Vol.21 壁ドンってやつですか
「ごめん、すぐ気づかなくて……」
「いや、俺こそ、企画書の事、森に任せっぱなしにしててすまない」
「だいじょうぶ大丈夫! 私は桐谷君ほど多忙じゃないし、この企画のおかげで色んなケーキ試食出来たし、適材適所ってことで」
「もう帰るのか? じゃあ、メシ食いながら話さない? これだけ置いてくるからさ」
桐谷君は手に持っていた書類の入った茶封筒を振ってみせる。
私は困って視線を落とす。
「ごめん、そうしたいのはやまやまなんだけど……、ちょっと今日はもう帰らなきゃでさ」
顔の前で両手を合わせて、ごめんねって気持ちを込めて頭を下げる。
その時。
ニャ~ンって猫の鳴き声の通知音が鳴る。
手に持っていた会社用のスマフォじゃなくて鞄の中のスマフォが通知を知らせる音に、慌ててスマフォを入れ替えて確認すると、蓮君から“会社の前に着いたよ。待ってるね”ってメッセージだった。
ぱっと顔を上げて、エレベーターホールの先、エントランスにある自動ドアの向こうに視線を向けると、エントランスの照明が当たるその先、土砂降りで薄暗い中に傘を差した人影が見えた。
まるで四角く切り取った絵画に墨を流したような漆黒の中で、傘を差す人影が揺れていた。
「じゃ、桐谷君、また明日ね~」
そう言って小走りで足を踏み出した私は、後ろから伸びてきた手に腕を掴まれて、その勢いのまま引っ張られて壁に背中をつけるような格好になってしまう。
ええっと……
これはどういう状況でしょう……
捕まれていた腕から手は離れたのに、私の顔のすぐ横の壁に体重をかけるように桐谷君が腕をついて行く手を阻まれ、至近距離で見つめられて戸惑ってしまう。
これは世にいう、壁ドンってやつですか……
振り仰ぐと、少し乱れた前髪の奥で私を見据えた瞳がギラっと光り、焼け付くほど熱かった。こんなに荒々しい桐谷君の表情を初めて見た。
「どうしたの……?」
やっとのことで言うと、桐谷君はギリっと歯を食いしばる。
「あいつのお迎え――?」
桐谷君はちらっとエントランスの自動ドアの先に視線を向けるから、つられて私の視線も後を追う。
四角い漆黒の中に微かにシ人影が見えるだけで、中に入ってくる様子はない。
尋ねる桐谷君の声はいつもと変わらない落ち着きはらった声なのに、その瞳の奥がギラギラ光ってぞくっとする。
焦がれるような熱がその瞳の奥にあって、不覚にもドキドキしてしまう。
桐谷君がかっこいいのは分かってるし、こんな態勢で至近距離で見つめられたら、ドキドキしない女子なんかいないと思う。
だから困ってしまう。
桐谷君の行動に戸惑ってて質問に答えない私に、桐谷君は静かに違う質問を投げかける。
「あいつのこと好きなわけ――?」
……
…………
「えっ!?」
えぇ~!!??
桐谷君の質問の意味を理解するのに数秒かかり、理解したとたん素っ頓狂な声をあげてしまう。
「やだなぁ、蓮君とはそういうんじゃないよー」
真珠さんが言いそうなことを桐谷君が聞いてくるのがおかしくて、それに、私と蓮君がそんな関係ではないのは一目瞭然なのに、なんでそんなことを聞かれるのかが分からなくて、きょとんと首をかしげてしまう。
「桐谷君?」
今度は桐谷君が固まってて返事がないから、下から覗き込むように桐谷君の表情をうかがうと。
はっとしたように桐谷君が目を見開く。
「桐谷君には話したでしょ? 蓮君はしばらくうちにいるだけで、私、蓮君のことは何も知らないし、拾った責任とってって言われたから仕方なく家に置いてるだけなんだから」
仕方なくっていうのはちょっとニュアンスが違うけど、まぁ、この際そういうことにしておく。私が積極的に蓮君にうちにいてほしいって言ったわけじゃないもんね。
「中学生女子じゃあるまいし、一緒にいるからってすぐ好きとかそういう考えに結びつけないでほしいな……」
ぽんぽんって桐谷君の腕を叩くと、すっと壁についてた腕が下ろされた。
桐谷君は浅く、ほんのわずかに笑みを浮かべる。
「……だったな、そう言ってたな。会社まで迎えに来るとか、ちょっとビックリして」
語尾を濁しながら言う桐谷君は頬を染めてて、ちょっと可愛い。
「私の方がビックリだよ~」
そう言って、桐谷君の背中をふざけてにばしって叩いた。
「じゃ、雨の中これ以上待たしちゃ悪いから帰るね」
帰るために歩き出し、数歩歩いて、思いついたように振り返る。
「あっ、企画書は私のデスクの引き出しに入ってるから、時間あったらみておいて~」
「おーい、勝手に引き出し開けていいのかよ……」
冗談めかして言いひらひらと手を振ったら、桐谷君は呆れたため息をつきながら、にっと白い歯を見せて勝気な笑みを浮かべた。
うん、やっぱこういうやり取りをしてこそ桐谷君だよね!
ひとり頷いてにっこりして、今度こそ本当にエントランスを出た。
お待たせしました!
新しいパソコンが届きました~!




