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「私はいいよ⋯⋯ありがとね」


 またクラスメイトからの誘いを断ってしまった。

 せっかく私なんかを放課後誘ってくれる人達がいるのに、いつもその優しさを無下にしてしまう。


 彼女達は私と仲良くしようとしてくれているのだ。

 でも私には、彼女達の好意が重く感じられた。

 

 机の中に残った教科書を無造作に鞄の中に詰め込む。中でグシャッと表紙と中身が折れる音がしたが、気にしないでチャックを締めた。

 座ったまま机の上の鞄を肩に掛け、机のフックに引っ掛けていたヘルメットを被り立ち上がると、鞄の重さが一気に肩にのしかかる。


 私を誘ってくれたトメさんは、既に他の友達と私を誘った遊戯を楽しんでいる。

 米や豆の様なジャラジャラと音が鳴る物が入った手のひらサイズの布袋を軽く手から上に投げ、それを掴んでは放り投げるというシンプルな遊び。お手玉である。

 細く皺だらけの手で6個同時に回すトメさんを見て、他の子達も感心している。


 残念ながら私の感性は、お手玉やおはじきを楽しめるほど純粋では無いのだ。

 私はトメさん達と違い、正真正銘の女子中学生だ。

 楽しむのはもっと、ほのぼの系RPGとかSLGみたいな、文明の利器を利用したものなのだ。


「おや、また明日ね千夏ちゃん」


「うん。じゃあねトメさん、皆」


 入口を出る直前、トメさんとみんなに挨拶をする。

 トメさんは皺だらけの顔を更にクシャッとさせながら、コクっとお辞儀した。

 頭を覆う白髪が、微かに揺れた。

 あまりにも似合わなさすぎるセーラー服に身を包んだ彼女とその仲間達は、今日もこの学校で1日を終える。


 桑原トメ享年88。彼女は幽霊である。

 いや、彼女だけでは無い。彼女を囲むヨネさんも光子さんも智子さんも、本来皆この世の住民では無い。

 無精髭を生やし、学ランを着てひとり窓際で黄昏れる山下君も過去の戦争で命を落とした幽霊だ。


 ここは私立霊結(れいゆう)学園中学。全校生徒の実に8割を幽霊で占める中学校。

 2割の生きている生徒は幽霊達を退屈させない為にいるようなものだ。


 なぜこんな中学に入学ししまったのか。

 私の住む地元の公立中学はとにかく不良生徒が多い事で有名だった。

 だがまともに中学受験の準備なんてしてなかった私が進学できるような私立中学は通学圏内に存在せず、同じく地元にあるこの経営破綻しかけの呪われた中学しか無かったのである。


