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「お、おい、ちょっと待ってくれ」


 放課後、自転車を押した藤原さんと3人で帰ろうとすると、江戸時代生まれの源之助さんに呼び止められた。

 このおじさんに声をかけられるのは、これが初めてだ。


「どうしたんですか」


 振り返って答えると、深緑の木綿の着物を着た源之助さんの目は雪実に向いた。


「あんた、元亨生まれなんだって?」

 

「あ、ああ。そうだが一体何用か」


 雪実は無駄に風雅に扇子を仰ぎながら、私達より少し背が高い源之助さんを見上げている。

 源之助さんはやや高揚しているのか、両手を握りしめ、口角が少し上がっている。


「なら俺とその頃流行った博打で勝負して欲しいんだ」


 近くにいた数人の教師と生徒の視線が集中する。

 私は藤原さんと顔を見合せた。

 博打⋯⋯源之助さんは確かにそう言った。

 現代日本なら、そんな話を持ちかけるだけで本来はアウトなのだが、幽霊に法律は無用だ。


 だからかして、聞いたはずの先生達も何も言わず、下校する生徒達に目を配っていた。


 今朝は晴れていた空に、多少の雲がかかる。

 早く帰らなければ、雨に降られるかもしれない。


「ふむ⋯⋯博打とな」


「まさかやる気なの?」


 雪実は閉じた扇子の先端を上に向け、空中に何か描くようにしながら思案している。

 死んだ時は出家していたなら、そういった煩悩は捨てているのでは無いのか。


「ごめん藤原さん、先帰る?」


 このふたりの話が長くなると予感し、声をかけたか、彼女は無言で首を横に振った。


「頼まれたからには断れんだろう。どうせ死人同士の些細な遊びだ」


 あくまで冷静に、勝負を挑まれたことで熱くなってる様子も無く、雪実が答えた。

 この男にそんな優しさがあったのかと、少し頬が緩んだ。


「うむ、それではそこもと」


「俺は源之助だ」


「わかった源之助よ。双六か四一半(しいちはん)でよいか」


 双六はすぐに分かったが、四一半という物が私にはよく分からない。

 このどちらかで勝負するのかと思いきや、源之助さんは腕を組んで顎を上げながら、大きく唸り声を上げた。


「そんなものじゃなく。もっとこう昔に流行った⋯⋯俺がしたことのないような博打がしたい」


 源之助さんが言うと、雪実も腕を組み、目を閉じて空を見上げながら唸った。

 別の時代を生きた2人の男が、今目の前で同時に腕を組んで向かい合っている。


「ううむ。犬追物の勝敗予想を掛けて見るのはどうだ?」


「犬追物?」


 その賭博は源之助さんも知らないのかして聞き返した。


「騎手が犬を矢で打ち、当てた矢の数や部位で競う、一種の武士の修練だ。見物客はそれで結構賭けていたぞ」


「雪実⋯⋯いくら古い人でもそれはないよ」


 昔の人間に野蛮だ、などと感じる事は現代人の驕りだと思うが、こうしてにべもなく淡々と説明されてしまうと、そう言いたくもなる。 


「ああ、俺もそれは勘弁する。幕府に罰せられそうだ」


 源之助さんは肩を抱いて身震いした。


「あの、源之助さん? 幕府はもうないですよぉ。ていうか貴方綱吉時代の人だったんだね。あと雪実くん、私もそれはあんまりして欲しくない。ていうか現代だと出来ないから。動物を無闇に殺生しちゃいけないから」


