live<d___>rive
魂が何であるのかを最も簡単に比喩する方法が読者だ。
一つの世界を想定するとき魂の数は一つで足りる。
私たちは本を読む時、登場人物の魂になっているのだ。
※執筆が昔なので今より説明下手で読みづらいです。それでも良ければ是非。(今も説明下手? 耳が痛い......)
その知らせを聞いた私は、まっさきに一つの時間の終わりを知った。予見はあった。夕暮れの中に誰かの最期が詰まっていることと同様に、ぬるま湯に微睡んでいた背後に音もなく滴っていた影のことを思い出した。
風に揺られたあなたの髪が、まるで意思を持っているかの様に空を泳いでいる。私は絵画の前でたたずんで何も知らない子供のように、目を奪われていた。思考だけが、ぐるぐると同じ場所を旋回している。
起こり得ることには順番がある。いつかは見知った世界の中で、いつか誰かに馳せた心が、繋がって、渦巻いた因果の模様を揺らし、発芽する。
あなたをじっと眺めていると、一枚の絵の様に世界が固まってゆく。私の意識の内側で時間が閉じている。だが。
額縁の中で、深く飾られていたあなたが。私に手を伸ばした。
「どうしたのか遠道。聞いてる?」
思わず大きくのけぞった。白く濁った自分の息を見て、夢から醒めたような錯覚を覚える。再び現実が受肉してゆく感覚が、肌をなぞっていた。
「遠道?」あなたは繰り返し私の名を呼んだ。
「ごめん。ぼうっとしてた。というか理解が追いつかない」
「何だよ? そんな難しいことでもあるまいに」
そうだ。最小限の仮定で空想できる未来の範囲内にして、言葉にすればごくシンプルな状況。誰にでも起こり、そして誰もが知っている。しかし。
「もっと……先だと思っていたかった」
追いつけるとは限らない。
いてついた現実感が心臓を刺していた。全身を流れる血液が凍って、背をじわじわと焼いている。そんな私の狼狽ぶりを見て、あなたはさぞ愉快そうに笑みを浮かべる。
「おいおい。ずいぶんと楽観的なことだな。君も」
やれやれと眼前の臆病者から視線を滑らせ、遠くの思い出に目を向けている様だ。
「今まで考えたこともなかった。お前がこの圏からいなくなるなんて」
「嘘、というより厳密さを欠いているよ。考えたくなかっただけだろう?」
あなたは反駁する。
同じことだろう。人は、真に最悪の想定を未来から奪うことでしか、自分の時間を進める手段を知らないのだ。私はただ、今の保存に努めようとしたに過ぎない。未来を考えないという方法によって。
「だが、事実なんだろう。もう私が何を思おうが、関係のない話になった」
現実に対して、私は無力だ。
バラバラに存在していた因果の可能性は既に整列し、一つの結果へと収斂していた。愚者も賢者も、その事象の部外者に落とされたのだ。あなたはこの世界からいなくなる。圏は開放的で、流動的に中身を入れ替え続けているのだ。そんな一般的な自然現象に、こうも一喜一憂しなければならないことは、甚だ疑問だった。
何故だろうか。さきほどより直視できているというのに、瞳が開いたまま瞑られている様に感じられる。
「まだ時間はあるよ。遠道……別に最後だなんて思っちゃいないけどな? でも改めて」
あなたは呼応する私を求めて、手を差し出した。
「嘘だ。お前こそ厳密さを欠いている」
私は握手を返せない。無理解、否定、不可能。私は実感を拒絶する。
その質量を嘘のままにしてしまえば。深く傷つくこともないだろう。いや、そんな破綻した思考など後付けの解釈に過ぎない。私は思考すらも逆さに捻れ、何に恐れているのかわけも分からず走っていた。
そうして、あなたは私の前から姿を消した。
震えていた。あなたの手が。全て蜃気楼に塗り変わった。
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消えてしまったものは戻らない。波にさらわれた砂の城の様に、積み上がった軌跡は更地に戻されてしまった。
ここ、トポス187-bは地球上に構築された編集済みの魂を格納する空間だ。現生命が生活する世界のひとつであり、縁を圏で隔離した空間、因果を束ねた一つの運命と換言してもいい。
あれから一年が経とうとしている。圏は絶えず中身の入れ替えを繰り返し、目が慣れるという感覚を伴う間もなく私たちの生きる景色を刷新していた。
街は代謝する。いのちは変化をし続ける。変わらないものなど一つもない裏側で、ただ唯一の存在としての魂が点在を続けている。もしこの物語で一つ理解する必要があるとすれば、『魂とは単一にして、空間と時間に規定されないものである』ということだけだ。魂は光より早く存在間を移動している。いや、速さなどない。それは私たちが速さを理解する外側の理で動いている。
では、私たち命とはなんなのだろうか?
