日記30 星王 ⑥
注意※分かりにくい表現、誤字脱字があるかもしれません。そして唐突な戦闘などがあります。「そんな駄作見たくねぇよケッ!」と言う人は見ないでください。
ご了承下さい。
ジークムントの作戦は、既に最終段階に移行しつつある。
声無き声の声量は高まっており、それは遥か遠く、星空の向こうの楽園にて鎮座する星の皇に届いたのだろう。
彼は、いや、彼女は、金の髪を柔らかな風に靡かせ、その体は異形へと至った。
脇の下、更に脇の下、更に脇の下、そこから伸ばす四つの両腕が伸びている。それに沿って服も大きく変わっており、その四つの両腕は、星空を尊び、また哀れんでいた。
四つの両腕、その先の手には、肺にも繋がっていないはずの口が開いており、そこからも声無き声を絶え間無く発している。
彼女の金と銀と赤と黒の四つの瞳は、ただ星を眺めていようとしきりに動いている。しかし、幾ら待っても星は姿を表さない。
ここ五百年間、長く永い月日が経っても尚、星空は見えないのだ。
だが、彼女は、ジークムントは、再度この世界の星空を見せようと声無き声を必死に発しているのだ。
全ては、星皇の再臨の為。
しかし、星皇の意思の執行人でありながら、そのジークムントの企みを阻止しようと動いている者がいた。
彼女の名は、ルミエール。この世界で唯一、星皇と対等である光り輝く者である。愛の聖女であり、哀の魔女でもある。
ルミエールの刃が、ジークムントの四つの両腕を一気に切断した。
元々、ルミエールがここまで戦い抜いたことこそ、ジークムントにとっては予想外だったのだ。しかし、ルミエールはその先の予想すらも打ち砕いた。
薄ら笑いは崩れ去り、明確な驚きだけが、ジークムントの表情を動かした。
「ルミエール君……!? まさか、彼等彼女等が負けたと言うのかい……!?」
次の瞬間には、ジークムントの体は地面に倒れていた。身動き一つ取れない様に、彼女の腹部に白い刀が突き刺さっており、その刃先は地面にまで届き、その刃から茨が伸びてより頑強にジークムントの体を縛り付けた。
「これはっ……!!」
咄嗟に出たその言葉が、既に時間の無駄だと言うことを、彼女はまだ知らないのだろうか?
次のルミエールの一撃は、声無き声を発するその喧しい口に向けて人差し指を向けたかと思えば、その口の中から白銀の焔が燃え盛った。
ジークムントは自身の体の中で魔力を走らせ、口の中で舌を燃やす焔すらも利用し自らの体を粉々になるまで爆発させた。
その肉の破片は針の様に変わりルミエールへと向かったが、ルミエールは瞼を落とすと、その全てが燃えることも無く灰へとなった。
ジークムントはその粉々に砕け散った魂を集め、それを中心に体の再構成を始めた。
「あぁ……本当に、君はどれだけ予想外なことをすれば気が済むんだい。それまで上手くいっていたのに、最後の最後で邪魔ばかりされる。一体君は、何時までこんなことを続ける気だい?」
「勿論、貴方の企みが潰えるまで」
「そうか。なら僕は、僕の企みが為せるその時まで、君の予想の尽く超えてみせよう」
ジークムントは四つの両腕を広げた。その一糸纏わぬ彫刻の様に美しく白い女性の体を、彼女は恥も知らずに見せびらかした。
その姿は、始まりの人のそれに近しい。違いと言えば、彼女の背から伸びる一対の白と黒の翼だろう。
ルミエールは、そんなジークムントに最早慈悲にも近い優しい目を向けていた。
「……今日は、皆お疲れ様。けど、もう一度使わせて。『姉妹』」
ルミエールの周囲に、六つの腕が現れた。白く艷やかな女性の腕は、彼女の妹達の腕。故にその腕は、何よりも清らかで、そこにあるだけで全ての生命を祝福する。
ただ祝福し、そして微笑み、星の生誕を祝う。
母となる資格を持つ、唯一でありながら七人の聖女。そしてその八人目こそが――。
「そう、この僕だ」
ジークムントは四つの両手の手首を合わせ、まるでその全ての指を花の様に見立てた。その中央に、穢れた聖火と聖なる穢火が混じり合う。
彼女の顔に、薄ら笑いが帰って来た。やはりジークムントは、こうで無くてはならないのだろう。
混じり合った焔は、やがて宇宙の様に輝いた。不完全ながらも、確かに宇宙がそこにはあった。
それは、ルミエールに向かった。一筋の光となって、焔となって、光すらも追い付けない程に、彼女に向かって、速く、疾く。
しかしルミエールはそれよりも速かった。六つの腕の手指には白銀に輝く酷く頼り無い儚い糸を掴んでいた。
それが一本の糸が結ばれた物で、六つの腕はそれを綾取りの様に操り、まるで蜘蛛の巣に見える形を作り上げた。
六つの腕は等しく離れると、その糸も長く伸びていく。やがてルミエールの前方を遮る蜘蛛の糸となり、ぴんと張り詰めた糸に焔が直撃した。
ジークムントの攻撃に、意味は無い。意味は失われた。
直後に、その場からルミエールの姿は消え去った。次の瞬間には、ジークムントの心臓にルミエールが構えている銀色の剣が貫いた。
どうにも彼女は、ジークムントは、やはりルミエールのことを過小評価している。この状況を想定していないのだから。
ジークムントは背後に現れたルミエールに三つの右手を向けた。見えない斬撃がそこから放たれたが、決してそれはルミエールに当たらない。
