6 二度目のジャンプ (檜慈里)
「アヤさん、ちょっと」
自分で発した声に、あからさまな狼狽の色が滲んでいた。アヤの、私の体が、だんだんと熱くなっていく気がした。
ちらと私は時計に目をやる。カラオケルームは3時間とってあるから、まだ半分近くも残っていた。
私の鼻先すぐのところでシャンプーと、アヤの匂いが交じる。無防備な躯。寝息の音。もうここまで来てしまうと、耐えている意味がわからなくなる。
ふと私の頭に「エロティカ・セブン」のイントロが流れ始める。据え膳、いただきます。
そう心のうちで唱えた瞬間。けたたましくルーム備え付けの電話は鳴った。もたれかかるアヤを慌てて起こし、受話器を取る。
「はい」
「お時間、終了10分前になりました」
「は?」
私は再度、時計を見る。そんな馬鹿な。この一瞬で、1時間以上経過しただと?
「うーん……もう時間?」
アヤは目をこすり、髪を手櫛で整える。
「まだ全然、歌った気がしないんですけどね」
「寝ちゃってたみたい。ごめんね、せっかく二人で来れたのに。あーあ、あたし歌ってもないのに、寝てたら汗かいちゃった。えへへ」
私のほうは、時間が再び消し飛んだ、という事実に冷や汗をかいている。
これが、高森と飲んだあの日から2週間後の出来事だった。
……その後は食事をして、まあ何と言うかアヤとはそういう関係になり、しばらく続いたのだけれども、ある日突然彼女は仕事を辞めてしまった。
理由はわからない。携帯電話も普及していない時代だったから、それで私とアヤの関係も終わった。
それをうじうじと引き摺ってしまい、何も手につかない有様だったので、就活は完全に失敗。NTTどころか、NNT(無い内定)のまま、私は大学卒業を迎えてしまう。
ちなみに高森のほうは、在学中いつの間にか不動産の営業職に滑り込んでやがった。畜生め。
私が大学生活で得たのは、推定Eカップが、実際にEカップであったという確証だけなのかも知れない。流石は三流大である。救いようもないな。
卒業式も終わり4月。私はアルバイトを掛け持ちで働くようになっていた。深夜の飲食店なんかもこなしていたので、新卒者の給料より稼いでいたのだった。
しばらくは時が「飛ぶ」ようなこともなく、その異常さを私はすっかり忘れてしまっていた。しかし多忙なフリーター生活を送る中で突如、大事件が起こったのだ。
病院で脳の検査を受ける羽目になるくらいだから、あれは本当に深刻と言ってよかった。何しろ私という人生の流れから突然、「ある期間」がすっぽ抜けてしまっていたのだから。