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時間を食べるバク  作者: 花咲 潤ノ助、檜慈里 雅(リレー小説)
34/50

34 人生の通り道 (檜慈里)

 人は誰しも、自分には「選択肢」があると信じている。


 もしもあの時、違う道を選んでいたら、今の自分はどうなっていただろう?……そんなことを一度や二度ならず、考えてきたと思う。


 しかし振り返ってみてほしい。人生の通り道は必ず、一本しかないのだ。


 仮に、パラレルワールドが存在するとしよう。


「今日、仕事に行った。または休んだ」


「朝食を腹一杯食べた。または食べなかった」


「傘を持って家を出た。または持って行かなかった」


 ざっと考えてみても、選択肢は無数にある。つまりパラレルワールドがあるなら、私が生まれて以来ずっと枝分かれを続けてきた膨大な数の「もしも」という世界が存在しなければならない。


 もちろんそれは「私にとって」だけの話。つまり、例えば高森やアヤがとった選択肢、人類の全て、ヒト以外の「選択し得る」全てが無数の枝分かれを持ち、その数だけ世界は増えることになる。


 なのに、「私にとって都合の良い世界」だけが展開されていくのは可笑しいと言わざるを得ないだろう。ほとんど同じような宇宙が無数に存在しているなんて、考えるだけ無駄だ。




 さて、ならば妥当な線を考えるとしよう。そうすれば、周囲の皆が言っている通りの結論に至る。


 私が狂っているのだ。


 私に見えているもの、私が覚えていることのどこまでが事実か、妄想かは未だ判然としない。記憶が飛んで、それを「バクに食べられた」なんて言うような男だ。どこかで狂ったとしか言いようがない。


「正常に動いていて、記憶が継続している期間」


「正常以上に動いているが、記憶は無い期間」


「認識や思考が狂っている期間」


 大まかに考えて、この三つが私の人生を巡っているのだろう。




 昔話に「川で遊ぶと河童に引きずり込まれる」というような教訓めいたものがある。人は河童という架空の存在を言い伝えることで、子供を川の危険から守ろうとしてきた。


 他にも幽霊や鬼など、伝承の多くはそういう意図を含むのだろう。


 ひょっとすると私も、自分の意識とは別の部分で危険を察知し、度々それに対処してきたのかも知れない。「もう一人の自分が、人生の難所を乗り越えてくれる」と信じ込むことで、実際その通りに行動してきたのかも。


 一周目の人生、などというのも妄想で、ただ恐れていた事態を夢に見て、それを現実と混同してしまった、と考えてみてもおかしくはない。



 ……ここまでは妥当と言っていい。私が異常だ、というのはもう認めよう。


 しかし、そう。このDVDだけは別だ。


 私の考えが間違っていないとするなら、私が観た映像は全て幻でなければならない。こんな映像が、この現実に存在するはずはない。


 だから、証明する第三者が必要だ。私は高森に電話をかけた。

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