既に、"シュレーディンガーの恋慕"が発動している。ルミエールとジークムントでは、認識しているルミエールの姿が全く違うのだ。故に、真に認識するまで彼女は不干渉。しかしルミエールは一方的に相手に干渉出来る。
だが、どうだろうか。ジークムントは、ルミエール自身が認識している姿を理解している様に見える。その四つの瞳は、見ている限りその姿を理解している。
理解とは、認識の前提である。理解するからこそそれを認識し、しかし認識が無ければ理解は得られない。
そして、同時に発動している"大罪人への恋心"の範囲が広がった。
すぐにジークムントは四つの両腕を後ろへ向けて、エーテルとルテーアを混じり合わせたそれを放出し、その推進力で『固有魔法』の範囲から脱出した。
だが、直後にジークムントの胸に突き刺さっている剣が仄かに輝いたかと思えば、そこから赤黒い錆が広がり、風に吹かれてぼろぼろと崩れ去った。
その刀はルミエールの肉片である。輝きがより大きく光ったかと思えば、その剣の刃を中心に"大罪人への恋心"が発動し、範囲が広がった。
次の瞬間には、ルミエールの姿はジークムントの頭上に現れた。その威圧感、いや、純然たる殺意と悪意は、彼女の小柄な体に収まる程では無かった。しかし、何故だろうか。そんな、身の毛がよだつ様な気配を持ってしても尚、彼女を愛さずにはいられない。彼女の全てが愛おしくて堪らない。
ルミエールはその体をくるりと回し、左足の踵をジークムントの頭頂部目掛けて振り下ろした。。
ジークムントは一つの左手を咄嗟に向けたが、赤い錆の侵食がその左手にまで一気に広がりルミエールの周囲に広がる微風によって崩れ去った。
もう他の手は間に合わない。ジークムントの頭頂に、ルミエールの左足の踵が激突した。頭蓋が砕け脳が弾け、その衝撃は背中にまで刻まれた。
声無き声が、微かにルミエールの耳に入った。ジークムントは衝撃に身を任せ地面に激突したと言うのに、その口だけは動かし続け、声無き声を星皇に向けて発しているのだ。
しかし、ジークムントの頭頂部、ルミエールの左足の踵が激突した箇所が、その崩れて原型も無い頭部に、銀の刻印が浮かんだ。
どうにもそれは、攻撃の為では無いらしい。より一層その刻印が銀色に染まったと思えば、ジークムントの声無き声を発する喉が固まり、その舌が凍り付いたかの様に動きを止めた。
ジークムントはすぐに胸に突き刺さったままの銀の剣を一つの両手で抜き、投げ捨てた。錆の侵食が治まったと同時に一つの左手をすぐに再生させた。
そして、四つの両手の平に、口を作り上げた。無論舌も存在するし、声も、声無き声も出せる。それを動かそうとした次の瞬間には、八つの内六つの口が銀の剣に貫かれた。
銀の剣を持っているのは、ルミエールの周囲に漂っていた六つの腕。一つの剣が輝いたかと思えば、ジークムントの時間は停止した。
その隙に、六つの腕達は未だに掴んでいる糸をジークムントの四肢に絡ませ、今後の運命と因果でジークムントを縛り付けた。
ジークムントの時間は、再度進み始めた。しかりもう既に、ルミエールが定めた運命の糸によって彼女は雁字搦めになっている。
残った二つの口を、ルミエールは右手に構えた金の剣、そして左手に構えた銀の剣によって、それを貫き、潰した。
八つの口を貫いた八つの剣が白銀に輝いたかと思えば、その八つの刃を基点に穢れた聖火が爆ぜ、二人を包み込んだ。
爆発によって凍り付いた地面が大きく崩れた。元より不安定だったのか、それとも青薔薇の女王の魔力の影響によって凍り付いたからなのか、あの程度の爆破でも深く大きく崩れてしまった。
ルミエールはジークムントを蹴り落とし、六つの腕と共に上へと飛んだ。
彼女の背から、左側にだけ生える三つの光を跳ね返す純白の翼が現れた。その三つの翼は、一番上の翼で頭を隠し、真ん中の翼で体を隠し、一番下の翼を羽撃かせている。
直後に、右側にも翼が伸びた。しかり左側から伸びている純白の翼では無く、光を吸い込む漆黒の翼であった。やはりその翼も、一番上は頭を隠し、真ん中は体を隠し、一番下は羽撃いている。
四つの両腕、四つの瞳、白と黒が交差する翼、その姿は、伝えられている星皇の姿に最も近い。
そう、彼女こそ、聖皇ルミエールである。そして、星天から天国の鍵を賜った七人の御子の始まりであり、七人の聖女の始まりであり、十二人の使徒の始まりであり、十二星座の宝を作るに至った始まりの切っ掛けである。
無償の愛は例外無く生に注がれ、無情の哀は例外無く死に与えられる。
彼女は聖女、そして魔女。愛を囁き、哀を口遊む。
「『星天魔術』」
星の皇によって秘匿されたその名が、今この瞬間だけ、ルミエールの独断によって世界にもう一度現れた。
ルミエールが両手を合わせると、その間から光が漏れ出した。恐らくそれは純銀の、理論上はこの三次元空間に存在出来る物理的に完璧な球体であり、生命の鼓動を微かに感じ取れる。
ルミエールはそれを上へと投げると、数m飛んだと思えば、その場で静止した。そしてルミエールは右手でそれを指差した。
ルミエールの周囲に飛び交う六つの女性の腕はその純銀の球体を称える様に、そして拝する様に、その手を向けた。
「『黄金恒星』」
ルミエールはそう呟いて左手で下を指差した。
