Vol.31 純心 side蓮
はじめは、いつものような興味本位で声をかけられたのだと思ってわずらわしかったけど、その瞳が心配そうに揺れていて、ただ純粋に自分のことを心配してくれる必死さが胸をついた。
無警戒で赤の他人を家につれていき、手当をしてくれるはぐちゃんは、俺にはただのお人よしにしか見えなかった。
今は知らなくても、俺が誰なのか知れば、態度がガラリと変わるのだろうと思って警戒して、色々と俺のことを聞いてくるはぐちゃんに対して名前しか教えられなった。
よくよく考えれば、住んでいる場所の隣でもなく離れた区の区長の名前なんて知らないだろうし、ましてやその家族構成まで知っていることの方が稀だろう。
家に帰りたくないってのも本当だったけど。
自分のことを何も知らず“ただの蓮”として、一人の人間として見てくれるはぐちゃんの優しさにつけこんで、家に居座った。
たぶん、その時は、自分を区長の息子と知らないならだれでも良かったんだ。
その優しさにつけこみ、自分の傷を見ないふりしたかっただけ。
だけど、はぐちゃんと数日過ごすうちに、このままではダメだと気づく。
俺は今まで“区長の息子”ではなく“春原 蓮”っていう一人の人間として見てもらうために、なにか努力をしてきたのだろうか――?
どうせ“区長の息子”としか見られないからって初めから見切りをつけて、他人と一線を引いて、自分のことに踏み込ませないようにして。
それじゃあ、“区長の息子”としか見てもらえないのは、仕方がないんじゃないか……?
区長の息子っていう位置関係を嫌って一人暮らししても、結局は親の金で暮らしてて、そのくせ文句ばかりは一人前では情けなさすぎる。
幼い頃に母親と祖父母を亡くしても一人で懸命に生きているはぐちゃんの姿に、逃げていた自分が恥ずかしくなる。
自分の弱さを認めて、逃げずに戦わなければならないと思った。
“区長の息子”というフィルターがあったとしても、“春原 蓮”という人間を認めてもらうために。
なにをどうしたらいいのかは具体的には思いつかないけど、まずは自分の生活費くらいは稼げるようになりたいと思い、バイトを探そうとスマフォを見る。
親からの連絡がうっとおしくて、はぐちゃんの家にいる間はほとんどスマフォの通知音を切って鞄の中に入れっぱなしにしていたから、開くたびにたくさんの通知が表示されていることにうんざりする。
親だけでなく友人からのラインもすごい量がきている。
この中のどれほどが俺を“春原 蓮”として見てくれるのか分からないけど、そう見てもらえるように努力することは、それほど嫌ではなかった。
そんな心の余裕ができていることに、自分自身驚く。
月曜日、中高からわりと仲良くしている友人から、遊ぼうと連絡きていて、そいつがバイトをしていたことを思い出して連絡をとって会ってみると、タイミングよくバイトを紹介してもらうことができた。
本当は、大学もこのままやめてしまおうかとも考えていたけど、ちゃんと通って卒業したい。
数日後には春休みも終わるから、大学の講義と両立できるようなバイトが見つかったことに安堵する。
翌日、早速人生初めてのバイトに出かけた。
たったそれだけで、自分の世界が拓けた気がするから不思議なものだった。
こうやって少しずつでも、自分の足で歩いていった後を残せば、俺は今よりも自信をもってはぐちゃんに自分の名前を名乗ることができるだろうか――
そう思っていたのに。
水曜日、はぐちゃんを迎えに行った帰りに予想外に大学の学友と会ってしまい動揺する。
春原って呼ばれた瞬間、体の中心が縮み上がる気持ちだった。
それが、特に自分に言い寄ってくる苦手な女子グループだったから嫌悪感と、はぐちゃんに自分が何者なのかこんな形で知られてしまうんじゃないかという焦りから、余計に冷たい態度になってしまっていたのが自分でも分かるのにどうしようもできなかった。
彼女達と関わって俺が区長の息子と知られて、はぐちゃんの態度が変わってしまうのが嫌だった。
それだけなのに。
家に帰ってからも彼女達のことを気にするはぐちゃんに、つい声を荒げてしまった――
“はぐちゃんは知らないから――”
知られたくなかったから――……
はぐちゃんには、“区長の息子”じゃなくて“春原 蓮”として見てほしかったから――
ただそれだけなのに、あんなふうにどなったりして、ただの逆ギレだ。かっこ悪すぎる。
でも、まだ自分から名乗るほど勇気を持てないでいた。
もしかしたら、はぐちゃんはSNSで検索して俺の正体を知ってしまったかもしれない――
はぐちゃんの態度が変わったら――?
そんなはぐちゃんとどう接したらいいのか分からなくて、逃げるようにバイトが終わった後もはぐちゃんの家には帰れなかった。
友人の家でゲームしてそのまま朝になっちゃって、金曜日、家に帰った時にははぐちゃんは出勤した後だった。
はぐちゃんにちゃんと自分のことを知ってもらいたいと思った矢先にこれでは、本末転倒だ……
そんな風にぐだぐだと勇気を持てずにいた俺への天罰なのか。
日曜日、バイト先の記念パーティーに出席した俺は、そこで、はぐちゃんにばったり会ってしまう。
本当に、まさかこんな場所で会うとは予想だにしていなくて、驚きに言葉も出なくて。
桐谷さんを紹介されて、瞬時に、なんでここにはぐちゃんがいるのかに思い至る。
はぐちゃんの勤め先を調べた時、俺が通っている大学の卒業生が起業した会社だと知り、そこにもう一人、「桐谷」という名前の人もうちの大学の卒業生だと知ってしまった。
俺が友人から紹介してもらったバイトも同じ大学の先輩が起業した会社で、このパーティーには大学の関係者が多く集まっていたから、桐谷さんには会うかもしれないとは思ったけど、まさかはぐちゃんまでいたことには驚きを隠せなかった。
桐谷さんとは直接面識はなかったけど、俺を見る桐谷さんのもの言いたげな眼差しで、俺がだれなのか知っていることに気づかされる。
本当なら、その場ですぐにでも自分の口から説明するべきだったし、そうしたいのは山々だったけど、パーティーの主催であり、バイト先の社長に呼ばれてはそちらを優先するしかない。
俺が去った後、桐谷さんから俺のことを聞かされてしまうと分かっても、どうすることもできなかった。




