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「戦争だ! 軍を集めよ!!」
「落ち着いてくださいまし、お父様」
やっぱりこうなったかと、伝令兵もかくやの勢いで三日ほど早馬を飛ばして帝都のラインランテ公邸にやってきたガンメルゼフィーアは頭を抱えたくなった。
「可愛い娘をコケにされて黙っていられるか! 戦争だ!! フェーデだ! 皇帝を跪かせて俺のブーツに口づけさせてやる!!」
「落ち着いてくださいまし、お父様。神聖歴になってもう一千八百年を疾うに過ぎ過ぎましたわ。一二世紀頃の価値観を急に思い出すのはやめてくださいまし」
ガンメルゼフィーアの前で激怒しているのは、一人の中年に差し掛かろうという男性であった。しかし、その顔は生気に満ちあふれ、絶えぬ運動のおかげで太ることもなく隆々とした美事な体躯が加齢を窺えさせない。
顎と口髭が一体化した豊かな髭を蓄えた灰色の髪をした彼の名はジョルジュ・モンジュー・イポリート・ドゥ・ラインランテ。当代のラインランテ公であり古帝国大元帥。その金壺眼は端正な顔付きをした娘とは対照的で、いっそ凶相といった方が相応しく赤子が見れば即座に泣き出すような威容である。
軍歴も顔に見合った凄まじさだ。先のオーハン二重帝国戦争において、ラホアジエ湖畔にて陣頭に出てきた皇太子軍から軍団旗を奪い取った功績で元帥に叙され、その後は軍旗を取り戻すまでは帰ることはできないと意地を張ったオーハン軍を当時では極めて画期的な〝瀉血戦術〟と後に命名されることとなる、会戦による一撃粉砕よりも継続的かつ徹底的な敵兵士の損耗を狙った戦術で継戦能力を挫き、泥沼の長期戦にせず終わらせた古帝国の英雄だ。
その彼は色素が薄いことも相まって、激怒すると顔が焼けた石炭もかくやに赤くなることから〝赫のジョルジュ〟と呼ばれることもあるのだが、今現在顔の赤さは焼けた石炭もかくやで、正しく歴代最高潮と言っても良かっただろう。
「これが落ち着いていられるか! 世界で一番可愛いフィーアを、よもや、よもや婚約破棄だと!? あの思い上がったヘタレの小僧とハゲ野郎! 揃ってブチ殺してやる!!」
「陛下をハゲ呼ばわりはおやめくださいな。たしかに最近、額が大分キてあそばされていらっしゃいますけど、大変気になさっているのですから」
「だからだ! 命より大事にしている金髪を全部毟った後でセン川に撒いたあとで、はげ頭を槍に突き刺して衆民に晒してくれるわ!!」
「いいから落ち着いてくださいまし」
熱しやすい上に冷めにくい父親が絶対こうなると思っていた公爵令嬢は、もういっそ鋭剣の柄でぶん殴った方が大人しくなるだろうかと捨て鉢になりかけた。
そして、実際にやろうと思っても無理だと諦めて――他ならぬ父が、彼女の鋭剣術を仕込んだのだから――早馬に乗っている間に組み立てた話術を披露することとする。
「父上、これはそんなに悪い話ではございませんことよ。第一、わたくしそこまでフランツェルス様をお慕いしていた訳ではありませんし」
「だっ、だが、お前に大きな傷が……」
色々面倒臭いが、父親にはこれが一番“効く”ことが分かっているガンメルゼフィーアは、年齢も考えず甘ったるい声を出すことに躊躇いはなかった。
彼女は軍人。使える物は歯だろうが拳だろうが、そこら辺に転がっている石だろうが使う人種。自分に強い武器があると分かっていれば、それが羞恥心を擽ろうが使わない道理もなし。
「わたくし、もっとパパの側にいたいんですの……ダメ?」
「うっ」
凄まじいつり目で上背も170はあろうかという女がしたところで、世の男性は「お、おう」と及び腰になるであろうおねだりも、たった一人の娘を溺愛している父親にとっては四つの頃から変わらない破壊力を持つ。
斯くしてどうにか内戦の危機を力業で沈めたガンメルゼフィーアであったが、父親にメリットを説いておくことも忘れなかった。
利を説くのは相手が落ち着いてからというのは常道だ。基本的にブチ切れた人間に合理的な話など通らない。
まず、今回の一件でラインランテは今上帝に大きな貸しを作ることとなる。