純銀の球体を中心に、この太陽を遥かに凌駕する黄金の輝きが作られたのだ。直視するだけで灰となり、目を逸らすだけで燃え盛る。
これこそが、星皇が作り出した誠の秘術の奥義。本物の、神が作り出したと伝えられる本物の太陽の輝き。
それはルミエールが指差した場所へと向かう。数万℃の熱を発しながら、しかしルミエールの力の影響なのか周りに影響は見られずに、ジークムントへと落下する。
本来ならこれは、ジークムント程度の実力ではどうにもならない物だ。彼女は、ルミエールに勝てなくても、少しは抗えると思いこの戦いを始めたのだ。
この時点で、既に敗北が濃厚なのだ。
しかし、今のジークムントはルミエールが括り付けた運命の糸に縛られている。その自由意志すらも支配され、何も知らずに希望を抱き、その黄金の太陽の立ち向かったのだ。
絶望に立ち向かう希望を胸に、しかし彼女は運命の糸に縛られている。
すると、黄金の恒星の中央にある純銀の球体の鼓動が高鳴った。この戦いは、ルミエールの勝利で終わるだろう。
「『固有魔法』」
ルミエールはそう言った。
「"恋の女王仮説"」
純銀の球体を中心に、ルミエールの『固有魔法』が発動した。
そこに留まる為には、全力で走り続けなければならない。その誰かの言葉の通り、ジークムントはそれを強いられた。
動かなければ、彼女の肉体は滅びる。しかし動けば、永遠の変化と進化と退化の末に、その個体は終わりへと至る。
何方を選ぶかは、当人の自由。しかしジークムントには、既に自由意志は存在しない。それを知ることも無く、ただルミエールの思うがままに希望を胸に立ち向かう。
ジークムントは四つの両腕を動かし、自身の内に眠る星屑の輝きを燃やした。
迎撃の為に力を振るっても、その度に彼女の腕は変化し、進化し、退化する。その腕は鳥の足の様にもなり、それは犬の尻尾の様にもなり、それは蜥蜴の足の様にもなり、それは烏賊の足の様にもなり、それは鮪の鰭の様にもなっている。
彼女の顔も酷く歪み、最早赤く鼓動する肉の塊が半分を占めている。
彼女は、運命から逃れることが出来ない。彼女は、元々空っぽの人間であったのだ。彼女に意味と自由を与えたのが、彼の師匠でありながら友人である、カルロッタのお師匠様である。
もうすぐ、彼女は人間の姿を保てない程に変化し進化し退化してしまっている。これ以上の抵抗は無意味だと分かっていながらも、彼女は運命に背くことが出来ない。彼女はその糸を断ち切る鋏を持っていないのだ。
彼女は、細く窶れた小さな足が崩れ、ついに倒れてしまった。迫って来る黄金の恒星を眺めながら、彼女は薄ら笑いを運命によって涙を流す表情に変えられた。
黄金の恒星がジークムントの寸前にまで迫った瞬間、突然ジークムントを縛り付ける運命の糸が穢れた聖火である黄金の焔によって焼き切れた。
そして、ジークムントの胴体に黒い鎖が巻き付いたのだ。黒い鎖には罅が走っており、その罅から黄金の焔が漏れ出していた。
崩れ去った地面から一気に引き上げられ、彼女は地上に安置された。その鎖の主を、ジークムントは知っている。
そちらの方を見て、薄ら笑いを貼り付けた。ジークムントの笑みに、黒い髪の金眼の男性は、肉を噛み千切る為の猟奇的な牙を見せ付けた。
彼の両腕は未だに再生されず、ルミエールの攻撃による傷すらも癒えていない。血が止まる気配が無いが、せめて突き刺さった白い刃の刀だけは赤髪の女性の下へ行く前に抜いている。
せめて両腕代わりに、両断された部分から鎖を肉の様に伸ばし、その束を自在に動かしていた。
その内の一本の鎖の先には、それが巻き付いている黒い直剣があった。その一本の鎖が大きくうねり、先にある剣の刃はジークムントの頭部の先を切断した。
彼女の頭部にある刻印はその剣に纏われている黄金の焔によって灰となり、ジークムントは自由に口を動かすことが出来る様になった。
「助かったよ、■■■君。いや、今はジョン・ドゥ君と言った方が良いかな?」
「ジョンか……あんまり良い名前じゃ無いな。無しだ。……お前が充分な距離を取れるくらいには時間を稼ぐ」
「……まあ、ほぼ不可能に近いだろうね」
「分かってる。まだ足りないんだろ?」
「ああ……。……しかし……君が残ってくれて良かった。君には伝えよう」
ジークムントから伝えられた言葉に、彼は目を見開きながら驚いた。
「……そうか、あの時か」
「心当たりはあるのかい」
「何と無くな。……相変わらず、奇妙な感覚だ。今だと言うのに、過去であり、未来である」
「いいや、違う。世界には今しか無い。過去とは通り過ぎた場所では無く、未来とは向かう場所では無い。過去は前の今であり、未来は次の今だ。君はまだ駱駝だ。疑問を持つのも仕方無いだろう」
「……だからお前等演出家は、産婆であろうとするのか?」
「僕達は、操り人形の救世主でありながら、獣である。そして評価されない演出家さ」
直後、崩れた地面の底からルミエールが飛び上がった。彼女はその三対の翼を羽撃かせ、今にも雨が降りそうな空の下で踊った。
「早く行け。来るぞ」
男性の言葉の直後、ルミエールの体を隠す様にマントが現れ、それに包まれた彼女の姿が消えた。次の瞬間には、ジークムントの前にルミエールが現れ、その刀を力の限りに突き出した。