 もちろん、最初からここが実質幽霊屋敷だとは知らなかった。

 ただ不良さえ居なければ良いと受験し、入学してから、この事実を知ったのだ。



 教室から出て、2年用の中央階段を降りて靴を履き替えて駐輪場に向かう。

 途中、40年ほど前に若くして無くなった西園寺君とすれ違い、言葉を交わした。


「おお天江さん、また明日新しいの見せてくれよ」


「うん⋯⋯わかったよ」


 亡くなった時の年齢が今の私と変わらない彼は、生前から漫画少年だったらしく、毎週発売日には、私に某週間少年雑誌をおねだりしてくる。

 私は買ったその日のうちに読むからそこは別に構わないのだが、なんだかパシりにされている気がしなくもない。


 だがそれも仕方がないと言えば仕方がない。

 彼らはこの学校の敷地から外に出ることはできないのだから。



 私はお気に入りのスニーカーが段々と窮屈になってきたと嘆きながら、また祖母にお金を貰わねばと思った。


「おーい、天江(あまえ)さーん」


 駐輪場に着き、愛車の赤い自転車の鍵を外すと、後ろから私を呼ぶ声がした。


「あ、藤原さん」


 声をかけてきたのは、同じ美術部の藤原さんだった。藤原さんは黒く艶のある髪を一本に結んで真っ直ぐ垂らしている。

 藤原さんは数少ない人間の生徒のひとりである。

 彼女とは1年生の時は同じクラスだったが、残念ながら進級してバラバラになってしまった。

 それでも藤原さんとは仲がいいので、部活がある日は一緒に帰るし、休みの日もこうして偶然時間が合えば、共に下校している。


「一緒に帰ろ」


「うん」


 10台ほど自転車を挟んだ位置にいる藤原さんに向かって頷く。

 駐輪場から引っ張り出した自転車を手で押して校門を抜け、サドルに跨った。

 振り返ると、財政破綻仕掛けている法人の物とは思えないほど立派な校舎が目に映る。

 中高一貫校のこの学校の校舎は真っ白な4階建てになっていて、入学した当初、江戸時代に輿屋(こしや)をしていたという中年の源之助さんが、


「まるで朝霧花魁の肌みたいだ」


 と言ったことは今もよく覚えている。

 源之助さんと生前親しかった信蔵さんから聞いた話によると、源之助さんがその花魁と遊んだことはないらしい。


 学校はぐるりとレンガの壁で長方形に囲われているのだか、正門側の左右の角にだけ、なぜか見張り台のような校舎よりも高い漆黒の尖塔が設置されている。

 尖塔は中全体に螺旋階段が続き、上はただ周辺の景色が望めるだけの何も無い空間になっている。

 そして正門からそのまま真っ直ぐ進んだ正面入口の上だけ、建物が若干凸型に高くなっており、その突出部には金メッキでできたこの学校の校章である菊の花が装飾されている。

 

「だんだん暑くなってきたねー」


「うん、そうだね」


 全てが無駄としか考えられない校舎から目を離し、のんびりと横並びになって自転車を漕ぎだした。

 藤原さんと些細な会話をするいつもの帰り道だ。

 基本的に、藤原さんが話題を提供し、それに私が答えるというのがスタンダードなやり取りだ。


「天江さんも今日英語の小テストした?」


 大通りを抜けて住宅街に入る手前、線路の遮断機が降りて来たのを確認しブレーキをかける。


「うんしたよぉ。いきなりでほとんどダメだったけど」


「私も⋯⋯あの先生ほんとに抜き打ちでしてくるから」


 こうして会話していると、ごく普通な女子中学生の会話である。

 だがその小テストも普通ではなく、不真面目な幽霊達はよくテストの妨害をしてくるから、私達一般生徒は目の前の問題と周りの幽霊、そのふたつと戦わなければならない。


 私は元々不真面目だから構わないのだが、幽霊でありながら真剣にテストを受けるトメさんや山下君の邪魔をする連中はさっさと悪霊退散させられてほしい。


「じゃあねー」

  

「また明日」


 線路を渡ってすぐ藤原さんと別れた。

 そこからひとり安全運転で住宅街を進み、国道をひとつ超えると私の家がある。

 見えてきたその家は築50年近い木造作りで、今現在祖母とふたりで暮らしている。

 家を囲う木の塀の入口部分から入り、石タイルの上を自転車を押して進んで玄関手前で左に曲がると、なんの趣もない柿の木が1本生えているだけの中庭が現れる。中庭に自転車を置き、玄関に戻る。


「ただいま」


 靴を脱いで1歩踏み出すと必ず軋む音がする廊下を進み、居間に入った。

 居間では祖母が湯呑みを握りしめながらテレビを見ていた。夏が近いというのに、湯呑みからは湯気が立ち込めている。


「あらおかえり」


 祖母が半身になりながら振り向く。

 祖母の髪はあまり白髪がなく、普通に黒いのだか、どこかトメさんに似ている気がしなくもない。

 私は祖母が見ている情報番組に軽く目を向けながら、鞄から弁当箱を取り出して台所へ持っていった。

 制服の袖を捲し上げ、弁当箱を洗った。

 弁当はいつも祖母が作ってくれる。

 私はなんだかそれが申し訳なく思え、食べた後の始末くらいは自分ですることにしている。


 弁当を洗い終え、また居間に戻って鞄を手に取った。

 ちょうどテレビでは私も好きな人気アニメの予告が流れている。

 それを横目に階段を上がって自室に向かう。


 私も今、締切に間に合わせなければならない原稿を抱えている。

 この言い方だとまるで連載漫画家みたいだが、実際はただ漫画の公募に間に合わせなきゃいけないだけだ。


 私が描いているのは、王道の少女漫画でも少年漫画でも無いので、家に両親が居ないというのは大変ありがたい。

 世に出るレベルにないあの原稿を出版社の人以外に見られたら、憤死する自信がある。


 数年前に新しくなった部屋のドアノブに手をかけ、ドアを開いた。



 