 源之助さんの生きた時代が分かったのは置いておいて、藤原さんの言う通り、仮に源之助さんがしたいと言っても現代では無理だし、強行しようとすれば無理矢理にでも止める。


「いや⋯⋯あれで使う矢は犬を傷つけぬようになっておるのだが。春乃が言うのであれば仕方ない。あれが駄目となると残りは⋯⋯あ」


「まだあるの?」


 なにか閃いた様な声を漏らしたのに対して、間髪入れずに聞き返す。

 思いついたのは間違いなさそうだが、雪実は頭を捻って苦い顔をしている。


「あるにはあるが、あれは私自身もうしたくない」


 いつの間にか、帰宅部や部活が休みの生徒の殆どは帰っていったのか、先生達は引き上げてしまっている。

 というより、今校門前に残っているのは私達4人だけだ。


「あるなら教えてよ」


「うーむ」


 全財産を失うなどの、余程苦い思い出でもあるのだろうか。

 勿体ぶって話さない雪実の口をこじ開けるため、藤原さんの肩をつついて合図を送る。

 藤原さんは目が合うと、私の意図を察して頷いた。


「ねえ雪実くん。まだあるなら教えて欲しいな。私も気になるから」


「あ、ああ、春乃も知りたいのか」


 顔色には出なくても、態度に変化が現れたことは明白だ。

 雪実は一呼吸おいて言葉を発した。


闘茶(とうちゃ)だ」


「闘茶?」


 なれないその単語に、私達3人の声が重なる。


「ああ、茶道に関連するもので賭けるのだが、1番手軽なのは本茶か非茶か味比べする方法だな」


「なるほど、利き酒みたいなもんか。面白そうじゃないか。それでいこう」


 嬉しそうに源之助さんが頷く。

 確かにゲームとしてはシンプルだし、楽しそうに思える。金銭を掛けなければ。


「でも雪実、本茶と非茶って何?」


「京の栂尾(とがのお)や宇治の方で栽培された茶が本茶、他の地域のものが非茶だ」


「ふーん。本場とその他みたいな感じなのね。面白そう」


 既に源之助さんも乗り気だし、私もその対決は見てみたい。 

 今どき産地が違うお茶なんてネットで買える。

 自分の財布は痛めたくないので、幽霊への娯楽の提供として校長先生に頼んでみよう。

 きっと幽霊思いの校長なら買ってくれるはずだ。


「じゃあさ、闘茶で決まりとして、詳しい勝負の方法はまた明日にでも考えようよ」


 このままだとまだしばらくこの場に留まることになりそうなので、切り上げることにした。

 今日は描きかけの原稿を仕上げたいのだ。


「ああ、悪いな引き止めて」


「ううん。じゃあ明日にね」


 源之助さんに別れの挨拶をし、私達3人は学校を出た。

 私と雪実が歩く速度に、藤原さんが速度を合わせて自転車を押す。

 

 ──明日からまさかの徒歩通学か⋯⋯いや、別に雪実は学校に来なくてもいいんだよね⋯⋯。


 ぼんやりとそんなことを考えながら、雪実が今朝教えた交通ルールを守っているかを確認する。

 まあ死人なので、車に引かれたところでダメージを受けるのは運転手と目撃者の精神だけだ。

 