私は空想する。世界の始まりを、終わりを。それと全く同じ様に過去と未来を妄想する。それは全て魂の下位プロセス。一瞬の単位時間のうちに魂が錯覚した、客観的時間という幻覚。点と点は無限に並びあって、自己という曲線を暗示する。いのちは魂を知覚できない。
しかし、圏は魂を時空の理に隷属させる。時間の外では単一であった魂がここでは座標の概念に従って複数の状態で存在させられる。高速移動(ここではその様に表現する)する魂を捕え、圏を通過(ここではry)するまでの間だけ一つの生命に留め(こry)て存在()させる。
この技術を人類は、トポスフィアと名付けた。ギリシア語の場所(topos)と英語の球範囲(sphere)。誰もこの頭痛が痛い名前に反対しなかったのか甚だ疑問であるが、きっとそんな瑣末事に目くじらを立てられないほど差し迫った何かがあったのだろう。
ここでは私はひとりではなく、出逢いと別れに曝されている。何も特別なことはない。当たり前のことだ。
その当たり前が自我の錯覚であると証明されたのは、人類が魂の掌握をした十年前。偶然にも、私があなたと出会ったときと同時期のことだった。
『転生主義者を自称するテロリストの増加は、もはや圏の存続に関わる事態となってまいりました……』
机に置かれたデバイスは淡々と私に語りかけ、私は苛立ちを隠しながらその電源を無慈悲に切った。
何が不快であるのかと言われれば、その部品単位一つ一つに魂が宿っているという事実そのものだ。あるときあなたはそれに対して、「魂は物質の呼応に自我を錯覚させる。単純なものにたいした意識が宿っていると思うことはナンセンスだよ」とけらけら笑って答えた。
その会話の先に私たちへの何らかの救いがないことに気づいて、私は口籠った。だが、私の自我が私の細胞一つの意識と無関係な様に、複雑なシステムにはどれほどの意識が宿っているのか、我々は計り知れない。
「だから圏は人類の数を多くするよう調整されているのか」
「意識を発現する以外全く役に立たない資源だからね。消費が目的なら人類を増やした方が効率がいい」
あなたはいつも私の知らない何かを見つめながら、私を導いてくれる。今はもういないあなたの記憶。
デバイスが黙ったあとの空白を、埋める術を私は知らない。
あなたがこのトポスを離脱してから一年が経った。今朝、もうじき私の魂が圏を離脱し、遠道一という存在がトポス187-bから消失するイメージがテレパスを通して連絡された。消滅した私は別のトポスで再構築されると聞いているが、その私に宿る意識に、今の私との連続性は存在しない。
「なんて世界だ。死の形がひとつ増えただけじゃないか」
忍び寄る得体の知れない感覚にラベルを貼って、愚痴を吐き散らかす。
聞いているんだろう? お前だよ。たとえ場が静寂を返すのみであっても、音という現象のその爪先にまで何かが潜んでいる。それこそが救いであり、張り付いた絶望でもあった。
あなたが救いのない結論に私を導いてくれていたのは、あなたなりの優しさであったことが痛いほどわかる。そしてその痛みの正体は、屈折して自我に深く刺さった記憶の絡まり、後悔というものなのだ。
あの手を握ってやりたかった。心を証明してやりたかった。自我が呼応を単位としているのであれば、その握手にはどれほど偉大な意味があったのだろうか。だが私は拒絶した。別れから逃げて、私はひとりになった。その末路が、今この先に暗くとぐろを巻いて待ち構えている。
パンを齧り、その乾いた断片を喉に通す。パンは欠けたパンと断片になり、断片は胃液に壊されて、パンではなくなる。魂は、そのひとつひとつに宿っていた。
私は伸びた爪を切る。私は私と切った爪になり、爪はゴミ箱に入り、私ではなくなる。
私は人間という存在に生まれたからこそ、私を構成する単位たちを操れている。不気味な感覚だ。社会が構成単位たる人間を操れるように、上位の存在は下位の存在に干渉できる。そして、もちろん社会にも魂は宿り、自我を生じさせているのだ。
あなたのいない、この得体の知れない世界で生きている。
ため息でさえも、この世界では他者になってしまった。
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この世界に所有権はない。魂の消失で質量や構造が無作為に壊れてしまうからだ。
無限に続く様にすら錯覚する死と再生の連鎖は、人類が自分たちのスケールに合わせて見出した結果に過ぎない。
円環とは螺旋が際限なく自己相似を繰り返したものであり、形あるものには始まりと終わりがあるが、かたちを持たないものにはそれがない。
時間という錯覚を事実へと昇華させた結果として、掌に握れば霧散する様な脆弱な確かさしか、この世界では許されなくなった。
真実の証明とは、ときに何よりも無意味なことである。
そんな世界で私たちが興味を持つものは多くない。
その一つに、トポスフィアを作った人類が何を考えていたのか、換言するにこの世界の意味についてがある。彼らは何故それまでの世界を捨てて魂を圏に閉じ込めたのか。私たちは何故、この場所を去らなければならないのか。
十年という歳月は人々を洗い流し、そして新たな染みがこびり付いた。
総体単一から切り離したひとつの魂を圏に止められる期間は平均で五年ほど。あらゆる何らかの存在者は、誕生から約十年以内に消滅する。生命として登録されたものだけは別のトポスで復元されるが、同一のトポスで復元されることはまずない。
圏内、トポスとトポスの狭間を満たすものは完全なランダムだと言われている。
そして、人類はトポスの現存数すらも把握していないのだ。
この世界に所有権はない。最期には瞬きのあいだに消えてしまうからだ。
今この眼前には、私とあなたがこの十年でかき集めた資料があった。
