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「何故こんなことになる!!」


 外交交渉で北の偃月半島諸国へ外遊に出ている皇帝ルイに代わり、宮城に詰めていたフランツェルスは中央軍指揮官に食ってかかった。


「陛下も僕も民に絶対に手を出してはならぬと厳命したぞ!!」


「申し訳ございません! 我々の不行き届きにございます!!」


 それに頭を下げるのは中央即応軍団指揮官のジェムーラン元帥であった。彼は皇帝の又従兄弟であり、軍学校での成績が良かったこともあり、多方面に仮想的を抱える古帝国がいつ戦争に陥っても、全ての方面軍に救援を差し向けられるようにと五年前に編成された中央即応軍団の指揮官を務めていた。


 しかし、軍学校で良い成績を取っても、実際に戦場に出たことがない彼には経験が足りなかったとみえる。


 少なくとも熟練の指揮官であったならば、ローテーションが歪になって兵から多少の不満が出たところで、第24半旅団を現場警護に当たらせたりはしなかっただろう。


「指揮下への徹底は行っていたのですが……」


「それがこの様か!!」


 フランツェルスが指を刺した窓の外には庭園が広がっていて直接見ることはできないが、その壁の向こう側、ヴェルセーヌ宮は緩い包囲下にあった。


 先日起こったクリスチアン通りでの虐殺に抗議した民衆が、立ち入りを禁じられた宮城の半径5km外縁に詰めかけているのだ。


 短刀を抜いた参加者に部下を殺されると思った小隊長が銃撃を加えた後、騒ぎは沈静化するどころか大きく悪化した。このままでは殺されると思ったのか、参加者を殺したことに憤ったのか、小隊を襲う勢いは増して数の力にてデモ隊は小隊を押し包んであらん限りの暴力を加えた。


 そして銃をマスケット数挺と拳銃を手に入れた彼等は益々血の気を増して、千人の暴徒となって他の警護兵を襲いはじめたのである。


 しかし、三部会が多大な混乱を避けるため参加者は千人を上限とする、との制限を設けていたこともあって、暴徒化したデモ隊は駆けつけた増援中隊の一斉射を受けて離散。あわや帝都全体を巻き込んだ騒乱になるかと思われた混乱は四半刻足らずで制圧されたものの、決して良い結果をもたらしはしなかった。


 デモ側の死者は射撃の後に銃剣突撃を受けたこともあって百人を優に超え、その怒りがサン・キュロットのみならず共同自治体にまで危機感を覚えさせるほど波及してヴェルセーヌ宮を囲むに至ったのだ。


「しっ、しかし、攻撃を加えるなとご命じなさったのは殿下でございます! そうせねば、宮城(きゅうじょう)を今囲んでいる民の結集を散らすことは……」


「当たり前だろう! これ以上の死人を出したら抗議ではすまない!! 反乱だ!!」


 この後に及んで責任を転嫁しようかというのかとフランツェルスは激怒し、卓の上に置かれていたカップなどを薙ぎ払った。


「いいか! これ以上に市民の死人を出してみろ! 軍はおろか帝室が新任を喪うんだ! たった一日で我々が何と呼ばれるようになったと思っている!」


「それは……」


「弾圧者にして虐殺者だ!! 卿は何を考えて第24半旅団なんぞを警護にあてた!!」


 一頻り怒鳴って喉が渇いたフランツェルスは、ジェムーランの方へ歩み寄ると彼のために置かれていたグラスをとって湯冷ましを呷った。


「あれから七年ですぞ!? 兵員は殆ど入れ替えられておりますし、指揮官も粛正されて別になっています!」


「そんなもの、市民に知っておけという方が酷であろう……これはもう軍に罰を与えて落ち着かせる他なくなってしまった」


「お待ちください殿下! 部下は兵の命を守ろうとしただけで……」


「その守り方が問題だったというのだ!!」


 卓よ砕けてしまえと言わんばかりの力を込めて天板を叩いたフランツェルス。現場を知らない彼だから言えることであるが、逃げるなり何なりすればよかっただろうと反論されると、それは現実的でなくても実行は可能であったため将軍は口をもごもごさせるに留めた。