 赤信号できちんと止まった雪実に、犬が芸を覚えたのを目撃したような感情が芽生えた。


「ねえ雪実、比べるお茶の種類は本茶と非茶のふたつだけなの?」


「いや、いくつかの茶を当てるやり方もあるが、やりやすいのはせいぜい4つまでだな」


「ふーん。4つね。でも源之助さん、どうして急にギャンブルなんてしたくなったんだろうね。今までそんなことしたって聞いたことないよ」


「ぎゃ、ぎゃんぶる⋯⋯?」


 藤原さんに顔を向けると、横でまた知らない言葉に困惑する雪実の声がした。


「たしかに、他にも昔の人は何人かいるけど、ギャンブルしてる場面なんて見たことないしね」


 ハンドルを持つ左手を離して、藤原さんは唇に人差し指を添えた。


「もしかしたら雪実君が鎌倉頃の人だって知って、自分の知らないギャンブルができると思ったのかもね」


「あー。たしかに、何人かギャンブル好きは他にもいるけど、パチンコとか競馬好きばっかりだもんね」


 そう考えると、女性の幽霊に比べて男はダメ人間が集まっている気がする。


「まあ面白そうだから手伝ってあげるよ。源之助さんと友達になれるといいね」


 雪実の肩をポンっと叩きながら、笑ってみせる。


「ああ、そうだな」


 淡白に答えた雪実の顔には、どこか翳りを感じる。

 やはり昔ギャンブルで痛い目にでもあったのだろうか。

 それをずけずけと聞き出そうとするほど、私はデリカシーの無い人間では無い。


 ────


「なあ千夏、お主は男同士がこう絡み合うのが好きなのか?」


「ああああああっ!」


 帰って早速原稿に手をつけていると、横から用紙を眺めては雪実が一々心のプライベートゾーンに土足で踏み入ってくる。

 苛苛したせいで、ベタがはみ出しそうになった。


「ああ好きだよ! 別にいいでしょ」


「構わんと思うが、何をそうカリカリしている」


「とりあえず作業中は静かにして! 死人なんだから息も止めて!」


「無茶を言うな⋯⋯」


 もう平然とベッドに腰掛けていること自体に、何かを言うつもりは無い。

 大人しく座ってくれるなら、枕を尻に敷かれようが堪えられる。

 私の気迫が伝わったのか、雪実は既に仕上げた原稿を大人しく読んでいる。


 雪実への苛立ちも、そんなことで集中を切らしてしまう自分への腹立たしさも姿を隠し、私は応募締切が迫った原稿を1枚、また1枚と仕上げていった。


「しかしあれだな」


 残り数枚、というところで雪実がまた声を出した。

 今度の声は大人しい。

 振り返ると、足を伸ばして壁にも垂れながら、私の作品に目線を集中させていた。


「どうしたの?」 


「私の周りでもそうだったが、男と交合う者共は何故こう(みそ)かに振る舞うのだ」


 それは私にとってとても不思議な疑問だった。

 雪実の生きる時代と言えば、結婚相手は親や偉い人が決め、特に貴族や武士などは男女であっても自由恋愛が成就しにくい環境だった。

 だから男女の交遊でさえも、密会が多い時代なのに、男同士であれば尚のことなのは、雪実にだってわかるはずだ。


「だって、ただでさえ男と男だよ? 周りには理解されないよ。あと雪実の周りに男同士で付き合ってる人いたの?」


「いや、あれは付き合っているのではなく、ただ慰みものにしていただけだな」


 原稿用紙を膝の上に置き、遠い目をしながら対角線上の天井を見る雪実から、その事象を察した。

 

「もしかしてそれ、寺とか屋敷の男の子?」


「ああ、よく分かったな。ちなみにうちの寺の和尚もそのひとりだ。見習いと夜分にこっそり⋯⋯」


「うん⋯⋯正解したくはなかったよ。ただそういう事があったのは知ってたから。雪実がそういう人間なのは和尚のせいなのかもね」


「そうか⋯⋯。そなた今私の胸を抉ったぞ」


 雪実は原稿を持ち上げると、絵が描かれた表面を私に向けてヒラヒラとさせた。


「だがそれで言えば、この作品は後腐れないし、もっとこのふたりは堂々と世に踏み出してみてはどうだ」


 雪実の進言を受けてハッとする。

 確かにこの作品の主人公ふたりは、自分達など世に認められないとハナから思い込み、お互いの殻に閉じこもって世界を完結させている。

 公募の賞に出すための短編だが、これでは話は膨らまないし、誰も続きなど期待しない。

 

 私は席を立って雪実から原稿を取った。

 原稿を持つ手が震える。カレンダーを確認し、頭の中で計算してみるが、ここは計算より根性を見せるべきだろう。


「どうした千夏?」


「これ書き直すよ⋯⋯」


 無造作に机の中に原稿を片付け、新たらしい用紙を取り出す。


 今からなら、多少絵は荒くなるかもしれないが、もっと漫画として面白いものが描けるかもしれない。


「そうか。まあ頑張るんだな」


「うん。ありがとう」


 雪実の応援に元気をもらい、また一から気を引き締めて筆を持った瞬間、1階から夕飯が出来たとのおばあちゃんの声が響いた。

 たしかに、知らない間に空は随分と暗くなっている。

 階段を降りて台所に行くと、昨日と同じく焼き魚や味噌汁、それと小鉢が既に並べられていた。

 魚は昨日は鮭だったが今日は鯖だ。

 今はおばあちゃんと二人暮しだから仕方ないが、もう少し肉が食べたい。


「おお、いい香りだ。弓子はやはり料理が上手だな」


「いやあねぇ、褒めても何もでませんよ」


 謙遜しているが、若い男(歳上)に褒められて満更でも無さそうだ。

 おばあちゃんの名前呼びについては、本人に向かってなら許すことにしよう。


 炊飯器のご飯を盛り、雪実に渡すと、昨日と同じように目を輝かせながら両手で大事そうに茶碗を持った。


「これほど見事な白米とは⋯⋯死んでよかった」


 昨日はブラックジョークにしても重すぎる発言をしていたが、どうやら今日は何も言わないらしい。

 全員が席に座り、ご飯を食べる。


 食べ始めると雪実はうるさかったが、おばあちゃんが代わりに相手してくれた。 


「そういえばおばあちゃん、今家にあるお茶ってどこで買った?」


 食事の途中、帰ってきてからはほとんど忘れていた闘茶のことを思い出した。

 ちなみに、雪実はさすが貴族だけあって箸の使い方がものすごく上手い。

 これほど綺麗に魚を食べられるのかと感嘆するほど、食べた魚の跡が美しい。


「さあ、麦茶と玄米茶ならあるけど」


「あ、そう。やっぱり校長先生に頼んじゃお」


「なにか学校で使うのかい?」


 おばあちゃんが聞き返すが、まさかギャンブルに使うとは言えまい。


「うん。ちょっと余興にね。今度お茶を点てるの」


「へえ、最近の学校は面白いねぇ。あれは結構難しいのよぉ」


 急須から湯のみに注いだ熱いお茶を啜りながらおばあちゃんは言った。

 

 ニコニコしながら私の話を信じているおばあちゃんを見るのは、なんだか胸が痛い。



 









 


 

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