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1-8

 世界は血と鉄と泥でできている。


「これが戦場の匂いなのですわね」


 鞍上にてガンメルゼフィーアが胸いっぱいに吸い込んだのは、硝煙の中に血と臓腑、そして泥が混淆された何とも言えない臭い。


 一般の婦女、戦い慣れた兵士でさえ耐え難い臭いであるが、それは彼女にとって香水よりも心地好い物であった。


「生きてるって感じがしますわ」


 夕刻。暗くなって交戦が困難になることもあって基本的には自然解散となる時刻。ミランから三日の位置に彼女が築いた防衛陣地は死体の山に埋もれていた。


 増援を受け取った敵が、ここで押さずしてどうするかと遮二無二になって吶喊してきたのだ。


 撤退してきた兵士や落伍兵を吸収して尚も二個師団に届かないガンメルゼフィーアの部隊が最終的に二個軍団を相手取って壊滅しなかったのは、正しく用兵と陣地構築の妙があってこそだった。


 そして、彼女が不在の間でも、粘り強く抵抗する意志を持った指揮官と、塹壕に踏み込まれても戦い続ける敢闘精神溢れる兵士達の貢献が何よりの勝因である。


「師団長! 御報告します! 獲得した軍旗十二! 敵将のジブリアノ将軍を捕虜といたしました!」


「それは重畳」


 ガンメルゼフィーアは敵が必死になるあまり、前しか見えていないことを悟って騎兵戦力を率いて陣地を後方から大きく迂回。西の川を渡河して敵陣側方に回り込み、塹壕線と死線を繰り広げていた合議王国軍の横っ腹を勢いよく突いたのだ。


 先陣を切ったのは、彼女が率いる竜騎兵大隊。古帝国の竜騎兵は胸甲を纏わず、短銃身のカービン・マスケットを装備した機動性に優れる快速の兵科であり、奇襲にはこれ以上ない適性を持つ。


 敵方の目が前方に釘付けになっていることを確認した彼女は平地を疾駆し、接触する直前に離脱しつつ騎射を行って敵陣の動揺を誘う。


 そして、そこに後続の二個胸甲騎兵大隊が斬り込んで傷口を広げれば、敵の右翼はあっと言う間に壊走。古帝国の左翼陣地はこれを好機と見て反転攻勢にかかり、中央と協力して敵最左翼の半包囲に成功。


 後は後方を扼する自由を得た騎兵隊を縦横無尽に駆け巡らせ、阿吽の呼吸にて立ち上がった戦列歩兵と共に士気も指揮統制をも喪った合議王国軍を思う存分食い破り、鬱憤を晴らすかのように大戦果を挙げた。


 戦果は先に伝令が述べたとおり。主力軍を率いていた将軍を捕縛し、壊滅状態に陥った半旅団の軍旗を十以上も獲得。戦史に刻んでも良い大戦果である。


「さて、じゃあ追討としゃれ込みましょうか。ミランを解放し我等の白百合旗(国旗)を掲げるのですわ」


 だが、ガンメルゼフィーアはそれで満足しなかった。


 敵は完全に指揮崩壊して撤退していったが、殺傷した数は二千と少し程度で、捕虜も度数を僅かに超えるくらい。


 敵は二個軍団約三万五千名。ここ数日の戦闘で削った数も含めて三割は減らしたであろうが、まだまだ後方に下がれば再編成が十分に能うだけの数だ。


 それに敵も馬鹿ではなかろう。奪ったミランを確保するため、師団を一個か二個は置いて行っているはず。それを吸収して、生き残った将軍が部隊を確保すれば軍団は息を吹き返す。


