Vol.5 好奇心と警戒心
「冗談やめてよ。蓮君は猫じゃないんだから、抱きついたりしないよ……」
言いながら、話をそらすように抱きしめてたたまを蓮君に押し付けると、たまは抗議の声を上げるように鳴いた。
「とりあえず二週間はうちにいていいけど……」
「ほんとに!?」
「だって、ダメって言っても、きっと蓮君は家に帰らないんでしょ? 見ず知らずの私に泊めてほしいなんて言うくらいだから、友達の家に泊まるって選択肢もないんじゃない? だったら、拾った責任じゃないけど、やっぱり心配だしダメとは言えないよ。そのかわり、二週間の間で事情を説明できるようになったらちゃんと話してほしいし、それが出来ないんだとしてもいま抱えてる問題をちゃんと解決させて家に帰れるように努力はして? その後のことは、二週間後にまた話そ?」
「あー……」
ため息のような声をこぼして、蓮君はたまを抱きしめたままソファーの背もたれに倒れこむ。天井を振り仰いで、それから斜めに視線をおとして私を見つめて言ったの。
「ありがとう」
って。
蓮君は瞳をつぶって、なにかを考えるようにソファーにもたれたままじっとしていた。しばらくそうしてて、ゆっくりと背中をソファーから起こした蓮君は、まっすぐに私をみつめた。
「置いてくれるお礼に家事手伝うよ」
「家事得意なの?」
「得意ではないかな、一応一人暮らししてるから困らないくらいにはできるって感じ」
「じゃあ、手伝いはいいよ。私も自慢できるほどちゃんと家事やってるわけじゃないし」
「でも、何もしないのは俺、手持ち無沙汰じゃん? 拾ってもらったお礼も出来ないなんて」
「そんなこと気にしないでいいよ、見返りを求めて拾ったんじゃないんだから」
「ニャーオ」
そうよ、とでも言うように蓮君に抱かれたままのたまが鳴くから、頭を撫でてあげる。
「たまは居てくれるだけでいいんだよ」
気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らすたまに微笑んだら。
「じゃあ、やっぱ、俺も癒しを提供しようか?」
なぜだか疑問形で聞かれて。っていうか、さっき話題をそらしたばかりなのにまたその話になってしまって、私は慌ててソファーから立ち上がる。
「そっ、そこまで言うなら、お掃除をお願いしようかなー」
私が急に立ち上がったのに驚いたのか、たまは蓮君の手からすり抜けて床に飛び降りるとどこかへ行ってしまった。
時計を見ると、すっかり夜もふけていた。
蓮君が泊まると決まったなら、さくさく用意をしようと思いつく。やらなければならないことを頭の中で考えて優先順位をつけていく。あることに思い至って、私はリビングを出て、一階の玄関のそばの祖父母の部屋へと向かった。
もうだいぶ整理して遺品もほとんど残っていないけれど、祖父が気に入っていて寝間着に使っていた浴衣を取っておいたのを思い出して箪笥の中から取りだした。
浴衣を抱えてリビングへ戻ると、なにも言わずに部屋を出ていってしまったからか、蓮君は手持ち無沙汰のように困った表情で、リビングに入った私をぱっと振り返った。
「あっ、何も言わずにごめんね。さすがに下着はないんだけど、パジャマ代わりになりそうな浴衣があるのを思い出して、嫌じゃなかったらこれ使って」
「ありがと。下着とかは、明日買いに行ってくるよ」
「うん。じゃあ、お風呂洗ってお湯入れてくるから先に入っていいよ。私はその間にお布団用意したりするから」
そう言って、また祖父母の部屋に戻ろうとしたら、腕を掴まれて引き止められる。
「それはダメ、俺は居候なんだし、はぐちゃんは明日も仕事でしょ? 先にお風呂入って休まなきゃ。それに俺が言うのも変だけど、今日会ったばっかの男が入った後のお風呂なんて気持ち悪くて入るのやでしょ?」
そんなことを言われて、ぽかんっとしてしまう。
「えーっと、あんまり気にしてなかったけど、そういう言われ方したら気になっちゃうかも」
蓮君に先にお風呂に入ってもらってその間にお布団敷いておく方が効率的にいいかなって思っただけだったんだけど、もし自分が蓮君の立場なら、先に自分がお風呂を使うのは気が引けるだろう。
「じゃあ、お言葉に甘えて先にお風呂使わせてもらいます」
「俺も気をつかうから、そうしてくれる方がいい」
「うん」
そうだよね。効率も大事だけど、そればかりで決めちゃダメだったね。
「俺はリビングでテレビ見ててもいいかな」
「どうぞ~」
伺うように尋ねられて、お風呂の件もそうだったけど、蓮君が礼儀正しい子だという認識を持つ。親に反発している感じだけど、きっと良いお家の子なんだろうなぁ。
そんなことを考えながら、いつもよりは急いでお風呂を済ませて、リビングにいる蓮君に「お風呂出たよ」って声をかける。
蓮君がお風呂に入っている間に祖父母の部屋に布団を用意して、それからリビングのソファーの上でノートパソコンを開いて会社のメールチェックをする。しばらくメールを読むことに集中していると。
「お風呂、ありがとう」
リビングの入り口に、浴衣を着た蓮君が立っていた。祖父の浴衣だから柄が地味なんだけど、蓮君が着ると地味な印象はなく、とてもよく似合っていた。普段から浴衣を着慣れているような、こなれた雰囲気をかもしだしていた。
近づいてきた蓮君は、私の座るソファーの足元の床に直接座って、こっちを振り向かずに言う。
「はぐちゃん、待っててくれたんだね。先に寝てて良かったのに」
「んー、ちょっと仕事のメールチェックしてただけだよ」
蓮君を待ってたのも少しあるけど、メールを確認したかった方が理由としては大きくて、待ってたっていうのは語弊がある気がして困ってしまったんだけど。
「はぐちゃん、俺……」
そこで言葉を切る蓮君。
なにかを言おうとして、でも言葉が続かなかったみたいで口を閉ざす。
事情を説明してほしいと言った私に、誠意を示そうとしてくれたのかもしれない。
でも、きっと、まだ言えないんだろうな。
心の整理がついてから教えてくれればいいよ、それまでは家にいていいから――
そんな気持ちを込めて、膝の横にある蓮君の頭をそっと撫で続けた。
気がついたら、蓮君は床に座わりソファーの脚に寄りかかったまま眠ってしまっていた。
私は蓮君を起こさないように、またメールを確認し始めた。
ほとんど自分の事を語らない謎だらけの蓮君。
今ではすっかり人懐っこいたまだけど、家に連れてきたばかりの頃のたまに蓮君はちょっと似ている気がした。
好奇心から自分からは私に近づいてくるのに、私から近づくと警戒して距離を取る。
いつか、蓮君は自分の事を話してくれるのかな――?
それとも、何も言わずにすぐに別れの時が来るのかな――?