Vol.2 手当て
会社帰りに見かけた怪我をした男の子を放っておけずに家に連れて帰ってしまったけど――
さほど歩かずに、細い路地の突き当りにある一軒家の前で足を止めて、ずっと黙ったままの彼を見上げた。
「うち、ここだよ」
特に返事は期待してなくて、予想通り返事もなかったから、私はそのまま玄関の鍵を開けて扉を開いた。
ガチャリという開閉音を聞きつけたように、廊下の奥から「ニャーオ」っと猫の甘えたような鳴き声が聞こえる。
「たま、ただいまー。あっ、猫嫌いじゃない? 猫アレルギーとかじゃない?」
いつものようにたまにただいまと言って、慌てて男の子に聞く。
家の方が会社より近いからって理由で家に連れてきてしまったけど、猫アレルギーとかだったら上がってもらうことも出来ないとその時気づいて、あたふたしてしまったのだけど。
彼は私の心配をよそに、首を横にふり、ぽつりともらす。
「猫、好き……」
「そっか、よかった」
猫アレルギーじゃないことに安堵し、同じ猫好きであることにそれだけで親近感を覚えてしまって、にこにことしてしまう。
「たまは半年くらい前に拾ってきた猫なんだけど、人懐っこいから良かったらあとで撫でてあげて」
言いながら靴を脱いで玄関をあがる、その時にはさすがに男の子の掴んでいた腕を離した。家の中に入ってしまえば、今更、手当てはいらないとかって逃げないだろうと思って。
廊下を進み、一つ目の開け放たれたままの扉からリビングに入り、ソファーに座ってもらう。
「ちょっと待ってて、たまのご飯だけ先にあげてくるね」
そう言う間にも、「こっちに来て~」とでも言うように甘えたような声でたまが鳴いているダイニングキッチンに行き、ご飯を食べる定位置でお行儀よく座って待っているたまにご飯をあげてから食器棚の横の棚から救急箱を取り出し、リビングのソファーに座る男の子のもとへ戻った。
男の子はソファーに座り、興味深げに室内を見回していた。
「おまたせ」
言いながら、ソファーの前にあるローテーブルに救急箱を置き、ふたを開けて必要なものを取り出す。
ソファーに座る男の子の前にかがみ、切れた口元に消毒液をしみ込ませたガーゼを当てる。
「……っ」
「ごめん、しみるよね。でも我慢して」
手当てをしながら色々と考えてしまう。
どうしてあんな所にいたのかとか、どうして怪我をしていたのかとか、聞きたいことはたくさんあったのになんとなく聞いてはいけないような気がした。
まるで傷ついて、警戒心をむき出しにした捨て猫のように、近寄りがたい雰囲気が彼を包み込んでいたから、今はまだ聞いても答えてもらえない気がした。
そんなことを考えていたらたまが近づいてきて、男の子の足に鼻先を近づけて匂いをかぎ、一通り匂いを嗅ぎ終わると、軽やかにソファーに飛び乗り、男の子の膝の上に躊躇なく乗っかり、ぱたんっと手足をしまい込むように箱座りして膝の上を陣取った。
傷口の消毒をして、唇の横に絆創膏を貼り傷の手当てが終わった頃、ぐぅーと男の子のお腹が主張するように大きな音がなった。
突然のことにびっくりし、次いで、笑いがこみ上げてくる。
笑っちゃいけないんだろうけど、なんだか可愛らしく思えて、くすっと笑わずにはいられなかった。
「お腹空いた?」
その問いに、彼は目元を染めて恥ずかしそうに視線をそらした。私は立ち上がりながら。
「私も夕飯まだだから、ごはん用意するから一緒に食べよ」
「えっ……」
それまでつっけんどんで口数の少なかった彼が、戸惑ったように声を出す。
「冷凍とかあり合わせだけど、食べないよりはましでしょ~」
ごはんなんていらないって言われるかと思い、先回りしてそう言ったのだけど、返ってきた言葉は予想を斜め上にいっていた。
「俺もなにか手伝います……」
そう言って腰を浮かせかけた彼は、自分の膝にたまが陣取っていることを思い出してすぐにソファーに腰を下ろし、困ったようにたまを見下ろして、遠慮がちにそっとたまの背中を撫でた。
「ニャァ~」
もしも、私がたまの言葉を通訳できるとしたら「苦しゅうないぞ」的な?
たまは野良だったけど、人懐っこくて、甘えん坊で、構ってもらうのが大好きだった。
あのまま男の子が立ち上がっていたら、せっかく落ち着いて座った彼の膝から追い出されるところだったのだから、彼がおとなしく座ってくれたことが嬉しいのだろう。
満足そうなたまの鳴き声に苦笑して、彼の肩をぽんっと触る。
「大丈夫。たまが君のお膝、気に入ってるみたいだから、そのまま座っててあげて。すぐに用意するから~」