 仮に軍が市民から逃げたという醜聞が広がるとしても、皇太子にとってはそっちの方がずっとマシであっただろう。


 フランツェルスは深い深い溜息を吐いて、懐から一枚の書状を取りだして放った。


「君の部下、ジャン・オッサ・ミレー・ブルージュ・アウァリクム将軍からの意見書だ」


「だ、第24半旅団長を罷免の上、兵員は全て不名誉除隊として旅団を解散して欠番に!? 軍団旗も市民の前で焼けと!? 正気ですか!?」


 あまりに過激な意見を目にして、これを自分の部下が上申したのかとジェムーランは顔色を悪くした。


 だが、実際にこれ以上の流血を避けて民を落ち着かせるには、苛烈なくらいの沙汰を下す他に選択肢は極めて少ない。むしろ、誰も断頭台に送らない分、まだ慈悲深い選択肢であるとも言えた。


「ここまでした上、僕が直々にテラスから宣言しても治まるかどうか……くそ、人生最高の八十七手組み細工箱の仕上げ作業をしたかったのに」


「しかし、これでは兵士の忠誠が……」


「国の大事よりも心配することか!! 僕ですら趣味を擲ったのだぞ!! この惨状を軍を守るため放置し、悪化したならば来月にはお戻りになる陛下にどう申し開きする!!」


 一喝されて反論が思いつかなかったらしい将軍に皇太子は目頭を揉みながら、本来ならば貴方の更迭もあり得たのですよと親族としての口調に戻った。


「ほんと頼みますよ、再従兄殿……今、保身を考えるならより大きな身を守ることを考えてください……それでも帝位継承権十位以内の男ですか」


 しかし、それをすると帝都郊外の護りを固めている中央即応軍団の指揮統制に穴が空く上、次のポスト争いで軍政が大騒ぎになるために、フランツェルスは上申書の末尾にあった〝現場能力を著しく欠いている〟ジェムーラン将軍も異動させた方がよいとの意見は見なかったことにしたのだ。


「とにかく、迅速に命令書に合意してください。さもなければ市民が近頃流行の革命帽とやらを手に侵入して来かねません。僕はあんなものを被りたくありませんよ」


「……しょ、承知いたしました」


 ここで抗弁を重ねて自分のキャリアを危険に晒すよりマシであるかと判断し、ジェムーラン将軍は第24半旅団の解散に同意して命令書を認めた。


 一方で帝都郊外の中央軍駐屯地にて、二人の軍人が精も根も尽き果てたと言わんばかりの様子で椅子に腰掛けていた。


 貴族としてのプライドが辛うじてだらけることを防がせていたが、昨日から寝ずに動き続けているのか目は完全に死んでいる。


「最悪だ、考え得る限りの最悪だ……」


 唸るように呟いたのは一個師団を預かっており、ジェムーラン将軍の幕僚でもあるジャン・オッサ・ミレー・ブルージュ・アウァリクム将軍。まだ三一と帝国の中でかなり年若い方の将軍であり、その顔の作りは父方の色が濃く出ているのかジョルジュの面影がある。


「まだまだですわよ兄様……」


 それに応えたのは副官のイレーヌに思いっきり濃いコーヒーを煎れさせて、ちびちび飲んでいるガンメルゼフィーアであった。


「何故だ。お前が知恵を貸してくれたおかげで、何とか市民は落ち着けられそうだろう」


「これからが大変なんですわ、将軍閣下」


 第24半旅団が今回の仕儀に暴発しないよう各部隊に分散させて監視させる態勢を作ったり、不名誉除隊後は東部方面軍で再入隊できるよう取り計らうので、何卒落ち着いてくれと半旅団長を宥めたりで駆けずり回ったガンメルゼフィーアであるが、正念場はここからだと呻く。


「軍は完全に帝都臣民からの信任を失いましたわ。今後、三部会は警護につけることを拒んでくるでしょう」


「貴族私邸の方面や聖堂前に行かれては困るから、流石にそれは枢密院が撥ね除けるのではないか?」


「今、三部会にはキレる弁舌の持ち主がいるんですわよ。それこそ、口頭のみの力に依って場を圧倒的に支配するような」


 帝都に着て第51半旅団が正式に中央即応軍団に組み込まれてから、ガンメルゼフィーアはこっそりと男装をして警備の兵に紛れ込み議場を観察したことがあった。


 そこで目にしたのは、論理的にして反論が極めて難しい、口を差し挟むこと自体が罪であると感じさせるほどの弁舌を披露するマクシミリアンであった。


 遠間に聞いていても凄まじいまでの演説は、なぁなぁなやり取りと保身しか考えていない貴族では絶対に抵抗できないほど洗練されており、反論者は悉くやり込められて叩き返されるどころか、罪を告発されて議員でいられなくなった者もいるほどだ。


