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勇者のプライドと魔王の決断

城の大広間には、これまで見たこともない熱気が漂っている。

埃まみれだった床はすっかり磨かれ、壁にはマーヴィン特製のセール用ポスターが貼られている。

「魔王城セール」「一日限定」「人間も魔物も大歓迎」といった文字が躍り、まさにショッピングイベントさながらの雰囲気だ。


ディアスは玉座に腰を落ち着けてはいるが、その顔にはどうにもすっきりしないものが浮かんでいる。

「腰の痛みはやや治まったが…こんな形で城をジャックされるとは。」

腰にタオルを敷いたまま、周囲の騒がしさを眺めるしかないようだ。


近くにはジェードが腕を組んで立っている。

いつもは威勢のいい声を張る彼も、ここ数日のドタバタを見て困惑している様子だ。

「魔王討伐はどうなるんだ。 俺は勇者やのに、いつまでここでセールをやってたらいいんやろ。」

そんな独り言がこぼれ落ちると、ディアスが小さく苦笑する。

「それは私も聞きたいくらいだな。 このままでは私の威厳がどこかへ行ってしまいそうだ。」


ふと、ジェードは目を伏せてさらに大きくため息をつく。

「そやけど、おばちゃんに振り回されっぱなしで、どのタイミングで戦いを挑んだらええんか分からん。

魔王は魔王でなんや腰痛めてるし…アンタも本気で戦う感じやないやろ?」

するとディアスは苦い顔をして首を横に振る。

「そもそも、私が本気で魔力を振るえば、城がどうなるか分からん。 だが、それを言い出せば城を綺麗にしてくれたあの女を排除しなければならん。 それが今はできんとは…」