既にトポスフィアの設計資料の大部分は失われた。集めることができた多くは、同じ問いを追った仲間たちの残したものであり、その半数は既に失われている。
『テレパスと魂』『意識の座』『魂在構造論』『意志と収束』
それぞれ一つ一つに、あなたと夜中語り明かした思い出が重なっている。
魂を信じない私を説得した一夜に、思い出を振り返って腹を割った日。圏の構造思想を推測しあった日々に、欠損という概念を読解しようと二人であちらこちら悩みながら散歩をしたあのときのことも。あなたが消えてから思い出すことを避けていた記憶が、雲の様に湧き出て思考を覆う。
「皆バラバラになって何も残せないのに、よくここまで頑張れるよね」
あなたがそう言った記憶が、浮上して私をすり抜けていった。
一編の資料に目がゆく。題名は『圏からの解放』。誰かが遺した書きかけの計画表であった。そこでは、推論の域を出ないがトポスフィアには設計ミスがあったこと、そしてトポスフィア本体の在り処が示唆されている。それは再生紙だったせいか劣化が激しく、そして示されるべき風景もまた風化し、結局は役に立たなかった。
時間切れだ。私はこれ以上なにもすることができない。
遺せるものは、ない。今ここで何もできないなら、次の世界でもそうなのだろうか。それは、彼らも。あなたも。
全てが無意味に朽ちてゆくようだった。
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水面の泡の様に穴が開き、そのたび空白が受け入れられ、世界は埋まってゆく。柱が失われた家は倒壊し、機能が失われた系はバラバラになり、イデアが失われた者は風化した。
この世の言葉の半分は遺言で、もう半分が産声だった。
足の進むままに歩いていた。もうじき消えるというだけで、全てがどうでも良いとすら思えた。だが、全てが失われると実感するだけで、命脈が鮮やかに迫ってくる様に見える。
大袈裟なものだ。本質的には、私が死ぬのは今ではなく、ここに宿っている魂は私の死を経験することなく全に還る。私は他のトポスで復元され、何事もなかった様に体験を続け、そして死ぬ。私にこれから起こることは眠ることに似ている。それだけだ。それだけに違いないのだ。
あなたが居るかも分からない。不確かな未来。
ふと、足が止まった。広場は人であふれており、活気立っている。言葉は記憶を交換し、心を橋渡し、命は交流を行っていた。
息を呑んだ。その景色に私は、人と人との間に線が繋がり、輪が見えた様な気がした。漠然といのちの在り方を思い出し、それは瞳と溶けて重なった。
魂は呼応に宿っている。あなたの声が、聞こえた、気がした。
頬を滴る涙に気付いたのはそのすぐ後だった。そしてそこから間髪入れずに響いたのは、悲鳴。絡まった輪が無残に千切れる音だった。系が損なわれ、その魂は器を失う。
観衆の目は一点に収束していた。なぞる様に視線に吸い込まれて、群衆の中ひとりの人間が浮かび上がる。
「お願いです! 娘を探しています。まだ六歳の娘を!」
男は涙を流し、広場の全てに訴えかける様に叫んでいた。だが、彼の様子はとても普通ではない。体には異様なものが巻き付けられていて、手にはそれと繋がったスイッチの様なものを持っている。誰かがぼそりと「爆弾」と口ずさむと、瞬く間に恐怖が伝染した。
「逃げないで! 話を聞いてください!」
男は焦点の合わない目でそう言った。
「仲間がいます。我々は転生主義者です。無闇に死にたくなければそこにとどまってください!」
いつのまにか、広場は爆弾らしきものを手に持った集団に囲まれていた。逃げ場を失った人々は動きを止め、分子すらも静止している様な冷えた空気を張り付かせる。
「ありがとう。心優しい皆さん」
彼は泣き笑いで、安堵を抱え、本心からそう言った。
首筋を怖気が舐めた。まるで人の形をした違う生き物に対峙している様だった。彼の目は紛れもなく親の表情をしながら、その裏で無機質に何かを切り捨てていた。
「僕は和音。三日前にこのトポスから消えた娘を探しています。こんな形の出会いで大変恐縮なのですが、あなた方には私の娘を助ける手助けをしてほしいのです」
彼の言うことはこうだった。トポスフィア設立から四年最愛の妻が妊娠中に移動した。彼は妻との別れや娘を見ることができないことに悲しみながらそれでも移動の瞬間に立ち会った。
しかし、そこで誰もが想定していなかったことが起きる。最後に妻を抱きしめた腕の中に、弱々しい命が残っていたのだ。
彼の妻は消失し、そして胎の中にいた娘だけはこのトポスに残された。妻の消失日は娘の誕生日となった。
彼は、握り締めた温もりを絶やさないと誓った。だが、未熟児をこの物質が不確かになった世界で安定するまで育てるのはとても難しいことだった。
彼は、娘のためなら何でもした。そして、奇跡的に彼女、和音阿為は生き延びた。生き延びて、とうとう三日前、彼の目の前でトポスを移動した。
和音の語り口は共感を誘うものだった。
「まだ自分一人では何もできない子なんです。早く助けにいかなければ」
彼の瞳には濁りはなく、真っ直ぐに希望を見つめていた。私はその様子に吐き気を覚えた。景色が歪んで見える。
「僕の移動を待ってなんかいられません! 阿為のためならば、僕は僕である必要はない。しかしながら、僕一人では阿為を見つけるのに時間がかかり過ぎてしまう」
そこで彼は私たちを見回した。その焦点の合わぬ目と目があったとき、初めて彼の見る焦点が私の遥か奥底で繋がった。
転生主義者とは、肉体の意義を失って、魂のみを至上とし、命を蔑ろにしても目的を果たすもののことなのだ。そして彼らは、その価値観が誰にでも常識的に通じると思い込んでいる。
彼はただただ正しいことを述べる面持ちで、広場の命たちへ殺戮を宣言した。
