日記23 『固有魔法』習得特訓! ①
注意※分かりにくい表現、誤字脱字があるかもしれません。そして唐突な戦闘などがあります。「そんな駄作見たくねぇよケッ!」と言う人は見ないでください。
ご了承下さい。
ルミエールは疲れ切ったファルソを背負い、隣にメレダを、後ろにフォリアを連れて、リーグの土地を踏み締めていた。
場所はマーカラ・ヴァンパイア・ドラクリヤが治める地域である吸血鬼の都市。吸血鬼族の生態として、人間族の血肉を食料とする物が有名だろう。故に古代からそこら辺に雑多にいる人間族から強烈に恐れられ、迫害と戦争の歴史が刻まれて来た。
仕方の無いことではあるのだろう。彼等彼女等はそうやって生きるしか無いのだ。自らが生きる為に他の生物を喰らう。この点に置いては他の種族とも何も変わらない。
多種族国家リーグでは、多くの吸血鬼族からの要望もあり、この都市に人間を近付けない様にしている。吸血鬼族も自分から平穏を壊そうとは思っていないのだ。
今は人間族以外の血肉の有用性と実用性、そして研究により、吸血鬼族専用の家畜もいるお陰で、この国の吸血鬼族の多くは大人しく暮らしている。
「あんまり人間をこの街に入れさせる訳にはいかないんだけどね。幾ら専用の家畜があるからって、人間の血が彼等にとって美味しいことは変わらないから。合法的に人間から血を高額で買って売ってることもあってか、たまーに人間の誘拐事件とかあるけど……まあまあ、たまーにだからたまーに。十万人に一人くらいだから。それも最近は減って全然聞かなくなったから」
フォリアは少しだけ、心地良い感触を覚えていた。何故かは分からない。リーグに踏み入れたのも今日が始めてのはず。にも関わらず、この場所にある血生臭さに懐かしさを覚えていた。
ルミエールはぴたりと足を止めた。フォリアはその先から感じる恐ろしい魔力を感じ取った。
「この先に、マーカラ、親衛隊副隊長がいる。彼女の魔力の所為でここから先は生半可な魔力だったら害になる。入って三十分で死ぬだろうね。フォリア・ルイジ=サルタマレンダ。貴方にはここを突破して、マーカラの居る屋敷にまで辿り着いて欲しい」
「成程、カルロッタの言ってた意味が分かった気がする。容赦無く殺そうとしてくる」
「別に殺そうとはしてないよ。ギリギリ生き残れるはずだから。死の一歩手前にまで追い込むだけで」
「背負っているその子も同じ様に?」
「当たり前だよ。カルロッタにもそうしたんだから」
その発言に僅かな違和感を抱いたが、フォリアは一度だけ頷いた。
「マーカラに出会ったら『ルミエールに言われてやって来た。連絡して欲しい』って言って。多分やってくれるから」
「やってくれなかったら?」
「貴方は死ぬ」
「分かり易くて単純ね。分かったわ」
「まあその後はマーカラがある程度指導してくれるよ。多分……」
「確証は無いのね」
「ちょっと何と言うか……こう……気難しい子だからね。気難しいって言葉は適切じゃ無いけど……マーカラの二つ名は知ってる?」
「"狂気の王女"。ええ、有名だもの」
「そうだね。それは一日戦争の後に付けられた二つ名。始めは"悪魔の王女"だった」
「……一日戦争、更に言えば、星皇の失踪によって気が狂った、そう言いたいの?」
「その通り。だからどうなるかは私にも分からない。今の彼女は頭脳明晰で冷静な快楽殺人鬼。最悪殺されるか、貴方の有用性に気付いて手を出さないか、それとも餌にされるか。この中の三つ」
フォリアは恐れてなどいなかった。むしろ、最近彼女と深く関わり心から愛したことによって、自身の胸の中に産まれ始めた魔法への強烈な探究心に駆られている。
この行いは、その果とも言える『固有魔法』習得の一歩だとルミエールに言われているのだ。ならば、彼女がやらない理由は無い。
「ファルソを連れて何処へ行くの?」
