Vol.28 なごり雪
「春原 蓮――、S区の区長の息子だよ」
「えっ……?」
桐谷君の言葉が頭の中をぐるぐる回る。
蓮君がS区の区長の息子……?
S区は私の住む区と一つ区を隔てた区だ。自分の住む区でも隣の区でもないS区の区長の名前は知らないし、その息子の存在なんて知るよしもない。でも、じゃあなんで桐谷君はそんなこと知っているんだろう……、初対面っぽかったのに。伺うように桐谷君を見上げたら。
「大学の後輩だから」
って説明してくれた。
その答えが、なんとなく胸にしっくりと収まる。
「在学時期はかぶってないけど、仲良いサークルの後輩がうちの大学にS区の区長の息子がいるって話してて、写真を見せてもらったことがあったのと、春原って珍しい名字だから印象に残ってた。さすがに下の名前までは知らなかったから、森の家にいるのがそうだとは思わなかったけど……」
「そっか……」
なんだか桐谷君の説明が右から左に流れていき、私はそれしか答えられない。
蓮君はあまり自分のことを話したがらないとは思っていたけど、初対面で下の名前しか名乗らなかったのもわざとだったのかな……
そういえば、駅で声をかけてきた女子達は蓮君のことを名字で呼んでて、蓮君の態度がおかしかったのもその辺りからだったと気づく。
もしかして、私に名字を知られたくなかった、とか……?
そう考えれば、辻褄が合う気がした。
蓮君が隠していた秘密は、これだったの――?
考え込んで黙ってしまった私を気づかうように、桐谷君がぽんっと頭を触る。そして私と目が合うとやり切れないという様にほんの少し笑ってみせる。
「俺でも社長の息子ってことでそれなりに苦労してきたけど、区長の息子ってのは、けっこう重いぜ――? 俺はわりとこういう性格だから、逆にネタにして笑い飛ばしてきたけど。彼、真面目そうだし、けっこう思い詰めるタイプっぽいよな……」
その言葉に、はじめて会った時の蓮君の刃物のような鋭い瞳を思い出して、胸が痛む。
蓮君が抱えていた傷が垣間見えた気がした。それなのに、私にはどうしてあげることもできなくて――
遠くに行ってしまった蓮君の後姿を見つめることしかできない。
その後は、桐谷君とどんな会話をしたのかも記憶が曖昧だった。
パーティーを楽しめる余裕もなくて先に帰ると伝えたら、桐谷君が送るって言ってくれたけどそんなことまで迷惑をかけるのは申し訳なくって、桐谷君にはまだパーティーを楽しんでと言って一人家に帰ってきた。
寒い寒いと思っていたら、駅を出たら薄暗い空からはらりと小雪が舞っていた。
今年は暖冬で三月なのに桜も散り始めているこんな時期に降る雪は、なごり雪っていうのかな……
蓮君が我が家で過ごした数日が終わる――、そんな予感と一緒にはらはらと雪が舞っていた。
家に着きリビングに入ると、ぽすんっと鞄をソファーの上に置いて、コートを脱ぐこともせずに私もそのままソファーに座り込んだ。
“区長の息子ってのは、けっこう重いぜ――?”
愁いを帯びた眼差しで言った桐谷君の言葉を思い出す。
快活で気取らない普段の桐谷君からは想像できないけど、そう言った桐谷君自身も、辛い思いや苦しみを抱えていたのかもしれないことに今更ながら気づく。
そういう人達と縁遠かったっていうのもあるし、私自身、あんまり学歴とかどこの出身とか気にしたことなくて、そういうことを気にする人たちに囲まれた生活がどんなものか想像しても、想像の域を出ないけど――
辛くて、なにもかも嫌になって投げ出したくなってしまうのかな、って。
あの日会った蓮君は、傷ついて、警戒心をむき出しにした捨て猫のように、近寄りがたい雰囲気が彼を包み込んでいた。
私の言葉に投げやりな態度で、何を言っても彼の心には響かない――、そう思った。
初対面なのにおせっかいな気持ちから放っておけなくて家に連れてきてしまって、蓮君の口数が少なかったのは警戒しているからで仕方がないことだと思っていたけど、初対面だからとかそういうことじゃなかったのかもしれない。
区長の息子だって知られるのが嫌だったから――?
それを知って、態度が変わるのが嫌だったから――?
利用しようとして近づかれるのが嫌だったから――?
蓮君のことに思いをはせる――
家に帰りたくないから、ここにおいてと言った蓮君。
無口で突き刺すような激しい眼差しの印象と打って変わって、ご飯を作ってあげたらちゃんと感謝できるいい子で。
家事が特別得意なわけでもないのに、置いてくれるお礼に家事手伝うよって言って、毎日夕飯を作ってくれた。「はぐちゃんの好きなもの作りたい」って言って斜めにこっちを見つめた蓮君の瞳には、甘い笑みがにじみ出てめまいがするほど素敵だった。
たまのためにと、部屋の扉を少し開けてくれる些細な優しさが心にしみて。
祖父母を亡くして一人っきりの生活に慣れたと思っていたけど、蓮君と過ごす日々は穏やかで、その存在に癒されていることに気づいてしまう。数日、時間にしたらそんなに長い時間一緒にいたわけじゃないのに、蓮君の存在は私の中でとても大きいものになっていた。
だから、そんな蓮君に私でできることがあるなら力になってあげたいと思った。
他愛無い会話を通して、蓮君が触れてほしくなさそうにするのは家族に関する話かなってうすうす感じて。
ケーキの試食をした時に敏感にケーキの味を把握して、舌が肥えているなって気づいて。
礼儀正しくて、親に反発している感じだけど、きっと良いお家の子なんだろうなぁって思った。
ぐだぐだとまらない考えのまま、ぼぉーっとソファーに座っていると、鞄の中でメッセージを知らせる着信音が鳴る。
ドキッしてスマフォを開くと、予感通り蓮君からだった。
『俺の素性、もう知っちゃったよね――? 今日は帰り遅くなりそうだから、明日、起きたらちゃんと話そう』