二人の婚約は戦費によって国庫が枯渇した上、更なる増税や国債発行も困難と判断した借財まみれの帝室が、金満で知られるラインランテに泣き付いてきたので仕方がなしに受けた側面が強く、どちらかというと選択権はジョルジュにあった。
それを一方的に反故にしたとあれば、責が何れに帰結するかなど明白。
つまり、ラインランテは切るまでもなくチラつかせるだけで帝室との交渉を有利にするカードを手に入れた訳だ。国庫に入れた金は結納金という側面もあったんだから返せよと言われれば、今も割とカツカツの歳費でやっている帝室は、それだけはご勘弁をと大抵の要求を呑むことであろう。
「ふむ、悪くないな、悪くないぞ、それは確かにいい。今度、馬車鉄路を敷く計画があったのだが、アレをカールスルーを通るように計画を変更させるか」
「それが宜しいかと」
馬車鉄路とは、熱心な啓蒙派貴族が少しでも民の労働を楽にし、生産能率を上げる種がないかと特に重労働の鉱山を見学していた時、鉱物運搬用のトロッコを見て思いついた新機軸の物資運搬技術だ。最初は鉱石を運搬するトロッコを人力ではなく動物に牽かせられないか考えていたようだが、ある者が広さの制限がない外でなら直ぐにでも運用できるのでは? と考えついて実証試験が行われた。
その結果が良好であったこともあり、馬車より素早く快適にヒト・物を運べる技術の敷設は古帝国繁栄のため大々的に行われることとなったのだが……。
「利権に五月蠅い近衆共が独占するところだったからな。これで産業の中心地たるカールスルーに資材を上手く運び込める」
「何なら市中にも鉄道網を張り巡らせてしまいまいませんこと? 帝室が集めた金で労働者も移動に時間が取られなくなって何よりだと思いますわよ」
「お前は賢いなガンメルゼフィーア。流石は俺達の子だ。神々の膝元で休んでいるゼフィランティアも誇りに思うだろう」
武人然とした外見ながら、古代より産業の中心地として発展してきた沃土たるラインランテを治めてきたジョルジュは武一辺倒の男ではない。その辺の計算ができるからこそ、苛烈なラボアジエ湖畔会戦にて自らの兵を一度も餓えさせず、砲も銃も不足させない戦いができたのだ。
「あと、わたくし、自信はないけど幾つか演劇をやろうと思いますの」
「演劇?」
「ええ、即興劇を幾つか」
そして、婚約を破棄されたという悪印象を好印象に変える方法もある。
要は悲劇のヒロインになればいいのだ。
ただ、これは噂をばら撒くだけではいけない。写真技術もないこの世の中では、民草がそこまで婚約を嫌がる醜女だったんじゃないかと笑いぐさにして終わりだ。
「なのでお父様、ちょっとお小遣いをいただけませんこと? 帝都の廃兵院を幾つか改装して環境も良くしたいですし、救貧院を二つ三つ建てようかと」
「ふむ……」
「それに肖像画は好きでもありませんけど、出資者の絵を飾らせるなんて有り触れたことでしょう?」
顎に手をやって髭を捻る癖を見せながら、暫し考えたジョルジュは娘の目論見に気付いた。
「やはり頭が回るな、ガンメルゼフィーア」
「恐縮ですわ」
噂とは何も上から回る訳ではない。記事にする内容を漁っている新聞の記者は、現在は殆どが平民であるため情報源も同じく平民。
そして、廃兵院で世話になっている傷痍退役軍人や救貧院に駆け込むような貧しい者達がガンメルゼフィーアの行いを知り、彼女がちょっとした演劇を打てば同情的な世論が簡単に形成されるわけだ。
貧しき者達がした話が平民に伝わり、記者が拾い、更に記事にして広める。さすれば、ガンメルゼフィーアはあっと言う間に悲劇のヒロインとして周知される。
かかる手間は金だけ。豊かなラインランテにとっては、何より大事な貴族のプライドを守るのに比べれば救貧院の二つや三つなど運営費を加味しても駄賃程度のものであろう。
この一手が決まれば、ラインランテが此度の婚約破棄で被る醜聞を最小限化するどころか、ガンメルゼフィーアの名を上げる好機となる。現在は改正募兵精度によってかつての悪習であった、犯罪者や政治犯から軍隊を作っていたのと異なり、志願兵によって整備されているラインランテ公参加の軍団に「いっちょ悲劇の御姫様のために戦ってやるか」という者達がやってくる効果も期待できる。