「宮殿にね。ちょっと見せたい物もあるの。それにこの子は魔人族。それに王族にしか現れない力もありそうだし、色々試してみるつもり。質問はもう無い? じゃあ行ってらっしゃい!」
フォリアは一度だけ頷くと、ファルソを背負ったルミエールとメレダは転移魔法で姿を消した。
一呼吸した後に、フォリアはその先へ進んだ。
「……ああ、カルロッタ。貴方の所為よ。一人がこんなに怖くなっちゃった。責任、取って貰わないと」
私は一歩一歩を踏み締めた。話には聞いたことがある。長い時間高濃度の魔力を放出し続ければ、何れ周辺環境が著しく変わってしまうと。
だが、本来そう言う現象は、滅多に起こらない。起こるとしても上くらいの魔物が数百数千単くらいで集まり、その状態が長時間続けば、と言う厳しい条件だ。
この環境の変化が、たった一人の魔力の自然排出で起こしたとなると……。狂気の王女は、余程の魔力総量を誇っているらしい。ドラゴンとは比べ物にならない程の。ひょっとしたら魔力総量だけなら、ギルド長さえも上回るかも知れない。
まあ、それはカルロッタもだけど。
……少しずつ進む度に、体の節々が痛む。肌に針で撫でられる感触もする。ああ、これがきっと、諺にもある魔物の気配が針に刺さると言う物だろうか。魔物では無くて三大魔人の内の吸血鬼族の王家最後の生き残りの魔人だけれど。
進めば進む程、肌に針が突き刺さる痛みがじんわりと広がった。呼吸が辛い。指先が痺れて来た。本当に私はこの先へ行けるのだろうか。ルミエールさんの発言に嘘は無かった。確かに、入って三十分で死んでしまう。
いいや、入った時点で足が動かなくなり、全身が麻痺して、やがて死ぬと言うのが正しいのだろう。この地域で生きられるのは、この高密度な魔力によって変質してしまった魔物だけだろう。
そう、例えば、眼の前に居る犬の魔物の様に。
魔物の体は魔力で構成されている。こんなに長い時間魔力に浸された地域だと、そこで生き残って繁殖して来た魔物達はその魔力で体を作り上げ、適応する。
まず生き残る時点で上くらいの魔物だが、それよりも更に強い。危険度だけで言えば、低級のドラゴンくらいはあるだろう。
魔物は涎を垂らし、私を睨み付ける。ここ最近何も食えていないらしい。
魔物の背丈は私の身長と大体同じ。黒い毛皮さえも、高密度な魔力によって作られている。ヴァレリアに渡せば喜んで飛び付くだろうか。
幾らこの地域に広がる魔力に浸されて強化されているとしても、私なら楽勝に倒せる。最初こそそう思っていた。
それが間違いだと気付いたのは、直後の話。魔物が飛び掛かって来たと同時に杖を振るって魔法を放とうとしても、弱々しい紫色の小火が出るだけだった。
そのまま魔物が振り下ろした鋭く長い爪は、私の胸を切り裂いた。深く抉られた胸には三つの切創が刻まれ、そこから赤い果実の蜜を垂らしていた。
何だか久し振りに感じる熱。今、私の体は余りの痛みから気を逸らす為に、痛覚を熱さに変えている。今だからこそ痛みはそれ程だ。
だが、感じる。血と一緒に、意識を保つ為に大切な何かさえも垂れ流されている感覚を。
魔物は私の血に高揚しているのか、更に襲い掛かった。
都合の良いことに、どうやら知能はそこまでの様だ。避けることは簡単だ。ただ、問題は魔法が扱えないことだろう。
いや、扱えない訳では無い。確かに炎は出た。そうなると……もしかして、この地域に広がる高密度の魔力に阻まれて私の魔法が掻き消されている?
ああ、成程。親衛隊副隊長の場所まで行くなら転移魔法でも良い。それをしなかったのはこの為かと納得した。考えてみれば当たり前だ。ギルド長に、それにルミエールさんに"二人狂い"が効かないのはその中にある高密度の魔力によって阻まれているから。理屈は同じだ。
「なら方法は一つ……!」
魔力を一点に集中させ、彼女の巨大な魔力の波に飲み込まれない様に、素早く放出!!