「お願いです。次のトポスで和音阿為を探して、見つけたら保護してやってください。そして、見つからなければ、別の転生主義者達と共に、今の私の様に仲間を増やしてください」
彼の歪んだ率直な言葉は、それまで凍っていた広場をただちに沸騰させた。人々の呼吸はぶるぶると震え、一触即発。誰もが確信めいた死の影を踏んでいる。肉体の死は命で活きているものたちにとって、変わらず最も根源的な恐怖だった。
だが、私は何故か冷静なままだった。ずっと鳴っていた耳鳴りに気付き、そして不思議と頭が整理される感覚がある。違和感が思考として動き始め、地平線に答えが浮かび、その道程を一歩一歩と歩き始める。
「いくつか質問してもよいだろうか」
私の口から勝手に出てきた言葉に、私自身が驚いていた。
「なんでしょうか」彼は丁寧に受け答える。
「何故、転生主義者は自分の命を蔑ろにできるんだ」
「僕にもよくわかりませんが。皆さんその方が効率が良いと言っていました。楽しくなければ楽しめる肉体や世界に宿るまでリセットした方がいいと。結果的に阿為を救えるなら、僕も効率には同意できます」
耳鳴りのうねりが意味を持ち始める。イメージが脳を占拠し始めて、私は頭を振った。テレパスだ。どうやら私のトポス移動が近づいているらしい。あと少しで何か掴めそうだというのに。にじり寄った焦燥感が足元を掴んでくる。
「記憶は。何故肉体を失っても続くと思うんだ? もし全てを忘れたら」
「僕が阿為のことを忘れるはずがない!」
彼が怒鳴ると殺気が私に向けられた。彼からではない、人質たちが私の口を睨んでいるのだ。心臓がざわついた。消える前に、せめて彼ら開放しなければならないのだ。
息が苦しい。まるで首を締められているようだった。
「いや、きっと忘れてしまう」
それでもなお私の舌は反駁を続けていた。脳裏にはあなたの掌が見える。追うことを諦めた、あなたの背中が。
「このトポスの何処に自分以外の記憶を持った人間がいるんだ? お前は何人そいつらと会った? お前自身がそうなれると何故思えるんだ」
「それは……」
「もしかしたらお前は特別かもしれない。そう信じることはいい。でも私たちを巻き込むのはやめてくれ。何故なら私たちは……」
そこまで言って私は息を吸った。汚れた空気を吸い込んで、吸い込んで、深くまで滲ませて、そして心臓の近くにあったものたちを吐き出した。
「特別じゃないんだ。お前の手段に共感することはない」
この瞬間、この世界の正体も、あなたとの再会も、なにもかもが本当にどうでも良いものになった様な気がした。
いや、無理だと思って諦めていた意識を自覚し、そしてそれを受け入れたのだ。
「お前が娘の命に重きを置いている様に、娘だってきっと父親の命に重きを置いているはずだ。娘のこころを思うなら、生きて果たすべきだ」
和音に動揺の色が見えた。悩むということは、再会を望んでいるということなのだ。そちら側に立っている和音が、無性に羨ましく思える。だがそんな執着の残滓も、すぐになくなった。
私は最後まで話すことなく、体の自由を失ってその場に倒れ込んだ。テレパスに意識を邪魔されながら、私はこのトポスでの最後の生命活動として思考を行う。違和感の正体を無視しないことも、生きるということなのだ。
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最期に残された自由の片隅で、たった一つの答えを探していた。和音たちから感じた、違和感の正体を。
そもそも転生主義という姿勢自体が成立することがおかしいのだ。
不満があるから死を選ぶのであれば、生きている彼らは必然的に不満が少ないということになる。もし魂が記憶を継承するのであればそこには再現性が生まれ、積極的に転生するだろう。
しかし矛盾がある。不満がないなら転生主義を自称する理由がなくなるのだ。
では何故彼らはそれを自認する。これから転生するから? 違う。ためらいがある時点で既に主義に反しているのだ。
脳裏を覆うイメージが拡大する。
さらに言えば、死をもって完成するために、増えようがない。
幸福になったものが善意で伝道する? 和音ならばやりかねないが。どちらかと言えば集団化して、死の不安を消したい側面の方が大きい様に私には写った。
最も根本的なところにも穴がある。そもそも、人類の個体数を減らすと言うことは、人類に転生する可能性が低くなるということだ。
そして自死を選べるほどの理性(果たして合理的判断かはさておき)を持つものに転生できる保証もない。
命にすらなれずにトポスフィア管轄の建材として加工されてしまえば、向こう五年間は健在ということになるだろう。
不満を感じる脳がないと言い出せば、根幹に持っていた魂を生命的に捉える観点が潰えてしまう。
もうほとんど私の意識はテレパスに支配されて、思考運動が行えなくなっていた。消失は近い。あなたも、この中でいなくなったのだと思えた。
一つ確かなことがある。転生主義とは自己の幸福追求よりも、転生主義自称者を増やすことを優先しているということだ。
転生主義という概念系には、圏の破壊と解放を目論んだ魂が宿っていると言える。そしてそれは、私たちの思想と近しい。だが、手段が違えば、同志は敵になり得る。
失われた五感の代わりに、テレパスが私に景色を把握させる。和音は意気消沈していた。だが、私たちを囲んでいる他の転生主義者たちの問題がなにも解決されていない。
結局私は何かを成すことが出来なかったのだ。
私は既に意識を閉じられていた。考えることも感じることもなくただ、無垢な眠りに還っていった。
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ふと気付いた時に、直前数分間の自分が複数のことを同時に考えていたことを思い出したことはないだろうか。連なった三つの川が量子の様に重なって、複数の過去が統合される。