このやり取りを遠巻きに聞いていたアンネリーゼ・フロウラは、複雑な表情をしている。

規律や秩序を重んじる彼女としては、この状況は由々しき事態でしかないはずだ。

魔王軍の兵士が、飴ちゃん一つで懐柔され、セールの準備まで手伝うなど聞いたことがない。

それでも、妙に穏やかな空気を否定できない自分がいる。

「こんな雰囲気になるなんて、誰が予想できたのか…」


アンネリーゼは城の奥のほうへ歩みを進めながら、廊下で掃除を続ける兵士たちの笑顔を横目にする。

「魔王軍の規律が崩壊してしまうというのに、誰も不平を言わないどころか、楽しんでいるように見える。

それに、私もなぜか心が落ち着いている気がする。 一体どういうこと…」

あくまで冷静を装おうとするが、自分の変化が気になって仕方ない。


そんななか、飴ちゃんの甘い匂いを漂わせながら幸子がやってくる。

「アンネリーゼちゃん、ちょっと手貸してくれへん? ポスター貼るとこ、もうちょい高い位置がええんやけど、ウチ背が届かへんねんな。」

「な、なんで私がそんな仕事を…」と反射的に拒否しかけるが、どこか断りづらい空気がある。

「ほら、あんた背高いし手足スラッとしてるから頼みやすいやん。 ちょいだけでええんやで?」

アンネリーゼは「仕方ない」と呟きながら、ポスターを受け取って城壁に貼り始める。


城内のあちこちでは、魔物たちや兵士が屋台や陳列台を組み立てている。

マーヴィンは「商品はこちらにどうぞ~」と声を張り、ジェードは「ポスター貼り終わったら、こっちの看板描いてくれへん?」と幸子に頼まれている。

ディアスは玉座に座りながらも、その光景を見て心中穏やかではない。

「私は魔王。 こんな茶番に付き合うのは不本意だ。 だが…」


言いかけたところへ、幸子が手に飴を持ってすっと近づく。

「はい、魔王さん。 ええ加減腰休めたらどないやろ。 ちょっと歩いてみて、痛みが治まってきたか確認しなあかんで?」

ディアスは眉間に皺を寄せるが、逃げるように振り払うこともできない。

「歩けと言うのか。 私は魔王だぞ…この城の主が、安易に立ち上がってよいものか…」

「何を気取ってんの。 腰痛持ちは動かんと余計に固まってまうんや。 ほんま、意地張っててもあかんて。」


幸子の言葉は遠慮がなく、きっぱりとディアスの弱点を突いてくる。

その率直さが逆に妙な説得力を帯びていて、ディアスは観念したように立ち上がってみる。

「確かに少し楽になった気はするが…これで私の威厳はどうなる。」

「威厳と腰は別物や。 それより歩いて、ちょっとはセール会場を見て回ったらええ。 せっかくやし。」


ディアスはぎこちなく歩み出す。

アンネリーゼが慌てて「魔王様、そんな…」と声をかけるが、彼女自身も事態を止める手立てがない。

立場を見失いかけながらも、ディアスは城内の盛り上がりを目にし、兵士たちの顔に笑みが浮かんでいるのを確認する。

「なんというか…お前の行動が彼らを楽しませているというのは分かった。 だが、このままでは魔王城の威厳が…」


そこにジェードが割って入る。

「なあ、おばちゃん。 俺、勇者として魔王と戦わなあかんと思ってたけど、この状況どうしたらええの?」

幸子は呆れ顔でジェードを見やり、「あんた、まだそんなこと言うてんの。 人が楽しそうなんやし、ちょっとくらいええやない?」

「ええけど…俺、一応勇者やで。 魔王倒さな意味ないやん。 でも、この城で楽しそうにしてる魔王を見ても、あんま倒したいって気持ちが湧いてこんのよ。」

ジェードは腕組みをし、ぽつりとつぶやく。


ディアスもまた神妙な面持ちでジェードを見返す。

「私も、こんな形で人間と協力するのは想定外だ。 だが、今さら戦意がどうこう言い出すのも空気が読めん話だろう。」

その言葉に、アンネリーゼまでも「そうですね…」と小さく相づちを打ちそうになって慌てる。


そして、思い出したように幸子が声を弾ませる。

「あのな、うちらが手を組んでみんなハッピーにしたらええんちゃう? 魔王さんやけど、ほんまは弱いもんいじめるタイプやないやろ?」

ディアスはぎょっとして少し目を逸らすが、反論できないでいる。

ジェードは「でも、俺、勇者…」と何度も繰り返すが、その言葉はどこかむなしく響く。


幸子はポンと手を叩き、「ええやん。 魔王さんと勇者さんが喧嘩せんでも、世界を平和にする方法なんかいくらでもあるやろ。

城を開放してこんなセールやったら、そりゃ人間も魔物もウキウキするわ。 それが実現してるやん。 これってすごいことやろ?」

ディアスもジェードも、黙りこくって視線を交わす。


アンネリーゼはついに、崩れ落ちるように肩を落として苦笑する。

「魔王軍の規律どころか、世界の常識まで変えてしまいそうな勢いですね…でも、不思議と悪くない。」

その言葉を聞いたディアスは、玉座から立ち上がったまま背筋を伸ばし、小さく息を吐く。

「ふむ…私の決断が問われるな。 いいだろう、幸子とやら。 お前の提案に乗ってみてもいいかもしれん。」


ジェードは「え、ええんか?」と目を丸くするが、ディアスは静かにうなずく。

「威厳を落とした分、代わりに得られるものがあるかもしれん。 何より、このままでは私の腰もどうにもならんだろうからな。」

幸子は手を叩いて喜び、飴ちゃんを差し出す。

「ほら、こうなったら一緒に盛り上げようや。 そしたら今よりもっとハッピーな城になるで?」


城の中庭へと目を向ければ、すでに兵士たちが出店風の屋台を組み立て始めている。

マーヴィンの掛け声に応じ、魔物たちが品物を運ぶ姿は、まさに“お祭り”と呼ぶにふさわしい賑わいだ。

かくして魔王城は、不思議な連帯感と、そして次なる展開を迎えようとしている。


ディアスはその光景に小さく笑みをこぼすと、再び玉座のある大広間へ足を運ぶ。

ジェードも、歯がゆい思いを抱えつつ「こんなんでええんやろか」と自問しながら、幸子の背中を追いかける。

その胸中にあるのは、勇者としてのプライドと、この不可思議な状況への戸惑いだ。


アンネリーゼは複雑そうな表情をしているが、自分の心が穏やかだと感じているのもまた事実。

魔王軍の一員として、このままの流れでいいのかという疑問はある。

けれど、あの雑然としていた城内が明るく、人と魔物が笑い合っている光景は、決して悪いものではないと感じていた。


それぞれの胸に去来する思いがまるで交錯するように、城内の時間が音を立てて動き始める。

勇者のプライドと魔王の決断、そして大阪のおばちゃんのノリ。

すべてが交わったこの場所から、いったいどんな“ハッピー”が生まれるのかは、まだわからない。

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