だがその刃は、ジークムントには届かなかった。黒い手甲に包まれた三つの両手がルミエールの刃を掴み、止めていた。
それは男性の周囲に浮かぶ三つの両腕。今や一つの両腕がルミエールに切断されたが、彼は元より四つの両腕の人物。本来ルミエールとは同格なのだ。
「あー、腹減ったなぁ……」
男性はそう言いながら、ルミエールに歩み寄った。一歩進む毎に、彼の鎖は枝分かれを繰り返し、やがて二人を閉じ込める鳥籠を作り上げた。
「……貴方は、何故こうやって戦い続けるの?」
「何故? 不思議なことを聞くんだな。それともまだ気付いてないのか? いいや、気付いてるはずだろ、ルミエール。お前がルミエールである以上、お前が□□□□□である以上、俺とお前の目的は同じはずだろ」
「貴方にとってそれは終着点かも知れない。けれど私にとってはもうどうでも良い」
ルミエールは男性の方へ目を向けると、鋭い目付きで睨んだ。
「貴方は恋を知っているし、愛も知っている。なら分かって欲しい」
「理解はする。同情もな。だが、それが戦わない理由にはならないだろ」
「……そうだね。……そう、だね。私は――」
ルミエールが刀をふらりと薙ぎ払うと、鳥籠を作る黒い鎖は一斉に両断された。
「五百年間、恋い焦がれて来た彼を、取り戻す為に戦う」
ルミエールの姿が消えた。直後に現れたのは、男性の背後だった。
瞬間に男性は体を右に倒し、不安定ながらも常人では無い筋力で体を回し、左足の回し蹴りがルミエールに迫った。
しかし、ルミエールの姿は再度消えた。次に現れたのは、ルミエールとの戦いから離脱したジークムントの後ろであり、彼女を追い掛けていた。
「さっきから何なんだよその動きは……!!」
切断された鎖さえも、彼の支配下である。切断されたそれ同士は、小動物の様に群れて集まり、より長く強固な一本の鎖へと変わった。
それは大きく撓り、ルミエールへと一直線に向かった。その先がルミエールの右手に触れると、一気に飛び掛かりその右腕に絡み付いた。
鎖の罅の隙間から黄金の焔が噴火の様に溢れ出し、ルミエールの体を荒々しく包み込んだ。
そのまま鎖が大きくうねり、ルミエールの小柄な体は舞い上がった。しかし次の瞬間には、その鎖もあっと言う間に両断された。
ルミエールの周囲に浮かぶ六つの腕が扇ぐ様に動いたかと思えば、ルミエールを包み込む黄金の焔は蝋燭の火の様に消え去った。
そして、六つの腕の内の一つがルミエールの下腹を優しく撫でると、まるで彼女の腹部が妊婦の様に膨らんだ。
小柄な彼女にとっては、あまりにも身体に負担が掛かり過ぎる程に大きく膨らんでおり、双子や三つ子を胎内に秘めているにしてもまだ小さいくらいだ。
目視で、単純に推察するとすれば、その胎内には十個程度の命が育っている。しかしどれも、ルミエールの魔力によって産まれた命。彼女が母ではあるが、それ以上の意味は無い。
やがて、ルミエールの腹が裂けて十の怪物がそこから現れた。
七つの頭の大蛇、角の生えた毒蛇、蠍の尻尾を持つドラゴン、顔の両側に三対の巻き毛を持ち赤い帯びを胴体に巻いている蛇、巨大で獰猛な獅子、獰猛な獅子を真似た狂犬、鳥の体と蠍の尻尾を持つ死神、身体に鷲の頭と翼を持ち嵐を纏う魔物、奇怪な魚の姿をしている精霊、小さな翼を持つ牡牛。
その全てが、母の愛を知覚することも無く襲って来た。
すぐに男性は自身の周囲に浮かぶ三つの両腕を構えると、怪物の内の六体の腹の中から、ルミエールの周囲に浮かんでいた六つの腕が握っている剣を払いながら飛び出して来た。
男性の困惑の内に、ルミエールの六つの腕が持つ剣は、男性の三つの両腕に突き刺さった。その刃から茨が伸び、それが地面に根を張り、六つの腕を縛り付けた。
ルミエールは、一挙手に二つの意味を持たせ、一投足に三つの意味を含ませる。二つの意味は四つの攻撃に変わり、三つの意味は五つの理由に変わる。
無数に散りばめられた意味はそれ以上の意味に別れ、事実上無限の手段となる。それこそがルミエールが世界最強たる所以である。
男性もそれを分かっているのか、十の怪物達を無視してルミエールの後を追い掛けた。無論怪物達も男性に攻撃を仕掛けるが、彼はその全てを無視した。迎撃する体力も避ける体力も既に残っていないのだ。なら走り抜けた方が懸命だ。
先程よりも傷が増えながらも、すぐに再生させて走り抜け、ルミエールに腕を精一杯伸ばせば届く距離にまで至ったのだ。
ルミエールは男性を一瞥したかと思えば、彼の瞳に影が映らない程に素早く動き、彼の腹部に蹴りを突いた。
踏み止まる為の両脚はルミエールが刀を一振りすれば一瞬の内に切断され、ついでの様に鎖の束も全て切断された。そして最早倒れるしか無い男性の胸にルミエールは刀を突き刺した。
そのまま男性が地面に倒れると、刃は自然と地面にまで突き刺さり、茨を伸ばして縛り付けた。
「やっぱり貴方は……基点を持ってないんだ」
茨が男性の体に根を張りもう身動きが取れないことを確認して、ルミエールは刀を抜きジークムントの方へ視線を向けた。
その一瞬、一瞬だけ注意が逸れたこの瞬間、男性の汎ゆる傷跡から赤黒く錆び付いた色に染まった鎖が何千と伸びた。
数本の鎖が紐の様に結び付き、より強固になりながらルミエールの体を縛り、その刃を持つ手を高く引き上げた。
「ようやく捕まえた……あークッソ……」