走馬灯とは、それに最も近い形式をとっている。
私は今、この十年間の全てを同時に経験していた。意識という状態を持っているのか分からない。いや、理解という動作の可能性も存在しない。
夢のない深い眠りの中で、全てが流れていた。十年前と昨日の出来事、あなたが消えた日、数えきれない無限個の瞬間、その全てが単位時間レベルで同時に映っている。意識が半壊したことで時間概念が否定されたのか、あるいはテレパスがその方式を見せているらしい。
だが、今ここにそれを見せられている私が意識を綴る時空が存在する。まだ全てが終わったわけではない。
『「テレパスネットワークの構築には、魂の一体感が使われているらしい。意味不明で笑えるね」あなたが語りかける』
『「欠損が前進を生むのは完全を求めるからか」私の結論にあなたは納得した顔で肯く』
『「圏内はトポスでバラバラにされて、繋がりが希薄化している。これじゃあ数世代もしないうちに生命は絶滅するんじゃない」
「そもそも今、圏外って存在しているんだろうか」
「その存在っていう概念を実体化させるためにトポスフィアが作られたんだよ」』
全ては同時に再生される。
私はだんだんと意識を慣らしてそれらの中から必要な記憶を時間空間の規則に則った別座標に再配置した。幸い時間法則が壊れている以上、蓋然性をもった思考はつねにすでに施工されている。つまり、私は今何もできないが、無限の時間を与えられているのだ。
そして、本当に何もできないかを検証することすら、時間を一切払わずに無限解の全てを知ることができる。
肉体は時空法則に従う以上、実行できる案は一つだけ。
記憶が重なりあって混沌と化しているはずなのに、全てが澄み渡っている様に思える。高度に抽象化された思考が、いままで考えられなかった結論を導き出していた。
魂が時間と空間を超えて関係に宿るという意味。世界は変動を続け、出逢いと別れは避けられないという事実。
それでも、同じ志を持って歩き続けば、いずれ再会できる。それが、縁というものだった。
無限という非時間は私に希望を与えた。そしてその希望は、久遠と刹那の狭間の中で、答えになっていた。
私はもう既に、転生主義者たちの対処をする術を見つけたのだ。
テレパスネットワークを意識でクラッキングする。命が魂に干渉するという冒涜にして、たったひとつの冴えたやりかた。
既にもう、それは実行されていた。
シナプスの支流は広がり、並び替え、システムと共存する。イメージは意思をもち、透き通ったクオリアを世界に重ねた。すべての揺らぎが私の目であり、耳であり、肌になる。
私はトポスフィアの一部と情報的に接続し、トポス187-bと一体化した。世界という系に宿った魂と同化を果たしたのだ。トポス内全ての出来事が私の神経になり、全てを感じ、そして全てを理解することが出来た。
そして、人間が爪や髪を切ることができる様に、システムはパーツに干渉することが出来る。
今や私はトポス187-bの最大単位であり、全てのものに宿る魂を掌握している。
私はあの広場のテロリストの解決を行う。
私の肉体は、まず転生主義という系に宿った魂をパージする。すると、彼らの持つ共通概念が壊れ、集団はバラバラになった。彼らは夢から覚めた様に冷静になり、自分たちの行いに驚いていた。
危険を減らすために私は彼らの持っている爆弾の魂も外す。存在を失った爆弾は構造を崩壊し、砂の様にかたちを失い、彼らの手からこぼれ落ちた。
魂は存在に先行し、まるで逆説的な物事すら現象する。
私は恐ろしくなった。ここで行ったことは生命の行う領域にはない。私は他人の運命をも操ったのだ。
そして、全ての生命にこれと同様のことを行える可能性があることに震撼した。
今の私はその気になれば、人々から全ての感動を奪うことも、記憶を消すことも、果てには全ての魂を開放し、トポス内を無に帰すことさえ可能なのだ。
不都合な概念を隠し、テレパスで人々の間を嘯き、まるで捕食者の様に営みをねじ曲げ、私欲のために誘導する。そして歪められた思想は他のトポスに広がり、世界を誤ったかたちへ導いてゆく。
魂という生の証を求めたことによって、全ての尊厳が死に至るのだ。
ためらいの隙間に生まれた一瞬にも満たない非思考の結果、私はもう何もしないことを選んだ。命が起こした問題は、命によって解決するべきなのだ。
だが、どれほど懺悔を重ねようと、この罪の代償は変わらない。全ては実行する前に気づいていたことであり、それでも私はこの手段を選んだのだ。
私は魂をトポスと同化したことによって、移動が正常に行えなくなった。
今も野晒しに倒れる私の肉体は、私という魂を失ったことで、この先目覚めることはない。細胞単位では、臓器単位では、魂が宿り機能している。だが、主体を失ったそれは、もう命ではなくなってしまった。壊れるのは時間の問題だ。
そして、この意識と非思考という動作はいまだに肉体の脳に頼っているため、私は肉体の死に従って消滅する。
この力は壊す力であり、失われたものは帰らない。
私は、あなたに再会することがないまま死ぬのだ。希望に貫かれて死ぬということは、命の本望でありながら酷く滑稽だった。
不相応の力を振るった対価を、私は支払わなければならない。
あなたは再会を望んでいた。私も再会を望んだ。時間が無限にあればそれは叶うのだろう。だが、我々の時間はあまりにも短く、一つの運命を紡ぐだけでも何世代もかけてしまうのだ。
あなたの姿が、ことばが、刹那の意識に流れ込み、呼応した感情が蘇る。今度こそ、永久の別れだ。
この結果に後悔はなかった。あの瞬間、あの場所で、私は私にできることをしたのだ。あの日あなたとの別れを拒んだ瞬間から決まった罰と清算、これは運命だった。納得していた。