杖先に集まった魔力は紫色を帯び、魔物の首辺りを焼き貫く炎の槍へと変わった。それも一瞬で狂気の王女の魔力によって掻き消されたが、魔物はもう絶命したらしい。
「……ふぅぅ……こんなのがうじゃうじゃ居るとなると……成程。普通の人なら三十分で死ぬって言うのも嘘ね。……いや、魔力だけなら三十分で死ぬ。その他の要因も入れれば、多分一分で死ぬ」
先程から魔力探知も上手く働かない。私の魔力探知は大体半径60m程。と言うかこれが限界。性能もあまり良いとは言えないが、魔力の有無は分かる。それが先程から上手く働かない。同じ理由だろう。
奇襲でもされれば一撃は確実に貰う。しかもその一撃は相当な確率で致命傷となる。ここは地獄か何かだろうか。
「……強ち間違いでは無いか」
後どれくらいの距離だろうか。数分、せめて一時間程度なら良いが、そんな訳が無い。あのルミエールさんが、あの親衛隊隊長が試練として選んだのが、これだ。難易度だけなら今年の冒険者試験合格者でカルロッタに挑むくらいだろうか。
……不可能では無いから違うか。
……じわりじわりと胸に痛みが広がり始めた。国王代理が刻んだ魔法陣は大丈夫だろうか。まあ智慧の女神と呼ばれる人ならそれくらい考えてるか。
出血を止める……のは、少し辞めた方が良い。先程から唸り声が聞こえる。血の匂いで寄って来ている。魔物の死体はすぐに埋めなければならない。血と魔力に寄せられ、更に魔物が集まるからだ。旅する者なら常識の一つである。
これなら、ここからすぐに離れる方がきっと安全だ。
視界が歩いてもいないのに揺れているが、大丈夫だ。歩かないと。
走れば、後ろから唸り声と肉と骨を咀嚼する下品な音が聞こえる。魔物が集って死骸を食べているのだろう。
さあ、あの魔物が一斉に襲ってくれば、私は死ぬ。それは避けな――。
……死ぬ? ああ、死ぬ。何もおかしく無い。
なら死ねば? ここで死ぬなら何も不自然は無い。仕方の無いことだ。ここで死ぬなら仕方が無い。それに死は美しい。
……なら、何で死のうとしない。ずっとそうだ。あれ……待って……違う……。
死ななかったのは理由が分かる。私の死は見えない。それに自死は綺麗では無い。まず何で死は綺麗なの?
……違う。死は綺麗だ。それは人生の終わり。終わるからこそ美しい。終わらないそれに残るのは無だけであり、終わらせる死は綺麗だ。
それに……お母さんは綺麗だった。だから死ぬことは綺麗なこと。
違う! ……何が違う。だってそうでしょう? ……あれ? 待って、違う。
何が違う。何が違う何が違う何が違う何が違う何が違う……!!
……死は、綺麗だ。だって、カルロッタも、きっと彼女の死はとびきり綺麗だ。彼女の全てを知って、彼女の全てを理解して、不幸になる前に、彼女を幸せな姿のまま、私が殺す。ああ、想像するだけでとても綺麗だ。
……嫌だ。……何で……? 何が嫌なの? だって……カルロッタを殺したいから、カルロッタを愛したのに……あれ……?
