6
「まあお茶はいいとして、校長先生がお金出してくれなきゃ雪実の着物を売ればいいし」
「何を言う!? これは鎌倉の職人が作った名品だぞ」
「冗談だよ。最悪貸しにしといてあげるから」
夕食後、部屋に戻った私達は闘茶について話した。
「で、ルール⋯⋯やり方は覚えてるんだよね?」
「ああ、そこは案ずるな。それで、茶の産地は出来れば4つでたのむ」
「わかった。4か所ね」
話しながら、机の1番下の引き出しに閉まってあるアイデア帳に、いくつか浮かんだ導入部分を書かいてみた。
話を一から作るとなると、とりあえず文字に書いててみるのが手っ取り早い。
ちゃんとした話を作るとなると、とにかく試行錯誤するしかない。
いくつか短編のシナリオを考え、クライマックスシーンの構図も幾つも試し書きした。
話自体、特に捻ったものでは無いが、前の虚無に比べれば十分だ。
いくつも作った話の中から、私は病気がちでキザな金持ちを、雇われた青年が無理矢理外に連れず話を選んだ。
キャラの見た目はそのまま前のを流用し、一気に下書きを進めた。
「んー、疲れた」
何枚か書き終え、ペンを置いて右手で目尻を摘んだ。
ペンを置いた途端、疲労が目だけでなく、脳や腕、そして腰にやってくる。
伸びをして壁に掛けた時計に目を向けると、知らない間に日を跨いでいた。
「うわぁ⋯⋯集中してたんだぁ」
目の前に映る暗く寝静まった近隣を見ていると、腱鞘炎寸前の手の痛みが誇らしくなった。
シャワーは明日にしてもう寝ようと立ち上がると、ウトウトと頭を上下に揺らしながら、ベッドの上に腰掛けている雪実の姿があった。
雪実は知らない間にお風呂に入ったのか、父が着ていた黒いパジャマを着ている。
だがサイズはかなり大きかったのか、袖と裾がみっともなく垂れている。
祖母に付けてもらったのか、上着はボタンがきっちりと留めている。
「雪実、ほら起きて」
「ん、んん⋯⋯」
肩を軽く揺すると、微かな応答があった。
続けて揺らしていると、腫れぼったい目が重たそうに開いた。
「ああ千夏⋯⋯終わったのか⋯⋯」
「とりあえず今日はね。まだまだ掛かりそうだけど」
「そうかそうか⋯⋯それはよかった。そなたの小さな背中を見ていると、見守りたくなるなぁ」
またすぐ雪実の瞼は下がる。
理由は定かではないが、もしかすると、雪実はずっと私の作業を見守ってくれていたのかもしれない。
薄目を開いて、雪実はふらふらとしながら立ち上がった。
「では私は弓子の元へ行く」
呟いて動き出すと、そのまま風に吹かれる柳のように部屋を出ていった。
私は部屋の扉の前に立ち、階段を下りていく足音に耳を澄ませた。
別に幽霊なのだから、階段から転げ落ちようと問題は無い。
ほんの数時間前の私なら、そう思って耳を傾けたりはしなかっただろう。
降り終えたのを音で確認し、部屋の電気を消した。
私はベッドに寝転がると、心地よい疲れと感情の中、微睡みに沈んでいった。
────
「校長先生」
「なんだい天江さん。2日連続でやってくる生徒なんて随分久しぶりだよ」
翌日、また早朝から校長先生を訪ねた。
雪実は先に教室に行った。
きっと今頃ご婦人達に囲まれていることだろう。
「それで、何の用かな?」
校長先生は机に両肘を立てているが、腕の位置に大して顔が低いせいで不格好だ。
「実は、幽霊の源之助さんが雪実にギャンブルを挑んだんです」
「ぎゃ、ギャンブル!?」
校長先生は立てた両手の平で勢いよく机を叩きながら瞠目した。
声変わりもしていない甲高い声が部屋中に響く。
「はい。それも闘茶という、鎌倉時代末期頃から少し流行った遊びでして」
「と、とうちゃ⋯⋯? お茶? お茶で賭けるの?」
「闘うお茶と書いて闘茶です。勝負内容はいくつかあるみたいなんですけど、今回は利き茶で行うみたいです」
校長は肘を机からおろし、似合わない格好をやめたかと思うと、今度は足と腕を組んだ。
