1-6
何があったらここまで酷いことにできるんだと、現地の情報を知ったガンメルゼフィーアは頭を抱えた。
さて、軍隊の移動というのは簡単なものではない。何と言っても基本が徒歩なのだ。騎兵は迅速に移動できるが、ただポテポテ歩いているだけの騎兵大隊なんてものは鴨に過ぎないため、最も行軍速度が遅い歩兵に合わせて動く必要があるがゆえ、最大速度は大して変わらない。
そのため急いで準備をしても、兵隊を集めたり物資を集積したり書類を整えたりで、どれだけ急いでも思い立ったが吉日即日出立だ! とはいかない。
そして、ラインランテから第51半旅団を含む三個半旅団からなる増派師団が差し向けられたが、現地に到着するまでに三ヶ月が掛かっていた。
のだが……。
「なんでもう戦端が開いてますの!?」
到着した自由州連合との国境間際で、当初の命令書通りの集結地に辿り着いた公爵令嬢は、戦況が悪いため直ぐ南に増援として降りていくようにと命じられた。
しかも、部隊が到着次第順次部隊が南下していくよう命令が下されているようで、予備軍は司令部を除けば影も形も存在していなかった。
何が何だか分からず、休みも碌に取らず行軍を再開した令嬢であるが、道々で仕入れた情報によると真相はこうだ。
まず、ピレネア合議王国は半島の付け根から港を確保して北に向かって侵攻し、シチリー王国は順当に北上。南北から挟んで二正面を強いることで自由州連合を圧殺しようとした訳だ。
そこで悲劇が起こる。さる自由州連合の都市が防備を整えられなかったこともあり、こりゃいかんと無防備宣言を出したが、連合王国軍は交渉を無視して都市を略奪。ほとんど虐殺と言って良い蛮行を行った。
この噂を聞きつけた周囲の都市の人間は疎開をはじめたが、頼ったのは自分達の国ではなく古帝国。頼りないと思ったのか、より国力がある方に縋った方がいいと思ったのか分からないが、ともかく避難民が国境際の都市に雪崩れ込み、都市の指導者は古帝国に下っても良いから守ってくれと南方軍団に打診をする。
これを好機と見たのか、サヴォイア軍団の軍団長ドナシアン将軍は、自分が英雄的に都市へ凱旋し古帝国領土とすれば大きな功績になると判断して独断専行。
勝手に国境を越えて自由州連合北方で最大の都市ミランに駐留。これを古帝国に帰属するためピレネア合議王国は手出しをするなと勧告したのだが……。
まぁ、それを聞くような状況なら、そもそも戦争をしていない。
何より、ドナシアン将軍が駐留したミランが悪かった。
ここは北方で最も豊かな土地であるため、ピレネアの最優先確保地点に含まれていたし、何より度重なる略奪によって味を占めていた軍にとっては見逃せない〝美味しい獲物〟であった。
思いっきり平地に面していて護りに適した都市ではないし、他の都市と同じく要塞化がそこまで進んでいないため籠城拠点としての価値は限りなく薄い。
そして、そこに餓えていたサヴォイア軍団の悪い点が発揮される。
あろうことか、彼等は守るべきだったはずのミランで略奪をはじめてしまったのだ。
こうなっては収拾がつかぬ。都市の要塞化も進まず、住民からの協力も得られない上に大量の避難民によって兵站は崩壊。
斯くして済し崩し的に両軍は戦端を開き、血塗ろの殺し合いが始まってしまった訳だ。
これをミランまであと三日という所で知ったガンメルゼフィーアは、部隊に停止を命じた。
「師団長、何故です? 予備軍の命令はミランの救援と……」
「付き合ってられませんわ。抗命権を行使します」
「はぁ!?」
臨時で師団長となったガンメルゼフィーア配下の第41半旅団長、父ジョルジュとも付き合いが長いエミリアン大佐は思わず叫びを上げた。
「いいですこと大佐、ミランは陥落しますわ。何があっても。どうあがいても」
「それは何故……」
「北サヴォイア軍団は実質二個軍団規模。元々兵站が満足に整っていなかった中、完璧な籠城もできず近くの平野で会戦をだらしなく続ける日々。更に膨れ上がった避難民のせいで食糧事情は急激に悪化。そんな都市に我々一個師団が詰めかけたらどうなると?」
「むぅ、確かに……好転どころか悪化しかねませんな」
既に人間がパンパンで補給が崩壊している中に一個師団が駆けつけたところで、状況は悪化することはあっても好転しない。増派師団は自分達だけなら一ヶ月優に戦える物資を道々に補給拠点を構築しつつ、輜重部隊を編成して確保しているが、そんなものは都市一個と避難民に二個軍団を合わせれば半日で消費されてしまうだろう。
その上、予備軍は構成部隊が到着次第逐次送り込まれていることもあって、想定より人員が詰め込まれて状況が更に悪化している公算は高い。
今やミランは餓えた人間の坩堝だ。そこに飛び込むのは命令があれば臍を噛んででも戦わねばならない軍人だとしても無謀というもの。
そもそも、士官に与えられる抗弁権とは、どう考えても遂行不能な命令に「冷静になれ」と怒鳴りつけるためにあるものなのだ。
「それに、ここ、いい立地ですわね」
「は? ああ、たしかに陣を張るにはいいかと」
周囲の景色を見て軍人令嬢は満足そうに頷いた。
現在、ミランから三日ほどの現地点は西に川、東を少し行った所に山に挟まれた平地であり、所々に小さな丘が点在している。
会戦をするには少々狭いが、防御陣地を作るには丁度良い塩梅なのだ。
「近々ミランは落ち、味方がドンドン逃げてくるはず。我々は独自の判断に基づき、ここに後方線を構築しますわ」