カルロッタを愛したから……カルロッタを殺したい……? あれ……? お母さんは何で殺したんだっけ……? あれ……? 嫌いなのは母親で……お母さんは憎くなかった。あたしは……お母さんのお陰で死の美しさに気付いた。
「……あたしの手で、殺して上げる。そうすれば、とても綺麗だから。ええ、そうよ! 人間も亜人も魔人も! 皆同様に平等に公平に!! 死は美しく綺麗!! そうだ!! 絶対に!! 例外は無い!! ハハハハハハハハハッハハハハハハッッハハハハハッッハハハハッハハハハハハハハハハハハハッハアハハハアハハハハハアハアハハハッハハッハハハアハハハハッハ!!」
フォリアは狂っていた。最早それは事実だろう。その狂気は、カルロッタの影響で更に酷く、そして彼女の中に隠れていた自己矛盾の整合性を無理矢理取る為に狂気は更に膨れ上がった。
それに彼女は気付かない。気付きたくなかった。
このまま彼女は何処へ向かうのだろうか。
周りの魔力に体中が蝕まれ、彼女の白い肌が徐々に罅割れ、そしてそこから血を流していた。その血の匂いに誘われ、血に飢えた魔物は更に寄って来る。
最後には逃げられなくなり、そして囲まれる。我先にとその血肉を喰らい己の力にしようと躍起になる魔物達に、フォリアはただ笑っていた。
彼女は魔力を更に高め、そして自分さえも巻き込み、周辺の魔物を一斉に、特異な紫色の炎で焼き焦がした。無論フォリアも無事では済まない。
幾ら防護魔法を張っていたとは言え、その衝撃と熱はフォリアの肌を傷付けた。
可憐な薔薇は容易く折れ、華麗なフォリアはその先へ足を引き摺りながら進んだ。やがて体力も魔力も尽きた頃、フォリアは血を求める赤黒い土の上に伏してしまった。
もう彼女の表情に笑みは無い。疲労と困惑と疑問と恐怖と彼女と過去と母親と疑問と困惑と彼女と彼女と彼女と疑問と矛盾と疑問と過去と母親と彼女と彼女と彼女と彼女だけがフォリアにはあった。
意味は無い。フォリアはそれと向き合おうとしない。フォリアはそれから目を背ける。ずっとずっと目を背ける。傷付かない様に、直視しない様に。
「……違う……だって……あたしは……あたし……? ……私? あたし? 今はどっち……? ……私は誰……? あたし? それとも……私? …………あたしは……私……。……だからあたし……でもあたしじゃ無い! ……あれ……? だって……けど、カルロッタは……私にしてくれた……あたしは……ずっと居る。ここに居る! ……違う……あれ? ……私……誰……?」
フォリアの全てを吹き飛ばす様に、大きく風が渦巻いた。辺りの魔物は全て怯えて逃げ出し、そして赤黒い強者だけがこの場に立っていた。
フォリアの前に威風堂々と立っているのは、赤黒い鱗を持っているドラゴンだった。屈強な四肢でしっかりと地面に足を付け、その一対の翼を小さく羽撃かせながら、じっくりとフォリアを見詰め、吟味していた。
久し振りに来た高い魔力を持つ人間。ドラゴンは興味深そうに、その黒い眼で見詰めていた。
「……助けて、カルロッタ」
そこからの記憶はフォリアには無かった。気付けば、と言うのも彼女の何処にそんな気力と体力と魔力があったのか、それさえも分からないまま、フォリアはようやく見付けた人工物に凭れ掛かっていた。
錆一つ無い綺麗な鉄柵は、その中にある花畑と更に奥にある赤いレンガの屋敷を囲っている。
フォリアは半分になった視界で、掠れた息を必死にしながら、もう一歩歩き、豪華な門の中に入った。その直後に、彼女はまた倒れてしまった。
「……どうだ……。……辿り着いてやったぞ親衛隊隊長……! ハハッ……!!」
フォリアの視線は自然と上に動いた。バルコニーの上、そこに、フォリアの中ではカルロッタの次には美しい女性がいた。フォリアをじっと眺めていると、突然背中に一対の巨大な蝙蝠の様な翼を広げると、バルコニーから投身した。
視界から消えたと思えば、また唐突にフォリアの前に現れた。
「……誰? 貴女。新しいおもちゃ?」
「……親衛隊隊長から、言われてやって来た……。その人に、連絡して……」