ルミエールはもう身動きが取れない。まんまと男性の策に嵌ってしまったのだろう。
そして、男性は疲れ切った笑みを浮かべながらも誇らしげに語り始めた。
「俺の鎖に縛られた時、あの妙な移動はしてなかっただろ? しかも鎖を断ち切ったのは剣を振った時だけ。ま、すぐにどうにかされるだろうが――」
男性はルミエールを嘲笑う様に口角を上げた。
「一秒でも長くここにいさせれば、俺達の勝ちだ。俺は幾らでもこのままでいられる。どれくらいで何とかなるんだ? 次の瞬間か? 十秒後か? 三十秒後か? それとも――」
「もう黙って、獣の王」
数秒だけだった。ルミエールの六つの腕が鎖を握ると、鎖は粉々に砕け散った。もう二度と動けない様に、もう二度と抵抗する意思すらも失わせる様に、ルミエールは自身の肉片を使った銀の剣を七つ彼に突き刺した。
彼は不滅である。その意識さえも、不滅である。もう身動き一つ取れない状態でも、彼は不滅の体と意識を保ち続ける。
いっそ狂えれば、気が楽だったのだろう。彼は、四肢を失いルミエールから傷付けられた傷も治らず、止まることの無い血液を思いながらも、彼は笑っていた。
もう、充分だからだ。僅かでも時間は稼げた。それでもう、充分だった。
ルミエールはすぐにジークムントを追い掛けた。彼女の身体能力ではすぐに追い付けるが、既にジークムントは最後の言葉を始めていた。
声無き声は、既に星皇の耳に届いている。後は、ここへ誘導するだけなのだ。そうすれば、ジークムントのこの戦いは終わる。
ジークムントの体は"恋の女王仮説"の影響は失われており、四つの両腕の先に口を作っている。
一瞬の内にルミエールの白い刃がジークムントの頭部に迫ったその瞬間、二人の間に小さな影が入り込んだ。
ルミエールにとっては、ひょっとすれば初対面、殆ど思い入れの無い少女。ジークムントにとっては、自分が初めて作った弟子の少女。
彼女は、シャーリーであった。
シャーリーはルミエールを前に、涙を浮かべていた。その愛に満ちた殺意に、その哀に満ちた魔力に、唇を震わせ小さく肉付きの良い脚も震えている。
「や……辞めてくれ! 星皇親衛隊隊長殿!! 待ってくれ!! お願いだ!!」
振り絞って出したその声は、非常に弱々しく小動物のそれに近かった。
「親衛隊隊長殿が動くと言うことは、師が星皇に敵意を向け滅ぼそうとしたのか!? いいや、それはどうでも良い! 師を、我の師を殺すのは待ってくれ!!」
ルミエールは振り上げた刃を止めていた。シャーリーの言葉を、その願いを聞き届けようとしているのかは、シャーリーには分からない。彼女はこの世界の理の外にいるのだから。
「我が説得してみせる! だから……だから! その刃を降ろしてくれ!! 辞めてくれ!!」
ルミエールはシャーリーから目を逸らした。直後、ルミエールの姿は消えた。次に現れたのはやはりジークムントの背後だ。
その刃は無慈悲に振り下ろされたが、シャーリーは咄嗟にジークムントの手を引いた。刃はジークムントの背中を切ったが、それだけだ。
「頼む! 我のことは後で極刑に処せば良い! だから……辞めてくれ」
シャーリーの瞼から溢れる涙の量は増える一方だ。それを見て、ルミエールは唇を噛み締めている。
ルミエールは愛の聖女。未だに恋い焦がれている乙女がどんな気持ちでここにいるのか、人一倍理解している。
恋い焦がれる者が今、殺されそうになっている女性の行動を、ルミエールは誰よりも知っている。
シャーリーの気持ちも、胸が痛む程良く分かっている。
「師よ! シャーリー、貴方の弟子のシャーリー・パートウィーです! 何故そんなお姿なのかは聞きませんが、今すぐ投降して下さい!! 我が、私のことを案ずるのなら、早く!!」
ジークムントは何も答えない。薄ら笑いを貼り付けたまま、声無き声を発し続けていた。
「頼む……師よ。貴方がいたから、私は、生きようと思えたのです……。……こうやって、友にも恵まれたのです」
ジークムントからは、シャーリーの顔は見えない。しかし彼女の声は、酷く歪んでいる。鼻を啜る音も聞こえる。
ジークムントは、育った弟子を今日だけは誇らしく思えた。
「こんなに、丁度良い時に来るとはね」
ジークムントは四つの両腕でシャーリーを抱き寄せた。シャーリーは始めこそ、ようやく自分の師が説得に応じてくれたのだと、思っていた。
しかし、直後にジークムントの口から出た言葉は、シャーリーの期待とは違った。
「君が動いたと同時に、この子を殺す」
ジークムントの表情は一切変わっていない。四つの両手の口は止まること無く声無き声を発し続けている。
「君も、無関係なこの子を殺したくは無いだろう。賢い君なら、今この子を殺すことによって発生する不利益も理解しているだろう」
シャーリーは、涙を落としていた。
これがどれだけ残酷なことか。もう師には、自分の言葉なんて届かないのだ。つまりそれは、ルミエールによって殺される未来が決まったのだ。
故にシャーリーは、涙を落とした。
「シャーリー君。君は良い弟子だ。本当に、君の愛が、僕を救ってくれたんだから。泣くことは無い。誇りに思うよ」