 そうすれば自由州連合の北方を占領し続けるなりして、戦略上の勝利で我慢されては血を流した意味が薄れてしまう。


 戦争とは一度の戦術的な勝利で終わってはいけないのだ。勝ちを掴んだならば、それを更なる場代としてベットして、より大きな勝利を得なければならない。


 ここはオールインのし時であると、ガンメルゼフィーアは大きな賭に出た。


「騎兵隊は直ぐに追撃戦に移行! イレーヌ! 私の大隊を預けますわ!! やりたいことは分かっていますわね!?」


「承知! 輜重隊と砲兵隊を優先敵に叩けばよろしいのですね!」


「結構!! 師団は再編成! 負傷兵を下げて、二個連隊で現地を固守! 残りはミランへ向かいますわよ!!」


 愛馬カイゼリンを駆って陣地を駆けずり回り、兵士達に少しの休息と夕餉を取らせるように命じながら、生き残った兵を鼓舞する彼女の顔は生気に満ちて輝いていた。


 戦の狂奔にあてられて逸っているようにも見えるが、そうではない。


「この数で追撃はともかく、ミラン奪還は無茶では?」


「あらエミリアン大佐、むしろ今が絶好の好機でしてよ?」


 ねぇ、と問われ、何故か幕僚会議に引っ張り出されたナブリオは微妙な顔をして答えた。


「ラインランテ大佐の仰る通りかと。現状、ミランは既に戦略・戦術共に拠点としての体を成していません。それは捕虜にしたジブリアノ将軍からの証言があります」


「ええ。たかが二個師団足らずで敵を撃滅したとはいえ、陣地を出て二個軍団を相手取るのは無理でしょう。ですが、今の敵は軍団と呼ぶに値しないほど崩れていて〝ケツ〟を突っついてやればやるだけ逃げるしかない状態。ミランに籠もるのは自殺行為ともあれば、再編成する隙を与えず殴り続けて後方まで叩き返してやるだけですわ」


 壊走した軍団というのは数だけみれば未だ脅威に映るやもしれないが、その巨体故に簡建て直しがすぐできるものでもない。


 要するに戦術単位というよりも、持つ物を持って逃げている二万超の群衆、ないしは辛うじて統制を保った大隊規模の部隊がだらしなく縦列で逃げているだけとも言えるため、正しく殴り得とも言えるのだ。


 そこに騎兵が襲いかかって攻撃の要なれど足の遅い砲兵を優先敵に狩り、補給をさせてやるものかと輜重を焼いて回れば、尚更敵の士気は落ちて使い物にならなくなる。


 夜っぴい叩かれ続けた敵は落伍兵を増やし、ミランに辿り着く頃には更に数を減らしていよう。


 そして、餓えきった都市に逃げ込むこともできないのだ。


 脱出してきた兵達の話を聞けば、合議王国軍は最後まで立て籠もろうとした部隊を追い払うために城門へ一方的な砲撃を叩き込んで門を破壊し、鐘楼なども叩き折ってきたこともありミランには最早防御陣地としての機能は残っていない。


 そして、既に略奪されていたミランに町々を襲いながら進撃してきた合議王国軍が施しをするとは考え難い。


 散々に負けた恐怖を背負った敵は、そのまま逃げられるだけ逃げていくしかないというわけだ。


「さ、参りましょうか。篝火を焚いてできるだけ大群に見えるよう欺瞞することも忘れずに」


 出立の準備は一刻ほどかけて整えられ、増強一個師団規模の部隊が防御陣地から討って出た。


 それから、全ては軍人令嬢の言うとおりになる。


 敵はミランは使い物にならないとみて別ルートで西へ西へ撤退。ミランを確保していた師団も、大砲の数が圧倒的に違うことを加味して真面な戦争にならないと引いていった。


 あとは空になったミランを占領し、戻ってきても叩き潰せるだけの陣地を敷いて待つだけの簡単な仕事であった。


「しかし、酷い有様ですわね」


 臨時司令部として徴発したミラン市庁舎にて地図を広げていたガンメルゼフィーアであるが、都市の荒廃ぶりに呆れて大隊規模の兵士しか入れなかった。


 というよりも、多くの兵を入れられる状況ではなかったのだ。


 ここはもう街というよりも、辛うじて生き延びた餓鬼の巣窟という方が近い。


 今は師団が持ち込んだ食料で作った薄い薄い粥の炊き出しを競うように貪っているミラン市民は餓死と、急に増えた二個軍団のせいで機能しなくなった衛生システムによって発生したチフスの影響で往事の半数くらいにまで減っていた。


