Vol.1 鋭い眼差し
三月も残り半分となり、年度末の忙しさに追われて連日残業続きだった。
今年は例年にない暖冬が続き、寒いと感じる日もあまりないまま、春の温かさがすぐそこまでやってきていた。桜の蕾も日に日に膨らみ、開花宣言されるのも間もなくだろう。
今日は南風が吹き込んで夜でも暖かく、スプリングコートの裾をなびかせて残業で遅くなってしまった会社の帰り道を急いでいた。家で私の帰りを待つ人はいないけど、猫のたまがお腹をすかせて待っているだろう。
やや急ぎ足で帰っている途中、通りかかった繁華街の路地裏のゴミ箱などが粗雑に置かれた中に埋もれるように、口の端にケガをして倒れるように座り込んでいる男の子を見かけてしまい、ドキッとする。
通り過ぎざま、交わった視線。
ほんの一瞬、見えただけの男の子の眼差しが触れたら火傷しそうな鋭さの中に寂しげな光が揺らいでいて、脳裏に焼きついてしまった。
一度は通り過ぎたけれど、恐る恐る引き返し路地を覗き込むように様子を伺う。
さっきは視線が合ったのに、今は瞼を閉じていた。
このまま素通りしてしまおうかと逡巡していると、瞬きするように見上げた視線が突き刺すように私を見た。その眼差しの激しさに、刃物をつきつけられたような気がして、息を飲んだ。
関わらない方がいい――
脳裏ではそう警鐘が鳴っているのに、その鋭い眼差しから視線がそらせなくて、ゆっくりと彼に近づいていった。
「どうしたの?」
「……」
思った通りというか、彼は私の問いかけに答えるわけもなく、無言だった。
ただ、鋭い視線だけが絡みついてきて、その場から逃げることも出来なかった。
「ケガしてるよ……?」
「……」
無言の圧力に、初めの時よりも言葉に動揺がにじんでしまう。でも、聞かずにはいれなくて。
「手当てしないと」
そう言うと、小さな声ではじめて返事が返ってきた。
「いい……」
投げやりな言い方に、ちょっとむきになってしまう。
「ちょっとの傷でも放っておいたら化膿しちゃうよ、手当てしなきゃだめだよ!」
その言葉に、それまで無機質だった彼の瞳に影が広がる。
たぶん、私が何を言っても彼の心には響かない――
そう思うのに、やっぱり放ってなんておけないって気持ちが勝って、私は手に持っていた鞄を肩にかけなおして、空いた両手で座り込んでいる彼の片手を掴んでやや無理やり引っ張った。体格差でびくともしないと思ったのに、ふいに彼が立ち上がるから、引っ張る勢いのまま、私は後ろによろめいてしまい、掴んでいた彼の手が私を引き戻してくれたのでなんとか転ばずにすんだ。
立ち上がった彼は、私を見下ろしてなんとも言い難い表情をしていた。
たぶん、おせっかいな女……とか、思ってるのかな?
でもせっかく、手当てしてくれる気になったみたいなので、この機会を逃すまいと、掴んだままの彼の手を引いて歩き出す。
「こっち。会社に戻るより、うちの方が近いから来て」
彼は頷きもしなかったけど、嫌がるそぶりもなく、黙ったまま私に連れられて歩き出した。
冬の終わりを告げるような暖かな南風が吹き、月夜に照らされた二人の影が道路に長く伸びていった。
見切り発車的にスタートさせてもらいました(>_<)
1話ずつが短めになっているので、テンポよく更新していけるように頑張ります!
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