 部屋に入ろうとした瞬間、私の目線は随分と低くなっていた。




「ふむふむなるほど⋯⋯男達の目交(まぐわ)いか。なんとまあ物好きな⋯⋯。おお、こっちの男は顔に虚妙な飾りを付けておる。それになんだこの衣装⋯⋯見たことがない」


 ひんやりとした手のひらの感触が、私が転げて尻もちを着いているのだと教えてくれる。

 扉を開けた先、西日が降り注ぐ窓の手前で、祖母のセキュリティをくぐり抜け私の部屋に侵入した謎の人間は、机の引き出しを開け秘密の原稿を手に取って眺めていた。 

 男はコスプレ好きの泥棒なのか、まるで中世の貴族のような格好をしている。

 頭には黒い烏帽子を被り、浅葱色のような直垂の着物と袴を着用し、白い帯で結んでいる。

 着物には小豆色の家紋がいくつも描かれていて、それは六文銭や木瓜紋(もっこうもん)のような、少し歴史が好きな人ならすぐに分かるようなものでは無かった。模様は花のようではあるが、私には馴染みのない花だ。

 軽く傷んだ黒く長い髪が肩まで垂れている。


「うぅむ⋯⋯だがやや面妖なだけで趣が無い。しかし某の知る絵巻物とは随分と違っておる。これでは大衆が気に入りそうもない。駄目だなこれは」


 私が倒れた時、それなりの物音がしたはずなのに、男はまだ夢中で原稿を観察している。

 声で男だと分かったが、不法侵入した男に原稿を貶されるとは一体何事なのか。


 この男が泥棒だとしたら、なんの価値もない原稿など気にもせず金品を探すはずだ。

 それをせずにいるということは、泥棒では無いのかもしれない。


 あと一つ気になることがある。この男、白い足袋を履いているようだが、それが全く汚れていない。

 まさか白昼堂々玄関から靴を脱いで上がったとは考えにくい。第一に玄関に見知らぬ靴など無かった。

 だとすると、庭から直接私の部屋に侵入したと考えられるのだが、それだとしても足は汚れるはずだし、どこかに靴が落ちているはすである。


 よく見ると、窓は施錠されたままだ。

 ミステリーなんかでは、同じように侵入した犯人は逃走しやすいように窓なんかは開けたままにすることが多いが、それはしていない。


 じゃあこの男は一体何者で何をしにどうやって来たのか。

 突然のことに声も出せずに考え込んでいると、男が不意に振り向いた。


「おお、そなたは誰だ。ここは一体どこなのだ」


「⋯⋯はい?」


 何を言っているんだこいつは、という気持ちはさておき、振り向いた男の容姿に私の意識は奪われた。


 細面の輪郭に切れ長の鋭い目は、それだけでは人に威圧感を与えそうだが、瞳から温和な性格が感じられる。

 鼻が高く、やや薄い唇は真一文字に結ばれ、好奇の目を私に向けている。


 今風に言えばイケメン、古風に言えば雅な顔をしているその男は、時々視線を落としながら、私の様子を伺っている。


「ここは私の家ですけど⋯⋯」


「そうか、ここはそなたの住まいか。ならこれもそなたが描いたものか」


 男は原稿を1枚私に見せてきた。


「えっとぉ⋯⋯まあそうですはい⋯⋯ごめんなさいそんなつまらないもの書いて⋯⋯才能ないから辞めた方がいいですよね⋯⋯」


「うむ⋯⋯そうか」 


 ──いやフォローとかないんかいっ。

 と似合わないツッコミを心の中でしてしまうほど、男の反応は私を傷つけた。 


 男は原稿を机に置き、顎に手を当ててじっと観察している。


「まあ、そうだな」


 顔はそのままに、男が口を開く。


「そなたはまだ若い。その歳で器量がどうの考える必要は無い。世にはいくつになっても画人を目指す者もいるのだから」


 唐突なフォローに気を許しそうになるが、要するに諦めず年寄りになるまで続けろということなのだろうか。


 慎重に距離を取るように後ずさると、背中が壁にぶつかる。

 逃げる素振りを見せても私を捕まえようとする気配は無い。

 それどころか男は一休みするかの如く、勉強机の椅子に腰を下ろした。


「はあ!?」


 思わず私は男に詰め寄り、何食わぬ顔で私を見あげる男を凝視した。

 近づくと分かるが、男の体や服から、微かにお香のような匂いが漂う。

