Vol.25 ギクシャクした距離
はぁ~~……
家への帰り道、つい、ため息が出てしまう。
水曜日、蓮君とちょっとした口論になって、ギクシャクしたまま二日が経ってしまった。
結局、その日の夕飯は食べる気になれなくて、ハンバーグは蓮君が買ったケーキと一緒に冷蔵庫にしまった。
翌朝、朝食の席には顔を出してくれたけど、蓮君はずっと無言で。私もかける言葉が見つからなくて話しかけることが出来なかった。
仕事を終えて家に帰ると蓮君の姿はなく、冷蔵庫の中のハンバーグもなくなっていて、代わりに肉じゃがが一人分“はぐちゃんの分”ってメモと一緒に入っていた。
月曜日の夜も出かけていたし、またどこかに出かけているのだろうけど、避けられている感が否めない。
はぁーっとため息をついて、でも、蓮君の作った肉じゃがは美味しくて、鼻の奥がツンっとする。
木曜日の夜、蓮君は帰ってこなかったみたいで、今朝も姿を見なかった。
もしかしたら、このまま蓮君はもう戻ってこないのかなって考えてしまい、ため息がとまらなかった。
そんな不安をぬぐえないまま家に着くと、やっぱりというか電気がついていなかった。
「ただいまぁ……」
おかえりって言ってくれる人は誰もいないのに、いつもの癖で言って家に入る。
なんだか、蓮君がいたことが夢だったって言われた方がしっくりくるような気がしてきてしまう。
そんなことを思いながら、洗面所で手洗いをすませてリビングに行く。
めずらしくたまの姿が見えないと思ったら、たまはリビングのソファーの上で丸まって寝てて、キッチンダイニングにはたまのお皿が出てて缶詰の残りが少し入ってた。
あっ、蓮君がたまに夕ご飯あげてくれたんだ。
そんな些細な気づかいを嬉しく思うと同時に、蓮君の存在が夢なんかじゃなかったって思わせてくれる。
でも、本当に、このまま帰ってこないかもしれないよね……
それでも、いいのかな……
ここが居づらくなっても、蓮君が自分の家に帰るなら、いいのかもしれない。
しょせん、他人の私では蓮君にしてあげられることなんてなかったのかなぁ……
“はぐちゃんは知らないから――”
その言葉が、予想以上に自分の胸に深く刺さってチクっと痛む。
でも、しょうがないじゃん。私が何も知らないのは蓮君が喋りたがらないからで。
聞いたら、怒らしてしまったし。
どうするのが正解だったかなんてわからない。
冷蔵庫の中を見ると、私の分と書かれたメモと一緒に今夜の夕ご飯が準備されていた。
きっと、蓮君が夕ご飯を作ってくれることに深い意味はなくて、「拾ってもらったお礼」とかなんだろうけど、私は一人で食卓につきながらも、どこか胸が温かくなる気持ちに、心の中で蓮君にお礼を告げて、ご飯を食べ始めた。
“二週間の間で事情を説明できるようになったらちゃんと話してほしいし、それが出来ないんだとしてもいま抱えてる問題をちゃんと解決させて家に帰れるように努力はして? その後のことは、二週間後にまた話そ?”
蓮君と会った日、私が言ったことに蓮君は「ありがとう」って言っていた。
それって、いずれは話してくれる時が来るって思っていたけど、肯定してくれたわけじゃないんだから、このまま事情を聞かされずに蓮君が自分の家に帰るって場合もあるってことだよね。
私の中で膨らみ始めた“蓮君のことを知りたい”って気持ちを、そっと箱にしまって鍵をかける。
蓮君が話したくないって思っていることなら、私は深入りしない方がいいんだろうな――
それが、私の中で出た結論だった。
それでも。
このまま、蓮君とギクシャクしたままお別れは嫌だと思った。
もう、蓮君のことは聞かないけど、仲直りはしたいと思う。
夕飯を食べ終えて食器を片し、リビングのソファーに座ってパソコンで仕事のメールを確認する。
いつもの習慣、いつもと変わらない夜のはずなのに――
食後に蓮君がコーヒーを淹れてくれて、二人で飲みながら他愛無い会話をする。
そんな数日前の、たった数日の出来事が懐かしく、恋しく思ってしまう。
はぁ~……
仕事に集中したいのに、つい蓮君のことを考えてしまう。
とてもじゃないけど、仕事をする気分になれなくて、パソコンを膝の上からローテーブルに置く。ソファーの上に足を山形に乗せて、クッションを抱きかかえる。
どうやって蓮君と仲直りしたらいいんだろう……
そんなことを考えながら、気づいたらウトウトとしていた。
ガチャっていう扉の音と扉の開閉による空気の振動に、ゆっくりと目が覚めてくる。
開けっ放しのリビングの扉から入ってくる蓮君の姿がスローモーションで見える……
「はぐちゃん……?」
覗き込むように問いかける蓮君の声に、これが夢じゃないんだって気づく。
「――っ! 蓮君、おかえり……っ」
「こんなとこで寝たら、風邪ひくよ?」
「だね……」
心配してくれる蓮君の優しさが嬉しいはずなのに、目を合わせてくれない蓮君の態度に傷ついて、気の利いたことも言えず、相槌を打つことしかできなくて、二人の間に沈黙が落ちる。
どのくらいそうしていたのか、先に動いたのは蓮君だった。
「お風呂、借りるね。おやすみ……」
そう言って踵を返して歩き出した蓮君を慌てて引き留める。
「蓮君、あの……」
こんなギクシャクした空気なのは嫌だったから。
でも、何を言うか決めてなくて、言葉が続かない。
仲直りしたいと思うのに、どうしたらいいのか分からない。
じぃーっと、私が何か言うのを待っている蓮君の視線が痛くて、蓮君を見れなくて。
でも、勇気を振り絞る。
「あのっ、明日、朝ごはん食べたら一緒に買い物行かないっ!?」
「…………」
すぐに返事が返ってこなくて恐る恐る蓮君の方を見たら、蓮君は黒く光る瞳で射抜くようにまっすぐこっちを見ているからドキッとする。
沈黙が長くて、どうしたらいいのか分からなくて困っていたら。
「……ごめん、無理」
ぽつっとこぼして、蓮君は今度こそリビングを出て行ってしまったから、私は、立てていた膝の上に顔を伏せて、はぁ~~って大きなため息をついた。
仲直りするために、とっさに思いついたのが買い物の誘いだったのに、冷たく断られてしまって気落ちする。もうどうしたらいいんだろう……
膝を抱えたまま、ぐらぐら体をゆすっていたら。
突然、後ろから肩をつかまれて、びくっと肩が揺れる。
ふりあおぐとすぐ上に蓮君の綺麗な眼差しがあって、私を見つめて艶やかに揺れていて。
「……午前中はちょっと用事があるけど午後なら大丈夫だから。一緒に買い物行こう」
ぶっきらぼうに言って、蓮君は私の返事を待っているみたいに私を見ていた。