「そういえば、今まで後方陣地はなかった……まさか、予備軍までミランがあれば持ちこたえられると楽観した?」
「でしょうね」
なんてこったと頭を抱える大佐。得てして前線から遠いほど後方では楽観が支配すると言うが、ここまでとはと思い、大学で勉強して幕僚として何年も勤務を終え、更により抜かれた将軍でもこれかと呆れたくなったのだ。
「あの丘と、あっちの丘、それから向こうの丘に砲兵隊を配置しましょう。それから、少し後方の丘には臼砲を抽出して集積」
「畏まりました」
「それから、持ってきたアレを使いましょう」
「アレというと……」
「土嚢ですわ」
こういうこともあろうかと、増派師団の各工兵中隊にガンメルゼフィーアは商会から新規に購入した土嚢製造機を持たせていた。
構造は単純で、升目に区切られた木枠に土嚢袋を設置して、後は土を放り込むだけで効率的に土嚢を製造できる最新の発明品だ。これを一目で見て気に入ったガンメルゼフィーアは中隊に充足するだけ購入し、分配しているのであった。
「胸壁を作っている余裕はないので、塹壕と土嚢防壁で陣地で作りましょう。味方が壊走しても逃げられる余地を作っておかないと酷い目に遭いますわよ」
「ですな。味方のためになりますし、お嬢様の戦略眼を信じます」
「では、即座に動いてくださいまし」
「はっ!!」
美事な敬礼をした大佐は配下に命じ、部隊を動かして防衛線の構築をはじめた。
ミランが落ちるまでどれくらいかかるかは分からないが、時間はそう残されていない。餓えた軍団というのは瓦解が早いものだ。餓死してでも戦い抜くだけの気合いが入った軍団ならまだしも、給料の遅配が長く続く北サヴォイア軍団と、あまり良い噂の聞かないドナシアン将軍では持ちこたえられまい。
ミランに入ったのが一ヶ月前らしいので、明日にも崩壊したという報せが北とて誰も驚くまい。
「急がせなさい! 掘った塹壕の長さと積んだ土嚢の数だけ寿命が延びますわよ!!」
工事を始めて二日。師団が二個ほど通り過ぎたが、予備軍からの命令があるからと愚直にミランへ向かってガンメルゼフィーアを落胆させるばかりであったが、この日は違った。
小規模な部隊、恐らく急行せよと命じられた部隊が足の遅い砲兵部隊を一時的に切り離したために時間差で簡易要塞を通りかかったのだろう。
「これは何だ? 部隊の命令はミランへの急行のはずだが?」
「ああ、どちら様でして? 私はライランテ増派師団の師団長、ガンメルゼフィーア大佐ですわ」
女が戦場にいることに驚かれたが、その口調から草臥れた軍服の大尉は、貴族兵であることに気付いたのだろう。特に何も言わずに敬礼を返して来た。
「俺は中央集積軍派遣師団の第67半旅団付き砲兵大隊のナブリオ大尉です。貴隊は何だってこんな所で穴を?」
「ミランの後方線を作っておりますわ。貴隊は先行した部隊に追いつこうとしているのですね?」
「ふむ……」
顎に手をやった大尉は、正直に言って見窄らしかった。古い軍服は数少ない物を着倒しているのか、軍帽諸共に所々がボロボロで擦り切れており、羽織っているコートも着潰されてペラペラであった。
黒くて脂気の多い髪は垂れ耳の犬を連想させ、あまり良い物を食べられていないようで痩けている頬が意志の強そうな瞳と相まって、益々犬のように見える。
愛嬌のある犬ではない。猟犬の類いだ。
ナブリオと名乗った大尉はしばらく考え込んだ後、頭を掻いて言った。
「まさか、俺と同じことを考えているのがいたとは……しかもより大規模に」
「何ですって?」
「ミランは落ちる。でしょう?」
ほう、と感心したように呟いて、ガンメルゼフィーアは何故そう判断したと問うた。
「ま、道々の噂だけで十分過ぎるかと。俺もこりゃダメだと思って、途中で落伍した兵やらを拾いながら、適当に後方陣地にできそうなところを物色していたんですよ」
一等地は取られちまいましたがね、そうつまらなそうに言う彼にガンメルゼフィーアはたしかな才能を見た。
自分と同じことを考えられる軍人が他にもいる。これほど力が湧いてくることがあるだろうか。
「ではナブリオ大尉、貴隊を一時的に組み込みたいといえば如何です?」
「壊走する味方を助けられる一番槍の名誉は逃すことになりますが、ま、これより後ろで暇してるよりはマシですな。武功も立てられるでしょうし、助力いたします」
ああよかったとガンメルゼフィーアはナブリオの手を取って喜んだ。実のところ、人員も微妙なところであったし、佐官が足りていなかったので彼の大隊と急造の歩兵隊は天からの恵みと言っても良い物だったのだ。
「共に崩壊するであろう味方を救いましょう、大尉」
「ええ……ああ、しかし、とんだ初陣になっちまった」
ナブリオの表情はあまりよくない。取り繕うことにまだ慣れていないのだろう。軍を救う救世主になるのは自分だったはずが、その目論見が外れたことが楽しくないのであろう。
しかし、一方で軍人令嬢は華が綻ぶような笑顔を浮かべた。
「あらまぁ!」
「何がそんなに嬉しいんで?」
「いえ、まさかこんなところで初陣仲間に出会えるなんて!」
「……は?」
この時、コールシガのナブリオ二四歳、ガンメルゼフィーア・レイテ・エーリカ・ゲルトルート・エルヴィーナ・ドゥ・ライランテ二一歳、共に暴徒の鎮圧などの実戦は経験済みであったが、大規模な戦争は初陣であった…………。
コメントいただければ嬉しく存じます。