「……師よ、貴方の言葉は、私に向けられた言葉は何処か薄っぺらでした。何時も。それでも良かったと、私は思っていたのです。……ああ、しかし、師よ。……我は、先程の言葉が、今までに無い程、重く感じたのです。我は……始めから、今起こそうとしている企みの為の、使い勝手の良い盤上の駒の一つですか……?」
「君にとっては残念だろう。だが、君の言っていることは正しい。残酷だけれどね」
それが分かっていながら、ジークムントはシャーリーの首を一つの左手と右手で力強く締め付けた。
「……本当に、残念だよ、シャーリー君。こんな所で君を失うかも知れないなんて」
「……親衛隊隊長殿」
ルミエールはシャーリーの目を見ていた。
「頼む」
恋とは人を盲目へと至らしめる。だが、その盲目こそが幸せなのだと、彼女は知っている。その盲目が晴れれば、世界を見なければならないのだ。見たくも無い世界を見なければならないのだ。
ルミエールはシャーリーの胸に、刀をふつりと突き刺した。その刃はジークムントの心臓にまで至り、そこに刻まれた刻印はジークムントの舌の筋肉を硬直させた。
「ごめんなさい。出来れば私を、恨んでいて」
ルミエールはその刀をシャーリーの胸中で回し、刃を上へ向けた。そのまま思い切り振り上げ、ジークムントの口ごとシャーリーの胸から右肩を裂いたのだ。
「師よ。せめて、最後は共に行きましょう」
ジークムントの薄ら笑いが、剥がれていた。
咄嗟の行動だった。シャーリーの命は、既に潰えることが決まっていたのに、ジークムントは四つの両腕でシャーリーを左へ突き飛ばした。
その瞬間、ジークムントの四つの両腕は、もう一度切断された。溢れる血が、燃え上がる血が、今は何故だか、酷く冷たかった。
声無き声、星皇降臨の為の最後の一節。遂にそれが為されることは無かった。全ての口は切られ、念入りに再生阻害もされている。
だが、ジークムントは何処か満足気だった。振り下ろされそうなその刃を見上げながら、ジークムントはただ、愉快に笑っていた。
自らを完璧な死へと誘うその刃が振り下ろされた瞬間、硝子の割れる音が聞こえた。
ジークムントは、汎ゆる最悪を想定して策を考える。これが最後の策、そして最も効果的な策。
ジークムントは、最後の最後でルミエールを上回ったのだ。
雨雲の下、そこに人が一人出入り出来るであろう硝子が割れた穴が出来ていた。その空間に、と言うよりはこの世界にと表現した方が正しいだろう。割れて出来た穴の向こうには星空が見える。
それは、世界の理の外からの来訪者。本来ここにいてはならない者。それは、女性であった。
金の長髪、金と銀と黒と赤の四つの瞳、そして優雅に踊る四つの両腕、一糸纏わぬ産まれたままの姿。割れた硝子の向こう側からの来訪者は、薄ら笑いを貼り付け、ハーバルノートの穏やかな香水の匂いを振り撒いていた。
その女性は四つの両手の先に口を作り、声無き声を発した。それが最後の一節を終わらせた。ルミエールもすぐに迎撃に向かったが、時既に遅し。
女性がその場から姿を消すと、彼女はジークムントの前に現れていた。その四つの両腕でジークムントの顔を撫でると、心臓に刻まれた刻印が消え、舌が自在に動かせる様になった。
「ありがとう、□■□■□■君」
「お安い御用さ。君の頼みだ。僕の■■■君は何処にいるのかな? まだここにいると思うんだけど」
「君なら感じ取れるだろう?」
すると、女性が現れた場所から戻って来たルミエールが、女性に向けて振り下ろした。
しかし女性の姿は消え去ったかと思えば、嘲笑うかの様な笑みを浮かべながらジークムントの背後に現れ、抱き着いた。
「……貴方、何者?」
ルミエールの疑問に、女性は答えた。
「僕は八人目、獣の王の八人目。そんな僕の役目なんて、たった一つだろう? 星の理を司る星王が、降臨する」
ルミエールは苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべた。
風が吹いている。四つの片隅から吹き荒れている。遥か彼方、楽園に隠れた星皇の四つの両腕が、空を叩き割った。
今、ここに降臨しよう。
空が硝子の様に割れた。四つの両腕の女性が現れた時のそれとは比較にならない程の罅が走り、それが硝子の様に割れたのだ。
それはルミエールが危惧していた出来事。これだけは避けようと努力していた事象。
星空が見える。罅の向こうに、満点の星空が見える。星皇が、またこの世界に降臨した。
この世界の夜空を太陽で照らし、この世界の青空を影に落とす。それは空を覆い隠す程に巨大で、それは人の姿をしていなかった。
辛うじて人の形をしている四つの両腕を広げる怪物。体は白く、そして黒く、しかし灰色では無い。
その瞼の下の目は、数万の瞳が蠢いており、金と銀と黒と赤の瞳を動かし自分の子を、新たな星皇となる運命を背負った赤髪の子を探していた。
しかしそれ以外の顔の部品は見えず、のっぺりとした皮膚だけが伸びている。いや、あれは皮膚なのか? それすらも、理の下に暮らす人々には分からない。
彼の降臨は世界中が喜び笑い、彼女の降臨は世界中が嘆き悲しんだ。
一番上の左手は無い前髪を掻き上げる様に、その下の左手は天を掴み、その下の左手は上から三つ目の右手と指を交わし、その下の左手は星空の下の人々を希望の絶頂から突き落とし、絶望の底から掬い上げていた。