だというのに、悲しみが止められない。光の射さないここには、可能性が、未来がない。無間地獄が、始まる。
ここからが本当の走馬灯。有限の命の内側で、無限の非思考に囚われる想い出の監獄。だが私は望めばいつでもそれを終わらせることができる。
脳という機能が掛かっている魂を外すことによって。
『そうだとしても、実はまだやりようはあるよ。遠道』
確かに聞こえたそれは、あなたの声だった。
突然私の魂は系から剥がされ、弾き出された。トポスフィアは正常に機能を再開する。
魂はその勢いのまま、圏外へと離脱した。中身を失った肉体が分解され、情報は別の圏へと転送される。その先で別の編集済みの魂と紐つけられ、再構築された。
圏外へと離脱した魂は既に根元と同化していた。魂は全てのものに同時に宿り、何もかもが正常であった時代が流れ始める。
遠道一は、トポス187-bから消滅した。
< �͋ z B E�̎n ܂ A I B ƑS l ɉߋ Ɩ ϑz B �͑S č �̉ ʃv Z X B u�̒P ʎ Ԃ̂ ɍ o A E ԂƂ o B �͋ z B E�̎n ܂ A I B ƑS l ɉߋ Ɩ ϑz B �͑S č �̉ ʃv Z X B u�̒P ʎ Ԃ̂ ɍ o A E ԂƂ o B �͋ z B E�̎n ܂ A I B ƑS l ɉߋ Ɩ ϑz B �͑S č �̉ ʃv Z X B u�̒P ʎ Ԃ̂ ɍ o A E ԂƂ o B �͋ z B E�̎n ܂ A I B ƑS l ɉߋ Ɩ ϑz B �͑S č �̉ ʃv Z X B u�̒P ʎ Ԃ̂ ɍ o A E ԂƂ o B �͋ z B E�̎n ܂ A I B ƑS l ɉߋ Ɩ ϑz B �͑S č �̉ ʃv Z X B u�̒P ʎ Ԃ̂ ɍ o A E ԂƂ o B �͋ z B E�̎n ܂ A I B ƑS l ɉߋ Ɩ ϑz B �͑S č �̉ ʃv Z X B u�̒P ʎ Ԃ̂ ɍ o A E ԂƂ o B �͋ z B E�̎n ܂ A I B ƑS l ɉߋ Ɩ ϑz B �͑S č �̉ ʃv Z X B u�̒P ʎ Ԃ̂ ɍ o A E ԂƂ o B �͋ z B E�̎n ܂ A I B ƑS l ɉߋ Ɩ ϑz B �͑S č �̉ ʃv Z X B u�̒P ʎ Ԃ̂ ɍ o A E ԂƂ o B �͋ z B E�̎n ܂ A I B ƑS l ɉߋ Ɩ ϑz B �͑S č �̉ ʃv Z X B u�̒P ʎ Ԃ̂ ɍ o A E ԂƂ o B �͋ z B E�̎n ܂ A I B ƑS l ɉߋ Ɩ ϑz B �͑S č �̉ ʃv Z X B u�̒P ʎ Ԃ̂ ɍ o A E ԂƂ o B �͋ z B E�̎n ܂ A I B ƑS l ɉߋ Ɩ ϑz B �͑S č �̉ ʃv Z X B u�̒P ʎ Ԃ̂ ɍ o A E ԂƂ o B �͋ z B E�̎n ܂ A I B ƑS l ɉߋ Ɩ ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………あなたは、意味のあるもののみに目を滑らせる。すると、世界は理解可能なものに絞られ、時空の形式に変換された。
あなたは妄想する。時間という錯覚を、空間という幻覚を。意識の上には、あなたの生きる世界が作られている。
地球から離れた星に棲む、人間とは違った因果形式で意識する命は、この物語にはなにも関係がない。同様に無生物の単純な呼応も、ここでは無視される。
あなたはその目を通して、あなたが宿る全てのうちから必要な記憶を読むことが出来る。
あなたはあるとき、猫だった。飼い主はごく一般的なOLで、あなたは毛並みを見ても分かるほど深く愛されていた。
居間のブラウン管テレビの裏にはあなたお気に入りの場所があり、そこで丸まりながら、ごろごろと喉を鳴らしていた。晴れの日も雨の日も、病める日も、あなたはOLに寄りそっていた。あなたの最期はOLの膝の上であった。あなたは優しく乗せられた彼女の手を撫でる様に尻尾を揺らして、安らかに息を引き取った。
一つの命を観終えると、目線は次の文章へと移動する。
あなたはあるとき老人だった。息子に先立たれ、深い悲しみの中にあった。ある日は公園のベンチで子供達を眺めて、別の日には中学校のグラウンドを外から眺め、ある日には電車の中で出勤する人々を見送り続けていた。あなたは視界に張り付いた息子の面影を追い続け、そしてその度に過去の記憶が痛みを訴えた。家の扉を開けて「ただいま」と言っても、呼応する声は聞こえない。
あなたは今日も欠けたこころを埋めようと、ドアノブに手を掛けた。
あなたは偏在し、全てのその瞬間を同時に観ていた。目を通してこの文章を読むことで、あなたは魂の形式を命の形式になおして理解することができる。
あなたはあるとき、猿とも人ともとれぬ群れの長であった。あなたは統治者であるとともに、狩人でもあった。冬季を前に、群れでは備蓄をしなければならなかった。あなたは日々の繰り返しのように狩人たちを連れ、森に入った。巨体の獣はあなたたちを蹴散らし、狩人の半数が救えない怪我を負った。その責任であなたはそのまま口減らしされた。あなたは最期の瞬間まで、皆が冬を越せるかだけ案じ続けていた。
言葉は認識を裏打ちし、新たな知覚を生み出す。重なり合ってぼやけた可能性の層は、あなたの焦点を芯に一つの現実を見せる。視線を揺らせば瞬く間に、また別の誰かを見ることができる。
あなたはあるとき少女だった。誰よりも笑い、誰よりも泣いて、誰よりも心に正直に生きていた。あるときあなたは村の青年に恋をした。何をしているときも彼のもとに意識が向いてしまい、窓越しに、人影越しに彼のことを想った。
