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 8時を過ぎ、教室にゾロゾロと人間の生徒が集まってきた。

 いや、ゾロゾロという表現をするほど、そもそもの数が居ない。


「おはよぉ天江さん」


「あ、藤原さん。おはよ」


「もしかしてその人が昨日言ってた人?」


 隣のクラスの藤原さんは、手ぶらで私の横に立ち、雪実に軽く会釈した。


「うんそうだよ。ほら雪実挨拶して」


 次は社会の教科書とにらめっこしていた雪実の肩を叩くと、不機嫌そうに顔を上げた。


「なんだ千夏、今私の名が無いか探しておったのに」


「心配しなくても無いから。雪実なにか歴史に名前が残る様なことしたの?」


「うーむ⋯⋯あ、そうだ。と」


「ほらいいから、藤原さんに挨拶しなさい。私の友達だから粗相のないようにね」


 何か言いかけてたのを無理矢理肩を叩いて中断させた。


「まったく、仕方ない。私は仮粧坂雪実⋯⋯」


 名乗りながら藤原さんに顔を向けると、雪実はそのまま硬直してしまった。

 教科書が机に叩きつけられ、その反動で勢いよく閉じられる。


「仮粧坂さん⋯⋯だね。私は藤原春乃です」


「藤原⋯⋯もしや君はあの藤原家の」


「うーん⋯⋯多分仮粧坂さんが考えてるのとは違うと思うなぁ」


「雪実でいい。名字で呼ばれるのは好きじゃないのだ」


 顔と目線を完全に藤原さんに向けて固定したまま、雪実は微笑みながら言った。


 完全に一目惚れした人間の反応だ。


(幽霊が人間に惚れるなよ。それも女子中学生に)


 と思ったが、雪実の時代なら、私達くらいの歳で結婚していることは珍しくなかったのだろう。


 