一番上の右手は自分の首を掴み、その下の右手は地を掴み、その下の右手は上から三つ目の左手と指を交わし、その下の右手は星空の下の人々を希望の底から掬い上げ、絶望の絶頂から突き落としていた。
それは神と呼ぶには余りにも醜く、それは悪魔と呼ぶには余りにも美しい。
天使は絶望し、悪魔は歓喜する。しかし結局天使は喜び、悪魔は嘆く。暖かく、それでいて寒い。
相反する感情を受けても、その矛盾を理解しても、それが当たり前だと納得する自分が怖く、それでいてそんな感情すらも抱かさない。
あの姿を見た者は心から恐怖し、だから歓喜するのだ。
彼もしくは彼女の周りに、十二匹の白い蝶が舞い踊っていた。もう一匹、十三匹目の黒い蝶が遠く離れ、星皇の体に触れた。
やがてその蝶は飲み込まれ、生と死は全て、星の導きに従った。
彼女の右には白い翼が六百十六枚が羽撃いており、彼の左には黒い翼が六百十六枚が羽撃いている。三分の一の翼は顔を隠し、三分の一の翼は体を隠し、三分の一の翼で飛んでいる。
ルミエールはジークムントと女性を睨み、すぐに足を前へ進ませ、せめてこの二人に二度と邪魔はさせない様に、時間が許す限りを使って徹底的に再起不能にする。
それが、今後の為だ。
しかしジークムントと共に、女性の姿がまた消えた。だが何処に行ったかはもう分かっている。転移魔法でそこに行けば、女性は自分の手首を噛み千切っていた。
そこは牙を見せる男性が息を絶やさずに倒れた場所。最早四肢を失くした男性が封印された場所。
女性は手首から溢れる恐ろしい程に赤い血を、男性の口へ落とした。彼は人喰らい。彼は血を啜る怪物。神を殺す罪深く穢れた獣。
その聖血は、穢れ切った彼の腹を満たす。
ルミエールは一瞬の内に距離を詰め、その一瞬でジークムントに無数の傷を刻み、聖痕を残した。
次に女性、ルミエールは彼女に敵意を向けた。刃を向けるとはそう言うことだ。
しかしその瞬間に、牙を見せる男性の体から黄金の焔が巻き上がった。それは形が無い物であるはずなのに、まるで生きているかの様に振る舞っている。
獣は、その失った四肢に焔を灯すと、黄金の焔は彼の腕と脚となり、そこから肉が再生した。
黄金の焔は怪物の姿となり、ルミエールの刃から女性を守っていた。その焔の姿は角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名が付いている。豹に似ており、その足は熊の足で、その口は獅子の口の様に見えた。
「辞めろ、ルミエール」
落ち着いた声ではあるが、確かに殺意の籠もった男性の声。黄金の焔はルミエールが生み出した十の怪物を燃やし尽くし、男性はようやく立ち上がった。
その姿は、神を落とし人々を誑かす獣に相応しい。十の山羊の様な黒い角に、そこに八つの銀の王冠を付けている。その金の目は無垢金色に輝き、黄金の焔を吐き出している。
背には黒い三対の翼を生やしており、それすらも黄金の焔によって燃え盛っている。
彼の体は黒い鎧に包まれており、その隙間から黒い炎が吐き出されていた。
周囲に浮かぶ彼の三つの両腕は、黒い炎を吹き出しながら、女性の周りを守る様に浮かんでいた。
「俺の女だ。殺されたいのか?」
ルミエールはその殺意に、咄嗟に防御の体勢を取った。その咄嗟の行動で助かった。
先程とは比べ物にならない程の速度の蹴りが男性から放たれた。熱を帯び、穢れに満ちたその焔は、ルミエールの体を容易く傷付けた。
ほんの一瞬である。十二回、ルミエールと男性の剣が激突した回数である。その一瞬で十二回、二人の剣が交わされたのだ。
男性の黒い剣はルミエールの喉元を少しだけ切り、ルミエールの銀の剣は男性の左の眼球を傷付けた。
男性とルミエールは三歩下がると、その剣を構えながら視線を交わした。
「……良いのか? 星王は既に降臨した。お前のことだ、対策はしてるだろうが、万全じゃ無いだろ?」
「……みすみす見逃せって?」
「それを選ぶのなら、俺はお前の敵になる」
ルミエールは言葉を返さなかった。ジークムントと女性を冷たい目で一瞥したかと思えば、苦い表情で背を向けた。
「……羨ましいなぁ……」
ふらりと倒れたかと思えば、ルミエールの姿は蜃気楼の様に揺らめいて消えた――。
――ここは、カルロッタのお師匠様の世界、"エピクロスの園"の中央。
カルロッタが過ごした小屋の中、そこの最上。
小屋の中は、屋敷と言うより王族の城の内装だ。その細部の装飾は非常に緻密な技術が輝いており、所々に多種族国家リーグに使われている意匠と技術が見られる。
そこの玉座の間に応る場所、カルロッタのお師匠様はその玉座に腰掛けていた。
その姿は四つの両腕を持っており、目は瞼を落としている為確認出来ない。四つの両腕は仄かに輝く糸によって雁字搦めにされており、操り人形の様に吊るされていた。
糸の通りに手は動いている。今も忙しなく動いているのは三つの両腕で、もう一つの両腕はまるで祈る様に手を組んでいる。
そんな彼もしくは彼女の傍に、白い髪の女性がメイド服を着こなして佇んでいた。
彼女は三つの両腕を袖に通して、瀟洒に佇んでいる。その顔は薄いヴェールによって隠れているが、銀色の輝きが透き通って見える。
「……太陽と、月の輝きが……私には……見えます……」
白髪の女性がゆっくりとそう呟いた。