「そんな利き酒みたいな⋯⋯まさか天江さんは参加しないよね?」
「私は進行役です。あの2人の勝負なんで」
そう答えると、校長先生は顎を引いて唸った。
「うーん。教育者としては生徒がカジノディーラーみたいなことするの許可できないけどね⋯⋯」
「いいじゃないですか。賭博といっても幽霊のごっこみたいなものですよ? それに校長先生だってその体で行ってるんですよね? 競馬場」
「いや、僕大人だからね? 普通に合法。この間場外馬券売場行ったら相手にされなかったけど」
冗談っぽく笑う校長先生の涙袋に、透明な液体が溜まる。
泣くのを誤魔化すためか、椅子を回して後ろを向き、数秒後また前を向いた。
落涙を誤魔化したのだろうが、目には擦った後がついている。
「それでまあ、私が進行役するのはいいとして、校長先生にお茶代出してもらいたいんですよ」
「いや、まだいいって言ってないよ?」
「やだなぁ。昨日この学校は幽霊ファーストだって言ってたじゃないですか。これもその一環です」
幽霊ファーストという言葉を聞くと、校長は眉間に皺を寄せて難しい顔をした。
なぜこの言葉で真剣に悩むのか、さっぱり分からない。
「まあわかった。それは許可するよ。場所も今は無い茶道部の茶室を使えばいい。僕も監視するから。で、なんで僕の懐から?」
「高級なお茶って高いんですよ先生! それに調べたところ、早期に勝負がつかないと結構お茶の量が必要になるんです! 幽霊のために可愛い生徒の苦しい懐事情をさらに逼迫させるつもりですか! 貴方それでも教育者ですか」
今度は私が勢いよく両の手で机を叩いて前のめる。
私の気迫に押されて、校長が勢いよく背もたれに背中をぶつけた。
私が今やってる事は、完全にヤクザや半グレの脅しと一致している。
一瞬ビクッと怯えた顔をした校長に、ほんの少しだけ加虐心がそそられた。
「あーうん。そうだね。幽霊のためだから⋯⋯ははっ、僕が出すから安心して。どれだけ買えばいいの?」
私の熱意が通じたのか、微笑しながら了承してくれた。
「えっと、じゃあブランド緑茶を3種類お願いします。産地は別々で。あとできれば多めにお願いします」
「うん。わかったよぉ⋯⋯じゃあほら、もうすぐ予鈴鳴るから行っておいで」
そう言われて時計を見ると、確かにもうすぐホームルームだ。
「ありがとうございます。お茶が揃ったらすぐ始めますから。では失礼します」
「⋯⋯これは面白い化学反応が見られるかもな」
廊下へ出て扉を閉める寸前、校長先生が微かに呟いた気がした。
教室に戻ると、雪実は婦人達には囲まれず、代わりにいつもどこにいるのか分からない源之助さんがそばに居た。
「おお千夏、こっちだ」
私と目が合った雪実が手招きしたので近づく。
幽霊も大半が制服を着る中で、品質は雲泥の差だが、着物を着るふたりは異質だ。
「で、あの校長は協力してくれるのか」
雪実か早速その事を聞いてくる。
源之助さんもどこか落ち着かない様子だ。
「うん。お茶は買ってくれるし、学校の茶室も使っていいって」
「ほう、それはよかった」
雪実は頷きながら源之助と目を合わせ、また頷く。
昨日であったばかりのふたりの距離が、知らない間にグッと迫っている。
「でな千夏、今私達は少し困っているのだ」
「困ってる?」
準備は私のおかげでほぼ万端だ。後はルールを調べて適当にやればいい。
源之助さんの方に目を向けると、口が小さく開いた。
「何を賭けるかということだ。俺も雪実も金など持っていない」
「あー、それなら」
──お金が無ければ心を賭ければいいじゃない。
どこぞの姫様の名言に似たフレーズが頭の中に浮かぶ。
「こんなのはどう? 負けほうは1週間勝った方の奴隷、足を舐めろと言われたら舐めて座布団になれと言われたらその通りになるの。まあ幽霊だから大したことはできないと思うけど、勝てば相手を辱められるってことで」
子供の内ではよくある、勝負の掛け金だ。
ちなみに私はそういった類のことはたとえ縄跳びでもしたことが無い。