「あ、うん⋯⋯じゃあよろしくね雪実さん」


「ああ、よろしく頼む春乃」


 図々しく藤原さんを下の名で呼ぶと、先程覚えたばかりの握手を交わすため、右手を差し出した。


「よろしくね。天江さん、雪実さん面白い人だね」


 手を握り返しながら、藤原さんは私を見て言った。


「うん。面白人間もとい面白幽霊なのは否定しないよ」


「それちょっと意味違うような⋯⋯。じゃあまたね」


 手を振りながら藤原さんが教室を出ると、雪実はあからさまに気落ちした。


「なぜ春乃はこの部屋から出ていったのだ」


「別のクラスだからね。藤原さんはここの教室の生徒じゃないの」 


「なぜだ。好きなところに居ればいいじゃないか」


「そういうものだからね。それにたとえ自由に教室を選べてもここを選ぶとは限らないよ?」


「う、うむ」


 腕を組んで真剣に考える雪実が鬱陶しくなり、スマホを取りだした。

 電源を入れ、軽くSNSの投稿や今朝のニュースに目を通す。


「千夏、今朝も触っておったがその箱はなんだ」


 身を乗り出して、雪実はスマホの画面を覗き込んだ。

 今朝も私がスマホを触るのを、雪実は不思議そうに眺めていた。

 だがきっと、テレビと同じで雪実の脳では理解しきれないだろう。 


「これはね、色々なものが見れるんだよ。古今東西あらゆるものの情報がこのスマホひとつで探せるの」


「すまほとじょうほう⋯⋯とな。これまた面妖な言葉よ。スマホはその箱として、情報とはなんだ」


「情報って分からないんだ⋯⋯えーっとね、まああれだよ⋯⋯この中には知識が詰まっていて、調べたら大抵のものはでてくるんだよ」


 私は語彙力がある方では無いので、上手く伝えられていか分からない。


「ほお、では私の事も書かれているのか」


「理解早いね⋯⋯ある訳ないよ」


 そう言いつつも、検索フォームに仮粧坂雪実と記入した。

 フリック操作で文字が入力されていく様子を雪実は上から見ているが、なんの反応もないところからして、脳の処理が追いついていない。


「ほら、雪実のこと調べたけど、鎌倉の仮粧坂のことしか出てこないよ」


 検索結果の文字の羅列を目で追いながら、雪実目を細めていく。


「この箱役に立たんではないか」


「もっとまともなもの調べさせてよ。例えば雪実の好きな物とか」


「ふむ、じゃあ源氏物語を頼む」


「はいはい源氏物語ね」


 言われた通り源氏物語を入力すると、すぐに様々な情報が出てくる。

 その中に、原文で書かれた源氏物語の1ページの画像があったので、それを雪実に見せた。


「ほらこれ」


「おお、本当に書いてあるぞこの箱に」


 雪実は両手でスマホを手に取ると、ゆっくりと顔に近付けた。


「だがこれでは続きが読めぬ」


「そりゃそうだよ。言ってしまえばそれは一部を書いた絵みたいなものなの。全部読むなら本を買うしかないよ」


「なんだ。拍子抜けだな」


 ため息をついて雪実が私にスマホを返した。


「短絡的だなぁ。凄いのはこのスマホで書物を買って読めることなのに」


「ほんとうか?」


「わざわざ嘘つかないよ。買わないけど」


 急に目を輝かせできたが、自分が読めもしない古典の原文版を買うほど、私の財布事情は芳しくない。


「はぁ」


 とまたため息を着くと、雪実は前の机に突っ伏してしまった。 

 不貞腐れて眠ろうとしているのだろうか。


 だがその席は人間の生徒である大村君のだ。

 彼はまだ来ていないが、もう時期来るだろう。 

 そろそろ雪実をどかさねばならない。


「ほら雪実起きて、もうすぐその席の人来ちゃうから」


 容赦なく背中をばしばしと叩くと、やや浮き出た背骨が手に当たる。

 長袖の着物を着ているから分かりにくいが、雪実はかなり小柄で細い。

 貴族や僧でも、あまり食に恵まれた環境ではなかったのか。まあ死んでいるから関係ない。


「わ、わかったからそんなに叩かんでくれ。折檻を思い出す⋯⋯」


「じゃあ早く立って。あの席なら今空いてるから。ほら、あの1番向こう」


 渋々顔を上げて立ち上がると、雪実は私が指さした方に向かってとぼとぼ歩き出した。


 雪実はそのまま、教室の後方ドアの隣。つまり廊下側の1番後ろの席に座って顔を腕の中に伏せた。

 べつに幽霊組は授業を聞く必要も、この教室にいる必要も無い。

 それでも何故か、このクラスは山下君以外の幽霊は基本教室にいる。一部授業を邪魔する奴もいるが。


 少しすると予鈴がなり、すぐにホームルームが始まった。

 奥山先生が軽く雪実を紹介したが、当の本人は完全に眠ってしまっている。

 特に自己紹介があるわけでもないので、いくつかの報告を済ませて奥山先生は出ていった。


 1時間目は国語だ。主要5教科の中で唯一雪実でも理解できそうな科目だが、もう完全に意識は夢の中だろう。


 それから、雪実は休み時間の度に幽霊連中からの質問攻めにあっていた。

 この学校で新しい幽霊を見て目を輝かせるのは大半が同じ幽霊だ。

 一般生徒で興味を持つ者は、極小数の変人しかいない。


「助けてくれ千夏。麻呂はもう疲れた」


「わぁほんとだ。疲れすぎて一人称がおかしくなってる」


 昼休み、老婆(マダム)老爺(ムッシュ)に人気を博し囲われた雪実は、幽霊達の輪を破って縋るように私にしがみついた。


 一瞬私に救いを求めるこの男の泣きそうな顔が可愛いと思ったが、本当に一瞬のことだった。 


「何とかしてくれ千夏⋯⋯」


「公家なんだから人との付き合いは得意でしょ。昔のまましてればいいんだよ」


 鞄から弁当箱が入ったピンクの包みを取り出し、紐を解いて箱を取り出す。

 茶色い漆塗りに見えなく無い安物の弁当箱と箸ケースを机に置く。


「私は老人は苦手なのだ。寺の師匠を思い出す⋯⋯て、千夏。今朝弓子か作っていたそれは今食べるのか?」


「昼食なんだから当たり前だよ。あとおばあちゃんを下の名前で呼ばないで。千夏のお祖母様とでも呼んでてよ」


 訝しそうに私の弁当箱を見る雪実に言う。

 さっきから雪実を囲んでいた老人達が私と雪実を注視している。

 