「……あの子は……あんな所にいるらしい」
カルロッタのお師匠様はそう言った。瞼の裏には水が溜まっているのか、硬く閉ざしていた。
「……宜しいのですか……?」
「ああ、これ以上は……ただ、生きていることが知れた。決して幸福では無いだろうが、それでも……カルロッタと出会ったんだ。きっと笑顔になれるさ。……あぁ……良かった……」
その声は、子を想う母性的な物に聞こえた。
「……私は、貴方を……愛しています……」
「ああ、知ってる」
「貴方が……私を愛しているのかは……分かりませんが……私の…………。……この、望みは知っているでしょう……?」
「ああ、勿論」
「なら何故……貴方は私を……」
「お前のことを愛しているからだ。……お前にとっては、この言葉なんて信用出来ないだろうが、本当に、愛しているんだ。じゃ無いとお前をこんな場所にいさせない」
カルロッタのお師匠様は口角を僅かに上げた。
「お前がどんな気持ちで、この園にいるのかは分かってる」
「……貴方が望む役目を……もう、私は……果たしています……。……私がここにいるのは……貴方の……願いですか……? 私が願ったからでは無く……」
「傍にいて欲しいんだ。これは、俺の願いだ」
女性は息を深く、しかし小さく吸い込むと、視線を下に向けた。
「……私は……貴方の気持ちを……裏切ったと言うのに……」
その言葉の直後、この世界が大きく揺れた。許可無く入った侵入者、では無い。この気配はジークムントだと、カルロッタのお師匠様は感じ取った。
「迎えに行ってくれるか?」
「いえ……私は……貴方の隣に……いさせて下さい」
「……分かった。じゃあ頼んだ」
白髪の女性は頷くと、カルロッタのお師匠様の腹部を優しく撫でた。すると、カルロッタのお師匠様の腹部が妊婦の様に膨らみ、そこが裂けた。
しかし出血は見られない。そこから出たのは、赤子の様に蹲り、一糸纏わぬ成人の人間だった。容姿はカルロッタのお師匠様と瓜二つで、違いと言えば黒い髪に黒い瞳であることだろう。
それは男性でも女性でも無い。性器が存在しないのだ。しかし膨らんだ乳房は見られる。ここは、彼女と表現しよう。
彼女は臍の辺りから糸が伸びており、その糸がカルロッタのお師匠様の四つの両腕の一つに巻き付いていた。
良く見れば、カルロッタのお師匠様の四つの両腕の一つが無かった。祈りの為に使っていた両腕が無いのだ。
白髪の女性はエーテルで糸を編み込み、その薄絹を彼女に被せた。
彼女は羊水に濡れた体を拭かずに、ぴたりぴたりと歩き始めた。彼女は小屋の外に赴くと、そこにはルミエールから刻まれた傷を癒せずに倒れているジークムントがいた。
「随分と、手酷くやられたらしいな、ジークムント」
「……ああ……油断は無かった……しかし、君が言っていた以上の実力だった。最悪の状況も想定して良かった……」
彼女が手招きすると、ジークムントの体がふわりと浮き上がり、そして小屋の中に運ばれた。
カルロッタの師匠の研究室にジークムントの入れると、彼女は几帳面に整頓されている試験管に入った液体を混ぜ合わせた。
「もう一撃入れば、もう俺の力では再生が不可能だ。前のルミエールの傷もまだ完全には治り切っていなかったんだぞ?」
「……少し、見縊っていたさ。ああ、それと……ルミエール君はまだ、星王を愛しているらしい。恋い焦がれて愛すれば愛する程に、その力が増して行くのなら、彼女は……」
「……そうか」
彼女はジークムントに表情を見せなかった。言葉も交わさなかった。その理由は、ジークムントは理解しているのだろう。
「さて、出来たぞ。死にたくなるくらいの激痛が数時間は続くが、まあルミエールの傷が完璧では無いが数時間の痛みで治るんだ。安い物だ」
「ああ、頼――」
その瞬間、ジークムントの心臓から、ルミエールの気配を感じた。ジークムントですらも気付かずにいた懐かしい気配に、彼女は咄嗟に両手をジークムントに向けた。
突如、ジークムントの心臓から銀色の剣が飛び出した。彼女が両手に力を込めると、銀色の剣の周囲を結界が包み、徐々に減衰を始めた。
しかし剣は減衰を続け、やがて両手を横切って喉元にまで刃が寸前に迫った。
ようやく止まった時には、ジークムントが銀の剣の柄を脇で挟んで止めていた。
「全く、油断ならないな、ルミエールめ」
彼女は両手で銀の剣を掴むと、その剣は白と黒の炎に包まれ、粉々に砕け散った。
「やはり……。……ジークムント、傷が治れば結界の強化だ。またルミエールが侵入するぞ」
最後まで読んで頂き、有り難う御座います。
ここからは個人的な話になるので、「こんな駄作を書く奴の話なんて聞きたくねぇよケッ!」と言う人は無視して下さい。
何か久し振りですね、カルロッタのお師匠様。それとも私がそう思ってるだけでしょうか?
そろそろジークムントの目的も明かしましょうか? 突然出て来た裸の女性に関しては、「獣の王の八人目」以上の説明は必要ありません。まあ、そんなこと言ったらジークムントなんて「星の王の八人目」の説明だけで充分ですが、流石にそれは……ねぇ? 嫌でしょう? だから必要十分な説明は作中でします。
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