 そして、そこを占領したピレネア合議王国軍は、彼等に何ら救援を差し伸べることはしなかった。


 そのため、北サヴォイア軍団が軍を退いたあともミランは地獄を味わい続けていたのだ。


 この被害を勘案するに喪った人口はあまりに多く、避難するため早々に逃げ出した者達もいようが、かつての賑わいを取り戻すのには長い時間がかかるだろう。


「エミリアン大佐、予備軍司令部からの連絡は?」


「先程、早馬が届きました。追加で到着した二個師団が数日中に来援する予定とのこと」


「ふむ……伝令の移動速度的に、増援はもうわたくしの防御陣地を越えた頃かしら」


 ならば、ミランを維持し続けるのに現状の師団以上の数は重荷になるだろうと考え、彼女は予備軍司令部に更なる報告を上げた。


 とりあえず必要なのは物資だ。敵は未だ騎兵隊の追撃を受けて西方の後方線まで長い長い逃避行を続けているため――略奪の限りを尽くしながらの行進だったこともあり、碌に籠城できる街が残っていなかったのだ――戻ってくることはないが、折角占領したミランで餓えた市民の反乱が起こっては洒落にならない。


「まぁ、食料支援を約束したら新市長も帝国への帰属を望みましたし、これで何とかお偉方への言い訳は整うでしょう」


 上等な椅子にぎしりと体重をかけながら長駆を横たえた令嬢は、酷い有様ではあるものの最低ではないと思考を切り替えることにした。


 ボロボロだがミランは古帝国の手中に収まり、南方領土が僅かに増えた。この都市が経済的な価値を取り戻すのに数年はかかるだろうが地政学的な勝利は確実で、予備軍が合議王国軍を蹴散らしたという政治的な勝利も今後の外交を良い方に転がしてくれよう。


「しかし初陣、呆気なかったですわね……」


 手元にある戦力を見れば、華々しい大勝利と呼んで差し支えのない勝利を掴んでもガンメルゼフィーアに達成感はなかった。


 血と泥と鉄が混じり合う戦場に立った高揚は、今も忘れ難く残っているが、帥を取って勝利をもぎ取ったという実感には乏しい。


 悲しいかな、敵も味方もお粗末すぎて、充足感が足りないのだ。


 この穴をどうやって埋めれば良いのだろうかと彼女は黙考する。


 軍団を預けられ、もっと戦果を上げれば満たされるのか。それとも、一個軍団程度では足りないのかも知れない。


「国家の命運を分けるような大戦……」


 ぼそりと呟き、そこにならあるいは自分を満足させるものがあるのだろうかと想いを馳せる。


 ただ、そんな機会に都合良く恵まれることはないだろうな、と冷めた思考が返して来た。


 現状、二重帝国との国交は安定しており、それ以外の方面とは友好関係を築けている。合議王国軍もこれ以上の増派は難しいだろうから、ミラン戦線がこれ以上の激戦に恵まれる可能性も乏しい。


 恐らく、南北からの挟撃という当初の目的に失敗したシチリー王国の北方回収は失敗するだろう。ミランが惨憺たる状態に陥ったのは、自由州連合はとりあえず南方の敵を叩き潰してから北を奪回する戦略を立てていたようなので、満身の力を込めて王国軍を叩き潰しているはずだ。


 無理に南北どちらも救おうとせず、主攻を担うだろうシチリーを叩いたのは賢い選択だ。かなりいい将軍が自由州連合にもいるらしい。


「戦場、戦場……ああ、いけませんわ、私は護国のために立った女。そんな、祖国が戦争をすることを望むようなはしたない願いを抱いては」


 戦の高揚とは怖い物だと自覚しつつ、自分の体を抱いてガンメルゼフィーアは昂ぶった心を静めようと試みた。


 そんな彼女に続いて下った命令は、ある意味で心を落ち着けるのに丁度良かったのかも知れない。


 暫しミランを掌握し続け、崩壊したサヴォイア軍団を再編成するまでの間、同地に留まるようにと告げられたのだ。


 そして、彼女はここで一年ほどの時を過ごすこととなる…………。

初陣終了。貴族令嬢っぽく色っぽく夢を見るガンメルゼフィーア。

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この令嬢、精神性が吸血鬼化する前の最後の大隊と一緒やんけ!? はー!生まれながらにウォーモンガーとはたまげたなぁ。
ゾクゾクしちゃいますね!(色んな意味で)
婚約破棄の傷を、夢を抱くことで癒す令嬢は美しいですね… 嘘は付いてないよ。嘘は
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