 懐かしいその香りは、こんな状況なのに心を落ち着かせてしまう。


「いや⋯⋯何普通に座ってるんですか。ふざけてたら警察呼びますよ」


 匂いの影響か、男への警戒心が揺らぐ。


「けい⋯⋯さつ⋯⋯?」


「何とぼけてるんですか⋯⋯」


 何を考えているのか、男は首を傾げながら、考え込む素振りをした。


「いやほんとに分からん。そのけいさつというのはどんな事をするのだ」


「悪い人を捕まえるんですよ。ちょうど今ここにいる貴方みたいな人を」


侍所(さむらいどころ)のようなものか。ん? ちょっとまて、私は咎人ではないぞ」


 ゆったりとした喋りだが額から汗が滴るところを見ると、微かに狼狽えている。

 なんとなく、私はこの男を詰問するのが快感になってきた。


「いやいや、不法侵入は立派な罪です。それに強盗の容疑も⋯⋯」


「いやいや、私がこんなみすぼらしい家で物取りなどする訳ないだろう」


 眉毛がピクっと痙攣する。

 確かにこの家は古いし、我が家もそれほど裕福では無い。

 だが見ず知らずの不法侵入者にみすぼらしい家などと言われる筋合いもない。

 それによく見ると、悪気は無いのだろうが、私が手塩にかけて仕上げた原稿をこの男は1枚尻に敷いている。


 この不思議なシチュエーションと男から香るお香の匂いもあってか、怒る気になれず、ただため息をついた。 


「あの、とりあえず立ち上がってくれませんか。原稿踏んでるんで」


「なにっ!? おや、これは申し訳ない」


 男は慌てて立ち上がると原稿を机に置き、必死に両手で皺を伸ばそうとした。

 今気づいたことだが、背は私より少し高いくらいで、男性平均で言えばかなり小柄な方だろう。

 

「そなたの大切な作品を⋯⋯私はなんと愚かな」


 男はそう言いながら、腕で原稿を擦り続けた。


「いや、いいんですよ⋯⋯別にそれくらいなら全く問題ないですし」


「そ、そうか。本当にすまぬ」


 安堵の表情を見せた男に対して、私は奇妙な感情を抱いた。


 このどこから現れたかも分からないデリカシーの無い不審者は、作品がつまらないと思っても、世間的には評価されないと思っても、私のような創作家が1番大切にしている作品そのものは大事にしてくれるようだ。


 そう思うと、この男がそれほど悪い人間に思えなくなった。


「あの⋯⋯あなたの名前を聞いてもいいですか。あと何処から来たのかを」


 恐る恐る尋ねると、男は大きく空いた袖口に腕を入れて両腕を組んだ。


「ふむ、本来であればそなたに名乗る筋合いは無いが⋯⋯詫びとして教えてさしあげよう」


「いちいち嫌味言わなきゃ落ち着かないんですかあなた⋯⋯」


「私は仮粧坂(けわいざか)雪実(ゆきざね)。清華家に名を連ねる三条家の分家のさらに分家の出でだ。ちなみに号は泉寂(せんじゃく)⋯⋯」


「号⋯⋯? もしかしてお兄さんお坊さんなんですか」


 言った直後、いやもっと尋ねることがあるはずだろうと心の中で突っ込んだ。

 いやどれだけ枝分かれしてるんだとか、清華家ってなんだよとか、聞くべきことは他にあるはずだ。


「まあそうだが。嫡男では無いため寺に入れられただけだ。勘違いされては困る」


「何を勘違いできるのかわかんないですけど⋯⋯えっとお兄さんどこから来たんですか」


「どこからって⋯⋯鎌倉の寺からだが」


「鎌倉って⋯⋯ここから滅茶苦茶遠いですよ。歩いてきたですか?」


「いや、寺で写経してて気がついたらここに居た。寺でこんな格好もしてないし、髪も剃っていたはずなのに⋯⋯何が何だか分からんのだ」


 男⋯⋯雪実は頭を抱えながら語った。


 奇妙な学校生活を送っているお陰か、なんとなく私は、この貴族風の男が何故ここにいるのか分かってきた。


 だが気になるのは、なぜ学校ではなく私の部屋に現れたのかということである。


「あのぉ、恐らくですけどあなた死んでます」


 






 




 


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