 私が片手で合掌し、ごめんと伝えると、年寄り連中はすぐ隣のドアから教室を出ていった。


「おお、居なくなった。これから成仏でもしに行くのか」


「そんなわけないでしょ。みんな食堂に昼食を食べに行くんだよ」 


「なに!? 死人が飯を食べるのか」


「食べるからおばあちゃんは雪実のお弁当も作ったんだよ⋯⋯ていうか昨日お菓子も夕食も食べたでしょ」


 そう。私は作る必要ないと言ったのだが、祖母は私の弁当よりも張り切って雪実の分を作ってしまった。


 それは今、私の鞄の中に眠っている。

 鞄に手を入れ、唐草模様の風呂敷に包んだ弁当を雪実に差し出す。


「ほらこれ、今の時代人間は基本1日3食食べるんだよ。あともういちいち驚くのやめてくれないかな」


 昨日の夕食時でも、風呂でも寝る時でも、雪実は初めて見る数々の存在に驚いては私に説明を求めた。


 良く教育本なんかで、子供の「なぜ?」という感情を蔑ろにしてはいけないというが、この男の場合はその限りでは無い。


 だがその好奇心や探究心といったものは、子供を凌駕している。

 朝食がお粥ではないことに驚き、パンとバターの味にまで驚いて、


「何だこの味は、このような美味が世に存在したのか。私はもう粥など食わん」


 などとどこかの食通みたいなことを叫んでいた。 



 弁当箱を体に押し付けると、雪実は下から両手で救いあげるように持った。


「自分の机で食べるんだよ? わかった」


 昼食はひとりで食べたいので、少し強めの口調で言うと、雪実は周りをキョロキョロしながら口を開いた。


「いや、だが彼らは人と共に食しておるぞ。私もそうしたい」


 たしかに、皆誰かと一緒に食べている。

 ひとりで食べているのは、幽霊なら無料で使える売店で買ってきたおにぎりを、背筋を伸ばして黙食している山下君だけだ。


「じゃあ分かったから自分の椅子持ってきなよ⋯⋯それでいいんでしょ」


 諦めてそう言うと、雪実の顔が晴れた。


「うむ、待っておれ」


 雪実が自分の机に戻るのを、机に肘を立てて頬杖しながら見ていると、雪実の後ろから扉を開けて藤原さんが現れた。


 扉の方へ振り向いた雪実が、弁当箱を持った藤原さんと何か言葉を交わすと、ふたり一緒にこちらへやってきた。


「今日は天江さんと雪実君と食べようと思ってきちゃった」


「ああうん⋯⋯来ちゃったんだね⋯⋯」


 藤原さんが面倒くさい男に興味を持ってしまったことを憐れみながら呟くと、藤原さんは首を傾げた。


「え? 来ちゃダメだった?」


「いや、いいんだけど。めんどくさいよこいつ」


 私の真ん前に椅子を置いて座った雪実を頬杖ついた親指で指す。


「何を言う千夏。誤解を産む発言はよしてくれ。ほら、もう少し壁によってくれ。春乃の場所を作ってやるのだ」


「⋯⋯は?」


 急に常識人振り出した雪実に戸惑いながら、壁に弁当と椅子を寄せる。

 教室を出た幽霊の誰かの椅子を借りて、藤原さんも私の机に弁当箱を置いた。

 今まで2人で食べることはあったが、3人は初めてなのでかなり窮屈に感じる。


「とりあえず雪実、いちいち料理見て驚かないでね。変な声出したら藤原さんに嫌われるよ」


「別に嫌わないよ? 昔の人が今のものに驚くのは慣れてるし」


 私は藤原さんを気遣ったのではなく、ただ雪実に黙って欲しかっただけなのだが、それは伝わっていない。