「まあ、それは大変。今の貴女はまるで大切な何かをその牙で殺した愚かで哀れで小さな小さな子犬みたい」
マーカラは薄っすらと微笑みながらそう言っていた。
「……貴方、似てる。雰囲気が……何処と無く。何でかしら?」
「……知らない……」
フォリアの意識は途絶えた――。
――次に目覚めたのは、この地獄の様な地域にしては余りにも不可解な程に、多幸感に包まれる寝具の上だった。
フォリアはすぐに顔を横に動かすと、マーカラが犬の様に首輪と口枷を付けながら、何だか分厚い本をゆっくりとぺらぺら捲っている姿が写った。
本はまだ始めの方だ。十三枚だけ捲っているからだ。
「……あら、起きたの。意外と早かったわね。大体十分?」
「……ずっと、そこにいたの」
「勿論。ルミエールから渡されたから、丁重に扱わないと隊長に怒られるわ。彼女が怒ったら怖いんだから」
「……マーカラ・ヴァンパイア・ドラクリヤ……よね?」
「あら、知ってるのね。知ってて怖がらないのは、ここ五百年で貴女が初めてかも」
……何だか、想像と違って拍子抜けだ。もう少しこう……人間全員ぶっ殺して全員餌か何かだと思ってる人だと思ってたけど……割と知的と言うか、思ったより冷静と言うか。
「それで? 何でここに?」
「『固有魔法』の特訓だった……はず」
「……ああ、成程。ルミエールは相変わらずね……。分かったわ。鍛えて上げる。ルミエールよりかは優しいから安心して」
そう言ってマーカラさんは立ち上がり、手招きを一度だけした後に、すぐに背を向け歩き出した。
少しだけ焦って寝具から降りると、マーカラさんはもう一度微笑んだ。
マーカラさんの後ろを着いて行った。少しだけ苦労した。何せマーカラさんは私よりも背丈が大きく、それに比例して手足も長いのだ。その所為で歩幅がマーカラさんの方が長く、私は自然と速歩きになってしまった。
「魔法とは何か。分かる?」
「私の言葉じゃ無いけれど、未知を探求する手段とは」
「……ああ、メレダから少しは鍛えられたのね。大層酷く扱かれたでしょ」
「ええ、それはそれはもう……」
「魔法とは未知を探求する手段。つまり『固有魔法』とは、己の未知を全て理解する必要がある。その未知とは別に何処で考えて、どうやって体が動いているかとか、そう言う物じゃ無い。じゃあ何か。分かる?」
マーカラさんはそう言うと、歩みをぴたりと止めた。
「……自分の、心」
「その通り。自らの心情を理解し、それを正しく理解する。それが出来なければ貴女は一生『固有魔法』を扱えない」
そうしてマーカラさんはもう一度歩み出した。今気付いたが、吸血鬼族特有の翼が無い。その代わり隠す気も無い背中には大袈裟な魔法陣が刻まれている。これが普通なのか、マーカラさんだけなのか。
「ルミエールがあたしの方に貴女を寄越した理由が分かるわ。だって貴女、何かを失ったままそれに気付いていない。いや、信じたくないの? まあ今の貴女にそれを言っても分からないか。残念無念」
……何を言っているのか分からない。
すると、閉じ切った扉が勝手に開いた。そこから唐突に溢れ出した生臭い空気と一緒に、掠れて怯え切った声が聞こえた。
「た……助けて……」
人間の声が聞こえた。だが声だけで分かる。もう虫の息だ。
「ああ、あたしのおもちゃ。気にしないで」
「……食事もいるのね」
「勿論。あんまり美味しく無いけど。いや美味しいんだけど、やっぱり彼の血と比べると物足りないわ」
「……彼?」
「そう、彼。星の皇、そしてあたしの王。魔族の王であり、リーグの王。あたしは彼の一対の腕」
そう語っている彼女の顔は、初な初恋に思いを馳せる幼い少女を思わせた。
「……愛している人はいる?」
「ええ、カルロッタ」
「……へー、女の子なんだ」
「何か変?」
「勝手にすれば良い。あたしも似た様な物だし」
似た様な……そんな訳が無い。先程マーカラさんは確かに「彼」と言った。つまり男性だ。それに星皇は男性と言われている。
マーカラさんが星皇では無く誰か別の人を愛していると言うなら話は別だが、そう言う訳でも無さそう。じゃあ一体……?
