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その後というもの、俺の変わりない安定した日々は崩れていった。崩れていったというより体当たりで崩されたような感じだ。
「いつもこのスープばっかり、他の料理はないわけ?」
「この家なんかないの?暇なんだけど」
「アルノ。ほこりが溜まってるわ。掃除しなさいよ」
ここ数日寝ても覚めてもわがままが止まらない。もはや何も言ってなくても声が聞こえるような気がしてきた。なんとか戦って同じスープで押し通したり、負けて掃除をする羽目になったりしたが、どちらにせよこちらがすり減っていることに変わりない。
すっかりこの家にも慣れて勝手にミルクを注いでいるアデラを横目にパンを二枚焼き、テーブルに置く。静かに手を合わせて黙々と朝食を取る。アデラは文句こそ多いもののそれ以外は自ら話すタイプではないようだ。おかげで普段どんな生活をしているのかはあまりわからない。こちらから聞くこともできないでいる。
パンをほとんど食べ終わる頃、アデラは口を開いた。
「私、街にある美術館に行きたい」
「はい?」
「せっかくわざわざここまで来たんだから行っておかないともったいないじゃない」
確かにこの家から一番近い街には大きな美術館がある。歴史的に価値が高いものもあるようで、俺は行ったことがないが街の内外から人が集まるようなところなのは知っている。
「勝手に行ってきてくれ」
「こんな小さな子供一人じゃ入れてくれないわ」
「そうか、残念だな。諦めるんだ」
「嫌!こんなところずっといたらカビが生えちゃうわ。行くわよ」
聞き入れないと一日中どころか一か月でも騒ぎそうな勢いだった。渋々街へ出ることにした。
街に出るのは食料などが必要になった時だけで、一か月に一、二度あるかないかくらいだ。美術館へ行くためには市場を通り抜ける必要がある。人混みは苦手だ。誰も俺のことなんて気にしていないとわかってはいるものの、フードを深く被りなおす。アデラは俺と反対に軽い足取りで目を輝かせながら歩いている。綺麗なワンピースを身に纏っているアデラと見た目に頓着がない俺が一緒に歩いていると人攫いだと間違われそうだ。人々の視線を搔い潜るようにより一層歩みを早めた。
街の中心部である市場を通り抜けると、美術館が現れた。一昔前の建物をそのまま使っているため、宮殿のような豪華な外装をしている。遠くから見たことはあっても中に入るのは初めてだったため、少し緊張しながら入り口へ向かった。意外となんなく入館することができ、アデラの後をついていくように鑑賞していく。
彫刻や絵画が並んでいる。美術に造詣が深いわけではない。実際に見る迫力を感じているだけの俺はすぐに見終わって、まだ見ているアデラのことを遠目から眺めていた。アデラは一つ一つをじっくりと眺めていた。自分が同じ歳だったら連れてこられたってすぐに飽きていただろう。少女の目にはこの美術たちはどう映っているんだろう。
アデラは一通り見て周り、この空間のさらに奥へ足を踏み入れた。
「アデラ!そっちは……」
ぼうっと眺めていた俺は美術館であることを忘れ思わず大きな声を出してしまった。
大きな広間のような部屋の奥には更に部屋が繋がっている。美術館になる前は扉で仕切られていたのだろうが今は何もない。ただ大きな窓がいくつもあり明るいこことは違い、奥の部屋は光が届かず薄暗い。アデラはその部屋へ吸い込まれるように入っていったのだ。
俺も後を追うようにしてその部屋に入った。俺はここにはまだ入っていない。いや、入らないようにしていた。部屋に足を踏み入れるとアデラがある絵画の前を見上げている。この部屋にはこの美術館の目玉の絵画が一枚だけ飾られている。俺が前に立っても見上げる程の大きさだ。アデラがまだ小さいのもあり、更に大きく見える。
アデラ越しに否が応でも絵画が目に入る。俺は意図的にこの部屋に入らないようにしていた。この絵を見たくなかったから。
その大きな絵には複数の人が描かれている。中心には女性が柱に括られ、足元からは火が立ち上っている。それを聴衆が取り囲んでいる。いわゆる、『魔女狩り』の風景を描いたものだ。
アデラの隣に立ち、横顔から表情を伺う。アデラは嬉しそうでも悲しそうでもなかった。ただ淡々と眺めていた。
アデラはこの絵を見て何を思うんだろうか。
魔女であるハイダを母に持つアデラは、何を。