あなたははじめて、心のままに生きることの難しさを知った。来る日も来る日も恋焦がれ、とうとうあなたは青年に想いを伝えた。
青年は微笑んで、あなたの差し出した手を握り返した。
文字の羅列は認識を通すことによって意味を孕み、魂はそれを追体験する。
あなたはあるとき大黒柱だった。家の中心で全てを支えて、そこに住む家族をずっと見守っていた。あなたに刻まれた傷は、彼らが子供のころからあなたに寄り添って生きていた証だった。生まれ、育ち、家を出て、帰る、その繰り返しを世代を越えて、あなたはずっと見てきた。彼らが暮らす灯りが、あなたをずっと照らしていた。
最後の一人がその命を終えたあと、あなたは静かな暗闇に染まった。永く家族を守っていたのが嘘のように、あなたは風化し、なくなった。
節を飛び越えて進む。左から右へ流れて。あなたはその所作を知っている。
あなたはあるとき詩人だった。世界を旅し、そこに生きる人々の姿を唄に綴っていた。あなたは数々の危険を潜り抜けてきたが、寄る年並みには勝てず、とうとう砂漠を横断するなかで最期を悟った。
あなたは自分の人生を振り返った。水筒の水をちびちびと口に含んで、少しでも多くを思い返すために、生にしがみついた。水筒を開けるたびに、灼熱の世界にさらされた水が蒸発してゆく様な気がした。あなたは全ての思い出が蘇らないことに焦っていた。そして、グラスに注がれたワインの全てを飲むことが叶わないように、記憶も、その全てを飲み込むことができないということに気が付いた。
命は数珠つなぎに円環し、螺旋を円に錯覚しようとしていた。あなたは常に欠けていて、その先を埋めるたびに胎動する。あなたは、命とは鏡であり、心とは、鏡に移った像であることを想い浮かべ、死と再生の渦中に潜っていた。
あなたはあるとき奴隷だった。日々何も考えずに必要なことをして、可能な快楽に耽っていた。あなたは自分が幸福だと思っていた。実際、不幸なことは何もなかった。畑を耕し、レンガを運び、家畜に餌を与えて主人から食事をもらっていた。ある日、あなたの主人が死んだという知らせが走った。あなたは日課を続けたが、もう食事も娯楽も与えられることはなかった。仕方なく追い剥ぎに転向したが、すぐさま私刑にあい路地裏に転がった。都には疫病が蔓延していた。数日と待たずしてあなたは罹患し、主人と同じ死に方でこの世を去った。
あなたはあるとき宇宙だった。巨大な系の内側で全ての銀河、全ての星、全ての命の脈動を感じていた。あなたは点から始まり、広がり、そして勢いを失って収束した。あなたの内側で生まれた存在は、エントロピーを移動させ、果てに点に還るあなたから脱出した。そこからあなたには穴が空き、真空を埋める様に、他の宇宙と繋がった。
記憶とは以前器に注がれたものであり、あなたはその度満たされた命を駆動する。虚無は混沌へとほどけ、混沌は秩序を含み、秩序は再現性で己を守った。存在は存在を続け、それを満たしたものが命となった。命は消滅を恐れて知恵を求めた。知恵は意味を求めて自己を手に入れ、自己は孤独の中で他者を求めた。繋がりは縁を産み、その複雑系は新たな意志を開花した。あなたは常にそこに或る。
あなたはあるとき学生だった。卒業を控え、思い入れがあるかもわからない校舎を友人と歩いていた。あなたは友人の書いた小説に「ジェネリック100万回生きたねこ」と感想を言った。友人は苦い顔をした。あなたは友人に別れを告げ、友人もそれに頷いた。生きる環境は移り変わるが、望めばまた巡り合えると思った。
魂は時間と空間に規則されず全てに宿り、物質の呼応に意識を生じさせる。あなたはこの宇宙すべての存在者たちを感じ、読み取り、それを動かしていた。だが全てとは言葉のあやであり、実際あなたは完全ではなかった。
あなたの全てと繋がっている感覚は、全てでは無い。あなたが万物万事と重なっている輪郭で、あなたを削っている領域がある。それはあなたが誕生した瞬間からあった空洞であり、あなたはそこを埋めるために、万物に意識を生じさせていたのだ。
欠損こそが感情単位たる衝動を生んでいる。
全ては、その瞬間に自分が為せることを。
あなたはあるとき科学者だった。あなたは、自分が何故生きているのかがわからなかった。くる日もくる日も、絶えず繰り返された思惟の果てで、あなたは自己を定義した。
その次のテーマは世界だった。あなたは考えるだけではなく手足を動かし、研究という形で世界を定義した。
しかしその二つの定義はまだ不十分であった。肉体と精神の境界面、あらゆる自己と世界の知覚を感受している存在について、理解することはかなわない。一つのカメラでカメラの写真を撮ることが叶わないように、鏡を使わなければ人は自分の全身を見ることができない様に、原理的に不可能なのだ。
あなたは科学の限界を痛感し、それを魂と名付けた。
あなたは死の間際まで研究を続けて、そしてそれは誰かに託された。病床であなたの手を握った若い研究者に、あなたは涙した。あなたは最期に、他者を信じられた。
あなたは少し先の未来に目を向ける。
そこでは、地球も人類も滅び、他の銀河から来たものたちによって、地球生命の痕跡が拾い集められていた。これはこの物語に無関係ではないと思い、意識をなぞった。
あなたはあるとき■■■(日本語での可読化不能、時空以外の拡張された知覚概念が含まれる言語である。)の調査員だった。あなたは魂の写しであるアカシックレコードに従って、太陽系の跡地にたどり着いた。時代は太陽系物質の八割が残存する距離に設定し、地球生命の営みを間接的に調査しようとしていた。
地球生命の生存していた時代に直接行かない理由は、面倒な規則に縛られてというのも当然あるが、ある系の問題はその内側で当人たちによって解決させるべき、ひいては系外からの不干渉、という倫理的な原理が根底にある。