ある程度歩くと、一つの大きな人物画があった。黒く染められた薄い絹の布が上から垂れて全貌は見えない。
だが、ぼんやりと見える。
……ああ、成程。そう言うことね。
「これがリーグの王。……五百年も経つと、本当にこんな顔だったのかも分からなくなる。あの優しい声も、あの微笑みも、あの……あぁ……もう、殆ど、忘れてしまった。いや、忘れていない。忘れてたまるか」
「……目的は、忘れないで欲しいのだけど」
「ああ、ちょっと忘れてた」
マーカラさんはまた歩みを進めた。
そしてやって来たのは、明らかに大人数で踊る舞踏場だ。埃も積もっていれば汚れも溜まっていることから、相当な時間使っていないらしい。百年か二百年か、もしくは五百年。
すると、マーカラさんの背中から二対の蝙蝠の翼が広がった。同時に、先程までの微笑みが狂った少女の笑みに変わった。
「さあ、始めましょう。『固有魔法』の習得の為の、特訓を」
「何をすれば?」
「簡単よ。貴女は抗えば良い。必死に抗って、抗って、抗って、抗って、腐ちて捨てられない様に、ね? そうすれば多分、気付くはず。と言うかそれで気付かないならもう知らない。死ぬ直後に人は後悔をするのだから」
「……成程。何時も通りと」
色々最悪だが、まあ良いだろう。どうせあの地獄よりも地獄を見るだけだ。
「『固有魔法』とはその人の心情。心は何よりも強い力を有し、そして発揮する。故に『固有魔法』の詠唱はその人固有の過去であり、思い出であり、人生。それを出すならやっぱり死に掛けるしか無い。同時に『固有魔法』の感覚も覚えて貰う。やって貰うのは、実際ルミエールと大差は無いはず」
マーカラさんはゆっくりと詠唱を始めた。心の準備を整えるならこの時間だけだ。ゆっくりと息を整え、何故か治っている体の緊張を解す。
「"竜の子孫""蝙蝠の翼を広げ""そして血を飲み魔を増やす""二人は三人に""三人は一人に""一日の悪夢は二つを奪う""輝く白銀""暗い黒金""無垢金は彼に""無垢銀は彼女に""主は王女に""黄色のチューリップを送る"」
マーカラさんの過去、思い出、人生。微塵も興味は無いが、少し思いを馳せるくらい、今なら許されるはず。
「"我、悪魔の王なり""我、竜の子孫なり""我、統べる王の両腕なり"……『固有魔法』」
マーカラさんの笑顔が、より深く、より悪魔に近付いた。水色の髪色は真っ黒に染まった。深紅の瞳は銀色に染まった。彼女こそが最後の王家。彼女こそが生き残った吸血鬼の王女。その実力の一片が、今広がる。
「"悪魔王の城"」
舞踏場の風景は何処へやら。赤黒い月光がマーカラさんが座っている玉座の後ろの、ステンドガラスから差し込んでいる。ステンドガラスは数多の人々が白と黒の翼を持つ者を崇めている風景を象っている。
マーカラさんは、玉座に座っている。その翼を撫でながら、長い脚を組み、私を見下ろした。
そう、私は悪魔の王の御前にいる。それは正しく死と同類であり、それがすぐに来るか戯れで後に来るか、多分その違いでしか無いのだ。
良く分かる。力の差が開き過ぎている。魔法使いとして、いや、生物としての格が違い過ぎる。ルミエールさんの特訓でも、何度も痛い目にあったメグムさんの特訓でも、ここまで恐れたことは無い。私は彼女にとって単なる家畜であり、愛玩動物でしか無いのだ。
弱肉強食の、最上くらいに位置する怪物。ああ本当に、何でこんな人と戦う羽目になったのだろうか。
「良いわねその表情。もう少しよ」
マーカラさんの『固有魔法』、追加された法則は一体……。
すると、マーカラさんは私に右手を向けた。そこから発せられたのは、黒く迸る魔力の塊。放たれたと思えばまた放たれる。連射速度だけで言えばカルロッタ並……いや威力もカルロッタに引けを取らない!!
当たれば死ぬ!!
防護魔法なんて意味を為さない。むしろその程度で防げるなら私はカルロッタの攻撃を凌げると言うことになる。そんな訳が無い。こんな連射速度で放たれたら、本気で死ぬ。
自分でも良く分からない程、何とかギリギリで避けている。服が外の魔物の所為で切られて布がひらひらとして邪魔だが、破っている暇も無い。
腕を掠めた時には、走馬灯さえ見えた気がした。半分以上はカルロッタの笑顔だったけど。
「そう! そうよ! 死の予感を敏感に感じ取って、そのまま自分の奥底に眠っている心情を思い起こして! 肌で『固有魔法』を感じて! 感覚でも覚えれば、きっと貴女は使えるわ! 条件はもう揃っているのだから!」
簡単に言ってくれる……! ……いや、一度だけ、一度だけだが、確かに使えそうな感覚が一度だけあった。思い出せ、その時、心から出た詠唱を。
「"一人の父""二人の母""やがては狂気を抱く母親""狂気は脳裏の更に奥""死屍たる赤子が巣食う脳裏の更に奥""狂気は胎内の羊膜の娘に継がれ""魔法の叡智に何れ触れ""やがて出会うは赤髪の娘""我が狂気は絶え間無く""我が狂気は際限無く""我が狂気は終わりも無い"! 『固有魔法――』」
行ける! 使える! これで彼女と同格になれ――!!