 正に、言論から成る恐怖政治(テルール)といっても過言ではない。それこそ、マクシミリアンにつるし上げられることを拒んで、重い病にかかったという名目で帝都を離れた貴族議員が何人もいるくらいなのだから。


「あの子が、あの子があんなに強固な手段に手を伸ばすなんて……」


「あの子?」


「何でもありませんわ」


 マクシミリアンを三部会に送り込んだのは他ならぬ自分であるため、ガンメルゼフィーアは言葉にできぬほど複雑な心境であった。


 彼がしていることは悪いことではない。不正を働いていた貴族の罪を告発し、年金制度や税制を改善化して帝室に納められる財産を殖やしている。今まで不当に租税を掠め取られていた国や民にとっては、赤目の代議士は正しく正義の英雄と呼ぶべきであろう。


 だが、色眼鏡の向こうでギラギラ輝く瞳を見て、ガンメルゼフィーアは嫌な気配を感じ取ってしまったのだ。


 彼が遠くに行ってしまったような、途方もない感覚。


 共和制に理解は示せど、まだ早いと思っている公爵令嬢は議論だけから明確な答えを弾き出すことはできなかったが、何故だか慣れ親しんだはずの被後援者の背後に巨大な影を見た。


 彼が影の中に堕ちているのではない。光を浴びたその背中が、途方もなく巨大な影を地面に落としていた。


 それが何か巨大な怪物のように見えて、思わず鋭剣を握ってしまったのは乙女の中の秘密である。


「ともかくとして、デモはわたくしたち軍の制御下から離れますわね。また虐殺をやらかすのかと言われれば、強く出られる要素がありませんもの」


「市警隊と民の自制心だけに任せると? それはあまりに危険であろう」


「実績がありますわ。先日の事件まで暴力沙汰一つ起こさず、守られたルートで時間内にきちんと終えていた〝自制心ある市民活動〟だという実績が」


「……激発した我々からするとケチを付けづらいな」


 お手上げか? と問う従兄弟に、いいえと応えてガンメルゼフィーアはコーヒーを一気に飲み干した。


「市民だけではなく、国自ら成果を上げたという例も必要ですわね。しばらく夜会巡りに精を出すので、留守をお願いしますわ」


「来て早々に忙しないな。何をする気だ?」


「チャリティー、炊き出し、公共事業。切れる手札は幾らでもありますわ。窮屈な武装で戦場に乗り込んで戦果を上げるのは軍人の本懐でしょう」


 喪ったサン・キュロットからの信頼を取り戻さなくてはと呟いて、ガンメルゼフィーアは即応軍団本部を出た。


「イレーヌ、念のためわたくしの竜騎兵大隊はいつでも動けるようにしておきなさいな」


「畏まりました。何刻までの警戒で」


「無期限でしてよ」


 扉前に控えていた副官に命令を伝え、荒れますかな? と問われても令嬢には明確な答えを出すことはできなかった。


 相手の手は長く多い。少なくとも公爵令嬢という肩書きがあろうとも、帝都においては〝お上りさん〟である己にできることは少ないと自覚しつつも令嬢は足掻くこととした。


 何もしないで軍旗を敵方にくれてやるくらいなら、体に巻き付けて諸共に焼き捧げるのがラインランテの生き様なのだから。


「ああ、こうなると婚約を破棄されたことが惜しくなるますわね」


 呟くと、カイゼリンを連れてこようとしていたイレーヌの足が止まった。


「どうしましたの?」


「い、いえ、まさかお嬢様からそのような言葉が跳び出すとは」


「はははっ、何のこともありませんわ。ただ、今の名だけ立派な悲劇のヒロインより、何歩も踏み込んだ所にいける鍵くらいに思っただけですわよ」


 いやぁねぇときゃらきゃら笑って、軍人令嬢は貴族の戦場へと斬り込んだ…………。

現場統制が取れなかった結果、えらいことになるのは何処の時代も一緒。

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