あなたは瓦礫の川の中に碑を見つけた。そこには、あなたの使うアカシックレコードの祖先である、トポスフィアという魂に干渉する技術にまつわる事故とその解決に携わった功労者の名前が書かれていた。
あなたはそこに、憶えのある名前を三つ見つける。それは記憶ではなく、あなたに宿った魂がそう訴えかけている面影であった。
あなたはおよそあらゆるものに深く沈み、バラバラの衝動を、一つに汲み上げる。命は単一の目的に沿って駆動し、世界は一つの結果を導き出した。
もうすぐあなたは、自分が欠けている理由を証明する。
あなたはあるとき魂学者であった。
あなたの研究は既に最終段階に進み、人類の知覚が生んだ矛盾の実証と解放が行われようとしていた。自己と世界の定義に潜んだ視野狭窄を明らかにし、そして世界を人類に合わせた形に再構築する技術。全ての時空に繋がっている魂界に、圏という膜を作り、単一である魂をシャボンの様にバラバラに隔離するのだ。
一個人が一つの魂を所有し、魂を用いて全てのものを管理できる世界。トポス。
だが、あなたにとってこの研究は先代から引き継がれたものであり、あなた自身はその運営方針に心惹かれるものがなかった。
「お前この技術の命名権もらったんだって? 何にするの」
馴れ馴れしい同僚があなたに問いかけた。
「トポスフィア」
「何それ?」
「私たちはずっと意味を再現性から掴もうとしていた。繰り返し現れるものに名前をつけて、無意味に無意味を代入して。折り重なった深い空洞。でもそれが、魂が実証された世界では変わるんだ。運命と縁が実証されて、生まれ変わった意味の中を過ごすことができる。だから、古い意味の全てをこれに背負ってもらおうと思う。それで、トポス(場)とスフィア(領域)を重ねる」言語がバラバラなのも、皮肉が効いている、などと考えると、あなたの頬が緩んだ。
「なんだ、意外と楽しそうだな。もっと嫌々研究しているんだと思ってた」
「まあ、出資者たちの意図を踏まえるとね。でも、私たちは与えられた状況の中でしか、光を見出せない生き物だからさ」嘆いて止まるくらいなら進むべきだ。どこへだって。
「よし、行こうか。トポスフィアの初稼働に」
あなたは同僚と共にトポスフィアのもとに向かう。
そして、あなたを含めた魂学者たちは、トポスフィアの稼働事故に巻き込まれて、消失する。結果として圏内世界は上手く統合されず、トポスは千を超えて乱立した。
準備は整った。あなたは識るべきを知り、欠けた世界を望んだ。
圏は今もあなたの部分を捉えて圏内に放流し、そして過去に捉えた部分を解放している。
あなたは、あなたの一部をちぎられる様に、圏内へと進入する。あらたに編集された魂は、百八十七番目のスフィアの裏半球で受肉を果たした。
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生まれた瞬間の記憶はない。いつもふと気づいた瞬間に、自分は生きている。小さな驚きと、諦観。変わらない日々と意識。だが、その都度自分が生まれていると仮定してみたらどうだろうか。全ては一度きりで、人は同じ川に二度入ることはできない。過去は常に死に続ける。記憶という不完全なかたちで、命の内側にあり続ける。
命は何かをするためにあるのだ。行き場のない衝動が、あなたの内側で乱反射する。
そのとき、唐突にあの感覚がやってきた。幾度目かの衝撃に、あなたはまた我に帰る。
まただ、また自分が生まれ変わった。
あなたは鬱屈とした気分で、自分を俯瞰する。しかし、今回の衝動は内部からではなく、外部から湧き出たものだった。
それまで立っていた景色が一変し、脳内に音と映像が響き渡る。それは言語を超越した意味の伝播であり、意識を占拠して強制的に理解させられるものだった。
『我々は、魂の掌握に成功しました。しかし、その代償に空間が引き裂かれ、あなたたちはその中を点々と移動しなければなりません』
そのテレパスは一時間近く続き、あなたは否応なく状況を理解することになった。
当たり前だと思っていた世界は、一瞬で生まれ変わる。縋り付くことも叶わず、気がつけば新たな場所にいる。
あなたにできるのは、自分の行き先を選ぶか、選ばないことだ。
辺りを埋め尽くす阿鼻叫喚の海を渡り、失われた過去の根深さをもつ嘆きの枝葉をかき分けて、あなたはその中にひとりのひとを見つけて立ち尽くした。
出逢いと別れは表裏一体。ならばあなたの行動は進んで痛みを受け入れるだけものなのか。いや、命は何かをするしか役に立たないものだ。命を費やしたから、意味が生まれる。
あなたの足が動き出し、あなたの口が開いた。
「君、名前は」さよなら。
「? 遠道一」
あなたは、鮮やかな時間に貫かれていた日々を想い出す。非記憶は魂に刻まれ、生命の意志を促した。
私はあなただった。あなたはいつかの私をみながらそして、どこかで結ぶ縁を紡いでいる。
2021/02/13
説明が説明になっていない拙作ですが、最後まで読んでくれた方、本当にありがとうございます。
作者はこのタイトルを「ダイヴ」と読んでいます。
大学二年のときに執筆し、お世話になった部活の卒業生やその年に出会った人たちに向けて執筆した。
眠ったら別人として目覚めるのではないかという幼少期の妄想をベースに、パラフィクションという言葉を知らなかった頃にそのコンセプト(体験型小説)を思いついて執筆した作品。
二度に渡り冊子に提出したが、その二度とも改行調節に失敗して無川は今後書籍のページ調整はしないと誓った。(ページを捲る直前にあなたはページを捲る、を入れたかった的なもの)
傷が癒えた(投稿していないのを思い出した)ので投稿。
(因みに、187bは私が一年生の時の部室の鍵番号でした。タイムトラベラーの方は自重してくれると助かります......)