「ただ、やり過ぎはいけませんわね。噂が広まったあとで、ラインランテと帝室の関係は拗れていないことを示すため、共同名義で大きな救貧院をもう一つ建てるのがよろしいかと」
「チッ、可愛い娘の婚姻歴に傷を付けた帝室に気を遣うのは業腹だが……まぁ、反乱を起こされては堪らんからな」
この提案は不承不承と言った調子で納得したジョルジュに、とりあえず鎮火は上手く行ったと内心で胸を撫で下ろしながら、ガンメルゼフィーアは細かい話を詰めるための企画書を用意してくると自室に引き揚げた。
すると、机の上には不在時に溜まっていた手紙の山がある。軍事に関係ない私的な手紙は私邸に留め置くよう命じておいたので、ここに整理して積んであったのだろう。
今は忙しいから後で見ようと脇に避けようとしたところ、一通だけ妙に分厚い手紙をガンメルゼフィーアは見つけた。
数十枚の紙が詰まっているであろう封筒に書かれている名前を見て、彼女はくすりと笑い封を切ることにした。
宛名はアルトワアラスのマクシミリアン。彼女が個人的に支援している古い繋がりの友人であった。
彼との縁は十年以上前に遡る。苦学して学校に通っていたマクシミリアン少年は、古語の成績が学校でトップであったことがあって、領内視察を行っていた父ジョルジュに詩の朗読を行うことになっていたのだ。
その場には幼かったガンメルゼフィーアも同行しており、同じ貴賓室で詩を聞いて、そのあまりの詩才に感動して拍手を送ったことを覚えている。
子供には泣かれることが多いあの父も、娘が喜んだことが嬉しかったのか相好を崩して「とっても良かったよ」と肩を掴んで直々に褒めてやったくらいだ。
そこから彼が苦学生であることを知ったガンメルゼフィーアは、自分が自由に動かせるお金を使ってパトロンになっていた。
その関係は学校を卒業したマクシミリアンが弁護士になった今も続いており、ほぼ無報酬に近い額で貧民の弁護を行い、領主からの頼みで臨時判事をも熟している彼の重要な生活基盤となっている。ただ、金額自体はもっと渡したいガンメルゼフィーアの意向に反し、頑ななマクシミリアンの希望に沿って最低限に抑えられていたが。
後援の代価は、季節に一つの古語で認められた詩。毎年四通届くそれを一枚たりとてなくすことなく保管している彼女は、いつもの詩に同封された小論を面倒くさがらずきちんと読んだ。
「現代の代議士と三部会の限界、ね」
総計六十枚にも上る小論は――苦労している彼には紙もインクも高かっただろうに――中々読ませる内容で、あっと言う間に読破してしまったが、ガンメルゼフィーアは貴族に見せるような内容ではないだろうと思った。
まぁ、シンプルに言えば共和制を賛美するような内容であったのだ。
ガチガチのノーブルブラッドであるガンメルゼフィーアには受け容れがたく、他の貴族であれば、これだけで後援を打ちきられかねないのだが彼女は苦笑して許した。
彼は理想主義者なのだ。それこそ、責務に縛り付けられた皇帝を〝哀れだ〟と考えるような人間であり、全ての人民が平等に楽しく暮らしていける理想社会を夢見ている。
その夢見がちなところが可愛らしくて、十年以上もガンメルゼフィーアは私的なパトロンを続けているし、多少の放言も許しているのだが。
「って、まぁ!」
小論を丁寧に袋にしまって余人の目に付かないよう鍵付きの棚にしまった後、申し訳なさそうに最後尾に入っていた手紙を見て彼女は喜ぶと同時に驚いた。
なんと、彼は二三歳の若さにして議員選挙に当選し、三部会の――枢密院の下に置かれる貴族、聖職者、平民からなる皇帝の輔弼議会――議員になったというのだ。
ただ、どうしても帝都に上るだけのお金がないこと、地元に残される妹や弟の生活を維持するのが苦しいことから、旅費と生活費を工面して欲しい旨が書かれていた。
その筆跡は流暢で美しい常の物と違い、余程苦悩して書いたのか怖ろしく角張っており、このことからマクシミリアンの人品がよく窺えた。
「言ってくれれば金の百でも二百でも出しますのに」
くすりと笑って小切手を用意しつつ、返事の手紙を認めることにしたガンメルゼフィーア。
婚約破棄の面倒くささで暗くなっていた心は、いつの間にやらすっきりと晴れており、紙面を踊る筆は怖ろしく軽かったという…………。
転んでも(転んだとは言っていない)タダでは起きない系令嬢。