「流石春乃だ。心ばせが身に染みる」


「はいはい、私とは違いますよ」


 私が弁当箱を開けると、それを真似て雪実も開いた。

 弁当の中身は、白米と卵焼きとソーセージ、それにほうれん草の胡麻和えで、雪実と全く同じだ。


「あ、これ食べられないから」


 私は念の為、雪実の弁当箱にも入ってるアルミの弁当用カップを箸でつまみ、教えてやった。


「ああわかった。煎餅の包み紙と一緒だな」


「うん。紙じゃないけどね」


 別に幽霊なのだから、多少アルミでも紙でも石でもなんでも食べても問題は無いはずだが、伝えずに事故が起きるのは、純粋な人間を騙したようで心地が悪い。


「春乃、そなたの父と母は何をしているのだ」


 食べ始めてすぐ、早速藤原さんに興味津々の雪実が切り出した。


「お父さんは市役所の職員で、お母さんは小学校の先生だよ」


「しやくしょ⋯⋯? しょうがっこう⋯⋯?」


 早速知らない単語にフリーズして、ソーセージを掴んだまま箸が止まった。


「役所は分かるでしょ? 仕事内容は違うけど昨日言ってた侍所みたいなものだよ。小学校は中学校より小さな子供が行く学校だよ」


「おお、感謝する」


 藤原さんに変わって教え、ご飯を口に運んだ。


「もしかして、こうやって言葉とか教えてるの?」


 祖母の炊いたやや固めのご飯をモグモグと噛んでいると、藤原さんが苦笑いしながら言った。


「そうだよ。ね? 面倒くさいでしょ? 1日で嫌になったよ」


 藤原さんの顔が引き攣るが、当の雪実は気にせず弁当を食べ進めている。

 一番に食べ終えた雪実は私に教科書を1冊所望したので、適当に机の中で掴んだ理科の教科書を渡した。


 教科書を熱心に眺める雪実に、私と藤原さんの視線が集中する。

 藤原さんの目には、勉強熱心な幽霊に見えているかもしれないが、雪実は1時間目からほとんど眠っていたのだ。


「あ、そうだ。天江さん今日も一緒に帰ろうよ」


 最後の一口を食べ終えた藤原さんが、蓋を閉じながら尋ねてきた。


「いいけど、私今日歩きなんだよね。雪実連れてきたから」


「ぜんぜんいいよ。じゃあ放課後教室来るから」

  

「ありがとー」


 私も食べ終え、雪実のと共に弁当箱を鞄の中に戻した。 

 そうして鞄から、藤原さんと一緒に見るために持ってきた雑誌と、昨日西園寺君に頼まれた漫画雑誌を取り出した。

 昼休みの、私がちょうど昼食を食べ終わった頃、西園寺君はなぜかいつもそのタイミングで雑誌を取りに来る。


 そろそろかと思って教室前方の扉を見ると、やはり西園寺君が扉を開けた。


「あれ、西園寺くんだっけ」


 振り返った藤原さんが呟く。


「そうだよ。これあげてくる」


 席を立ち、漫画雑誌を持って入口に向かう。


「いやぁ、いつもありかとう」


「別にいいよ」


 漫画を受け取ると、すぐに廊下を走っていった。

 その背中はすぐに廊下を曲がって居なくなる。

 自分の机に戻ると、藤原さんが机に置いた雑誌を開いて眺めていた。


「うーん、今月微妙だね」


 持ってきたのは美術雑誌だ。

 去年美術部に入学して、当時部長だった先輩にこの雑誌を勧められてから、毎月私は購読するようになった。


「うん。見たけど漫画に活かせる内容は無いね」

 








  

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