良い案だと思ったのだが、雪実と源之助さんの顔は固まったまま動かない。
「ねえ、どうしたのふたりとも」
それどころか、既にほぼ集合した幽霊含めたクラスメイトの愕然とした視線が私に集まった。
「千夏よ、そなたはやはり鬼だ」
「お嬢ちゃん、女の子がそんなこと言っちゃあいけないよ」
雪実と源之助さんに率直な言葉をぶつけられ、私はみんなに聞かれた怒りよりも、このふたりへの怒りで顔が熱くなった。
「お前ら幽霊がロクな掛け金持ってないから言ってんだよこっちは⋯⋯嫌なら負けた方は今度こそこの世から強制退場にするぞ」
私の顔はよほど恐ろしいのだろうか、ふたりは引き攣った顔のまま動かない。
お互い小刻みに首を動かしながら目を合わせると、何か伝えあったのか、また小刻みに震えながら私に顔を向けた。
「す、すまん千夏。それでいこう。そなたの心意気を無下にしてすまなかった」
「ああ、嬢ちゃんには感謝してる。それくらいの賭けのほうがこっちも燃えるってもんだ」
ふたりは引き攣った笑いを漏らし、源之助さんは私達に挨拶して教室から出ていった。
あと数十秒で予鈴が鳴る。
自分の机に向かおうとすると、後ろから雪実に服を掴まれた。
「なあ千夏、一度お祓いでもしてみたらどうだ。やはり鬼が取り付いておるかもしれん」
昔の人だから仕方ないが、この男には乙女の心を守るという考えが欠落している。
「へえ、じゃあこのままでいいよ。鬼なら悪霊も滅殺できるかもね」
「お、おい千夏ぅぅ!?」
背を向けたまま言って歩き出すと、裏返った雪実の声が教室に反射した。
昼休み、雪実と藤原さんと共に、茶道部が使っていた茶室を見学しに来た。
西側校舎1階の、家庭科室の隣に作られた畳敷きの部屋に上履きを脱いで上がる。
畳10畳のその部屋は、窓の内側には障子が貼られ、床の間や違棚もあり、床の間には高価そうな掛け軸が掛けられている。
「ほう、随分落ち着く部屋だ。あの教室も畳ならよいのに」
部屋に入るなり雪実は胡座をかいて腰を下ろし、扇子を仰ぎ出した。
「いや、畳だと机置けないし」
「そういう問題じゃないと思うよ?」
藤原さんが私にツッコむと、障子を開け、さらに外側の大窓を開けた。
涼やかな風が部屋の中を駆け巡る。
今はこの部屋を使う人がいないというのは、なんとも勿体ない。
部屋をぐるっと見回し、物入れになっているふすまを開ける。
襖の中には、茶道具の数々が整理整頓されてしまってある。
お茶はやかんに入れる予定なので、使うのはせいぜい茶碗くらいだ。
茶器よりも、ひとつ大きな衝立が欲しい。
予定では私と藤原さんが衝立の中で茶を用意し、斜め前に向かい合った雪実と源之助さんが勝負する。
進行役は参加者にお茶を入れるところを見られてはいけないので、目隠しがいる。
「この学校衝立ってあったっけ」
「保健室のベッドの間にあったと思うよ」
「あーあれね」
たしかに保健室に並んだ3つのベッドの間には、それぞれふたつの白い衝立がある。
それを借りれば、あとはもうお茶を準備するだけだ。
「じゃあ私がここでお茶を用意するから、雪実と源之助さんが向かい合って座って。うん、あとは記入用紙だけ用意したらいいか」
畳を指さしながらイメージを膨らませる。
勝負としては簡潔に、それぞれに一度に10杯の茶を飲ませ、飲んだ順番で種類を当ててもらう。
これならそれほど時間もかからないはずだ。
「じゃあ用紙は私がコンピューター室で作って印刷するよ」
窓と障子を閉めながら藤原さんが言った。
「ありがと、念の為1から10の数字は漢数字でお願いね」
「うんわかった」
私の家にパソコンがあればよかったのだが、パソコンは父が持っていってしまったのだ。
放課後、校長先生にお茶のことを尋ねると、既に注文したとの報告があった。
来週の月曜日には闘茶はできるだろう。
闘茶を行うその日まで、私は私のやるべき事に身を入れなければならない。