「まだ無理よ」
マーカラさんの声が残念そうに響いた。
『固有魔法』は発動しなかった。何の魔法も発動しなかった。おかしい。ルミエールさんと特訓していた時には、今感じている魔力と大体同じ感覚を覚えた。
「まだ無理、それに詠唱も相応しく無い。それは貴女の思い出であり人生ではあるかも知れない。だけど、過去が足りない」
「……何を、言っているのか、本当に分からない。全部一緒でしょ?」
「違う。過去は苦痛でもある。貴女はそれから目を逸らしている。だからそれは相応しく無い。良い思い出だけが人生だとでも? 悪い思い出は見えない?」
「……いいえ、きちんと見て来た。私は、母親に虐げられて――」
「本当に?」
「勿論! だから私が殺した! その時の姿が、私の一番奥深い場所で熱を帯びさせることに気付いたから! ようやく自認出来たの! 私は死を愛するってことを!」
マーカラさんはため息を吐いた。先程までの笑顔を失くし、心底つまらなさそうに、水色に戻った髪をくるくると人差し指で巻きながら、深紅色に戻った瞳で私を睨んでいた。
「矛盾してるわ。それに気付かないから使えないのよ。愛していない母親を終わらせたのが死と言うなら、貴女にとっての死とは邪魔者を消す為の、気に食わない者を消す為の手段のはず。なのに何故、美しいと思っているの?」
「え……? だって……貴方なら、分かるでしょ?」
「あたしは貴女に聞いてるの。……まあ、良いか。悲痛な絶叫と絶望の懇願は堪らなく好きよ。けれど、やっぱり愛している人の死は見たくなかった。何故か分かる? 死とは不可逆で、絶対的な終焉だからよ。あたしは、永遠に一緒にいたかった。ずっと、ずっと」
……違う。だってあたしは、カルロッタを……。……あれ……?
「あたしが死を好きになったのは、別に貴女みたいな理由じゃ無い。虐めて来たあいつ等があたしに頭を下げて、地面に擦り付けて、足でも舐めようとしているその無様な姿が好きなのであって、死にはそこまで興味が無い」
「……あたしは、あたしは、死が好きなの。美しいと思っているの。だから……カルロッタを、最後には、あたしの、手で、殺さないと」
「なら、何で泣いてるの?」
「え…………?」
フォリアの頬には一線の涙が流れていた。特にその涙が大きい訳でも無く、ずっと流れている訳では無い。すーっと落ちたその涙は、一滴落ちただけですぐに拭って止まってしまった。
「……違う」
「……まあ、今はそれで良いわ。明日からここにいて貰うわ。まあ、すぐにソーマから指令が来るだろうけど」
すると、マーカラは突然上を向いた。
「……貴女、名前は? フォリア?」
「ええ……フォリア・ルイジ=サルタマレンダ」
「貴女にお願いが来てるわ。タリアスヨロクに行って、冒険者達を助けてって、ルミエールから」
「転移魔法陣とかはある?」
「ええ、直通の物が一つ。気晴らしにでも行って来たら? 他者をぼっこぼこにするのは、楽しいわ。あたしが保証する」
フォリアの表情は、先程と打って変わって明るい物になっていた。
最後まで読んで頂き、有り難う御座います。
ここからは個人的な話になるので、「こんな駄作を書く奴の話なんて聞きたくねぇよケッ!」と言う人は無視して下さい。
さっすがマーカラちゃん! 魔法の才能も十分だね!
……え? 魔力の排出のコントロールさえも出来ないのに『固有魔法』を扱える訳が無いって? ……まあまあまあまあ、後で説明します。
いいねや評価をお願いします……自己評価がバク上がりするので……何卒……何卒……




