮られていた景色は一転、橙が一面に敷かれたキャンバスは洗練された造形の雲を浮かべている。
眼下には無数の民家。今にもつまんで投げ飛ばしてしまえそうなほどに小さい。
その雄大でありながらどこか優しさを感じる光景に細身は思わず感嘆する。
「ね?めっちゃ綺麗ッスよね」
「あ、ああ。確かに……とても綺麗だ」
どうやら長身が言っていたのはこっちのことのようだった。
自分のことではなかったのか、と少し期待をしてしまっていた細身は肩を落とした。
だがしかし、来て良かったと心から思えた。
「そういえば」
長身が思い出したように切り出した。どうやら伝え忘れていた話があったらしい。
「ここ、『破局の階段』って言って恋人同士で登ると関係が悪化する場所らしいですよ」
その言葉に細身は耳を疑った。
「えっキミ……なんでそんなところにボクを連れてきたんだい……?」
もしやこの者は自分と縁を切りたいとでも考えてるんじゃなかろうか。
「破局だけじゃなくて縁結びもできるらしいんで」
「なんだそれは……全くの真逆じゃないか」
破局と縁結びが同じ場所で行えてしまうとは如何なものか。
一体どうなっているんだという疑問には長身がすぐ答えを出してくれた。
「まあ最後まで聞いてくださいよ。なんでも、大半は疲労のせいで一人だけで登頂せざるを得なくなるみたいで。だけどそれをカップル二人で同時に登り切ると愛が永遠になるとか」
「あい……が永遠…………まあ、た、確かにあれだけ長いと相手のペースに合わせるのは大変だ」
「実際先輩も死にかけてましたもんね」
「し、失礼だな。流石にそこまでじゃない……はず」
「そうは見えませんけど」
うるさいな、と文句をたれようとしたその瞬間、一拍遅れて言葉の意味を理解する。自分が今抱き上げられている状態なのだという事を思い出したのだ。
「えっ……あっお、降ろせっ!」
長身がニマニマと嘲笑っている。
そのまま生まれた隙に透かさず追撃を叩き込んでいく。
「ところで自分達お姫様抱っこのまま頂上まで来ましたけど、これって同時ってことでイイんスかね?」
暴れる細身を完全に無視したまま、長身は話を続ける。
「改めて言うんじゃない!」
もはや細身は限界だった。心臓は飛び跳ね、顔面からは蒸気を発し、頭から爪先まで火照っている。涙まで出てきた。
何もかもが計算の内だったのだ。初めから長身の掌の上で転がされ、│弄ばれていたというわけだ。
このままでは羞恥心と恋の病で死んでしまう。そう考え、細身は一刻も早く脱出せんと身を│捩る。
「ちょっ、流石に危ないから腕振り回すのやめてください!降ろす、もう降ろしますから」
「だったら早く降ろしてくれっ」
「わかった、わかりましたからっ!」
まるで零れ落ちる我が子を必死で支える母のように、長身は力強く腕を│締める。
「ひゃあ⁉」
すると突然、細身が聞いたこともないような可笑しな声をあげた。それと同時に動きも止める。
「い、痛い……変な所に入ったじゃないか……」
「先輩が暴れるからですよ」
「元はと言えば──」
キミのせいだぞ、と文句をたれようとした。正にその時だった。
「あ……」
気づいてしまった。
「……どうかしました?」
自身に向けられた焦がれた瞳孔に、長身は何かを察知する。
「い、いや……」
かつてないほど近くに相手の顔が存在していた。
ずっと遠かった奇跡が、望んでいたものが、目と鼻の先にある。
「なんでも……ない……」
ほんの数センチの至近距離で視線がかち合う。
『君の顔をもっと近くで見たいから』
秘めていた想いが、思わぬ形で叶った瞬間だった。
永遠と見紛う程の沈黙を経て、気付けば日も落ち眼下は夜景に変わっていた。
「あの……そろそろ腕がキツいんで降りてほしいんですけど」
遂に加重に耐えられなくなったのか音を上げる長身。
「あ……すまない」
不在だった心が強制帰宅し、その持ち主である細身も現実に帰ってきた。本当はもう少しこのまま過ごしていたかったが仕方がない。
寒風が二人とすれ違う。揃って身を震わせた。
「そろそろ冷えてきましたし、自分達も帰りましょうか?」
先程まではあった観光客らしき人影も今では消え去り、あるのは夜闇と冷気のみ。
「よいしょ、っとと……」
細身は地に足を着け言う。
「そうだね。僕ら以外に人もいないようだし……」
平静を装ってはいるが、その実身体から熱は抜けきっていなかった。
やがて帰路に就く足取りの二人だったが、一足先を行っていたスラリとしたほうが、はたと止まってこちらへ振り向く。
「あ、帰り道も階段下りなきゃいけないか……先輩、もう一回抱っこしますよ」
「よ、余計なお世話だっ!そもそも、足元が見えなかったら危ないだろう」
まるでうっかりしていた、というような口ぶりに、細身は騙されんぞと瞬時に噛み付いた。
「一回休憩できたんで大丈夫ッスよ。それに先輩ちっちゃいし」
「そういう問題じゃない!」
「でも体力持つんですか?」
「…………かんばる」
何歩か先を行く背中が、少しずつ少しずつ遠くへ離れていく。
夜風に当てられようやく熱は落ち着いたけれど、その余韻は未だ胸の内で火照っていた。
この想い、きっと伝えることはできない。少なくとも今は。
「お~い置いてきますよ〜?」
いつまで経っても自分に追いつかない先輩が気がかりで、長身は声を張った。
「すまない。すぐ行く」
とても近くにあったのに、もうあんなところにいる。
その自由さに、ついていくだけで精一杯だ。だが、そこが良いと思っている節もある。
きっと、自分が持っていないものをあの人は持っているから。
だから。こんなにも。
■■。
靴に隠した想いは今もまだ──。




